軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

喜びはそれぞれ

見た覚えのないものが建っている。

僕は裸足で跳ぶように移動しながら、視界の中にそれを見つけた。

青空の中、山脈を越えて平原をひた走り、今ようやくスニッグに戻ってきたところである。 白い雪原の中、突然街が現れるように見えるのはこの国の特徴ではあるが、その石碑はそうではなかった。

遠くからでも容易に見える黒い塊。光の当たりかたでちらちらと光っているので、光沢がある黒い石だろうか。こちら側に見える面が平らに削られているが、上が割ったままに見える。その割面の具合からして多分黒曜石だ。

その後ろには、白い街。それと、青白い大きな城。

僕は生きて帰ってきたのだ。リドニックの首都に。

黒曜石の隣に誰かが立っている。

この国の人間にしては珍しい、きらきら光る金属質の鎧。雪と同じく白い髭が、口元を覆っている老人だ。

……あれは。

僕は少し安堵して速度を緩める。

まだこの国を発っていなかったらしい。ならば、預けておいた荷物も持っているだろう。

「おーい!! カラス殿!! カラス殿ー!!!」

向こうも僕を見つけたようで、両手をぶんぶんと振って老人が叫ぶ。飛び跳ねるようにして走り出すその姿は年齢に似つかわしくないが、それでも彼にとっては簡単なことなのだろう。

僕がそのわずか手前で走りを止めて歩行に移行すると、そこに駆け寄ってくる。

素直な笑顔が眩しい。

「無事で何よりです。スティーブン殿」

「おー!! おー!!!」

僕の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、スティーブンはドスドスと雪原に穴を開けながら僕に近づいてきた。

