軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:黄金時代

夜の帳が街に降りる。

日の光に代わり、街の夜を照らす火の明かりが灯されていく。

基本的に、日が落ちれば仕事は終わりだ。残るは労働者たちが日々の疲れを誤魔化すために酒盛りする酒場や、疲れた体を休める宿。明日への活力を得るための娼館など、そういったものはこれからが本番となるが。

木靴が石畳を叩く音が響く。

ただそれが朝よりも随分とまばらで、そして力なく響いているのは誰の気のせいでもない。その元気は昼に置いてきた。靴音よりも、溜め息が響くようになるのは、この街の常だ。

さあ、明日も今日と同じように、また労働に精を出すのだ。

そして懸命に働いて、日々を生きていく。

家族や友と語らい、たまには仲違いをし、密かに貯めた硬貨でわずかな贅沢をする。

いつかは一番街へ住める身分に。いや、このままこの小さな生活を守れたら。皆が様々な思惑のもと、必死で働く。そうして成り立っている街、社会。

そんな街を、一人の少年が小走りで駆ける。

今日も遅くなった。また親方に仕事を詰め込まれたからだ。

モスクは、内心溜め息を吐いた。

鞄が重い。中に入っているのは、加工の宿題となった練習用の木材と石材だ。

明日までに木材を削り、形を整える。石材に、単純だが定められた形の細工を彫る。

ああ、今日も夕飯を食べた後、寝るまでこの作業だ。明日の朝には間に合うだろうが、それでもこう毎日であればさすがに嫌になってくる。

先日の遅刻から、モスクの受け持つ作業は目に見えて増えた。

親方としては、それはモスクの腕を磨くために簡単な単純作業を多く投げているというだけだが、モスクはその意図を知らない。

設計図を読み取る知能と人の心を窺う力は全くの別物だ。二者択一でもないが、しかし特にモスクはその前者の能力に特化していた。

故に、悪態を吐く。

「あの馬鹿、そんなに遅刻したのが気に入らねえのかよ、くそ」

誰にも聞こえないようにする独り言。

もちろん、その作業も自分の腕を磨く役に立つと思っているモスクはそれに手を抜かない。だが、それに気をよくした親方が、さらに多く仕事を投げてくるのも事実だ。

労働環境としては悪循環。だが、仕事としては好循環。

ただでさえ体の弱いモスクが、その山となった仕事に打ち勝てなくなるまで、それは続くのだろう。

もっともそのときには、助ける仲間が彼の横には必ずいる。

それは、誰ともなく保証されていた。

さあ、今日は何を食べよう。

頭の中で、いくつもの食堂を思い浮かべながらモスクは走る。

この街で、変わった生活。その中でも、やはり食事は彼らのような孤児にとって大きく変わるものの一つだ。

わずかな稼ぎだが、それでも全くなかった以前よりはだいぶある。

気候的にも食堂の仕組み的にも、イラインとミールマンで食べられている料理は違う。温かな煮物の一品もので済ませてしまうミールマンと違い、このイラインでは固形物で複数の皿が出ることが多い。それでもモスクはイラインの食事も気に入っていた。

