軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

僕はこの中で

このスラムは、意外と居心地が良い。

朝目が覚めて、まずそう思った。昨日の体験が尾を引いているのだろうか。

柔らかい朝日が顔に当たり、暖かくて心地よい。

視線が無いのが良い。

往来には人はまばらにいるものの、外に出てもこちらに興味を持つ人がいないのは良い。

少なくとも、服装や見た目で馬鹿にされることは無い。

僕は、この貧民街で暮らしても特に問題は無い。

そういう結論に達した。

「というわけで、仕事下さい」

笑顔で石ころ屋の店主に頼む。今日も働いて、お金を稼ぐのだ。

店主は呆れた顔で溜め息を吐いた。

「なんだ、一回冷たい目で見られただけで弱音を吐くのか」

「だって、どうにも出来ないじゃないですか」

僕はカウンターの縁にぶら下がりながら口を尖らせる。

僕の何かを変えれば差別されないのなら、外で過ごしてみても良いだろう。

買い食い自体は普通に出来たし、外は楽しかった。しかしきっと、ふとしたことでまたあんな差別をされるのだ。

実際は差別ではない。このスラムの住人が迷惑をかけている以上、まっとうな暮らしをしている人から見ればあれは必要な区別なのだろう。

でも、何かが嫌だった。

正直僕は、自分はそんなこと気にしないと思っていた。平気でそんなもの受け流せると思っていた。

しかし僕は、意外と深刻に受け止めているようだ。

だからまだ、外へは行けない。

自分の心というのは、わからないものだ。

「まあ、俺としちゃどうでも良いがな」

そう口では言うが、店主は浮かない顔をしていた。

気を取り直して、という感じで店主は顔を上げ、こちらを見る。

「やはり、今割の良いのは箴魚だな。もう患者も出始めたから、需要が高まっている。値段もまた上がり始めた」

また魚獲りか。また同じ所に獲りに行けばいいのかな。

しかし、需要があるというのならば、少し疑問がある。

「あの」

「なんだ?」

眉を上げ、店主は訝しげに手を止める。

「箴魚は、養殖とかされていないんですか?」

「されてないな」

店主はサラッと答えた。

毎年のように流行る病、それも重篤な病の予防薬を、安定して入手できるようにしていないのはどういうことだろう。

「魚の養殖みたいなのは、土地を持っている金持ちどもがやるもんだ。もしくはその金持ちどもが、土地を業者に貸す場合もあるが」

「養殖自体はされてるんですね」

「ああ。だが、その金持ちどもが養殖する対象は、もっぱら高級魚だ」

「高級魚っていっても、箴魚もだいぶ高級な気がしますが」

僕からの買い取り値が銀貨1枚なのだ。末端価格ではどれほどだろうか。

「そういう日用品的な高級さじゃなくて、……なんというか、嗜好品的な高級さだよ」

「味が良いとか、そういうことですか」

「味もそうだが、見た目や性質も重要だな。とにかく、王族や貴族向けの商売になってる」

「でも」

王族や貴族向けというのなら、病の薬だって。

「病の予防薬は、王族達も必要じゃないんですか」

店主は片目を瞑り、意外そうに「フム」と呟いた。

「ああそうか、お前は三日熱を知らなかったな。あの病は、主に平民に流行っている」

「平民限定ですか?」

「まあ、身分で限定と言うよりも、暮らす場所で限定されているというのが正しいな」

「平民の暮らす、……12番街とかでしょうか」

「そうだな。主に街の東側。スラムもそうだが、庶民の暮らす6番街や11番街,12番街、あとは職人達の工房が集まる5番街が主だ。もちろんその周辺にもちょくちょく出るがな」

「地理的な要因……? 食べ物か…? 気候はあまり変わらないし、同じ都市内で人種が違うことも考えづらいか……?」

考え込む僕をジッと見つめて、店主は続ける。

「そんなわけで、三日熱をお偉いさんはあまり重要視していない。自分たちに被害は殆ど出ないし、心配なら今のように箴魚を一匹買えば済む話だ。養殖して増やすんなら、高級魚を選ぶわな」

