軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

生きている街

足を乗せると、しっかりとした踏み応えが返ってくる。

細かい石が丁寧に敷かれ、瓦礫や土などの露出がない。

相も変わらず半壊した家々の隙間、路地を覗き込めば、さすがにそこは以前と変わりない土と瓦礫とゴミに塗れてはいるが、それでも目抜き通りに位置するこの通りの様子の変化は何だろう……?

誰かが適当に敷いたわけでもなさそうだ。

街の中と変わらない石畳。馬車や人が交通するのに何の妨げもなく、しっかりとした平坦さが確保されている。

所々、瓶や木箱の破片が転がり、染みこんだ嘔吐物や血の色が見えるのはさすがに懐かしの貧民街というところだとは思うが。

それでも、何だろうか、これ。

地面に舗装がされている。まるで街の一部のように。

足を踏み入れた僕に、いくつかの視線が向けられるのは前と変わらない。三年も経てば、貧民街の住民はそこそこ顔ぶれが変わる。僕の顔を知らない者も増えているだろう。

住人の質は変わっていない……と思う。だが一瞬、ここが貧民街ではなくなってイラインの十三番目の街に正式になってしまったのかと思った。いや、正式に街へと変わるのは歓迎すべきことなのだろうけれど。

耳を澄ませば呻き声や喧嘩の声。腐敗臭や汚物の臭いがたまに鼻につく。

それに何故か少しだけ安心したのが可笑しかった。

ゆっくりと足を進めるが、違和感は消えない。

道だけが綺麗……まあ、もう汚れてるけど綺麗になっているのに、建物は窓や壁が壊れ中の様子が丸見えのままのところが多い。壁代わりに張られた布がバサバサと風で舞い、その隙間から人の手足が垣間見える。……生きている……と、思う。

……とりあえず、石ころ屋にいって、家の鍵を受け取りつつ話を聞こうかな。

そんなことを考えていた僕のすぐ後ろに、誰かが立っているのを感じた。

!?

振り返ろう、としたがその前に視界が塞がれる。布などではない、柔らかな手の感覚。やや斜め下から僕の肩越しに僕の目を塞いでいる誰かが、すぐにわかって手の闘気の活性化を沈静させた。