「お……げっ!」

そして喜色満面の笑みのまま、雪原に顔面からダイブした。

それから動きを止めて、地面に突っ伏したままのスティーブンの頭上まで歩み寄る。

「……大丈夫ですか?」

僕が声をかけても、反応はない。だが、一拍おいて次の瞬間、ガバリと勢いよく起き上がった。

「カラス殿! 無事か!! 無事じゃったか!!!」

僕の肩に手を置き揺さぶりながらそう叫ぶ。くしゃりと顔を歪めながら、赤い鼻で。

それから感極まったように俯き、息を絞り出すように声なく笑う。僕の肩が、痛いほど握りしめられた。

「……よかった、よかったぁ!!!」

「どうも、ご心配をおかけしたようで」

僕がそう謝ると、スティーブンは首を大きく横に振った。

「よい、よい、生きていれば万事それでよい! いやぁ、死んだかと思っとったわい!」

「僕も死んだかと思っていましたが、そうでもないみたいで」

「北壁の向こうからの生還者など聞いたことがないわ。やはりカラス殿には、妖精がツイておるんじゃな!」

スティーブンの言葉に少しだけドキリとする。

いや、実際スティーブンは事情を知ってはいないし、妖精がツイているというのは単なる慣用句だが、それでも。

だから、僕は否定しなかった。

「……ええ、妖精の加護があったようです」

「まあなんにせよめでたい! グーゼル殿もマリーヤ殿も、心配しておったし顔を見せてやらにゃ!」

僕の言葉は軽口だとでも思ったらしく、本気にせずスティーブンは城を指し示す。この分だと、二人は王城にいるのか。そういえば北砦にはグーゼルもいそうになかったけど。

そうだ。それよりもまず、聞かなければいけないことが。

「僕のく……荷物はどうしましたか?」

「城に置いてもらっておるよ。それもあるし、……そうじゃな、話さなければいけないこともある。城へと行くとしようかの」

僕の言葉にもう一度城を指し示したかと思えば、スティーブンは顔を曇らせる。城で何かあったのだろうか。

気を取り直し、わはー、と笑いながら大股で歩き出すスティーブンに遅れないように、僕も歩き出す。

「腹は空いとらんか? 七日も飲まず食わずじゃったら、腹が空いとるじゃろ」

「そんなに経ってたんですか。僕にしては数刻なんですけどね」

僕がお腹が減っていないと告げると、スティーブンは『そうか』とまたニカッと笑った。

王城の門の前につく。そういえば、スティーブンも普通に入ることが出来るのだろうか。

そんなことをふと思ったが、心配ないらしい。衛兵に一言二言挨拶をすれば、すぐに衛兵は頭を下げ、道を開けた。

「すまんのう」

「いえ、お疲れ様です……。……?」

そして、僕の顔を見て怪訝そうな目をする。まあ、衛兵にとっては知らない子供だろうし当然の反応かもしれないけど。

それから溜め息をついたのが少し気になった。

ずんずんと、勝手知ったる他人の城といった感じでスティーブンは廊下を歩く。

顔見知りも出来たのか、途中で幾人もの官吏が会釈していった。それにスティーブンが応える姿は、何となく身分が高そうに見える。

「……この城、出入りするようになったんですか?」

「おうとも。三日前からかのう。客分としてじゃが、騎士たちの稽古台になったりしとるよ」

まだ出入りを始めて三日間。それにしては動作に余裕がある。貫禄があるといってもいいのか、白銀の鎧に見合った所作だった。

まあ、仮にも複数の道場を構える剣術流派の当主だ。本当に偉くもあるのだし、似合って当然でもある。

ふと見た廊下に面した広場。そこでは騎士たちの訓練場があり、そしてそこでは、割と衝撃的な光景が広がっていた。

「全! 員! 不合格!!! もう少し体鍛えてきやがれもやしども!!」

その声に、スティーブンも外を覗く。そしてそれから溜め息をついた。

「……やっとるのう……」

「何してるんですか、あれ」

声の主は、僕の知っている中で最も背の高い女性。荒々しく伸ばしっぱなしになった黒髪はそのままに、道士服はやめたのか、暗い緑色の長いコートを着ている。

そんなグーゼルが叫んでいるのは、訓練場の広場の地面に向けて。そしてそこに累々と横たわっている男性たちへ向けてだった。

スティーブンが、僕の言葉に応えて解説を加えた。

「騎士団へ入団を求める者たちへの試験じゃよ。日に十人は来とるかのう……」

「試験って、実務試験を?」

もう一度僕は下を見る。倒れている男性たちは昏倒しており、雪に体の前面か後面を埋めたまま動かない。いや、試験ならやり過ぎな気もする。

「そうじゃな。面接をした後、騎士との軽い手合わせで合否を測るそうじゃが、なにぶん今は時季外れでのう。係が決まっておらんかったんじゃ。いつもは春にまとめてやるそうじゃが、あまりにも志願者が多くなりそうで急遽やることになって、試験官を決めなければいけなくなった折にグーゼル殿が『じゃああたしもやる』と……」

僕は息を吐いて応える。いや、それにしてはこれは腕試しという雰囲気ではない。どちらかというと、制裁だ。

「来る奴来る奴みんなそういった心得がない者なんじゃよ。あっても、今度は部隊行動がとれなさそうでのう」

「何でまた急に」

「この前の……お主にとってはさっきじゃったか。まあ、この前の戦いのせいじゃよ。あれで随分と騎士たちが表彰されてのう。恩給も出て羽振りがよくなった奴らが、街に繰り出したんじゃ」

「……ああ……」

そういわれて、ようやく僕は思い至る。この前の戦場で生き残った騎士たちを見て、自分もと思ったということか。

「騎士たちが増えていいじゃないですか。死んだ人の穴埋めが少しでも出来れば」

「心にもないことは言わんほうがいいぞ」

「……すいません、冗談です」

スティーブンの不機嫌な様子に、僕は素直に謝る。言っている意味はわかるし、スティーブンが嘆いている理由もわかる。特に、騎士たちに薬を嗅がされ徐々に起き上がりつつある男たちを見れば。そして、さっきスティーブンも言っていたし。

「あやつらには信念や意地といったものがない。もちろん中には、戦った者たちの姿を見て『自分もこの国のために』と思ってきた者もいる。そういった者たちは訓練生として確保しとるが、そうでない者のほうが圧倒的に多い」

