軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

実践練習

一週間ほどでコツは掴めたらしい。僕は、壁に寄り掛かった老人の額から指を離して頷いた。

「わかります?」

その顔の前で手を振る。つい先ほどまでは、何が原因でついたのか調べたくもない赤茶色の壁の染みと会話していた老爺。効果のほどはいかほどだろうか。

「お、お前誰……ォエエエエエエ」

目に光が戻り、僕を認識した。それまでは僕がいることすらわからなかったようなので、これは充分な進歩だろう。その後嘔吐はしたが、これは脳圧が急激に変化したことへの反応だと思う。その辺りも調整をしているが、たまに失敗してしまうらしい。

「今何歳です? ここがどこだかわかりますか?」

口を拭い、僕を睨む男に質問を重ねる。見た目七十歳ほどか。脳梗塞からの痴呆だったようだし、これで一応見当識も改善されていると思うけれど。

「知るかよ、出てけ馬鹿! 殺されてえか!!」

本人からの確証は得られていないけれど、回復はしているかな。僕は後ろをちらりと見て、その老爺を今まで世話していた老婆を見る。

「こんな方でしたか?」

「え、ええ、まあ、口は悪かったけど……」

おどおどと怖がるように、また戸惑うように老婆は答えた。昔のことだろうしはっきりとわからなくてもおかしくないか。もう一度老爺を見て、僕は落ち着かせるよう両肩に手を置き強制的に座らせた。

勢いよく尻もちをつく、が問題はないだろう。ちょっと痛かっただろうけれど。

「な、なんだよ、ここ、え? お前、アリゼ、か?」

戸惑いながら、老爺が妻を指さす。コクコクと頷きながら、アリゼと呼ばれた老婆は涙目になっていた。

「ええ、貴方、あたしです、アリゼですよ!」

「いや、何でお前、そんな年取って、え、お、俺も?」

妻の急激な年齢の変化を指摘しようとして、老爺は自分の指先にも目を留める。その、節くれだって皴の寄った指も、自分では見慣れないものだろう。

ひしと老婆が老爺に抱きつく。旦那の顔をしていた誰かがいなくなり、旦那が帰ってきた。実際はもちろんずっと同一人物ではあるが、認識上はそんな状況だと思う。

まあ、もうこれで僕はいいだろう。

そっと一歩下がり、抱き合う二人にむけて一応の声をかけた。

「ありがとうございました。とても参考になりました。それでは、僕はこれで」

「お、おい!?」

老爺は呼び止めようとするが、事情なら老婆に聞けばいい。僕は背中から聞こえるその声に手を上げて応え、振り返らずに家を出た。

貧民街での実習の日々。これくらいでいいだろう。もう、コツは掴んだ。

貧民街には大勢の体の動かせない人がいる。病気や怪我、そんな理由で仕事が出来なくなった者が、石ころ屋の噂を頼りに集まってくる。勿論、一部の人間だけだ。治安の悪いこの街に、護身の手段も持たずに入るもの。そんなものはそうそういない。だが、その一部の人間のうちでも、僕が求める条件を持つ人間はそれなりに大勢いた。

そして、体が動かせぬものは先立つものもほとんど持っていない。この貧民街で無力の者が身を守る手段。それは、『何も持たないこと』だからだ。限度はあるが、目立たなく生きれば長生きできる。何も持たなければ、奪われることはない。そのため、治療師にかかることは出来ない。

もし幸運にもかかったとしても、禁忌である《再生》の法術を使われることはない。それが必要な病であれば、聖典を理由に断られるだろう。

そこで僕の出番だ。彼らは大抵二人以上で集団を作っている。養われる者と、何とか養う者。治療の話を持ち掛ければ、藁をもすがる思いで乗ってくる。実験に使うと聞いても、なお。

そんな、豊富な実験材料を基に、ようやく自信をもって使えるようになった。

これくらいでいいだろう。僕なりの再生魔法は完成した。

それに、そろそろ潮時だ。人の口に戸は立てられない。僕が使っているのは、正確には《再生》の法術ではない。しかし、見た目似たようなものだ。いつかは聖教会の耳に入り、エウリューケと同じく僕も異端扱いされる。そもそも僕は聖教徒ではないし、まだいくらでも言い逃れできるが、これくらいが何事もなく黙認される限界だろう。

そろそろ、行かねば。

メルティの《魅了》を解き、この街を発つ。その準備は整ったのだ。

「………………」

……思い詰めすぎたのだろうか?

