軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

思惑と実際

しかしこの、貧民街も変わったものだ。

僕は足の裏から足を伝う地面の感触にそう思う。

舗装されている。それだけで、少しだけここに文明があることを感じさせる。いや、文明自体は元々あったけど。

それでも、瓦礫や砂利やよくわからないゴミが散乱していた建物の隙間ともいうべきところは消え去り、ここは道となった。

グスタフさんは、これがモスクの発案だと言っていたがどういうことだろうか。

……というか、そもそもこれがモスクの発案だとして、モスクの発案でこれだけの普請がされているというのはどういうことだろうか。

これは明らかに個人でやったものではない。専門の職能を持つ者が、それなりの規模で行った仕事だ。

貧民街特有の視線が、どこからともなく絡みつく。

僕は不可思議に思いながらも、革靴の立てる小気味いい音とともに街に向かった。

そして。

立ち止まり、エウリューケの言っていたことはこれか、と僕は得心する。

視線の先には街、があるはずだ。だが見えるのは貧民街と接している面に作られた大きな壁。今までも仕切りと言うべき小さな壁のようなものはところどころあったが、それよりももっと大きく重厚なもの。

まるで一番街と他の街を隔てているような城壁に似た大きな石壁が、貧民街を見下ろすように設えてあった。

当然、壁だけではない。通行出来る門がとりあえず一つある。貧民街に普請された石畳の道が続く先に、城門ともいえるような立派な門がある。

今は門扉は開かれているが、見てみれば分厚い木の板で弓や槍は恐らく簡単に通らない。

門番のような者はいない。だがその威圧感からか、その門の近くにたむろする者もいないようだった。

『戦争』

その言葉が、門と壁を見て容易に僕の頭に浮かぶ。

軽く叩いても、空洞などはないようで緻密に組まれた石材には響かずその堅牢さがよくわかる。

たしかにこれは、戦争への備えだ。

城壁と城門。その高い壁は外部からの侵入を防ぎ、見上げてみれば弓などの狙撃に使えそうな物見台のようなものまである。さすがに本物の城壁ではないので、一人二人が立てるかどうかの狭いものだが。

門扉は木の板を鉄の金具で補強され、破城槌でも使わない限りは通常の人間では中々破れないだろう程度に堅固だ。

両側からの圧迫感に負けないよう一歩足を踏み入れれば、影に入ったかのように少しだけ周囲が暗く感じた。

そして聞こえたのは水の音。

まさかと思い見回してみれば、これも小規模ではあるが壁の内側に沿うように水路が作られている。

多分大人であれば腰程度の深さ。両手を広げたほどの幅もないだろう。

一応淀んではいないようだが、ゆったりとした流れ。どこかの川と繋がっているのか、小さな黒い魚が一匹だけ見えた。

そんなものを眺めている僕に、今度は街の人間からの視線が突き刺さる。

貧民街の住民たちのような値踏みの視線ではない。僕がその視線の出所を見ると、何かの水仕事の途中で休んでいるような中年女性が、慌てたように視線を逸らした。

もう少しだけ中に入り、それから貧民街方向へ視線を向けて壁を見る。

門の向こうに見える崩れた粗末な建物群と、そして今まさにどこからか見られている視線に、僕の脳内から『戦争』という言葉が薄れていく。

……これは本当に、『戦争への』備えなのだろうか。

振り返り、少し見回せば向けられていた視線が消えていく。そこに広がっているのは以前何度も通った十二番街。いつもと変わらないはずの街。

外よりも少し使い込まれた細かな石畳がへこんで起伏を作る。

しかし日光の加減だろうが、少しだけ息を潜めるように静かに見える。

とりあえず、居場所のわかるモスクのところへ。

グスタフさんのところで貰った紙によれば、五番街の中心にある議会場のようなところにいるらしい。

歩き出した僕の足元で、削れた石のザラザラとした音がした。

そこは、議会場、というような規模ではない。

どちらかといえば、独立した会議室と言った方がいい建物だ。

僕はその大きな石造りの建物の前で立ち止まる。中に入っていく人はほとんどいない。僕がその建物を視界に入れてから入り口に辿り着くまでに二人入っていったが、恐らく中の職員だろう。