それがあの散々たる様の原因か。

いやしかし、誰もが初めは初心者だ。心根が伴っていなくとも、能力がなくとも、上達すれば必ず使いものにはなる。

「今から鍛えさせて強くさせるというのはどうでしょうか」

「その前に逃げ出してしまうじゃろうな。この前の戦場で、新兵器を渡されながらも逃げ出した者たちのように」

忌々しげに、スティーブンは眉を顰める。

「この前の戦場で、新兵たちが多かったというのも悪い方向に作用しとる。『奴らが生き残れたのならば、自分も』と思う根拠になってしもうとる。自分は特に努力せずとも、生き残り、そして勝ち、栄誉を手にできると思っとるんじゃ」

スティーブンは言いながら自分の掌を見た。革の手袋で覆われている掌側は中まで見えないが、きっとその中は細かい傷跡が数多く残っているだろう。

「お主を含め、儂らは命を賭して戦っとった。それを知らんのじゃ」

スティーブンは歩き出す。それから少し直進し階段のところまで行くと、僕に向けて振り返る。

「儂はカラス殿の荷物をとってくる。カラス殿は向こうへ。はやく、グーゼル殿に顔を見せてやらにゃな」

そう言って僕が答える間もなく身を翻し、階段を軽い足取りで登っていく。

ぽつんと廊下に残された僕。

……仕方ない。たしかに、挨拶をしなければ。

僕は雪に足を踏み入れる。そっと素足を踏みこめば、全く音がなくすんなりと足がめり込んだ。

だが、そんな小さな音にも反応はする。それ以上に大きな話し声があったはずだが、それでもいまここで気付いたのだろう、グーゼルはゆっくりと振り返った。

そして、僕の顔を見て目を開く。口角がやや上がったように見えたのは僕の願望だろうか。

まるでただ久しぶりに知り合いに会ったように、軽くグーゼルは手を上げる。

「……よぅ。遅かったな」

「ええ。少しのんびりしてきました」

口調も何もかも、特に変わったことはない。ただ本当に、知り合いに挨拶しただけのように。

「ここに来たってことは、あれか? お前も入団希望者かよ」

「そんなわけないじゃないですか」

軽口を叩くようにそう言う。僕がそれを否定しても、それが聞こえないようなフリをして。

グーゼルは踵を返し、もう一度倒れていた男たちを見た。それぞれが顎か腹部、もしくはこめかみなどの急所に一撃入れられて倒されていたようで、怪我はない。けれども既に力の差はわかっているようで、その目を見返す元気もなく目を伏せていた。

「お仕事中、失礼しました」

「んにゃ、もう終わったとこだし。こいつら、あたしに触ることも出来ねえでやんの」

嘲笑うかのようにグーゼルはそう言うが、それも無理はないだろう。武術の達人と素人、たまのまぐれはあるかもしれないが、勝敗は基本的には目に見えている。

「お前もやるか? あたしに勝てたら、その日のうちに高給取りの高級武官だ。騎士団長も夢じゃねえし」

「やる気はないですね。それに、仮に僕が勝ったとしても、誰も認めませんよ」

仮に勝ったところで、誰もそれは認めない。騎士団長や紅血隊隊長の身分は、今までこの国に命を捧げ続けてきたからこそ得られる勲章だ。どれだけ力があろうとも、ほんの少し前この国に現れた異人の僕が得られるものではない。