ミールマンですらまともな料理は口にしたことがない、ということもあるだろう。

だがそれ以上に。

自分で稼いで得た食事。誰に憚ることもなく、隠れることもなく食べることの出来る食事。

固い肉を噛みしめる度に、その嬉しさが心のどこかで沸き立っていた。

ただ、 店(・) で(・) は(・) 彼の好物の鼠が食べられない。

それだけが、唯一の不満だったが。

たまには趣向も変えて、今日はミールマンに近い料理にしようか。

そう思い立つ。

出来るだけ早く食べて、宿題に取りかかりたい。それを考えると、最近繁盛しているというリドニック料理の店が良いかもしれない。

酒盛りをしている人間が多いとも聞くが、それでもつまみ程度で夕食を済ませる程度であればそう時間はかかるまい。

モスクも何度か行ったことがある。

恩人の噂話も聞くし、いれば挨拶するのもいいだろう。そうだ、そうしよう。

食欲と、恩人への挨拶。そんなわずかな理由で食事を選択出来るのも、この街に来て変わった生活の一つだろう。看板娘の顔も見たいという男心も少しだけ。

そうと決まれば急ぐとしよう。

ずり落ちた眼鏡を持ち上げ、木靴が奏でる音がまた少しだけ早くなる。

美味しい食事、良質な睡眠。そして生きがい。それだけあれば、明日も少しだけ頑張れる。

そして毎日少しだけ頑張れば、いつかは目標に手が届く。

モスクはそう、信じられるようになっていた。

モスクやその他大勢を見下ろして、一人の女性が建物の屋根に座る。

足をブラブラと投げ出して、楽しそうに。

細く編まれた髪の束を弄び、それにも飽きて、体を横たえる。

見上げた夜空に、昼は見えなかった星が輝いていた。

一つ、二つと数えてはみるが、未だに数え切れたことがない。終わる前に空が白んでしまったり、そもそもすぐに飽きてしまったり。

それでもまったく気にはしない。今日も、彼女は星を数える。永い人生、いつかは数え終わることもあるだろうと、エウリューケは楽観的に捉えていた。

そして、きっと星は消えない。夜空の星も、今足下に輝いている星も。

ふと視界の端に誰かが映る。

誰? そう思ったエウリューケは、首を反らしてそちらを見る。いつもの白く薄い上着を着た金髪の男が、はしごに足をかけてよじ登ってきていた。

「レーちゃんに……おやおやぁ? ニクスキーどんもいつの間に」

そして、自らの傍らを見れば焦げ茶色の外套。音もなく、ニクスキーも屋根に立ち街を見下ろしていた。

「珍しいどすなぁ。三人揃うなんてまぁ」

「ひひ。そういえばそうだね」

だらりと脱力したままのエウリューケを誰も咎めない。それが失礼だということは知っていても、それが失礼だとは誰も思っていなかった。

「……良い眺めだ」

ニクスキーが口を開く。眼下に見下ろす街の明かり。道に定期的に並ぶ火と、建物の窓から漏れ出る明かりが星のように明るい点を成す。

そしてその下に、蠢くように歩き回る人の群れ。そちらは、あと少し経てばほとんど消えてしまうのだが。

エウリューケは起き上がり、座ったまま両手を広げる。その眼下の光景を示して。

「綺麗だよね! まさしく星空!! 人が織りなす神秘の明かり! 黄金時代とはまさにこのことだよ!!」

その黄色がかった火の明かり。言われてみれば、たしかにそれは黄金に見えるかもしれない。しかし、それが何だとニクスキーは思った。

「……黄金時代……?」

「むかーしむかしの勇者が言った言葉ですぜ。なんか、神様が作った輝かしい時代がそうだったって懐かしむ言葉らしいっす」

「面白い言葉だね。輝かしいのはわかるけど、何? 勇者の世界では、黄金が一番良いものだったってことかな?」

展性も靱性も剛性も比べものにならないほど高い狒々色金よりも、そういった金属すら削り加工できる金剛よりも。

それとも黄金も、自分が知っているものとは違う性質でもあるのだろうか。

レイトンはそう推察を重ねる。だとすると、少しそれは見てみたい気もした。

もっとも、この世界の金剛や狒々色金も、勇者の世界とは違う性質があるのだが。

「んにゃ。なんか、勇者の世界の違う国の神様の話だったらしくて、よくわかんね。聖フィアンナの日記っていう、禁書棚にあった聖女の日記に一文だけ書かれてただけだもん」

聖フィアンナ。千年前の時代、勇者に帯同し、共に魔王を討ち果たした聖女。その日記は、聖教会でもごく一部のものしか閲覧を許されない禁忌の一部だった。

「勇者の寝言まで記録してあるんだから、そこらへん突っ込んで聞いてこいよ! って話ですよくそが」

少なくとも、気になるのであればエウリューケならば質問を山ほど重ねる。その探究心と好奇心のなさに、エウリューケは聖フィアンナが嫌いだった。

もっとも、彼女が好む人物など、聖教会にはほとんど存在しないが。

「寝言まで、ねぇ……?」

レイトンはその言葉にクスと笑う。

勇者と聖女。共に旅をした仲だ。他にも仲間だった『妖精』や『武闘家』、『獣人』も含め、野営の中、交代で眠ることもあっただろう。

実際の状況は、レイトンもそれを読んだことがないためわからない。しかし、禁書であることも含め、その仲を邪推できることが可笑しかった。

「それで、黄金時代? それを懐かしむってことは、勇者の時代は違ったのかな?」

「そうそう。そっから白銀、青銅ときて自分たちは鉄の時代だって。でもなんか、どんどんと悪くなってったんだって! 人も、時代も。だから、なんか素晴らしい時代を懐かしむときに、『黄金時代っていいねえー!』とか言ってた……とか書いてあった気がしないでもない気がするぜ」

