軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:代償

イラインの四番街。そこにある小さな小屋の入り口で、頭巾を被った男が周囲を見回す。特に何かがあるわけでもない。しかし、習慣だった。

自分を見ている目、そしてこの小屋を見ている目。それがないことを確認し、扉を開く。

鐘もつけられていない扉は音を発さないはずが、その蝶番が軋んで鳴った。

「……なんだって?」

中にいた男が、入ってきた男に声をかける。それに、頭巾を外しながらフラットが応えた

「仕事が一つはいった。獲物は同業者の男だ。最近イラインに帰ってきたらしい」

「ふうん」

壁際の椅子に座り、樫の木から切り出した矢柄を削り整えながら、ルディが気のない返事を返す。社交辞令的に聞いたが、興味はなかった。一応、彼がこれから携わる仕事のはずだったが。

「行動の模様は? 装備や得意武技は? 調べてきてるだろ?」

「もちろん。帰りしなに」

横柄な態度。だが、いつものことだ。そう思ったフラットは、文句を言わず三番街と五番街の地図を広げる。丸めて壁の棚に差してあるそれらの地図はフラットの手製のものだ。

「標的の住処は三番街。最近この街に戻ってきたらしいが、それまでにも定期的に誰かが出入りしていたらしい。単なる住居かは不明だ」

「寝泊まりはそこで?」

「ああ。ただし、そこじゃないこともある。以前も森へ入って寝泊まりしていたという噂もあるし、住処の屋根で寝ていたこともあるそうだ」

「なんだそりゃ」

ハ、とルディが鼻で笑う。馬鹿なことだ、と思う。森での寝泊まりはともかく、屋根の上で寝るというのは理解が出来ない。ならば何のための住処なのか、と。

「探索者としては、主に三番街のギルドで採取や魔物の狩り仕事を受注する。一番街の貴族からの依頼もよく受けているようだが、その内容まではわからなかった」

「俺らと同じってことかい」

「そうかもしれない」

フラットは頷く。

調べても依頼内容がわからないということ。それは、依頼した側か受けた側、それとギルド、それらの誰かがその依頼の内容を隠したときに往々にして起こる。

そして、その内容は大抵後ろ暗いもの。薬物の入手や、殺し、政敵への嫌がらせなど。人間の狩りを生業としている彼ら二人にとっては馴染み深いものだ。

「……そういや、名前は?」

「カラス、という男だ。三年以上前、あの 化け狐(フルシール) を狩ったということで名を上げた……」

「ああ、あの!」

ルディが噴き出す。同時に削っていた矢柄をピンと弾くと、まっすぐな棒が揃えて入れていた箱に勢いよく収まった。

「何が可笑しい」

「そんなわけねーもんよ。だって化け狐だぜ? それを? 当時無名の新人が? 馬鹿じゃね」

ルディは当時聞いた噂話を思い返す。当時は別の副都で活動していた彼らに、そんな噂話が飛び込んでいたのも懐かしい話だ。

曰く、カラスという探索者の少年が探索ギルドに化け狐の死体を持ち込んだ。その死体の様子と、それまでの彼の殺した魔物の死体の特徴から、〈狐砕き〉と渾名されたという。

未処理の矢柄を取り出して、小刀でその表面の出っ張りを削り取る。もう十年以上繰り返している、慣れた手つきだった。

「大方、奇形の狐でも見つけてその死体を使って偽装したんだろ。到達者デンアに匹敵する探索者が、そうそういてたまるかよ」

過去に化け狐の死体がギルドに持ち込まれたのは、カラスの手によるものを除けばわずか二度。

そのうちの一つが二十三年前のムジカルとの大戦中に現れ、戦場を混乱に陥れた個体。その時に地に穿たれた戦場の穴は、今もなおくっきりと残っている。

そしてもう一つは、その四十年以上前にギルドに持ち込まれたという討伐者不明の死体。傷だらけのその死体からは、一切の素材が採取出来なかったという。

後者はまだしも、前者のものからはその化け狐の強大さが見て取れる。

出現時、千余の騎士が揃う戦場が、壊滅した。エッセンの誇る聖騎士団も、戦場にいたムジカルの五英将の一人も為す術がなかった。