それをわかっているとは思う。

だが、グーゼルは挑発のような言葉を繰り返した。

「そりゃそうだ。ま、勝たせる気もないけどな。あたしのほうが強いし」

「この国最強のグーゼル殿と比べられるものではないでしょう」

挑発には乗らない。グーゼルの意図がわからないが、どうやら入団試験を僕に受けさせたいらしい。そんな試験など、受ける気もないけれど。

「そうだよな」

謙遜に、真っ向から同意する。それが出来るのも強さの証だろう。

一瞬間が空き、僕は少しだけ長い瞬きをした。

それを待っていたのだろうか。その暗闇の中、圧力と、温かさを全身で感じる。

抱き締められている、とわかったのはそれからまた一拍おいてからだったが。

騎士たちにもどよめきが走る。

「ほんと、心配したし。よかったよ、生きててさ」

耳元で、しみじみとした声がする。温かい。体の大きさの違いからだろう、若干覆い被さるようなその圧力に、僕の体の力が抜けた。

「ご心配、おかけしました」

やっとの思いで僕は言葉を紡ぐ。背中にかかる腕の力が強くなった。

グーゼルの片腕が僕の体を滑るように上がる。

そこではじめて、ようやく僕は気がついた。

これ、抱き締められているわけではない。

僕の片腕が、僕とグーゼルの間に挟まれる。その腕の付け根、肩が僕の首の片側に食い込むように固定される。

首のもう片方にはグーゼルの腕が食い込み、頸動脈を圧迫しており……。

「マジで心配かけやがってこの野郎!」

「ぐえええ」

思わず苦痛の声が出る。

グーゼルの手が僕の背中でクラッチされ、肋骨が圧迫される。

砕かれるギリギリの力加減、ではあるが、相当に苦しい。

これ、肩固めとベアハッグの混合技だ。

タップはしていないが、気は済んだのか解放される。

苦しさを解消しようと大きく息を吸ってグーゼルを見れば、ニヤッと笑って僕を見下ろしていた。

「そしてあたしの勝ちー! そうだよな、あたし強いもんな!」

鼻を啜り、手の甲で拭う。その動きが、何かを隠そうとしているように見えた。

「……あらまあ、お熱いことですこと」

「な? 直接お主のところに連れていかんでよかったじゃろ」

そしてまた背後から声が響く。振り返れば、先ほど荷物を取りに行ったスティーブン。それと、マリーヤの姿があった。

「うっせーし! からかうんじゃねーし!」

「そうやって恥ずかしがってばかりですと、お相手は見つかりませんよ?」

「あたしはずっと若いから平気だし。遅れるとかねえもん」

クフフ、と笑いながらマリーヤはグーゼルをからかい続ける。なんだろうか、僕も恥ずかしくなってきた気がする。

そしてマリーヤはグーゼルから視線を切り、僕を見て目を細める。

「お帰りなさいませ。死んだかと思っておりましたが、案外しぶといのですね」

「そうですね。僕も死んだと思っていましたよ」

「北壁からの生還者。ことが知れ渡ればまた大騒ぎになるでしょう。事情は後でお聞きしますが、その結果箝口令を敷くことになるかもしれませんので今はあまり吹聴なさらぬようお願いいたします」

僕の無事を喜ぶよりも先に、そういった問題に言及する。マリーヤも何も変わってはいなかった。

そして、そうか。そう言う問題もまだ残っていた。

「騒ぎになるのはごめんですね」

「仕方あるまい。お主は、誰も成し得なかったことを成したのじゃからな」

スティーブンが僕に荷物を差し出す。僕の背嚢と、靴を別々に。

僕はそれを恭しく受け取って、軽く検分する。靴も荷物も、渡したまんまで何ひとつ減っていなかった。

「薬とか使ってもよかったんですけど」

怪我人が多くいたはずだ。血止めくらいなくなっててもおかしくはないと思ったが。

しかし僕の言葉を、スティーブンは鼻から息を吐き出して否定した。

「説明もないんじゃ。怖くて使えんわい」

「……それは失礼しました」

それもそうか。乾燥させた薬草や花ならばまだしも、粉薬や錠剤となると判別は難しいだろう。

一応書いてあったりもするが、それが本当ではないかもしれないのだから。

だが背嚢には、正確には背嚢自体には一つ変わっているものがあった。

アブラムの攻撃でぶっつりと切れていた肩紐が、元通りではないが綺麗に修理されていたのだ。

「紐直してくれたんですね。ありがとうございます」

「それはマリーヤ殿じゃな」

「直せばまだ使えそうでしたので、差し出がましい真似をいたしました」

ぺこりとマリーヤが頭を下げる。頭を下げる筋合いなど一切ないのに。

そしてその言葉に、スティーブンは破顔した。

「そうじゃな。まだ使えそうじゃったからな」

意味ありげに横目でマリーヤを見ながら言ったその言葉に、僕は気付く。

「……ありがとうございました」

つまり、先ほどの言葉は嘘だったのか。僕が重ねて礼を言うと、マリーヤは苦笑しながら目を逸らした。