「その病に苦しむ庶民達は、養殖しようとは思わないんでしょうか」

「あー、それは、やったことがあったと思うぞ」

店主は天井の隅を見つめながら、思い出しつつ話し始める。

「たしか、二十年以上前の話だったが……。皆で土地と金を出し合って、養殖業者を雇って箴魚の養殖をやらせてみたことがあったと思う……」

「でしたら、何故今やられていないのでしょうか?」

僕は首を傾げる。それならば今でも続いていてもおかしくない。

「たしか……、水質が合わないのか、それとも餌が合わなかったのか、早々に魚が全滅してな……」

「はあ、失敗しちゃったんですね……」

「残念ながらな。元手もかなりかかったようだし、設備や池の整備でかなり手間もかかるらしく、それ以来誰も挑戦していない」

「やっぱり、金と人員が必要ですか」

庶民に必要だが、大がかりな設備と研究が必要で、さらにハイリスク。そういう所を、統治者がやるべきでは無いだろうか。

「まあ、俺みたいな底辺の老いぼれや、お前みたいな子供が今考えたところで、病はどうにもなるまい」

「まあ、そうなんですけどね」

悲しい現実だ。

箴魚を捕まえに清流まで出る。

あの細い鯉のような魚は群れで泳ぐらしく、何匹か固まって泳いでいた。

前と同じように、血抜きをしながら殺す。

釣りや仕掛けを利用しても、簡単にこの魚は獲れそうだった。

一般人であっても、獲ろうと思えば簡単に出来るだろう。成人であれば、歩いてきてもそう遠い距離ではない。一日で完了する狩りだ。

しかし、出来ない。

魔物がいる。ただそれだけで、戦う術を持たない者はここに来られないのだ。

袋に氷を詰めながら、頭の何処かが冷えていく気がした。

石ころ屋で、獲ってきた魚を換金する。

「五匹か。状態も上出来。いいだろう」

店主は魚の腹をツーッと撫でながら、魚を確認する。いつもながら、この瞬間は緊張するものだ。

「一匹につき、銀貨1枚と半銀貨1枚。合計で銀貨7枚と半銀貨1枚だ」

トン、とカウンターにコインが積まれる。そろそろ量も馬鹿にならない。

「両替もお願いします」

積まれた銀貨の横に、さらに僕も銀貨を積む。合計25枚。これで、金貨になる。

「はいよ」

店主はそれを数え、金庫へとしまう。そして替わりに金貨一枚を持ち出した。

「手数料、鉄貨一枚だ」

僕は鉄貨を差し出し、金貨と交換する。直径2cmほどの硬貨だったが、ズシリと重く感じた。

「金貨は目立つからな。人前で簡単に見せたりするんじゃねえぞ」

「気をつけます」

こんな子供が持っているなんて、危ないことこの上ないし。

住処で寝転がり、金貨を眺める。

キラキラして、錆び一つ無いこの金貨は、今までの自分の働きの結晶だ。

思わず笑みがこぼれた。

慌てて、口元を押さえる。いけない。これが金の魔力というものか。金に溺れる者の気持ちが少しわかった気がする。

とりあえず、いつも腰につけている袋の底に隠しておく。出来れば使いたくはない。保険としての金だ。

今日は銀貨を数枚稼いだだけだ。増えた資産は、ただそれだけだ。

しかし、金貨に替えた。保険が出来た。ただそれだけで、何故か凄く嬉しかった。

うきうきと床を転がり続けて、もう陽は沈む。

そのとき、嬉しさに水を差す侵入者が現れた。

それは、もう薄闇が覆う室内に、窓から侵入してきた。

この部屋には灯りが無い。

買えば良いのだが、魔力による感知を行えば特に問題が無いので、今まで放置してきた。

それが功を奏したのか、今まで、この侵入者が来たことは無かった。

灯りが無いし、水場も近くには無い。ここに来る道理は無い。

しかし今日、何の前触れも無くそいつは来た。

不愉快な頼りない羽音を響かせながら、餌を探して。

この部屋で、その餌となるのは僕だけだ。

僕のすぐ横まで、隠れようともせずにやってくる。

それは僕の血を啜ろうと、暗闇を探ってやってくる。

蚊だ。

いつも野外であれば、出来るだけ遠ざけ、僕の肌に触れた瞬間潰すようにしている。

しかし、今日の僕は機嫌が良い。

それぐらい、いいんじゃないかな。

僕の腕に吸い付いた蚊を、そのまま放っておく。

しばらくすると、蚊はまた外へ飛び立っていった。

蚊だって許せる。

金の魔力って怖い。