軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

治療の第一歩

次の日、石ころ屋では、エウリューケが満面の笑みで待っていた。

扉を開けた僕の姿を確認すると、グスタフさんが挨拶をしようと口を開けたと同時に大きな声を出す。

「おはよう! 今日もどーんと行っちゃいまっせ!」

「あ、朝から元気いいですね……」

グスタフさんが無表情に口を閉じると、そちらにむかってエウリューケはまた叫んだ。

「じっちゃん! 待ち合わせ場所に使って悪かったし! じゃ、またね!」

「……おう」

ようやく聞こえたグスタフさんの声。どうも疲れているらしい。

……このテンションに付き合わされたとすれば、それも仕方ないと思ってしまう。

「じゃ、行こうか」

「空間転移ですか?」

僕の問いには答えず、エウリューケは僕の腕を掴む。そしてやはり次の瞬間、景色は変わった。

変わったのは、景色のほか、匂いもだ。そして、体に感じるこの空気も、なんとなく淀んでいる。

「ここは……」

「いらっしゃいましー」

くるんと回りながらエウリューケはそう歓迎の言葉を吐く。その足が床に置かれた薬瓶に当たり、瓶がゴロンゴロンと派手に転がっていった。

薄暗い部屋。灯りは天井近くの窓から漏れる光のみ。一応それよりも少し下の方に燭台もあるので、暗くなったらそっちを使うとは思うが。それに、今は日が低いのでそれなりに光が入ってきているが、日が高くなれば必要になるだろう。

臭いは甘いような、変な臭いが漂う。薬品臭いと言えばいいのだろうか。いや、そんなに不快なわけではないが、いい匂いでもなかった。

じめっとしているが、空気自体は清潔なようで、部屋の中央に置かれた金属製の寝台には埃一つなかった。

その埃一つない寝台に寝かされているのが、件のマリーヤだ。

服装も何も変わらず、ただ力なく浅い呼吸を繰り返していた。

しかし、本当に何も変わらない。昨日僕が引き渡したときのままだ。

「……何か、事前に処置とか必要ありましたか?」

「いんやー。ただ、胃腸の動きとかは止めてあるねー。厠へ行かせるの面倒だしー。ご飯も面倒だしー」

そう言いながら、エウリューケは部屋の隅に置かれた寸胴……それも火にかけられたままの寸胴におたまのようなものを入れ、玉子を中から取り出していた。

「熱、熱い!!」

そして、文句を言いながら皮を剥く。水にでもつけて冷ませばいいのに。というか、そのお湯に沈められたままだったということは、かなりの固茹でだ。

それなりに苦労しつつ、殻を剥き終わったエウリューケは、剥いた殻を燃料にくべてから玉子を口の中に押し込んだ。

「ふぉえええー」

「全部食べてからお願いします」

茹で卵をそのまま口に入れたエウリューケの不明瞭な発音に、文句を言うと、素直に黙った。だが、それと同時に予想出来る事態も起こる。

「……ヴォホッ……!!?」

茹で卵を噛み砕いた口の中と鼻から蒸気が漏れる。いや、それくらいわかるだろうに。

熱いものを飲み込むことも出来ず、さりとて吐き出すことも出来ないようで、エウリューケは悶えた。口に物を入れて何かをするのはこの女性の伝統芸なのだろうか? 僕は、それを黙って見つめていた。

