軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:だってあたしは許せない

「ウィヒヒヒヒヒ、バレたらどうなるかと思ったけども、じっちゃんも案外甘いぜにゃー」

鼻歌を歌いながら、軽快な足取りで寝台に歩み寄る。エウリューケの秘密基地、その地下に設置された頑丈な寝台は、家の主である彼女が寝るためのものではない。

天板が金属製であるその寝台は寝心地も悪く、休むために使われることはない。

たた、掃除がしやすい。それだけのために、その継ぎ目のない滑らかな寝台を彼女は気に入っていた。

その寝台の上に寝かされている少女。

革の帯で一応の拘束をされ、そして部屋の隅で沸かされている湯から立ち上る湯気で脱力が強制されているが、今のところはそんなもの必要ないはずだ。

息はしている。けれど意識はなく、体は微動だにしていない。青い顔でただ目を瞑っている彼女の顔を覗き込んで、エウリューケはニンマリと笑った。

「反応を知りたいなー。ねえそろそろ起きてよー、急いで帰ってきたんだよー?」

エウリューケは寝ている少女、エリノアの肩を揺さぶる。頬を叩き、それから鼻をつまみ、また頬を張る。パチンパチンという小気味の良い音のあと、ようやくエリノアは微かに瞼を開くのだった。

「起きた起きたー! ねぇねぇ、気分はどう? 鼻は元気? お腹空いたよねー、ねー!?」

「…………」

反応は、無い。

困惑。エリノアの胸中はまずそれだった。

自分は死んだはずだ。襲撃の演技に失敗し、騎士にこの身を割られたはず。肺が潰される感触も、背骨を断たれた音も覚えている。治療師すら見放すはずの傷。組織でも、同じようにして死んだ者を何人も見てきた。

なのに、何故、私は生きている。

そして生きているのであれば衛兵の下で拘束されているはずだ。なのに、目の前にいる着膨れした女はどう見ても衛兵ではない。そして、治療師の緑の制服でもない。

不可解なことばかりだ。

そもそもまず、目の前にいる頭のおかしな様子の女は誰だ。

青い髪が自分の顔にかかるのも構わず、覗き込んでいるこいつは一体。

困惑の言葉を吐こうとして、エリノアは僅かに空気を吸う。

薬品の臭いと一緒に入ってきた空気を肺に取り込もうとしたその瞬間、胸に鋭い痛みが走った。

「ぐ、む……」

「あああー、深呼吸とかしないほうがいいかもよー? 左肺は駄目だったのさ。カラスくんなら何とかなるかもだけど、今のあたしにゃあちょっと無理だったー、覚えてたら治したげるけどよ」

仕方なく、浅い呼吸を繰り返す。まるで横隔膜に針を何本もを突き立てられているかのような痛みに、まともな呼吸はできなかった。

「私を、どうする気だ……」

掠れた声。虫の鳴くようなそのか細い声は、満足に息も吸えないエリノアの絞り出せる、精一杯の大声だった。

「治したげるって言ってっしょーが」

楽しそうにエウリューケは笑う。その笑顔の意味がわからず、エリノアの困惑は積もるばかりだったが。

「とりあえず、血管は全部治してあるし、命に別状はなかろーよ。クリスどんもいい仕事してくれた!」

トン、とエウリューケはエリノアの肩を叩く。その衝撃に、液状の何かが喉の奥に詰まった気がした。

「……何故……」

「何で生きてるかって? あたしが頼んだからに決まってんじゃん。生かしたまま、どう見ても死んでるくらいにしてくれよ、なんてよくぞ聞いてくれたわいな」

背骨まで断ち切られるとはエウリューケも思ってはいなかったが、問題は無かった。

生命維持に必要な分は治療し、もはや命に別状はない。千切れた体を癒すという、他の治療師には経験も無いだろう難題。だがそれは、エウリューケにとっては造作も無いことだった。