エウリューケも自信がなくなってくる。そもそも、エウリューケも聖女の日記自体にあまり興味を持てなかったと言うこともあるのだが。

「でもま、そんなことはどうでもいいね」

ニコリとレイトンは笑う。エウリューケはその真剣な笑みに、ここに来た目的がようやくわかり、そしてだからニクスキーもここにいるのだと気付いた。

「ひひ、そう、それが聞きたかったんだけど」

「まだなんも言ってねえですぜ」

まったく、いつものことだが何を考えているのかわからない。眉を顰めて前を向いて、それからまた黄金に輝く夜景を眺めた。

「……グスタフの様子は?」

「変わりねーですぜ。変わりなく、日々弱ってってるさ」

無論、レイトンもそれは感じている。ニクスキーにとっても、それは明らかなものだ。

だが、人体の専門家であるエウリューケ。彼女の診断が、そこに限っては一番正しいだろうというのがこの場にいる三人の総意だ。

「もう歳だからね-。じっちゃんに頼まれてさっき見たけど、いくつもの内臓の機能が鈍ってら。もう薬飲まなきゃやってらんねえっしょ」

この場合の薬というのは禁制品ではなく、まさしく体のための薬だったが。

グスタフの当代最高峰の薬師としての技能を遺憾なく発揮した滋養強壮薬。内臓の機能を賦活し、血管を保護し、筋肉の分解を妨げる。材料としても、調合する腕としても、仮に売るとすれば王侯貴族でしか手に入らない最高級品だ。

だが、それをもってしても、弱る体はどうにも出来ない。

エウリューケの施術で、かつては肝臓や胃など、内臓の補修も新生もした。しかしもうそれを行うことも難しい。

エウリューケに限らず、聖教会の法術は術者の魔力と患者の体力を消費する。その体力、常人でも常に帯びている闘気の生成がもはや難しいグスタフに行えば、更に弱ることは目に見えていた。

そして、寿命を伸ばす毒も、グスタフの心身に負荷をかけ続けていた。

「甘露の効果は?」

「あれ飲んでたから今まで持ったんじゃん? あれなかったらもう死んでると思うぜー」

闘気を節約し、甘露は寿命を延ばすことが出来る。しかし一口飲めばすぐに伸びるわけではない。毎日少しずつ、最適な濃度のものを飲み続けなければならない。

せめて、飲み始めるのがあと十年早ければ。エウリューケはそう歯噛みした。

「もう、認めるしかないみたいね。あたしたちと違って、じっちゃんは死ぬ。闘気も魔力も使えない定命の定めよ」

「……そうか……」

ニクスキーは呟く。

その表情は些かも変えず、だが、その雰囲気は沈んだと、エウリューケも感じた。

レイトンはニクスキーも無視して、エウリューケに尋ねる。こちらもただひたすら、残念だった。

「あと、どれくらいかな?」

「んー……」

エウリューケは、パタパタと胸の前で手を合わせる。それでも真剣に悩んでいた。様々な要素、グスタフの体の弱り具合、これからはじまる心労の日々。それらを考えて、医療に携わる者として真摯に。