「この美人はだーれだ!」

「……エウリューケさん」

その名を呼ぶと、すぐに視界が晴れる。元通りの風景に、ようやくなんとなく薬の臭いが混じった気がした。

「ちぇー! さっすがあたし、清楚な美しさが漏れてしまっているから簡単だね! わあー! 失敗!!」

「僕の背後に突然立つことが出来る人なんて、限られてますから」

加えて言えば、こんなことをする人は知っている人に一人しかいない。

それにこの場所。危害を加えるために目を塞ぐのはこの街ではありふれたことだと思うが、ここでイタズラとして行えるのはこの人しかいないだろう。

振り返れば、以前よりも少しだけ小さくなったエウリューケが、えへんと胸を張ってこちらを見ていた。

……これは、僕が大きくなったのだ。

手足にも増して、細く細かく編まれた青い髪が、ぴょんぴょんと殊更に飛び跳ねる。

声を出さずとも、視界に彼女一人いるだけで随分と騒がしくなる。その気質は、きっと他の人間にはないものなのだろう。

だが、一番に彼女に会えたのは僥倖だ。グスタフさんや、他の人にも増して、きっと僕が一番に声をかけるべき人物だったから。

「お久しぶりです」

「お久もお久! あんた今までどこいってたんだい。お姉ちゃん的な妹的なあれは心配ですよまったくもう!!」

ぺしぺしと肩が叩かれる。それを少しだけ振り払いながら、僕は言葉を続けた。

「一年で戻るとか嘘ついたみたいで、すみません」

「まあいいのよー、いいのにょー……」

それからエウリューケは僕の顔をまじまじと見つめて、ゆっくりと手を伸ばす。

僕の頬を掴んで、左右に引っ張った。

「それよかまあまあ、こんなにでっかくなっちゃってまあ!!」

地味に頬が痛い。

「お前さんの成長は止まってなかったんじゃん! いいね、いいね、若いってよい!!」

「エウリューケさんはお変わりなく」

それではエウリューケは、と見れば以前と全く変わっていない。

十代後半くらいの女性。やや背が低いが、きっと標準の範囲内だろう。その見た目も仕草も一切変わっておらず、ネルグ北の開拓村で別れたまんまだ。

彼女は高位の魔術師。どちらかといえばスヴェンに近い存在だからだろうけれど。

「ムジカルはそんなに楽しかった?」

「ええ、それなりに。珍しいものが色々見られて満足です」

実際には僕の見ていないものも数限りなくあるのだろうけれど。広大な砂漠の中、まだまだきっと見るべき風景はあっただろう。それでも。

「じゃあ、戻ってこなくてもよかったんじゃね? ここはそんなに変わりねえベよ」

「いや、変わってますよ」

エウリューケの言葉に、僕は視線を地面に向ける。

整列された石。石畳。前を向けば視界の四分の一ほどを占めるそれは、この街での大きな変化だろう。

「あ、これ? あたしはどーでもいいから放置してたけど-、なんかー、この前業者がどやどやと作ってったんだよ。じーちゃん詳しいと思うし聞いてみればー?」

でれーんと溶けたように姿勢を崩し、エウリューケはそう言う。

そうだ、そういえば、その『じーちゃん』は。

「グスタフさんは、お元気ですか?」

「……うん、まあ……」

僕の質問にエウリューケは肯定を返すが、その語尾に少しだけ含みがある。

……彼女やスヴェンのような存在と接していれば一切気にならない『歳月』というもの。それが一番直撃するのは、きっとグスタフさんのような『普通の人間』だろう……。

言われるまで気付かなかったのは、僕がまだ気にしないでいられるからだ。

少しだけ沈んだ雰囲気を切り替えるように、誤魔化すようにエウリューケは顔を上げる。いつもと同じ明るい顔で。

「そーか、そーか、そーいや道が出来てるんよね。なら、あっちもあんたにとっちゃ変わってるベな」

「あっち?」

意図に応えて僕が聞き返すと、エウリューケは腕を突き出し両手の人差し指で道の先を指す。曲がりくねった道でその先は見えないが、街へと続いている道だったはずだ。

「後で見るといいでよ、あんたさんにはびっくりたまげる感じになっとるベさ」

それは後で見に行ってみる……というか通り道だから必ず見ることになってるんだろうけれど。

「さっきからどこの方言ですか?」

エウリューケはきょとんとして、首を傾げるだけだった。

それよりも。

道の様子は変わっていても、道順は変わっていないらしい。

目抜き通りから少しだけ外れて、路地に入り奥まったところ。

「では、……僕は石ころ屋の方に用がありますので」

「そーかい、そーかい。あたしゃこれから街の方で仕事があるからの。ゆっくりしていってやっておくれやす」

「ええ、それではまた」

ぺこりと頭を下げると、それに後ろ姿で応えエウリューケはのしのしと歩き出す。空間転移は使わないのか、それとも節約しているのかわからないが、歩いていくらしい。……なら、イタズラなんかに使わなければいいのに。

僕も歩き出す。

さっきまでいたのが整備された道だからだろう。路地に入るときに一層空気が変わった気がするのは、きっと僕の気のせいだ。街から貧民街へと入るときと同じような、そしてこの温暖な街でも寒気を感じるような雰囲気の変化。

だがその空気を突っ切って路地を進めば、今まで通り、割れた看板の掛けられた店がそこに鎮座していた。

いつものように、木の扉を押して入る。木製の軽く、そして重たい扉。

開いた先にはいつものように、枯れた細身の老人が腰掛けてこちらを見ていた。

「お邪魔します」

「……おう」

眼光は前と同じく鋭く、迫力がある。

その前にしずしずと歩み出ると、僕は軽く頭を下げてから口を開いた。

「お久しぶりです。鍵を、返していただきに参りました」

「…………あいよ」

世間話もなく、まるで会わなかった年月など感じさせない態度のまま、グスタフさんは横の戸棚を探る。

そして一つの金色の鍵を取り出すと、カウンターの僕の目の前に置いた。

「ムジカルは、楽しかったか?」

「ええ、まあ。綺麗な風景と、色々な人を見てこられました」

「そりゃなによりだ」

に、とグスタフさんは笑う。歯茎の色が少しだけ白く見えた。エウリューケと同じ質問、やはり、常套句らしい。

歳月の差を埋めようと、僕は口を開く。

「久しぶりに戻ってきましたが、随分と表の通りが変わってますね」

「……ああ、ありゃな」

グスタフさんは一つ頷く。それから水筒を手に取り、一口含んで飲み込んだ。随分と、飲みづらそうに。

「戦争に関する整備の一環……ってことになってら」

「戦争、ですか」

まさか、そんな急に起こるとは思えない。ムジカルにいたときの僕の勘だが、まだしばらくはこの国と戦争を起こしそうな気配はなかったはずだが。

そんな僕の顔色を読んだのか、グスタフさんは苦笑する。

「すぐにやるわけじゃねえよ。それに、それは建前だしな」

「建前」

「お前が連れてきた、モスクの野郎の提案だよ。野郎、ふざけたことしやがってな」

荒い口調。だが、実際は怒っているわけではないらしく、表情は穏やかだ。

穏やかなまま、それでも頬に深く刻まれた皺に僕は少しだけ複雑な気分だった。

「後で会って聞いてみるといい。その様子じゃ、ここに一番に来たんだろう」

「ええ。とりあえず、様子を聞きに、と思いまして」

様子。そう口に出した僕の言葉に疑問が起きた。

様子を見たかった。それは『何の』様子だろうか。

「まあ、茶でも飲むか? ムジカルの様子、少し聞かせてくれや」

グスタフさんの言葉に混じる異音。

耳を澄ませれば聞こえてくる喘鳴音に、僕は身を固め、そして頷くしかなかった。