軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

部分寛解

天井を見上げれば、揺らめく灯りが見える。

燃える火。温かく、そして明るかった光。それが少しだけ翳って見えた。

視界がぼやけている。これはきっと、未だに続く弱視のせいだろう。暗点や視野の狭窄がないだけマシか。

そして、寒い。身体が震えた。先ほどまでは、なんともなかったのに。

ごつごつとした音が、視界の下方、前方から聞こえてくる。

アブラムの足音だ。しかし、先ほどまでと比べるとかなり小さい。

「自分は罠にはかからない、とそう思っていたか。戦場に立つ以上、いつでも危機は隣にあるのに」

「……」

反論できない。そして、そちらを向くことも出来ない。

いや、出来ないことはないが大変だった。萎えた四肢を持ち上げるのはそれなりに力を使うし、腹筋に力を入れても、頭が持ち上がらない。

その筋力はあるはずだ。もっと小さい頃から、たまに魔力無しで鍛えているのだから。闘気を得てもいるのだ。筋力自体は、絶対にある。

しかし、ここで持ち上げられないのはきっと僕が慣れていないのだろう。

と言うよりも、忘れているのだ。力の入れ方を。まるで、事故に遭った患者に長いリハビリが必要なように。

まあ、忘れているといっても咄嗟に出来ないだけで、普通に力は入るのだが。

あえてまだ動かない。

手にグッと力を込めれば、握ることが出来た。

「グーゼル様もそうだった。私を信用してくれていたというのもあるだろう。しかし、油断していたのだ。死角からの望遠長距離攻撃を行う魔物も存在はするのに、そんな攻撃はものともしないからこそ」