二回くらいだけ来たことがある。ここは石工や木工職人たちのギルド同士の連絡所といった感じの場所だ。

彼らギルドは独立しているけれど、没交渉というわけではない。道具や資材が共通することもあるため、大きな事業では人や道具の貸し借りはよくある。その調整をするのがここの大きな役割だ。

その中に足を踏み入れると、正面には受付がありそこに男女の職員が一人ずつ。その脇から奥に伸びる廊下とそこに連なる部屋が、実際に仕事を行う部屋だろう。

ここの業務は主に事務仕事。墨やインクと紙の匂いだと思うが、そんな風な匂いが殊更に鼻に届いた。

「どちらさまですか?」

歩み寄った僕に、男性職員が声をかけてくる。女性職員の方は手元の書類から目を離さず、書き仕事に夢中だった。

「探索者のカラスと申します。ここで建物を建てる相談は出来ますか? 『石造りの平屋、二階建てで』」

僕の言葉を聞き、中年の男性職員は僕の顔をじっと見つめる。少しだけ目を細めて警戒し、それから僕が表情を変えないとみるや、脇の階段を指さした。

「そういうお話は致しかねますが、暇な者がいるかもしれません。二階へ登った奥、左側四番目の部屋を訪ねてみてはいかがでしょうか」

「ありがとうございます」

僕が頭を下げると、鼻を鳴らして職員が目を逸らす。女子職員の方は目を上げて僕を見るが、その後一瞬動きを止めてから慌てたように手元の書類に目を戻した。

しかし、面倒な話だ。

こんな合言葉まで使ってモスクを隠す必要があるのだろうか? そう思うが、まあいい。

木製の階段を上り、言われた扉を軽く三度叩く。

中から聞こえていたのは、紙を捲る音。それが止まり、「どーぞ」と面倒そうな声が響いた。

「失礼します」

僕が扉を開けると、そこには執務机のような机。そして、そこに大きく広げられた紙。

その後ろで椅子に座っていたモスクが、僕の顔を見てパタンと本を閉じた。

「……でっかくなってねえか??」

僕の顔を見るなり椅子から飛び降り、僕に駆け寄ってくるモスク。その眼鏡はもう割れておらず、血色も少しばかりよくなっているのが印象的だった。

そして。

「同じようなもんでしょう」

前に立つモスクと比べてみれば、大分体が大きくなっている。驚く顔は僕よりもやや低い位置にあるし、やはりまだ痩せてはいるが、それでも小柄の範疇だ。

はー、と何度も息を吐いて僕の顔を見て、それから目を止める。

「お前も、眼鏡か」

「お揃いですね」

眼鏡の蔓を少しだけ持ち上げて僕が笑うと、モスクもゲラゲラと何故だか笑った。

「ま、座れよ。茶とか何も出さねえけど」

「ありがとうございます」

示された壁際にあった椅子を勝手にずらし、僕は座る。外套を外して荷物と一緒に脇に置くと、綺麗な建物にいきなり旅装を持ち込んだようで違和感があった。

モスクも椅子に腰掛け、机の横まで引きずり出す。僕と向かい合ってだらりと座ると、足をぶらつかせながら髪の毛をくしゃくしゃと掻く。

「何つーか、久しぶりだな。あれからずっとリドニックに?」

「いえ。リドニックからムジカルに渡ってました」

「にしちゃ、日に焼けてねえな。俺もだけど」

笑う顔はあの時のままだ。だがそれでも健康的な生活をしているのは目に見えてわかる。

出会ったあの日のように目の前に広げている紙への書き込みも、より緻密に正確になっているのがわかる。正直、僕にはよくわからない分野だけど。

「……ここで、どんな仕事を?」

「俺? 今のところはあれだな、建物の設計とか改築とかの細々とした計画を作ってるよ」

細々と、と卑下はしているが実際は違うだろう。

ちらりと目の前に広がる紙の端を見てみれば、その実物の所在地は二番街だ。一番街ほどではないが、裕福な人間たちの暮らす街。その街の建築に携わるのは、細々とは言うまい。

それに、もう一つの大事業を僕は目にしている。

「いえいえ……十二番街から貧民街に繋がる道は、モスクさんの案だとか」

「そーそー。そうだよ、でも何で……、ああ、あの爺さんに聞いたのか」

「ええ。普請されていたので驚きましたよ。僕がいたときと、大分変わって」

どちらも人が作っているのは違いないが、それでも素人と玄人の仕事の違いはよくわかる。それに、周囲にある住民たちが勝手に作り上げた建物との対比が、何てことない道を豪華に見せていた。