「でもでも、感覚までは治してないよん。暴れられても困るしー」

「…………?」

その言葉に、エリノアは改めて自らの体を確認する。とりあえずの痛みは無い。だが、首を動かすことも出来ないので視認することは出来ないが、何か違和感があった。

エウリューケは笑いながら、エリノアの下腹部に手を滑らせる。

「神経をちゃんと繋いではないからねー。ほらほら、こんなことしても何にも感じないから楽しくないよねー、だよねー。下半身力入らないしねー、ねー」

エリノアは見られずによかっただろう。年頃の少女には恥辱で耐えられない惨状が、視界の外にあったのだから。

ポン、とエウリューケは手を叩く。

「それでさー。助けてあげたんだから、少しはあたしの役に立ってもいいと思うんだ!」

押しつけがましい理論。だが、エウリューケの中では論理的に筋が通っているものだ。

「……何を……」

ここにきてまだ、状況の理解が追い付いていないエリノアを無視してエウリューケは畳みかける。

「君の脳が変質しているっていうのは知ってるかいや? ま、知ってても知らなくてもどうでもいいんだけど、そいつをあたしが治す。治してやるんや……!」

「そんなもの…………」

「カラス君には出来ないって言ったけどー。あたしね、『出来ない』って言葉が嫌いなんだよ!」

足元から取り出したのは、痛んではいないが古い書物。ガサガサの紙を紐で閉じてある文献だった。

「能力が足りなくて出来ないのは仕方ない! いつか出来るようになるんだからどうでもいい! でもさ、やっちゃいけないから出来ないってのはおかしくね? おかしいよね!?」

目の前の女の感情がころころと変わる。エリノアにとって、それは僅かな恐怖だった。

「というわけで、《再生》の資料をまたエンバーの部屋から借りてきちゃった。うほほーい、どうせ気付かないんだからいいよね!」

エウリューケは手に持つ資料をパラパラとめくる。口元や手先はふざけている。だが、エリノアはその目に真剣さを見た。

「これを使えば、君の頭も肺も治せると思うんだよねー。肺はまあ、他に検体をいくらでも作れるから後回しにするとして、まず脳なんだけどー……」

「……よせ、やめろ」

ゆっくりとエウリューケは手を伸ばし、エリノアの頭に触れる。魔力波による探査。それを邪魔するエリノアの闘気は、部屋の隅で沸かされている調和水の効果で制限されていた。

「さっきも見たんだけど、君の頭もモノケルと一緒の変化しているんだよねー」

「…………!」

優し気で楽しそうな声。だがしかし、その真剣な目は実験動物を見る目だ。本能的に恐怖を感じたエリノアは、体を固めた。

「まあまあ、ちょっと時間はかかるかもしれないけれど、君が死ぬまでには治して見せるからゆっくりやろうや、ね」

そうかけられた言葉に、エリノアは嫌悪の表情を浮かべた。意味の分からない実験に付き合う気などない。

「……殺せ」

「そんなこと言うもんじゃないですぜ、せっかく助けてあげたんだからさー」

その言葉もまた、エリノアを苛立たせた。確かに助けられたのは事実かもしれない。しかし、虜囚の扱いは想像に難くない酷いものだ。生きてそんな辱めを受けるくらいなら、いっそのこと……。

エリノアの舌に鋭い痛みが走る。だが、調和水により脱力している顎の力では、舌を噛み切るには至らず、ただ口の中に鉄の味が広がった。

「…………!」

「まったく、強情なんだからー」

察したエウリューケは頬を膨らませる。今死んでしまうのはもったいない。折角、生きた状態で変質した脳が手に入ったのだ。これを癒せるまでは、死なれてしまうのは困る。

とにかく、今は気を逸らそう。そう考えたエウリューケは、部屋の隅に積まれた自らのおやつを手に取り、机に打ち付ける。白い球体に、罅が入った。

「そうだ、お腹減ってるかい? だからそんな弱気な言葉が出るんだよ。ほれほれ!」

つるんと、白く硬いその殻が剥かれて、ゆで卵の肌に照りが見える。それはエウリューケの大好物だった。

「そんなもの……」

「まあまあひとくちー!」

丸のまま、それが仰向けのエリノアの口に突っ込まれる。

固茹でのゆで卵。それは、口の中の水分をすべて奪い取る。

「…………!?」

水分が無く、飲み込むのにも苦労するそれを口の中に詰め込まれ、エリノアは死を覚悟した。