メルティの館に忍び込み、その部屋に辿り着いたのだが、メルティの様子がおかしい。

椅子に座り、ソーニャの入れた紅茶を前にしてボーっとしている。目の下には隈が深く、目も充血して真っ赤だ。時折紅茶を口に運ぶが、カップを持つ手も震えている。

「今日はいい天気です。どうでしょうか、騎士を伴ってではありますが、散歩など」

「はぁ……」

「それとも、お疲れの様子です。少し、お休みになられますか?」

「……ええ……」

反応がおかしい。心ここにあらずといった感じで、ソーニャの話しかける声に生返事を繰り返している。

疲れているのだろうか。やがて紅茶を服にこぼし、ソーニャが侍女に布巾を持ってこさせる指示が響くが、それでもなお、メルティはこれといった反応を示さなかった。

どうしたことだろうか。

一週間の間に何かがあった? 何か気に病むことが増えたのか、それとも心境の変化がまたあったのか、どういうことだろうか。

恐怖喚起の魔法は一度きりだし、影響も残っていないだろう。まさか、レヴィンの《魅了》の悪影響? いや、こんな影響が出るようなものではないはずだ。だったら僕の魔法も調整し直さなければならないし、それも困る。

聞いてみようか。

メルティから一歩離れ、後ろに控えるソーニャにのみ聞こえるよう、魔法を使い声を飛ばす。

ソーニャも少し疲れているようだが、これは単純にメルティの対応に疲れているのか。

「(ソーニャ様)」

「!?」

どこからかわからない声に対応しようと、ソーニャが身構える。だが、その声が僕の声だと気が付くとゆっくりと警戒を解いた。

「(以前と同じように、唇だけでお願いします。少々お時間よろしいですか?)」

「(構わないが、カラス殿? どちらにいるのだ?)」

「(目の前です)」

僕の言葉に声を上げそうになったようで、ソーニャは慌てて自らの口を押さえた。

それから不自然でないよう咳払いをして、神妙な顔つきに戻る。

「(慎まれよ。招かれざる客である以上、騎士に対処されても文句は言えぬはずだ)」

「(申し訳ありません。私も、別に存在を示す気はなかったのですが)」

メルティの方へ目を向ける。向こうから僕は見えていないので、誰も何の反応も返さなかった。

「(メルティ様、どうされました? 随分と憔悴しているご様子ですが)」

「(すまないが、我らにもわからない。ただ、あの日の次の朝、随分と錯乱されてな。それきり眠れていないそうだ)」

「(錯乱?)」

僕が聞き返すと、ソーニャが眉を顰める。それから、言い辛そうに口を開いた。

「(……カラス殿が恐ろしいとか、なんとか)」

「(あの夜おどかしたのがまずかったでしょうか。でしたら、申し訳ありません)」

やはり、恐怖喚起のせいか? いや、そのときは何ともなかったのだし、こんな後を引くはずが……。

「(いや、姫様の自裁を止めるためだったのだ。あれ自体は仕方ない、と思うのだが……)」

ソーニャの目の先で、メルティがこくりと舟をこぐ。眠気に負けたのか、目を閉じて。

だが、次の瞬間姿勢を正す。それからまるで、何者かの襲撃に怯えているように周囲を見回した。

「姫様、どうなさいましたか?」

「いえ、ソーニャ、この部屋、誰もいませんよね? 貴方たちのほかに、誰も……!?」

「……ええ。姫様がご心配なさるような者は、けして」

ソーニャの言葉にメルティが息を吐く。それから目を強く瞑り、また大きく見開いた。

恐怖喚起は無関係。だと思うが、やはり何者かに怯えているようだ。それも、寝てしまうとまずいとでも思っているらしい。横にソーニャが控えているのに、眠ることすら拒んでいる。

