軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ここはどこ

夢を見ていた。

きっと、僕が日本にいたときの夢。

ラジオを聞いて、そして恐らく妻と一言二言交わして、昼食を食べに庭に出た。

もう既にその先があやふやで、その前の会話も記憶の端から消えていく。それに、夢の話だ。本当にそれがあったことなのかどうかすらわからない。

閉じた目の中、暗闇が僕に被さる。

息苦しさがあった気がする。しかし、その息苦しさはどこかへと消えてしまい、圧迫感もなくどこかに放り出された気さえする。

頬が冷たい。というよりも、全身が冷たい。天国や極楽とは温かいところだと聞いてはいたけれど、こうも寒いのならばここはそういった場所ではないのだろうか。

瞼が開かない。

こじ開けるようにして、裂け目のように開いた景色はやはり白一色で、ここはきっとこの世ではないのだろう。

死んでしまっているのに、この世ではないというのもおかしな話な気もする。しかし適切な表現が思い浮かばないのだから仕方がない。

『この世』と『あの世』は相対的な区分だ。僕らがその言葉を口にするときにいる世界が『この世』で、生者の場合は死後の世界、死者の場合は生前の世界を、それぞれ『あの世』というのではないだろうか。

その言説でいうのであれば、この真っ白などこかはきっと僕の生きているときの『あの世』で、今は『この世』の死後の世界なのだろう。

全身を覆っているのは、きっと雪だ。

けして、温かいものではない。ならば、と僕は自嘲する。

死後の世界がどんなものかは僕は知らなかった。経験しているのかもしれないが、記憶上はこれが僕の初体験だ。

だから全ての死者がここに辿り着くのかもしれない。けれど、もしも極楽が心地よく、地獄が苦しいところだとしたら。

ここは極楽ではない。

雪を握りしめると、痛みなどはないがただ冷たかった。

ここはきっと極楽ではないのだ。なるほど、やはり、僕のしてきたことは天国や極楽にいけるようなことではなかった。

地獄の獄卒もいなくて、煮えたぎる釜の中でもないこの状況は、地獄とも言い難いが。

本当に、僕はきっと良い奴でも悪い奴でもなかったのだ。だから、この中途半端な雪の中に辿り着いた。

「はは……」

頬を雪に付けて、僕は笑う。なんとなく、可笑しかった。

「うわぁ、いきなり笑い出した」

「うわぁ、気持ち悪い」

そんな僕の頭上から、小さな声が響く。

まるで虫が鳴いているような、か細く高い声。けれど確かに人の声で、地獄の鬼や天国の天使なんかじゃない気がする。

……というか、いきなり罵られた気がする。いや、確かに笑ったし、端から見ると変な人なのかもしれないけれど。

力が入らない四肢を強引に動かし、なんとか寝返りを打つ。一度強く目を閉じてから再び開けば、なんとか瞼も上げることが出来た。

一瞬感じた眩しさに、視界が真っ白になる。しかし次の瞬間目が慣れたのだろう、暗転して、やや暗い視界の中で僕を見下ろす二つの影が見えた。

「あ、起きたね」

「あ、そうみたい」

口々にそう呟き合う。その姿は、やはりどうみても人ではなかった。

いや、姿は確かに人間に近い。けれど、大きさからしてまず違う。身長は僕の半分ほど。頭身的には子供というより大人の範疇だと思うが、手足や顔も、それに比例するように小さくなっていた。

白いワンピースを着た、双子のように似かよった二人。髪の長いほうの頭には、光沢で光の輪が見える。まさしく天使の輪だったらいいのだが、きっとそんなことはないのだろう。僕が天国に行けるはずもない。