「あー、酷い目にあった」

「落ち着いて食べればいいのに」

涙目で僕が差し出した水を飲むエウリューケは、意気消沈して椅子に腰かけた。

「目の前に置いてあるとついつい食べちゃうのよねー」

そう言いながら、水筒を傾けて一気に飲んでゆく。いや、それ僕の水……。

美味しそうに喉を鳴らし、水筒を空にして息を吐く。丁寧にそこに栓をして、僕へ差し出した。

「あい、あんがと。まったくなー、キミは救世主やー」

「いえ……、で、彼女の治療ですが……」

マリーヤを見る。前処置はない、ということはこれから行われることが全てだ。

細部まで見せてもらえれば、僕にもきっと再現できるだろう。そう思った。

「おうよ! じゃあかかるぜぃ……つっても、カラスくんは見てるだけでなんかわかるのかいや?」

「ええと、出来るだけ邪魔しないようにはしますので、彼女の体内に魔力を侵入させてもいいでしょうか。その、変質の過程が見たいんです」

「いいけども。でも、魔力を重ねるなんて高等技術ですぜい? 普通の魔力はお互い弾いちゃうっしょ」

「……そういえばそうでしたね」

そういえば、そうだったか。闘気に対して魔力は溶かされ消えてゆく。それに対して、魔力同士の場合は反発して押しのけ合う。

……どうしよう。いきなり頓挫した。

いやしかし、今のエウリューケの言葉が真実なら、まだ見込みはあるかもしれない。

「いや、でも魔力を重ねるのは出来るんですよね?」

高等技術、と言った。ならば、技術としては確立しているはずだ。つまり、出来る者がいる。

例えば、目の前の女性とか。

「上等魔術師のエウリューケさんなら、僕の魔力をうまくかわしていけませんか?」

「あー、出来る……かなぁ? やったことないからちょっち自信ないなぁ……」

「じゃあ、出来ればお願いします。出来なかったら諦めますので」

そのときはその時だ。別に、どうしても彼女のが見たいわけではない。治るだけでも充分だ。

メルティの分も、少しばかり御足労願えばいいだろう。歩くのは僕だけど。僕が自分で治すことが出来ないというのは残念だが、それは仕方ない。

僕の言葉にエウリューケはニへっと笑うと、大きな声を出してから無い胸を叩いた。

「頼まれちゃしゃーねーな! お姉ちゃんに任せなさいな!」

「……お願いします」

それから、エウリューケの講義が始まった。

「だからねー、こっちで 領胡(りょうこ) の首の瘤を含ませてからー」

「あの牛ですか」

領胡は赤い尻尾で首に瘤のある牛だ。魔物ではないが、その瘤を煮だして作った粉薬は狂人を常人に引き戻すという。まあ、要は強力な鎮静作用があるという話だ。本人には言えないが、むしろエウリューケが飲めばどんなふうになるのか気になるところではある。

「……別に、本人は興奮しているわけでもないはずですが……」

「ふふーん、ちゃうのよー。これね、神経の可塑性を高めるとかそんな効果もあるんよ。痴呆の婆に飲ませ続けたら、治っちゃったこともあるしねー」

「へえ……」

グスタフさんから学んだことには無かった情報だ。やはり、治療師の方にも違った体系の本草学の知識はあるのか。

「で、とりあえず薬効成分がいきわたるまで……待てねー!」

いきなりエウリューケは叫ぶ。僕は無意識に、マリーヤの後頭部に沿えた手に力を込めた。

「我が名エウリューケが神の名において命ずる 巡る血潮よ巡り束ねて満ちて巡りなされ《降濁賦活》!」

……語尾からして祝詞は多分適当だろう。だがそれでも、エウリューケの手の先で、内臓の動きが急激に強くなったのがわかった。

しかし。

「いいんですか? ゆっくりと浸透するまで待たなくて」

「いいんだい! こんなの補助だし、ぶっちゃけなくてもいいし!!」

はっはっは、と豪快にエウリューケは腰に手を当てて笑った。

それからいくつかの処置の後、ようやく本題に入る。

「さてな」

エウリューケはマリーヤの頭に手を当てる。そして、ここまでとはちょっと違う真面目な顔で、深呼吸を二回した。

「我が名エウリューケが神の名において命ずる 在りし日の姿にて彼のものの先天の精を取り戻し……」

それから始まる長い祝詞。僕は、こちらを暗記する必要はないだろう。

だが、僕の手の先、こちらはとても重要なものだ。

頼んだ通り、エウリューケの魔力は僕の魔力を完全には邪魔しない。幾分か弾かれてはいるが、これを僕が弾き返すのは迷惑だろう。素直に魔力を薄くしたり質を変えたり、なんとか干渉しないように調整した。

それから、マリーヤの脳内で起こっていることはなかなか理解できなかった。

脳細胞が分裂する。それから、委縮した細胞を食い潰すように浸食していき、元の形に戻る。

うにうにと波のようにその動きは広がっていき、最後にはまるで脳全体が揺れているかのように動く。

そう、僕の頭の中で必死に理解できるよう翻訳していくが、それでもまだ足りないだろう。

とにかく、全部で一分ほどだろうか。不可思議な動きは不可思議なまま、最後には正常な形だろう脳に戻り、エウリューケの魔力は落ち着いた。

「《再生》!!……と」

祝詞を言い終えたエウリューケは、また長い息を吐く。これは、長い台詞だったからなどということではなく、緊張感からだろう。その証拠に、エウリューケの額には汗が浮かんでいた。

「……おつかれさまです」

僕の労いに、エウリューケはニンマリと笑う。

「いやいや、邪魔されんで助かったでな。こんな感じで、頭の治療は終わった感じだけど参考になったかや?」

「ええ、おおいに」

なるほど、再生は細胞の分裂と置き換えで行えばいいのか。今ある細胞を変化させるのではなく、作り直す。脳細胞が分裂出来ないということを知っていたからか、そういう発想がなかった。

ならば、それを僕なりに再現するには、恐怖喚起というよりも傷を癒す魔法を調節して……。

いや、そのままではやはり脳細胞は分裂しない。それに、先ほどの様子では分裂後の成型も行っていた。小脳と前頭葉だけであれば、記憶領域には干渉しないだろう。いや、でも代償的に肥大している部分を特定するには……。

少しばかり考え込む。

気づけば、エウリューケが微笑ましげに僕を見ていた。

「ウィヒヒヒ、これでカラスもあたしの弟子かー、いやー、いいもんだね。そうだ、弟子は師匠に絶対服従だ! ちょっと饅頭買ってきなさい。お茶五升と卵も忘れないように!」

「それは、弟子というよりも使い走りじゃ……」

「あはは、冗談ですしー」

ようやく終わった解放感からか、エウリューケはくるくるとまた回る。

まだマリーヤの体内に残った過剰な薬効成分を抜く作業もあるのに。その辺は僕がやってもいいけど。

「でもでも、今度何かお礼頂戴ね! すっげえ魔道具とか手に入ったらくれ!」

「構いませんが、使えないですよね?」

「ウィヒヒヒ、それがそうでもないのよ。中の……」

エウリューケとの会話中、薬効成分の抜けたマリーヤの瞼が震える。

「ふ、ぅん……」

そして悩ましげな吐息を漏らすと、身をよじり、ゆっくりと目を開けた。