「(本当に、私に怯えている……のでしょうか?)」

「(はっきりとは口に出さないが、な)」

ソーニャは頷く。ならば悪いことをした。

「(眠り薬でもお渡ししましょうか?)」

「(ぬ……、いや、私もそれは提案したのだが、姫様の許可なく姫様に飲ませるのは……)」

「(そうですか)」

まあ、眠れないだけならばなんとかなるだろう。そのうち耐え切れなくなって寝るだろうし。

会話が切れると、ソーニャの方から話しかけてくる。無言の会話は、まだ続く。

「(それで、メルティ様の様子を確認しに来たのではあるまい。何用だ?)」

「(メルティ様から、レヴィンの影響を取り除きに)」

メルティが首を大きく振る。眠気を覚ますためだろう、ふわふわとした髪が派手に広がった。

「(あの男のせい、だというのか?)」

ソーニャが拳を握り締める。多分、目の前にいたらすぐに殴りつけてるほどの沸点の低さだ。

奴を擁護する気はないが、誤りは解いておかなければ。

「(私も一瞬そう思ったんですが、多分違います。遠因にはなるかもしれませんが、直接このような影響を及ぼす魔法ではないので)」

「(そうか。だがしかし、影響自体は消すことが出来るのだろう? 何か用意は必要か?)」

「(いえ。ですが、ちょっと気分悪くなるかもしれません)」

「(……簡単には頷けない話だな)」

まあ、そうだろう。本人に傷一つつける気はないが、苦しいのは確かだ。

「(なので、やはりお眠りになっているときがいいですね)」

嘔吐物で窒息する恐れもあるが、それさえなんとかすれば、本人は苦しまないからいいだろう。

ただ、そうすると今の状況がまた面倒くさい。眠りたくない姫様を眠らせるにはどうしよう。紬車の錘でも落とそうか。

いや、言わなければいいのだ。

メルティは放っておいても舟を漕ぐほどの眠気に襲われている。ソーニャに言わずに眠らせて、あとは知らばっくれれば、とくに問題はあるまい。

しばし待つ。そうすればもう一度、メルティが目を閉じる。今だ。

メルティへの酸素の供給を遮断する。睡眠不足の上に、酸素不足。すぐに気を失った。

「……くー……」

小さく寝息を立てて、体の力が抜ける。今ならば。

「メルティ様?」

ソーニャがメルティの様子を確認する。見た目は完全に、今自然と寝てしまっただけなはずだ。

「……毛布を用意。それと、すぐに寝台を整えよ」

「はい!」

即座にソーニャが指示を出す。きびきびとした動作で、侍女が行動を開始した。

その様子を見守りながら、ソーニャに声をかける。

「(ちょうどお眠りになった様子。済ませてしまってもよろしいですか?)」

ソーニャはテキパキとメルティの椅子の上での姿勢を直しながら、それに答えた。

「(……今ならば)」

「(ありがとうございます)」

僕は、メルティの額に指を当てる。距離の関係で今メルティには僕が見えているだろうが、寝ている今ならば関係ないだろう。

魔力をこめて、この一週間の練習通りに、《再生》させる。

「……ぅ……ぁ……」

「(大丈夫なのか!?)」

メルティが小さく喘ぐと、ソーニャが僕のいる方に向かって食って掛かる。姿は見えていないはずなのに、睨まれている気がする。

「(心配なさらず。すぐに済みますので)」

脳細胞の強制的な増殖と成形。慣れたものだ。三十秒もすれば終わる。

指を離せば、またすやすやとメルティは眠りだした。

「(成功しました)」

吐き気も無いらしい。よかった、完全な成功だ。

ホッとソーニャも息を吐く。そこへ、毛布を携えた侍女が戻ってきた。

「ソーニャ様、こちらを」

「ご苦労。これより、メルティ様を寝室までお運びする」

毛布でメルティを包むようにして抱き上げる。お姫様抱っことはいうが、本当のお姫様にするのを見るのは貴重かもしれない。女性としては長身のソーニャだが、それなりに似合っていた。

「(カラス殿、感謝する。それでは後程)」

「(はい)」

ソーニャが部屋を後にする。それに騎士たちも続き、部屋には誰もいなくなった。

静かになった部屋の扉が、侍女の手でパタンと音を立てて閉められた。