「あれは何故?」

「何故、って言われてもなぁ……」

頬を掻き、モスクは目を逸らす。そうしても垢が散らないのが……僕はどこに驚いているんだろう。

「元々は、十二番街の外側に作る壁の建築計画を立てるのが、俺に任された仕事だったんだよね」

「それもすごいですね。街の壁というと、公共事業」

そこまで大規模な仕事を依頼するのは、民間ではあるまい。自主的にかもしれないが、それでも『戦争に備えて』というのが本当だったらそれを依頼するのは間違いなく上の人間だ。

「ああ。街からの仕事らしいんだけど、あの爺さんが手を回して、ここにいっちょ噛まされた。もちろん、正式にはきちんと設計士も代表もいるよ。もう少し経験を積んだら、俺の名前で仕事出来るようになるらしいんだけどな」

「……ああ、それで」

だから隠されていたのか。公共事業だから、一応この事業所から資料を持ち出すことは出来ない。だからここで作業をさせて、その名前は他の人間にしている。

恐らく、その壁作りの担当者に会いたいと受付に告げると、その偽物に案内されたのだろう。

「でさ、戦争になったときに街をひとまず守れるように設計しろ、っていうのが依頼内容だったんだけど。なんか違くね? って思ったんだよね」

忌々しげにモスクは外を見る。その方角は、一番街だ。

「違う?」

「作れと言われたのは十二番街の外側なんだけど、そうするとおかしいじゃん? 貧民街の奴らは中に入れないんだし」

「まあ、そうですね」

貧民街の住人は街の住人ではない。それが共通の認識で、そして統治者側から見れば見捨てているわけでもないのだろう。

彼らは、ただ野外で野垂れ死んでいるだけなのだ。

「元々あそこにある理由からすれば、彼らからすれば妥当な気もしますが」

「肉の盾、ってあれな。俺も馬鹿どもに聞いた。でも俺は納得出来なかった。そして、それでもやっぱり場所まではずらせなかった」

「それで、道を作ったんですか?」

「そうそう。一応『こちらから打って出るときにあった方が便利』って理由もつけといたらあっさり許可された。あれがあれば、なんとか街の体裁が保たれんだろ」

手首を掻いて、モスクが溜め息をつく。

「軍事的に重要となりゃ、今度はあそこは騎士団や衛兵名義で整備される。そして頻繁に手が入るようになったら、あそこの治安も少しはよくなるんじゃねえ?」

「上手くいけば、ですけどね」

最高の結果となれば、確かにそうだろう。だがそのためには、いくつもの準備が足りないとも思う。

「街ってのは人が行き来出来ることも考えなきゃいけねえし。逆に言えば、道だけちゃんとしておけば、街にすることも随分と楽になると俺は思う」

「そしていつかは貧民街も、街の一つに、ですか」

非公式の十三番街ではなく、公式の十三番街へ。それは素敵な話だ。街の上層部が首を縦に振らなければ、けっして行われることのない素敵な話だが。

「馬鹿どもがいる以上難しいだろうけど、そうなるのが最高じゃん。俺だって本当は向こう側の人間だしな」

首の後ろで組んだモスクの腕が、先程と変わっていないのに随分とたくましく見えた。

その笑顔に光がある。三年前はなかったものが。

「てゆーか、貧民街があるとそもそも壁が作り辛えんだよ。騎士団の話じゃ外堀を作りたいって話だったけど。実験的に作ったらすぐに詰まっちまったし」

「ゴミでですね」

モスクはコクリと頷く。まあ、小規模で細い堀になりそうだから、それも当然と言えば当然だろうけれど。

むしろ、そういうところで衛兵がきちんと巡回すればいいのだと思う。……モスクが対策をしていないことはないだろうとも思うので、依頼してもサボったか、そもそも要望が通らなかったという感じだと思うが。

「内堀はどう使うんですか?」

「あれも正直やっつけなんだよなぁ……。あそこは、緊急時に油を流して火をつける用。ないよりはマシだけど、ぶっちゃけ、なあ……?」

はあ、とモスクは溜め息をつく。僕の顔を見て。

「あの壁の石組みはミールマンの石工職人の技術を使ってんだよ」

「ああ、だからあんなに綺麗だったんですね」

緻密な組み方。紙一枚隙間に通らず、一体化しており頑丈な組み方。

「何回も見学に行ってなぁ……。色々俺なりに工夫も加えてるから外部からの衝撃もそれなりに守る。実際、一番街の城を崩せるくらいの破城槌を何度かぶち当てたけど、対応出来るくらいの時間は稼げた」

