軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

今ならその先が

「なんか、とは」

曖昧だ。剣呑な店だ、『何か』は常に起こっているだろう。だが、ハイロのその言葉は既に見当がついているような、そんな雰囲気だ。

そして、僕もわかっている。『何か』はあった。それをあまり考えたくないだけで。

ハイロは膝の上で頬杖を突き、緩んだ頬を持ち上げる。

「あの店の話が出た途端、お前の顔色が変わった。なんかあっただろ、それも、爺さんに」

「……そんなに顔に出てましたか」

ハイロが頷く。

そんなに、僕は深刻に考えていたのだろうか。

僕としては反応したつもりは一切ないのに。それでも、わかってしまうほど。

だが、やはりあの店やグスタフさんに最近『何か』があったわけではない。ずっと進行していたそれが、たまたま最近になって噴出しただけで。

「……特になにかあったわけでもないです」

「でも、あったんだろ? 顔に出てたって自分で言ったじゃん」

「…………」

まあ、そうだけど。

「……最近、体調が悪くなっているようで」

「体調? あの爺さんが?」

はは、とハイロが笑う。頭を揺らして頭痛が酷くなったのか、「いてて」と呟きながら額を拳で叩いた。

「殺しても死にそうにないあの爺さんがなぁ。そんなに悪いのか?」

「ええ。何かの病気とかそういうのではなく、老衰ですけど」

僕の言葉に眉を上げたハイロが、薄ら笑いを浮かべて空を見上げる。

「……ま、あのくらいになればまあ仕方ねえな。今度顔見にいってやるか」

「仕方ない?」

「仕方ないだろ?」

思わず聞き返した僕に、ハイロがそのまま返す。

仕方ない。それはたしかにそうかもしれない。現状老いを止める手段はあるが、それを使った上での限界だ。若返りをする手段も今のところなく、もはや打つ手はない。

しかし、そんな簡単に諦められるものなのだろうか。

人の表情を読むのは野生動物の表情を読むより僕には難しい。そんな僕だからだろうか、ハイロからは微かに『残念』という感情以外何も読み取れなかった。

「治療師みたいなお前がいて、あの爺さんだって薬には詳しい。それなのにどうにもならねえんなら、もう仕方ないだろ」

「……そうですが」

僕には今のところどうにもできない。僕の知る限り最も優れた治療師のエウリューケにも手立てはない。グスタフさんはその持てる知識のすべてを使って寿命に対抗している。

だから、たしかにもうできることはないといってもいい現状なのだが。

「七十か八十か? 歳は知らねえけど、そんなもんならまあ、長生きしたってことで」

「何でそんなに……」

「ん?」

「何でそんなに簡単に、諦めがつくんでしょうか」

人が死ぬ。そういう話を今はしている。なのに、ハイロにそんな話に対する忌避感がない。

僕はそれが気になった。

名前を知り、そして世話になった人間が死ぬというのは一大事ではないのだろうか。

もちろん僕も何人も人を殺している。目の前で死に至った人は大勢見ている。彼らに対して同じような感情は抱けない。

だがこれは、それと多分違うことだ。

僕が問いかけると、ハイロは首をひねる。

それから、何度か首を掻いて、言いづらそうに口だけ何度も開閉させた。

それでも、腹を据えたのだろう。ようやく言葉を発した。

「あ、と、多分さ……、……お前にはわからないんじゃねえかな」

「……何故でしょう」

「……お前が、魔法使いだから」

言いづらそうに、ポツポツと言葉を吐く。また、魔法使いだから、か。

一言吐けば、気が楽になったのかするすると口から言葉が出てくる。ただし、その目は僕から逸らしたままで。

「爺さんは長生きだったよ。普通ならきっと、それで大満足だ。温かく見送ってやるくらいはしても、そんなに焦ることはないんじゃねえのかな」

「僕が普通ではないから、そう思えないんだと?」

「……そうは言ってない……いや、言ったのか? そうだと、思う」

ついに目を閉じる。何かに怯えているように。

……まず間違いなく、僕に対してだけれど。

「俺はよく知らねえけど、魔法使いとか魔術師ってのは長生きなんだろ? 七番街では、ずっと畑耕して生きてる爺がいるらしいし」

「…………」

「死んでほしくない、とは俺も思うよ。けどさ、死なない人間はいないんだよ」

それから僕を見る。その目に宿る感情は、多分、嫉妬。

「なあカラス。俺もいつか死ぬ。リコも、モスクも、歳食ってよぼよぼになって、いつかは。でもお前は、そのとききっとまだ若いまんまなんだ」

「……否定はしません」

僕も予想していないわけではない。多分そうなるだろう。

知り合った人間の大半は、僕よりも先に逝く。……それに絶望した 先人(アブラム) も、見た。

「俺は今、二十歳ってことになってる。本当の年は誰も知らないけど」

ハイロが手を伸ばす。宙を掴むように、そして感慨深げに笑う。

「この年になるまで生きられると思ってなかった。……ってより、想像してなかった。今日食ってくだけで精一杯だったしさ。でも、今ならこの先が想像できる」

「この先、とは」

「少しずつ、一歩ずつ老けてくんだ。そのうち『腰痛え』とか、『膝が痛え』とか言い出してさ。目も霞むし、耳も遠くなってく。多分、本当はそうなるうちに覚悟できるんだよ。人が死ぬのは、さ」