そんな化け狐を討伐したからこそ、〈山徹し〉デンアの名前は讃えられたというのに。

なのに、そんな小僧が。

「わからないぞ。過去に、クラリセンという街で《山徹し》を放ったという噂もあった」

「噂は噂だ。関係ねーよ」

化け狐の使う恐慌の魔法は、辺り一帯の敵を無力化する。

故に、その討伐は近寄らずに遠間から行える魔法使いや弓使いが適している、とルディは考える。だからこそ、デンアが。そして、ならばこそ自分も、と思っていた。

「そのカラスって奴? 得物は何を使うんだ」

「それが……」

フラットは言い淀む。

その答えの難解さに、説明をどのようにすればいいかと。

「それが?」

「情報を集める度に違う答えなんだ。多くは山刀を使った剣術に似た武技らしい。闘気も扱えるとか。しかし、……」

「しかし、なんだよ」

いつになく歯切れの悪い相棒の答え。それに痺れを切らしたルディが、削っていた矢柄をまた放り投げる。それから次の矢柄を手に取らず、じっとフラットの言葉を待った。

「魔法使い、という話もある。というよりもそちらが優勢だ。他にも水天流の技法を素手で使うこともあるという」

「なんだそりゃ」

またしてもルディは鼻で笑う。一度つり上げた頬に、乾いた唇が切れた。

「闘気使いが魔法使えるわけないだろ」

「そうだと……そのはずなんだが……」

「嘘つきも嘘つき、引っ込みがつかなくなってんな、こりゃ」

ハハハ、と笑い、小刀を置く。準備をする気もなくなってきていた。

「どうせ、その場凌ぎで嘘ついてたらつじつまが合わなくなってったんだな。……そういや、狐狩りのそのとき小さい子供だったんだっけか?」

「……ああ。まだ十歳かそこらの子供だったという。貧民街の出身らしく、年齢も誰も知らないが」

「ずるがしこいこった。それで大人を騙せてたんだから、まあ褒めてやらねえとな」

ルディの脳内で、『カラス』の人物像が作られていく。

平気で嘘をつき、名を上げて、そしてその名声をどうやってきたか保っている。

その後イラインを離れた理由まではわからないし興味もないが、おそらく積み重なった嘘に耐えられなくなったのだろう。遁走し、そしてほとぼりが冷めたから帰ってきたのだ。

「……油断はしないほうがいい。情報収集の間にも、奴の名前を出すだけでいくつか視線が向けられた」

「なんか怖い奴らが背後にいるとかか? 一番街の貴族の奴らかそこらだろ?」

「それが、わからない」

フラットの態度をルディは笑い飛ばして立ち上がる。ルディにとって、貴族など恐れるものではない。何かがあれば相棒が事前に察知するし、直接的な何かがあろうとも自分なら何とでも出来る。そう信じていた。

「……今回、依頼に際して依頼人から気になる話を聞いた」

「気になる話?」

だが、まだ消えない深刻そうな相棒の顔に、ルディは眉を顰める。

「カラスは……いや、カラスたちの横の繋がりは強大なものだと」

「どういうことだよ」

「親交のある探索者が、大物ばかりなんだ。今回俺たちの標的じゃないが、カラスには〈幽鬼〉ニクスキーや〈血煙〉レイトンとの繋がりがあるというんだ」

「……はは」

またその言葉も、ルディにとっては笑い話となって伝わった。

「それだけじゃない。この前起こった十一番街の変死にも関わっているらしい」

「そりゃまた豪勢なこって」

もはや本気にせず、両手を頭の後ろで組んでルディは笑う。

「それで? 俺たちはそんなお強い男をこれから狩らなけりゃいけないんだな?」

「……。ああ」

フラットがため息交じりに頷く。

今回の依頼、いつもと勝手が違うことが多い。

依頼者は十二番街の有力者。フラットは、依頼者が標的を狙う理由は本来問わない。それでも、それとなく聞いてはみたが不明瞭だった。

彼らの間に利害関係はない。昔関わったことがあるのかと少しだけ調べてみたがそれもわからなかった。

何故そのカラスという者が狙われているのか。わからない。

ルディのいうとおり、嘘つきなのかもしれない。しかし、それでもその嘘で依頼人が損をしたわけではないだろう。少なくとも表立っては無関係な者だった。それをわざわざ、殺害しようなどと。