浮かんでいるのは僕と同じく魔法だろうか。死後の世界でも魔法が使えるとは驚きだ。

「……はじめまして」

「すごい、挨拶も出来る」

「すごい、いつもの四本足とも違うみたい」

僕の挨拶には応えず、ただの論評が始まる。しかし、体が動かない。痺れたように指先に力が入らないのは、混沌湯ともまた違う奇妙な感覚だ。

いや、この感覚はあれだ。僕は先ほど経験していた。この暗い視界もそのせいだろう。

息を強く吸う。寝ている間に魔力も復活しているらしい。多分、この僕の体に張り付いている細かい雪は、先ほど僕らの脅威だった幻覚を見せる雪だ。

……ならば、やはり。先ほどの夢はこの雪のせいもあるのか。

息を強く吸う。痺れた舌が新鮮な酸素に触れてじんわりと温かくなる。四肢の末端の酸素不足も一息で解消されたようで、開放感と不快な感覚が同時に襲ってきた。

指先が気持ち悪い。

それよりも。

僕は起き上がる。

体調はほぼ万全らしく、腹筋に力を入れればすぐに起き上がることが出来た。

「はじめまして。ここはどこでしょうか」

変な質問だと僕も思う。それに、どう答えればいいのか僕だったら悩むだろう。

イラインにいて、そう尋ねられたらイラインと街の名を答えればいいだろうか。それとも、ネルグから出てきた場合はエッセンと国名を答えればいいだろうか。

そう考えた僕は、二つ付け加える。

「北壁の白い波にさらわれて、リドニックからここに来ました。ここはどこです?」

言葉は通じているだろう。ならば、何か答えてくれるはずだ。

僕の言葉を聞いた二匹か二人かはわからないが、二人は顔を見合わせる。白い髪の毛が短くボサボサなのと、長くストレートなこと以外は瓜二つな二人だ。見合わせた姿は鏡合わせといってもよく、髪型を気にしなければ真ん中に鏡があると言われても信じたかもしれない。

「んーと」

「んーとね」

それから僕を見た二人は、口を揃えて言う。パタパタという羽音が少し気になった。

「わかんない」

「わかんない、ですか」

言った後、二人はニコリと笑う。まるで小さな子供がふざけていたずらをしたかのような仕草だったが、それでも本当のことらしい。笑顔以外、笑い声がないことからそう感じた。

「じゃあ、案内しよう、エインセル」

「そうだね。案内しよう、エインセル。この人……えーと、貴方のことは何といえばいいの?」

そう、髪の長いほうが僕の顔を覗き込んで尋ねてくる。

エインセル、というのは名前だろうか。ならば僕もここでエインセルと名乗るべきか。

……そんな冗談は誰も求めていないだろう。

「失礼しました。僕は、カラスといいます。どこへ案内していただけるんですか?」

髪の長いエインセルは、何度も周りをキョロキョロと見回し、それから髪の丸まったエインセルに問いかける。

「今日はどっちだっけ」

「今日はそっち」

髪の丸まったエインセルは、ふとある方向を指さす。その先はやはり白く……、いや、目が慣れてきたらしい。色がついていた。

扉が開け放たれた出入り口のように、真四角の穴がある。指さしたその先は青白く光っている。他にもいくつかそういう場所があり、それらはほのかに桃色だったり、緑色に見えたりしていた。

他は白一色だが、輪郭線も見えてきたらしく、白い水晶のような結晶や、白いキノコがそこかしこに生えていた。

地面に起伏もある……が、こちらは少し雪に覆われているため判然としない。壁も見えないが、いくつかある出入り口の位置から推定するに、二十畳ほどの部屋だろうか。

パタパタと走り回るよう動き出した二人。彼らを追って踏みしめる雪はやはり薄く、その下は何というか、多分グニャッとした感覚だ。まるで生き物の中のような。

しかし魔力を這わせてみても、細胞のようなものはない。無機質の、それでいてゴムのようなものだろうか。

二人が青白い出入り口に入るが、そこで違和感を覚えた。

壁がない。その出入り口の横、もしくは口に沿ってあるべき壁が。

不思議に思い、その口の横から回り込みこちら側を覗いてみるが、そこには何も見えない。普通に手が透けて見える。透けるというか、まさしく何もないように見えるのだが。

そして、その出入り口の横から見れば、地平線など見えない果てしない空間が続く。

……ここは。

戸惑い、僕は立ち止まる。しかし、そこにやはり声が届いた。

「早くー、ねー」

「早くー、カラスー置いてくよー」

出入り口は一方的な指向性があるらしく、見えないほうには声は直接届いてこない。

慌てて回り込み、僕は青白い通路に足を踏み入れた。