軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

酔えずとも

少し巻き戻る。発端は、ササメが厨房に一度引っ込んだあとのことだ。

酒を飲む人の中に混じり、普通に飲み食いし、世間話を楽しむ。

多分、世の中の人間が普通に出来ることを初体験し、少しだけ舞い上がっていた僕。そして、それに気付かないであろう三人。

そんな僕らに、一人の男性が歩み寄ってきていた。

「果実を入れた焼き菓子なんだが、つまみになるかな?」

コトリ、と皿が僕らのテーブルに置かれる。皿に載っているのは小さなケーキで、先程のサラダのようなものに比べて今度はおそらく普通に甘いのだろう。そんな匂いが少しだけ漂う。

緑色のビスキュイ……かシフォン生地の中に黄色い果肉が細かくなって散らばっている。匂いからすれば、この緑色は野菜やお茶でつけているわけでもなさそうだ。

おつまみになるかどうかは僕は知らない。

それでも酔っていない僕としては特に問題ない。甘かろうが辛かろうが、美味しければいいのだ。

けれど、味以外に問題は二つあった。

一つはそのケーキを誰も頼んでいないということ。

当然ながらまだ食事中な上に、僕を除く三人は静かに食後のデザートを頼むようなタイプではない。なのに、料理がきた。

持ってきた人間の言葉を考えれば、それは向こうも承知だろう。

今の状況で、その甘いお菓子が美味しいのか。それを向こうも計りかねている。

その皿を持ってきた理由がわかれば、その問題は飛んでいく。

……一瞬、以前ミーティア手前の宿で料理の試食を頼まれたことを思い出す。あれは、悪意しかない申し出だったが。

いや、そんなことはしないだろう……と思う。

ササメの縁者だ。ササメ自体を信用しきっているわけではないが、それでもここで何かを盛る意味がない。

それに何より、先程ササメに奢られたばかりだ。同じように奢ってくれるのかもしれない……とは思うが、それもどうだろうか。

僕はこの男性と話したことは一度しかないし、ササメ以上に話している時間は短い。

それが、二つ目の問題。

持ってきた男性が、ウェイトレスのササメではなく、髭を蓄えたコックコートの男性。

この店の、店主だったということだ。

「さあ、どうしたんだい? 気軽に摘まんでくれたまえよ」

ははは、と店主が笑う。その笑みに、何故か誰も動かず、固まったままだ。

僕は手を出し、角切りにしたパンのようなそれを一口囓る。

ふわふわの生地の中に、多分ドライフルーツの蜜柑のような果物が刻まれて入っている。砂糖などによる甘さはほぼつけていないが、ほのかに甘い生地の中に酸味ある粒が見つかった。

「生地の着色はすりおろした芋ですか? 美味しいですね」

社交辞令のようだが、社交辞令でもない言葉を発し店主の反応を見る。美味しいことは美味しいが、僕の好みに寄せることはまだまだ出来る。もしもそれを問われたら、と思案を巡らせつつ。