それに、やはり報酬の問題もある。

少ないのだ。いつも請け負うものと比べても。

有力者といってもほとんど一般人と変わらず、相場よりも少ない程度しか出せないらしい。

それでも、仕方ない。この街で二人は活動を始めたばかり。

今はまた顔と名前を売る時期だ。暗殺者という身の上で、顔も名前も大々的に売ることはなかなか出来ないが。

しかし、そう考えればうってつけだ。そうフラットは考える。

「殺せば、俺たちの名も売れるな」

「……そうか、そうな。『〈狐砕き〉を殺した暗殺者』、か。忙しくなるな」

ハハハ、とルディは笑う。

そうだ、その通りだ。その実力はともかくとして、その虚名はあまりにも大きい。嘘をついて膨らんだ肉を喰らい、自分たちの名前はまた大きくなる。嘘をつく不届き者を誅した者としても、そのような有名な人物を殺した有能な暗殺者としても。

副都ロズオンで、少しばかりの失態を犯してイラインに逃れてきた。

だが、ここからまた、ルディとフラットの名声は高まっていくのだ。

ルディは、そう信じて疑わなかった。

五番街の工房。そこで午前の一仕事を終えたリコは、持っていた針を全て針山に刺し、本数を数えていく。全て紛失するなど極端なことがなければ問題にはならないが、それでも支給品の針を失くさないようにと気をつける癖だった。

机の上のガラス瓶の蓋を閉めれば、その中の石の発光が止まる。空気に触れると発光するこの石は、貴族相手の仕事が増えてきた頃にリコに特別に支給されたものだ。

手元を照らしていた白い灯りが消え、机の上の影が姿を消した。

「お昼行ってきまーす」

「はいよ」

隣の机で未だ作業を続けている年嵩の女性に声をかけ、リコは席を立つ。本当はそのような報告も不要だったが、これも、リコの所在を尋ねる案件が増えたためだ。

もっとも今彼女は高額な案件を一つ抱えているため、来客を全て断ることも可能なのだが。

入り口脇の水場、そこに備えられている水桶から柄杓を使い水を汲む。

手にかけると、罫書きに使った石灰が灰色の滴となって流れていった。

今日は何を食べようか。

そうほんの一瞬悩み、それから間もなく決定する。行きつけの屋台で、いつものものを。いつものことではあるが、そうしよう。

そんな逡巡とも言えない一瞬の後に、リコの頬は少しだけ緩んでいた。

銅貨を差し出し釣りの鉄貨を受け取る。仏頂面の店主にも慣れたものだ。もっと酷い仏頂面は、生まれ育った街でずっと見てきた。

受け取ったものは皿ではなく、貝殻。リコの両掌よりも大きな二枚貝の殻の片一方に、その身といくつかの根菜が輪切りになって乗せられていた。

この焼き貝はこの街でも一般的なものだ。イラインに引き込まれている川で養殖されるその大きな二枚貝はある程度安定供給されており、温かな食事として提供されている。

誰かが言った。蒸かした芋とこの貝は、栄養ある温もりを授ける労働者の忠実な味方だと。

添えられている爪楊枝を突き刺し、大きな身を囓る。

塩漬けにした魚から染み出た魚醤で味付けをされた新鮮な身は中に汁を多量に蓄え、噛み千切れば、唇からこぼれるように水分が滴り落ちる。

行儀が悪いとは思いながらも、立ったままその一口を堪能し、それからリコはどこかで落ち着くべく場所を探した。

五番街は職人街でもある。

昼飯時ともなれば情報交換のために彼らは集い、世間話に花を咲かせる。そのために屋台の近くには、簡素なものでは木箱が積まれ、豪華なものでは椅子と机が置かれるといった程度の集会場が出来ていた。