「……っ……」

背後に倒れるグーゼルが反応を返す。だが、かなり小さい反応だ。今の僕には聞き取れないほどの。

「グーゼル様や、お前などは油断していてもこの雪原で生き残れるのだろう。しかし、弱者の私には無理だった。だから、だからこそお前に勝てるのだ」

「……それは、弱いとはいわない気がしますけどね」

「まだ問答できるほどの力があるのか」

近づいてくるアブラムの声が、だんだんと大きくなる。音量も大きくなったが、何より鮮明になった。

「やはり、魔法使いは凄まじい。これで、北壁もある程度は鎮まるだろう」

安堵の息を吐き、アブラムはどかりと座り込む。

もう警戒は解いたらしい。この毒に、それほど自信があるとみえる。

一瞬、この毒の正体がなんだかわからなかった。

けれど、この湿気が多い空気に、この 喪(・) 失(・) 感(・) に、推測は立つ。

なにより、僕に効果があった毒。それだけで充分だ。

「混沌湯、……でしたっけ。わざわざ輸入したんですか?」

多分、この毒の正体はそれだろう。ピスキスの海に結界を作る天然の毒水。調和水と対比される、魔力を乱す存在。

魔力を使い毒を感知し対応している以上、僕には防げない毒だ。

粘液状だった調和水とは異なり、無色透明の水銀のような性状を持つ。

効果としては、今感じているとおり魔力の展開の阻害、また融解。

自分ではあまり自覚はないが、多分思考能力も制限されているだろう。考えがまとまらなくなる、というのが軽い中毒の症状だったはずだ。

「よく知っているな。まさか、飲んだことがあるわけでもあるまいに」

「存在は知っていました。ピスキスも、僕は行ったことがあるので」

知らない毒だったら、もう少し慌てていただろう。

しかし、やはり知識は力だ。

既知の毒。ただそれだけで、そこに危機感はない。

ふう、と一息吐く。本当は、のんびりしていられる状況ではないのだが。

「そうですか、こんな風なんですね」

ぽつりと呟いた言葉。多分、誰にも意味はわからないだろう。

だが、僕だけは実感した。多分、この世界で僕だけがわかる感覚だ。

そしてやはり、アブラムにはその意味は捉えられなかった。

「死が近づいているのがわかるか?」

「すいませんが、少しだけ黙っていてもらえますか」

今は少しだけ、浸らせてほしい。

この寒さに。この静寂に。この世界の暗さに。

一瞬黙ったアブラムは、それでも笑う。多分、嘲笑うように。

「初めて、本音を見せた気がするな。まだ二度しか会ってもいないのに、初めてとはおかしな話だが」

「……本当は、三度目なんですけどね」

僕の呟きに、アブラムは首を傾げる。だが、アブラムにはわからないだろう。

僕も忘れていたのだ。というよりも、気付かなかった。

「……まだ、少し時間はあるでしょうか」

「ハハハ、命乞いか、それとも今際の際の一言でも残そうというのか」

「いいえ。考えの整理です」

僕は今、敗北とも言える状況に追い込まれている。

これは、僕の力不足の結果だろう。いや、力不足ではないと思う。だが、その力を出し切れなかった。何故だ。

その内心の問いにも意味はない。その答えを、きっと、僕は既に知っていたのに。

「波はもう山を駆け下り終わった。おそらくもうすぐ、地平線にかかるだろう。そうなればもう猶予はない。赤子が眠りに落ちるよりも早くやってくる」

「でしたら、急がなければなりませんね」

もう一度、力を抜く。手がパタリと床に落ちる。

大丈夫、僕はまだ逃げられる。本当は、そう思ってもいけないのだけれど。

「余裕だな。魔力を使えぬお前ならば、片手を失った私でも殺せるというのに。生殺与奪権を握られている者の姿とは思えん」

「先ほど言っていたじゃないですか。僕を、北壁を鎮めるために使うと。生きた生物でなくてはいけないんじゃないですか?」

だから多分、グーゼルも生きているのだ。殺すだけならば、もう簡単なはずなのに。

「……その通りだ」

そんな僕の推定も、アブラムは同意した。

「しかし、調和水のほうは用意していないんですか」

「意味がない……わけではないが、薄いのだ。魔力を持たない生物では、壁に飲ませても効果が薄い。対して、魔力が強いほど消える量も多い」

「詳しいですね」

絶対不可触の壁。それだけの情報であっても、得るのはかなり難しいだろうに。

「調べた」

「あんな危険なものを、よく」

僕の感心に、アブラムの気配が緩む。だが、その笑顔はきっと本当に楽しいわけではあるまい。

力ない息に、そう感じる。

「……失敗してもよかったからな」

その意味を一瞬解せず、僕は口を閉ざした。

失敗してもいい。それは、この計画のことだろうか。それとも、その実験のことだろうか。

「……もうすぐ、波が来る。お前にも、聞いておいた方がいいのか」

「なんでしょうか」

寒さに震えながら、僕は応える。鼻水が少し出てくるが、鼻を啜るのも億劫だった。

「お前は、何がしたかったんだ? この一刻を争うときに、『降参しろ』とは」

「あれですか」

僕も噴き出す。僕自身、その言葉を何故放ったのかわからなかった。

アブラムには借りがある。スティーブンを使い、僕を襲わせた。僕は死ぬところだった。そんな恨みが。

そして、グーゼルを助けるためという大義名分もある。

殺せばよかったのだ。有無を言わさず炎で焼くか、風の刃で首を切断すれば。

なのに、わざわざ徒手空拳に付き合った末、降伏勧告をした。