だが、味についての反応はそれでいいようで、ぐい、と一歩店主が僕に近付く。

「ありがとう。それで、君がカラス君といったかな?」

「はい」

もう一口囓り、噛み砕いて飲み込む。胃に落ちていったケーキに毒などはない。

「レシッドの奴と一緒に、前にうちに来てくれていたね」

「ええ。その節は、どうも」

あの時代金を支払った覚えはない。レシッドがその信用で奢られていたのに便乗させてもらった形だった。

「それで、……うちのササメとどういう関係かな?」

「どういう……と言われましても……」

僕は言葉を切り、一瞬悩む。一度客として彼女が勤める宿に泊まっただけだ。そんな大層な関係もない。

「以前、一度……」

僕が言いかけると、ザン、という音が響く。

他の客もいる一応の喧噪の中、その微かな音が響いた僕らの机が、それで静まりかえった。

机の上に、刃を下にして屹立した包丁。

牛刀よりも小さいようだが、大きなものを捌くためのその分厚い刃が、震えてその存在感を示していた。

「……おっと、すまないね。手が滑ってしまったようだ」

謝りながら包丁を引き抜く。頑丈そうな包丁で、刃こぼれなどはないようだ。木製の机に穴が残ってしまったが。

「それで? うちのササメとどういう関係かな?」

ははは、と笑う店主の笑顔は崩れない。というか、どこからその包丁を出したんだろう。

「以前、一度宿に泊まらせていただいただけですが……」

「一度だけ? 本当に? それにしては随分と親しそうだが……?」

店主の目尻がぴくりと動く。

……その動きで、何となく意図が伝わってきた。

でも、正直わからない。

正解はどっちだろう。

「親しいわけでもないですが、接しやすくしていただいて助かりますね。どうも自分は、人付き合いが苦手なので」

「ほうほう、そうかそうか」

僕の肩に店主の手が乗せられる。随分と力強く。

「つまり、そう親しくもないんだね?」

「……そうですね」

そう言ったのに。

「では、違うことも聞かなければいけないかな」

にこにこと笑い続けるが、その言葉に少し棘がある。

あ、ケーキに干しぶどうも入ってた。

「将来の目標はあるかい。それと、今現在君は何をしているのかな、持病や障害なんかは……」

「貴方、注文が入りましたよ」

店主が言い募ろうとする言葉を止めるように、背後から忍び寄ってきていた手が肩の辺りの布地を摘まむ。

僕らからは丸見えだったが、僕らに夢中になっていた店主からはもちろん見えない。そして、背後に立っているその人物には、僕もまた見覚えがあった。

「お久しぶり。あの時はどうも」

「お久しぶりです」

ササメの母親……あの宿の女主人に会釈を返すと、店主の顔が引きつった。

「っ……! 『あの時は』!?」

「以前、リドニックの方で宿を使わせていただいたんです。ササメさんとお会いしたのもその時ですね」

だんだん店主の反応にも慣れてきた。怖くもないし放っておこう。

ササメの母親に目を向けると、少しばかり大人びたササメとは違い、そう変化はない。

もう成熟した大人だったからだとは思うが、それでも未だに若々しい。

色こそ違えどササメに似たウェーブのかかった髪型もそのままだ。

「ごめんなさいね。主人が、ご迷惑をおかけしてます」

「いえいえ」

「俺は、ただササメの心配をだなぁ……!?」

奥さんは言い募ろうとする店主の肩を押し、くるりと体を入れ替えて厨房の方へ向かせる。それから、まだ言葉を吐き足りない様子の店主の背中を押して、強制的に厨房へと歩かせ始めた。