そのうちの一つ、手近な木箱に腰を据え、リコは改めて貝を囓る。少しだけ時間が経っていても冷めてはおらず、むしろ熱さも抑えられちょうどよい塩梅だった。

添えられている大根に似ているがそれよりも細い根菜は別で煮られており、柔らかさも申し分ない。その根菜に染みた出汁にも貝が使われているのは店主のこだわりだった。

「あれ、リコさんも昼飯っすか」

砂埃を踏む足音に遅れて、視界の外から声がかかる。

リコがそちらを見れば、逆光の中きらりと光る眼鏡が見えた。

「どこいきやがった?」

「……わからない」

苛立ちが混じるルディの声に、首を振ってフラットが応える。

二人は現在五番街。標的を追ってここまでは来ていた。

カラスを追っていた彼らはそのカラスが五番街に入ると同時に屋根に上がった。

誰にも見られずに駆け上る彼らの足音は軽快で、迷いなどない。

しかしその足がはたと止まる。見失ったのだ。その黒髪の青年を。

どこでかはわからない。五番街に入ると同時に、二人とも、カラスを一瞬視界から外した。そこでだろうと意見は一致するが、それ以外は二人とも認識が違うという不可解きわまりない事態だった。

大通りを歩いていたはずだ。周囲に何の警戒も払っておらず、そのあまりの無防備さに拍子抜けしたのをルディは覚えている。

それなのに、どこへ。

どこかの店へと入った? ルディはそう考えるが、入った様子もないとフラットは主張する。入るような素振りはなかった、と。

路地に入ったのかもしれない。フラットはそう考えたが、ルディがそれに異を唱えた。ならば自分が見逃すはずがない、と。

実際にはカラスは普通に通りを歩いており、彼らに警戒を払ったということもない。

ただ、曲がり角の曲がり方にコツがある。いつもの癖で追跡を断つように動いてしまっただけだった。

それを知らないルディたちは、屋根の上から黒髪を捜索する。

獲物を見失うのは猟師として失格だ。舌打ちをしながら探し続ける。

そして少しの後、ようやく運良くルディの鷹の目が獲物を発見した。

入っていったのは衣装店。案内されるように中に歩み入ったカラスを遠目に見て、二人ともが唇を噛んだ。

安全策をとり、五百歩ほど離れた場所からしばらくの監視の後、ようやくカラスが店を出る。

先ほどと全く変わりない無防備さで。栗色の髪の店員に見送られ。

「ここでやるか?」

その様子にルディは相棒に問いかける。獲物が隙を見せたときに狩るのが猟師とはいえ、相手は無防備すぎる。いつでも隙を見せているに等しいとルディは感じていた。

まして、ここで逃せばまた見失ってしまうかもしれないのだ。二人が見逃したのは奇跡に近い偶然とはいえ、二度目がないとはいえない。

そう含んだルディの言葉に、フラットは首を横に振った。

「いや。ここで逃せばやりづらくなる。もっと確実なときに狙うべきだ」

「今だって確実だろうよ」

「……。……そう思うか?」

フラットが無意識に唾を飲む。

確実。たしかにそうかもしれない。あの程度の無防備な小僧であれば、ルディは確実に撃つことが出来るだろう。

しかし、そうじゃないかもしれない。実際は噂は全て本当で、あの無防備さは自信の表れかもしれない。そんな考えが頭を微かによぎる。

フラットのそんな様子にルディは怪訝な目を向ける。

何を躊躇っているのだろう。こんな簡単な仕事を、と。

よもや、自分の腕を疑っているわけではあるまい。五百歩ほどの距離など自分の弓であれば造作もない。ここからあの男の心臓を狙い撃てばそれで解決だ。

なのに、何故。

「……いや、やはり確実な時を狙おう。監視を続けよう。せめて、立ち止まった時を」

「……わかっ……!?」

だがそんな視線も功を奏さず曲げられなかった意見に、不承不承とルディが頷く。そして、その視線をフラットからカラスに戻そうとしたときに異変が起こる。

そこにカラスがいない。

またもや起きた不可解な事態に、二人は慌てふためく。

またしても見失った。どこだ、どこへいったのだ、と。

標的を二度も見失う失態。それに苛つきルディは自分の腿を叩く。

「……クソがっ!!」

「すまない。俺が止めなければ」

フラットはその様子に頭を下げる。たしかに先ほどは確認していた。その居場所を。その姿を。

なのに、自分が止めたせいで見失った。そんな罪悪感に奥歯が鳴った。

ルディもフラットを怒鳴りつけたい気分でいっぱいになる。だが、曲がりなりにも仕事中だ。そういったことは後で話そう。そう考えられるだけの冷静さは残っていた。

「もういい。次はその場で狩るぞ」