「そんなに」

ちょっとした城のよう、ではなく、まさに城だった。攻めるのには使いづらいが、城並の耐久性。

「でも、敵にもお前らみたいなやつがいっぱいいるんだよなぁ……」

「お前らとはご挨拶な」

だが、その困ったような顔にその意味がわかる。

あの城壁は堅牢で、簡単には破れない。しかしそれは、一般の兵に対しての話だ。

「お前見てきたんだろ? 実際どうだ? 破れなさそう?」

「それは……、正直、頑張れば崩せるというか、飛び越えることも出来ますし……」

少し言い辛い。作成時点のモスクの英知の結晶を、汚す言葉は。

それでもモスクは笑う。明るくなった顔は、本心に見えた。

「だろ!? レシッドさんにもそう言われたよ。『素面のときならいける』ってさ」

ガリガリと頭を掻いて、モスクは机に広がった設計図を見る。

二番街の屋敷。そこら中に書き加えてある計算式は、恐らくその柱にかかる重量の計算だ。

「まだまだ工夫の余地があんだよなぁ。叩いたら爆発するとか、考えちゃいるんだけどさ。まだ結局は、騎士団の人に頼ることになりそう」

「大変ですね」

そうは言うが、大変そうには見えない。いや、実際は苦しんでいるのだろう。それが表に見えないだけで。そしてそれ以上に、充実して見えるだけで。

「それよか、お前、こんなときまで仕事の話なんかさせんなって。ムジカルはどうだった? なんか土産とかないのか?」

「土産、ですか……」

モスクにお土産は考えていなかった。向こうで作った薬とかはあるけれど、それはお土産にはならないだろうし……。

銀の枝か、そこについている宝石でいいだろうか。

それくらいしか、持って帰ってきた珍しいものがないのが悲しい。

荷物を探り、宝石の粒を探す。見つけたのは、ビー玉サイズのがあと四粒。ピンクがかった赤一粒と、深い青のものが二つ。あとは青白いのが一つ。

選ばせようか。そう思ったが、失礼か。

手の中で適当に振り、一粒を掴み出す。青白い玉が出てきた。

「正直言って何も考えてなかったんですが、これどうぞ」

「これは? なんか見栄えが良い石でもねえんだけど……」

「瑠璃の原石ですね。磨けばそれなりになります」

「ほぁ!?」

つまみ上げて見ていたモスクが、机に手放し少し仰け反る。

それから机に両手をかけて覗くようにしげしげと見た。

「宝石? つか、瑠璃? え? 何お前ムジカルで宝石商でもやってたの?」

「エーリフに、宝石が生っている木がありまして、そこからもいできました」

「なんつー羨ましいところだよ……」

つんつんと指先で弾き転がす。日の光に当たり出来た影が、机の上に深い青になって伸びていた。

「あとでそこら辺の話詳しく聞かせろ」

「あとで?」

溜め息をついて、モスクは原石を軽く袖で擦る。その程度では光らないが、それでも何度も息を吹きかけて磨いていた。

「夕食は決めてんのか? 一緒に食おうぜ、リコさんやハイロさんも呼んでさ」

「……いいですね」

彼らと会うのも久しぶりだ。来てくれるかどうかはわからないけれど。

会うのもいいし、それに、リコにはとても重要な用事がある。

それに、しばらく食べていなかったイラインの料理、楽しみだ。お昼ご飯は少なめにしておこう。

それならば、後で色々と話せばいい。それから少し雑談をし、僕は席を立つ。

「じゃ、またあとで」

「ああ。六つの鐘が鳴るくらいな。他にもお前が誰か連れてきてもいいぞ」

「連れてくるような人はいませんし」

「…………あっそ」

落ち合う場所と時間を決めて、僕は部屋を出る。

さて、あとはエウリューケだ。

楽しい食事会の前にする話ではないが、それでも、重要なことだ。探してみよう。

僕は青い髪の魔術師の顔を思い浮かべながら、細かな木片や鉄くずを踏んだ。