振り返り、僕らに笑いかける。

「ご挨拶は後で改めて、この人が落ち着いたら……」

「そんな気を使っていただかなくても結構です。僕らも食べ終わったら帰りますので」

未だ一言も発せていない三人を無視して、僕はそう返す。リコはまだ大丈夫だろうが、特にハイロはもうそろそろ駄目だろう。

先程よりも更に酔いが回ってきたのか、顔が真っ赤だ。包丁の件で、少しだけ青みも差した気もするが。

困ったように笑う奥さんは、厨房と客席を隔てる扉へと主人を押し込み消えていく。

バタンと閉まった扉の音の後、客席すら一瞬静まりかえった気がした。

だが、その奥からまた声が響き続ける。

「は、放せシズリ! うちの娘に言い寄る男など三枚に下ろされるのが礼儀だ!!」

「そんな礼儀はありません!」

「ええい、ならば……」

木の戸棚が揺れたような音が響く。

何しているのかは知らないが、肉を叩いたような音も響いた。

「食材もきちんと目利きするだろう! 中を開いてあのどこの牛の角を身につけているのかわからないような男の腹の内を月の妖精に奉納してやる!!」

「食材と人間の見分けをつけてください!」

「その見分けをつけてやろうというんだ……あ……?」

「……まず聞き分けがよくなるようにしましょうか?」

「……あ、……あ!! 悪かった、ごめん!」

「………………」

「……やめ、やめて……!!」

「…………」

「…あっ…」

だが、言い争っていた言葉が、次第におとなしくなっていく。

穏便に済んでくれたのならば嬉しいことだ。

「……ああいうのって、父親からしたら、親しいのと親しくないのどっちが嬉しいんですかね?」

正解がわからない。今回僕は身に覚えがないし、正解しなくても問題ないが。

「知るかよクソ、俺たちにそんなの聞くんじゃねえよクソ、……クソ……」

机に頭を墜落させるように崩れたハイロがそう文句を言う。まあ、僕らの年代だとわからないのも仕方ない。

「正直に言うのが一番いいんじゃない?」

リコも、非難がましい目で僕を見る。机に両肘をつけて、両手で抱えるようにしたグラスから蒸留酒を啜りながら。

「なら、今回ので正解ですね」

親しいわけでもないと答えて、実際親しくはない。彼女の性格と職業上だろう、親しいように振る舞ってはくれているけれど。

頭を掻き毟りながら、モスクが机に肘をつき顔を傾ける。

「で? 実際、どうなんだよ? ササメちゃんと何かあったのかよ」

「何も。そんなに信用ないんですか、僕」

むしろ、少しでも怪しい行動を取っただろうか。

「大丈夫だよ、モスク君」

「……??」

そんな、尋問のような目を僕に向けていたモスクに、取りなすようにリコが言う。僕もその『大丈夫』の意味がわからず、ハイロを除く机の視線がリコに集まった。

「カラス君は、興味ない女の子が相手だと、その子を見ながらでも他の女の子のことを平気で考えてるからね。ササメ? ちゃんに興味はないでしょ」

「……そうですか?」

リコの言葉に、まず僕がそう声を上げる。僕自身そんな自覚はないのに。

僕が聞き返すと、リコがグラスから唇を離さずに笑う。

「そういうのって、女の子はけっこうわかるんだよ。ササメちゃんもきっとね」

「……ならいいですけどぉ」

モスクの声に抗議が混じる。それも、多分僕に向けたものが。

いや、店の主人の気分を害してしまったのは申し訳なく思うけれど。僕としてはなんか理不尽な気がする。

そういえば。一番怒っていそうな人間を忘れていた。

そう、隣を見れば、机に突っ伏したままハイロが寝息のようなものを立てていた。

「ごめんなさいね。ほら、うちの娘は誰に似たのか愛想を振りまいて生きてますから、主人も心配なんですよ」

「いえ、ですので気にしてませんから」

その後、ササメがまた給仕に戻り、店が通常運転を始めた頃、シズリと呼ばれていた奥さんが僕らの席に謝りに来た。

「……あれで、カラスさんを信用しているんですけどね」

「あれで、っすか?」

モスクの驚いた声に僕も驚きだ。どこの世界に、信用している者を包丁を持って脅しに来る人がいるのだろう。

そんな言葉に、シズリさんがクスクスと笑う。

「昔この店にちょっとやんちゃな人たちが入ってきたときなんか、あの人震え上がっちゃって。本当に危ない人相手ならさっきみたいなこと出来ませんから」

「弱い者いじめじゃないすか……」

モスクの言葉に僕も噴き出す。弱い者、というところには多少引っかかるが、それでもつまりはそういうことだ。

「優しそうだとか、いい方に捉えておきましょうよ」

「一番腕っ節が強いお前……っていうか、魔法使い相手に、なぁ……」

シズリさんが、僕の持っていた水に目を留める。

「カラスさんは飲まれないのですか?」

「飲んでましたけど、今は水です」

「お前、酒場に来て水ってのも味気ないだろ。道理でまだ素面っぽいと思った」

呆れたようなモスクの声に、ようやく気がついたのかと僕はあんまり関係のないことを考えた。結構前から、僕はお酒を飲んでないのに。

それに。やはり認識に相違がある。

「……魔法使いは、酔わないんですよ」

多分、個人個人にもよるだろうが、少なくとも僕は。

僕の返した言葉に、少しだけ申し訳なさそうにモスクが眉を顰める。別に、彼を責めているわけでも文句を言っているわけでもないのに。

「でも、酒場っていいですね。とてもみんな、楽しそうだ」

とりなすように、僕は本音を吐く。それから周りを見回すと、僕らに気を止めていない酒盛りをしている客たちが目に入った。

「今まで酒場とかには近寄らないようにしてきましたが、こういう雰囲気なら悪くない」

前世でも今生でも、酒飲みにはろくな思い出がない。それでも、その考えは少しだけ改めるべきだと今は思う。

酒を飲んでいる。そして、皆、それと同時に酒盛りの空気を飲んでいる。

もちろん、多分嫌な相手と一緒に飲む酒は不味いだろう。だが、気の置けない友人や、家族と一緒に飲む酒や、一人静かに楽しむ酒は、きっと楽しいものなのだろう。

僕の言葉に、シズリさんがにこり……というよりもにやりと笑う。

「では、また来てくださいね。これで来なくなったら、ササメも寂しがりますし」

「旦那さんのように、追い払ったりはしないんですね」

「私は女親ですから」

フフ、と笑った顔はササメに似ている気がする。やはり、親子だ。

「愛娘に、お近づきになりたい男の子がいるのなら、背中を押してあげるのが役目ですもの」

「お近づきとはまた大げさな」

単なるセールストークだとは思うが、それでも一応反論しておく。我ながら過敏なことだとも思うが。

しかし彼女も僕の……母のようなことを言う。母親の役目は、子供を別の場所に送り出すことと言っていたか。シズリにとっては、子供の背中を押すこと。

どちらも似たようなことを。

それから、今度はモスクがササメに唆され料理を何品か頼まされているうちに、金を入れていた籠が空になった。

ちょうどハイロも酔いつぶれていることだし、ということで今日の食事会はこれでお終いだ。

とりあえず、ハイロに肩を貸しつつ店を出る。

ササメの元気のいい声を聞きながら扉を開けて外へ出れば、暗い街に満天の星空。

がやがやとした楽しい雰囲気と声が、背後の扉に消えていった気がした。