「……ああ……」

ここでカラスに向かい矢をつがえていれば、その敵意に即座に感づかれていただろう。

二人の監視場所が、カラスとあまりにも離れていたこと。そして、弓すら構えなかったことが二人にとっては最後の幸運だった。

そんなことを二人は知らない。

二人はまたそれから五番街を飛び回る。

命拾いした男の影を探して。

命拾いしたのが自分たちだとも気がつかずに。

二手に分かれよう。しばらく捜索し、そう提案したのはルディだ。

カラスを最後に見たときの歩調では、恐らく奴が目指しているのは貧民街。古巣に何の用事があるのかはわからないが、まだそこにいるのかもしれない。

もしくは、戻ってくるのであれば通り道にまたこの五番街を通るだろう。そう提案して。

いつも二人で行動していた。ルディは射手、フラットは白兵戦への備えも兼ねた観測手として。

だが、一度取り逃がしたことで、フラットはルディに負い目がある。

反対しようともしたが、その罪悪感故に、フラットは素直に頷くこととなった。

「じゃあ、定刻に」

「ああ。合流しよう」

フラットは貧民街。ルディはこのまま五番街を捜索する。見つけたほうはその場に残り標的を監視し、見つからなければもう一方の場所へと移動する。入れ違いになってしまう可能性もあったが、それもないだろうとルディはその懸念を一蹴した。

一度仕切り直し、三番街の拠点を見張るという案もある。

しかし、その三番街の拠点も寝泊まりを必ずするわけではないらしい。それ故にそこへの襲撃は消極的だったが、もしもの場合は仕方ない。明日の朝そこを襲撃しよう。

そう決めて二人は別れた。今日の勝利を信じて。

ルディの鷹の目は、千歩先の鼠を見逃さない。そう本人は吹聴していた。

その鷹の目を遺憾なく発揮し、五番街を見て回る。探し求めるのは眼鏡をかけた黒髪の男性。最後に見た姿を何度も脳内で反芻し、通行人たちに当てはめていく。

眼鏡がない。髪の色が違う。体型がもっと細かった。そんな比較が頭を埋めていくが、成果は芳しくない。

どこだ。本当に貧民街へと行ってしまったのだろうか。

いや、きっとこの五番街にいるはずだ。先ほども、見失った後にこの五番街にいた。

ならばまだここにいるはずだ。そうに違いない。

そんな、心の底にある願いが、無意識に認識を歪めていく。

通行人が皆疑わしく見える。

変装しているのかもしれない。その帽子を脱いだ下には、漆黒の濡れ烏色があるのかもしれない。その手に持っている荷物は、先ほど脱いだ衣装ではないだろうか。

そんな、根拠のない疑いが溢れてくるまで。

止まらない思考回路。

ルディがこの街に逃れてきた原因であり、逃れようのない悪疾だった。

やがて、一人見つけた。

カラスではない。黒髪でも眼鏡をかけているわけでもない。

だが、一人いた。栗色の髪。細身の男性と見紛う女性店員。先ほど、やや親しげにカラスを見送っていた。

「……あれは」

ルディがその姿ににやりと笑う。

カラスとは親しげな様子だった。

空を見上げれば、日は中天にさしかかる頃。ならば昼飯時で、誰かと食事を一緒にとるのかもしれない。

ならばその食事を一緒にとる相手は、親しい相手かもしれない。

ならば、ならば、とルディの脳内で関連づけが繰り返される。

何事も無関係ではない。彼女はこれからきっと誰かと会う。その誰かが標的かもしれない。標的だったらありがたい。ならばきっと標的なのだろう。

標的に会うに違いない。

確信したルディは、その栗色の髪の店員を視界に収めたまま移動を開始する。

その少女はカラスに会う。ルディの脳内では、そうに決まっていた。

そして。

「ハッハァ、大当たりじゃねえか」

三百歩ほどの先。少女が食事中、そこに声をかける影があった。

髪は黒。眼鏡をかけており、そして今は黒い衣装を身に纏う。

角度の関係で顔はよく見えないが、それでも間違いないだろう。間違いなどあるはずがない。そう内心の願いで歪んだ認識が、彼の素性を確定させる。

間違いない。カラスだ。

その心臓を射貫けば仕事が終わる。そんな高揚感に唇がつり上がった。

「さて、今度は逃がさねえぞ……」

視界にその黒髪を収めたまま、ルディが背負っていた荷を探る。目を瞑っていても組み立てられるその長い何本かの部品は、瞬く間に組み上げられて弓となる。

分類としては複合弓。木の骨格に貼り合わせた鉄板と魔物の素材がその反発力を強めている。彼特製の仕掛けとして、弦にはいくつもの滑車を噛ませており、その反発力に比して弱い力で弓を引くことが出来た。