「そんなの、どうにでもなります」

目の霞み、難聴はわからないが、関節痛は治療師にも何とかできるはずだ。

「それでも限界がある。グスタフの爺みたいに」

「…………」

僕は言葉をなくす。その通りだった。

「俺は馬鹿だから、お前らよりも物知らずなんだろう。でも、お前のおかげで貧民街から出る気になれて、そして出た。そんな俺だからきっとわかる」

ハイロは一度肩を上げて首の後ろを伸ばし、勢いよく下ろす。目を強く瞑る動作は、なんとなく心地よさそうだった。

「怪我とか病気で死ななければ万々歳なんだ。少なくとも、俺はさ」

「……そうでない人もいるでしょう」

僕は拳を握りしめる。

グスタフさんはまさにそれだ。病や怪我を相手にではなく、寿命を相手に戦い続けてきた。スティーブンもそうだ。寿命を克服することを求めてはいたが、怪我をする可能性の消えない戦場に出ることは厭わなかった。

「そうだよな。だから、俺にも爺さんの気持ちはわからねえ。ただ、俺はそう思うから、爺さんが寿命で死ぬなら満足じゃねえかな、って思う。お前にゃ悪いけど」

卑屈な笑みでハイロが僕を見る。僕が怒らないかと心配しているような。

「でも多分、俺が死ぬときお前の姿を見たら、きっと怒るんだろうな。どうして俺は死ぬのに、お前は若いまんまなんだ、ってさ」

無理矢理笑い話につなげようとしているような、そんな顔。その実、その話題はまったく笑い話にもならないのだが。

「……諦めがついている理由は、わかりました」

了解した。実感はないけれど、理解はできていると思う。

「僕が同じ心境になれるとはどうしても思えませんが」

ふふ、と笑ってみせる。どちらかといえば、心境は未だに真逆だ。

「……爺さん、そんなに悪いのか?」

先ほどと同じ質問。だが、それでもハイロの顔色が深刻そうに変わっているように見えた。

「すぐにではありませんが、でも、目に見えて弱ってます」

「そっか」

ハイロがため息をつく。長く。

「俺は苦手だったけど、お前とか……多分リコとかモスクは世話になってるもんなぁ」

「多分?」

「俺にはみんな秘密にしてるからな」

威張るように言うが、それは威張ることではあるまい。

「みんな、何か秘密がある。馬鹿な俺にはよくわかんねえけど、お前らはそれぞれ」

「リコさんが隠し事をするとはあまり思えませんが」

僕にならともかく、ハイロには。彼ら二人は、気の置けない親友だろうとも思っている。

「……どうだかな……」

ハイロはもう一度小さくため息をつく。少しだけ悲しそうに。

「ま、爺さんも、俺たちの親代わりだったような人だし、リコやモスクにもそれとなく言っとくよ。今度何か手土産でも持って行ってみる」

「そうしてください」

三人が行って喜ぶかどうかはわからないが。それでも、たまにはいいだろう。

さて。

「……じゃあ、僕は帰ります。あまり夜更かしとかしないほうがいいですよ」

「ああ。俺も、帰るよ。もう一休みしたらな」

会話も終わり、僕は踵を返す。路地から出れば、松明のあかりが戻る。

ちらちらと動くその火に照らされて、街が橙に輝いている。

夜空に月は見えない。ただ、松明に負けない星空がきらきらと輝いていた。

僕はそれを見上げ、考える。

グスタフさんは親代わりだった。

ハイロに言われて、たしかに、と僕は思った。

親代わり。そうだろう。彼の働きにより彼らは飢えずに済み、そして職まで得た。わずかな働きで、衣食住の衣食を保障してくれる温かい……温かい? 存在。本当の親ならば住まで保障してくれる者が多いとは思うが、そこは『代わり』ということでまあいいだろう。

先ほどの酒場で、シズリは母親としての役割を口にしていた。

娘の背中を押すのが母親。月にいる僕の母も、似たようなことを言っていた。子供を世界に、外に、送り出すのが母親の役目だと。

グスタフさんは親代わり。そして貧民街の外に僕たちを送り出した。

しかし、母親ではない気がする。性別を置いておいても、その働きは違う気がする。

ならば、父親?

だが、と僕はそこで思考を止める。

父親とは何だろうか。子供を外に送り出すのが母親ならば、父親の役割は。

月に行って聞いてみようか。僕の母親の一人に。

『そんなの知るわけないじゃない』とか返されそうだけど。

……ハイロのおかげで少しだけ整理がついた。この焦燥感の正体。

僕はきっと、これから初めて『親』を亡くすのだ。