そしてはじき出した解答に、嘘は吐かない。

「……あと、四,五年ってところかもしんねえっすな」

「そう」

薄々予想はしていた解答。

ふう、とレイトンは息を吐いた。

静かに、レイトンは屋根の縁に進み出る。

そこから見える夜景。それがふと消えたように見えて。

「黄金時代。素晴らしかった時代、か」

「そうねー。素晴らし か(・) っ(・) た(・) 、時代よ」

過去形。それは、その言葉の意味を正確に捉えていた。

だが、それも無視してレイトンは続ける。常に正義の先を行く、邪悪の常として。

「もうすぐ、邪悪の大きな火は消える。この正義と悪の戦いも、もうすぐ均衡が破れてしまう」

石ころ屋の首魁、グスタフの死。それは石ころ屋の彼らにとってはそれなりに大きな事態だ。

「天秤は大きく傾くよ。邪悪は弱まり、社会に正義が横行する」

一番の悪は、いつも邪悪。だからこそ、弱い悪も正義もすべて駆逐してきた。

その成果が、今の貧民街だ。

弱く、そして悪い者たちが死んだ目で徘徊する街に変えた。そうでない者を街に放逐した。そうしてやってきた。グスタフは一人で、五十年以上もの長い時間をかけて。

「そうだね。今が、素晴らしい黄金時代なんだ。邪悪にとっての、そして正義にとっての」

倒すべき敵がいる。倒されるべき敵がいる。それはどんなに幸せなことだろう。後の世で、きっとそれに気付く者がいるとレイトンは信じていた。

「倒されるべき邪悪が、静かに勝手に倒れる。笑えない冗談だよ」

「じゃああたしが笑ってやろ! うぃひひひひひひ!」

茶化すようにエウリューケが笑う。その笑いが作り笑いだと、その場にいる全員がわかっている。

それでも、たしかに可笑しかった。望むものが手に入らず、老人が無様に死ぬ。その様が。

「あと四年か五年。確かなんだな?」

「うん、あたしの目が正しくて、じっちゃんが無理しなきゃね!」

「ならば、いい」

ニクスキーは目を細める。あと少しで、逃れられない別れが訪れる。

だが、あと少しは、訪れずに済む。それがわかり、少しだけ安堵する自分が少しだけ可笑しかった。

「あの少年が、間に合えばいいが」

ただ、もう一つの心配としては、最近お気に入りだったあの少年。今は遠い隣の国にいる、魔法使いの少年だ。

聖騎士の死体を持ってこの街に現れたレイトンの報告で、死んだと思ったときには『そうか』とただ呟いただけだった。

だが、ニクスキーは気付いていた。その後、溜め息が少しだけ増えていたことを。

エウリューケの報告で、生きていたことがわかったときにも溜め息は増えた。

それは安堵の溜め息だったが、それでニクスキーもわずかに安堵できたことを覚えている。

「間に合うんじゃねーの? 一年か二年とか言ってたし」

「しかし、気まぐれな少年だ。そして、若い」

故に、老人の年月の尺度を考えない。歳をとれば、時間の価値は変わるのに。

それ故に、一年が二年に、二年が三年に、と伸びていくこともありえるとニクスキーは考えていた。

もっとも、彼に関しては戻らねばならない理由も一つあるのだが。それを、彼らは知らない。

「ひひ、お前が人の心配とはね。お前もそろそろ寿命だったりして」

レイトンはそれを笑い飛ばす。齢七十を超えてもなお四十ほどの肉体を保っているニクスキーに対しての冗談を吐きながら。

「…………」

「爺くせー連中……」

文句を言ったエウリューケも、十代後半の見た目に反してけして若くはない。

だが他の二人に比べれば、まだまだ若造といってもいい年頃だった。

「それじゃ、ぼくは失礼するかな。お前らも……といってももうきみだけだけど」

「おう?」

きみ、と言われてエウリューケはニクスキーのいた場所を見る。

だがそこは、暗闇の漆黒に染まっているだけだった。

「いつも唐突に消えるのう」

〈幽鬼〉というニクスキーのあだ名。それは本来の意味ではなく、誤用の意味でも正しいのではないかとエウリューケは密かに思っていた。

「きみも早く帰りなよ。夜更かしは体に毒だよ?」

「そうだねー、そうするー!」

エウリューケの叫ぶような返答に満足したように、レイトンはニコリと笑う。

そして静かに梯子を下りていく。

しんと静まった屋根の上。足下からの声が、沸き立つ泡のようによく聞こえた。

エウリューケは、またばたりと倒れる。

頭上の闇の向こうにきらめく光。その星を大きな目で捉えた。

こうして数えていれば、きっといつかは数え終わる日が来る。

数え切れない星々さえも、いつかはきっと。

「でも、本当に笑えねー冗談だよねー……」

ほへー、とエウリューケは息を吐く。瞬くような星の光が、その吐息で消えた気がした。

「あんなわっるいお爺さんがさー」

禁制品の薬を扱い、盗品を売りさばき、強盗やひったくりの支援をする。

貴族や商人の弱みを握り、政治にすら介入する。

殺人を隠蔽し、罪人を逃がし、街で普通に生活する善人に害を与える。

副都イラインの貧民街にただ一つあった店の主。配下を揃え、副都にあった敵対組織を潰し、飲み込み勢力を拡大し続けた。

今やもう、近隣の街にすら敵対出来る勢力など存在しないという状況を作り上げた張本人。

巨魁、巨悪、どう言われても頷ける、犯罪者の支配者。

騎士に追われ、衛兵に捕縛され、処刑台で斬首されるべき罪人。

刑場に縄をつけられ引っ立てられ、泣きわめきながら許しを乞う無様な死刑囚。

本来ならば、そうされなければいけないはずの犯罪者。

そんな男が。

「老衰なんてさ」

寝台で、静かに息を引き取る。

それはこの社会において、絶対に起きてはいけないことだ。

「誰か、早くなんとかしておくれよ。じっちゃんはずっと待ってるんだぜ」

まだ見ぬ恋人を探すように。

自らを殺す相手を。

この黄金時代が終わるまでに、どうか見つかってほしい。

エウリューケは、そう願った。