本当は、そんな時間も惜しいのに。

けれど、今ならば少しわかる気がする。

この寒さと暗さと静寂。その中にいる今ならば。

あの少女と、同じところにいる今ならば。

「僕は、凄く恵まれていたんですよ」

「意味がわからないのだが」

本当に、意味などわからないだろう。これはこの世界で僕だけがわかることだ。

混沌湯を飲んで魔力が封じられても、動くことが出来る魔法使い。死なずにすむ魔法使い。そんな特異な存在である、僕だけが。

「みんな、自分と同じだと思っていたんです」

もう一度、手に力を込める。今度はきちんと込められる。床に掌をつくと、凍るような冷たさが痛みを与えてきた。

そうだ、寒い国といわれていた。そして、実際に寒かった。

その実際の寒さを、僕は一度しか実感していなかったのに、わかったフリをしていた。

腹筋を使い、起き上がる。

膝を立てて、座る。

こんな簡単な動作に、どれだけ力を使っているのだろうか。

「な……!?」

アブラムの顔が驚きに染まる。まだ少しぼやけてはいるが、それが少し可笑しかった。

「僕と同じく、やれば出来ると思っていた。出来ないのは、やらないからだと思っていた。……そうですね、スティーブンさんにも言われたとおりです」

そうだ。まさにこの場所で、スティーブンにも苦言を呈されていたはずだ。僕はそれを、真剣に取らなかった。

麻痺していたのだ。戦いの場というのは、死ぬかもしれない場所なのに。

「それに……」

言いかけて、言葉を切る。花売りの少女を殺したあのときに関しても、本当は反省すべき点があったのだ。まだ少し混乱していて、言葉には出来ないけれど。

それに、今言うべきことでもあるまい。

一つだけ言えるとしたら、足りなかったのだ。そして僕は、自分が何をしたいのかわからなかった。

……これでは二つか。

話が途切れたのを察し、アブラムが腰を浮かせる。

「……どうやってかは知らぬが、混沌湯の毒を防ぐか。やはり、魔法使いは危険だ」

「いいえ。ただの魔法使いならば、本当はやられていると思いますよ」

テトラもスヴェンも、レヴィンもきっと防げない。シャナに至っては、本体を残して消滅する。その後は本体も死に至るだろう。

僕は今まで、魔法のおかげで生き延びてこられた。けれど、それに依存していた。

それは、村にいたときにやめようと思っていたはずなのに。

「ならば、四肢を砕く。魔力を使えぬ貴様ならば、それで行動不能に……」

立ち上がることなく、しゃがみ込んだ姿勢から鋭い蹴りが飛んでくる。僕はそれが鼻先を掠めるように、しかし当たらないように身体を反らした。

追加された、仙術による衝撃。

けれど、もうそれは僕の身体に通用しない。

僕の身体から白い光が立ち上る。

闘気の活性化。今僕が戦うために必要な手段。それを、存分に使わなければ。

視界がはっきりと広がる。空気に透明感が戻ってくる。その、アブラムの驚く顔まで鮮明に見えた。

音も、広範囲のものが拾える。魔力を展開したときのような、可聴域が広がったような感じではなく、音量を大きくしただけのような感じだが。

魔力とは使い勝手が違うが、それでも先ほどまでの、世界から切り離された感覚とも違う。そう、これがずっと続いていたから、僕は勘違いしていたのだ。これが、普通なんだという勘違いを。

「闘気だと……!?」

「調和水も用意しておけば良かったですね?」

笑いながら、アブラムの腹を蹴り上げる。身体が綺麗に空中に飛んだ。

受け身もとれずに壁に激突し、床に落ちたアブラムは、荒い息でこちらを睨む。

目が血走っているのは、痛みのせいだろうか。

「お礼を申し上げます。僕は、多分驕っていた。いつでも全力で事に当たるべきだったんです。そうしないから、被害が増える。取り返しのつかないことになる。……片手間で何でも出来た弊害でしょう」

「この短時間で、何を……」

その言葉にハッと気付き、僕はまた少し笑う。

その通りだ。アブラムと少しだけ交戦し、それから混沌湯を吸わされ、それから本当に少し話しただけ。

なのに、心持ちが大分変わった。

きっと、混沌湯はきっかけだったのだろう。それまで、ずっと内心では何かしら考えていた。それが、今回噴出しただけの。

だが、だからこそ多分、混沌湯は僕にとっての特効薬だったのだ。

僕の、魔法使い病の。

「波がもうすぐここに来る……ああ、今地平線を越えましたね。魔物たちは砦を避けて通っているようですが……」

「っ……! ならば、急がなければな!! お前をここで飲ませて……!!!」

「いいえ。飲まれるのは、貴方です」

グーゼルと僕の二人を飲ませるよりも消退する壁は小さいだろうが。そのことに関しては、後で考えよう。

飛びかかるために、アブラムは構えを取ろうとする。だが、やはりその拳は痛いのだ。

少しだけ、遅い。構え終わるまでに、僕が肉薄できるほどの。

「ゴッ…………!」

顎と腹に一発ずつ。けれど、当てたにしては拳に返ってきた衝撃が少ない。多分、逸らされた。

最後にもう一発、こめかみに爪先を蹴り入れる。

殺しはしない、けれど、意識を失わせる打撃。

アブラムが、石の壁に再度激突する。今度は起き上がらず、崩れたままだ。

念のため、アブラムにも混沌湯の湯気を吸わせておこう。

多分その覆面がフィルターの役割をしているのだろう。拮抗薬や予防薬などはないはずだ。

歩み寄り、その顔に付けられた覆面をはぎ取れば、口元はべっとりと血に塗れていた。