分厚い鉄板で彩られ、本来であれば軋むことすらしない強弓。

その弓を握る左手と、矢柄ごと弦を掴む右の指が白い煙のような光を発する。

生体素材と金属を使った弓や弦は闘気をよく通し、その靱性を増す。

逆向きに曲がっていたしなりが、その腕の動きに合わせて弓なりになった。

フラットはまだ来ていない。だが、いいだろう。相棒を待つ間にまた逃がしては困る。

そんな勝手な考えに支配されたルディは、その目の先の黒髪を睨む。

三百歩ほどの距離。この距離ならば外さない。自信があった。

彼の技巧にかかれば、三百歩先の蚤の心臓を射貫くことも簡単だ。そう彼は豪語していた。

もっともそんなことが出来るのはこの国でも到達者デンア程度のもので、ルディに関してはただの自信の暴走によるものだったが。

しかしそれでも、猟師としての腕は確かだ。四百歩までの距離で、人間程度の大きさであれば彼は必中の域に達している。

彼特製の複合弓は音よりも速い矢を飛ばし、彼の技巧により四百歩先の敵を貫く。

故に彼の手にかかった人間は、唐突に、何の前触れもなく死ぬ。

突然訪れる劇的な死。故にルディは、一部では〈霹靂〉とも呼ばれていた。

引き絞った弓が軋む音を立てる。

黒髪の男。後ろ姿であるが、その心臓がどこにあるかは知っている。

目を離さない。瞬きすら意識的に忘れ、風の呼吸を読んでその時を待った。

「……いたのか?」

そんなルディの後ろ姿に声がかかる。

驚くことなど何もない。カラスは矢の先にいるのだ。ならば貧民街にはおらず、無駄足を踏んだ相棒は、この時間ここに来るとルディは半ば確信していた。

フラットは、矢をつがえて標的を狙う相棒に一歩歩み寄ると、その狙う先を覗き込んだ。

横顔も見ずに、ルディは応える。

「ああ。お前は上側の目をやれ。ないとは思うが、第二射は頼んだ」

「わかった」

もう一段上がった屋根に飛び乗り、フラットも目をこらす。ルディほどの視力はなくとも、彼もそれなりの目を持っていた。

だが、おかしい。なにかがおかしい。

そう訝しんだフラットは目を細める。そして何度か瞬きをして、ようやくその原因に気がついた。

まずい。

「いい風だ。いくぞ……一、二、……」

「……!! 待て!」

「三!!」

標的を確認したはずのフラットが止める言葉も聞かずに、ルディは矢を放つ。

止めた言葉に手がぶれて、その行く先を外して。

音が置き去りとなり飛んでゆく。

鏃の小さい矢は十分な速度で飛び、放物線を描くこともなくまっすぐに。

着弾よりも前に、ルディは止めた相棒を見る。そのフラットの焦った様子に面食らった。

「馬鹿、よく見ろ、あれはカラスじゃない!!」

「はぁ?」

そんなはずはない。

あれはカラスだ。そう思い込んでいるルディは、馬鹿なことを、と思いつつ視線を標的に戻す。その黒髪の青年の焦った顔が見えた。

そして、舌打ちをする。

標的ではない。相棒の言葉にようやくそれを納得し、そしてそこで起きていたもう一つの事象に、また舌打ちをした。

またやってしまった。

また。

悔やんでも仕方がない。だが、とりあえず逃げて、その後のことを考えなければ。

「……とりあえず、撤退するぞ」

「クソ、ああ!」

視線の先では、倒れた人間。赤く染まる石畳。

栗色の髪の女性の腹部を貫いた矢が、石畳に突き刺さりその存在を示していた。