軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

42.夜の森とアディの冒険

ガシャン、と何かが割れる大きな音が響いてそちらに目を向けると、すぐに鋭い怒鳴り声が聞こえてきた。

少し離れているから声が拡散していて、何を言っているのかまでは分からない。けれどその音に含まれた、刺々しい攻撃性は空気を伝わってびりびりとこちらまで伝わってくる。

私の周囲は基本的に声を荒げるような人はいないし、前世も生まれた国は治安が良く、比較的穏やかな環境だった。

魔女を相手に怒鳴るような相手がいるわけもなく、三度も人生を過ごしていて、そんな声に慣れておらずついびくっと体を震わせてしまう。

「いやね……またパン屋の夫婦だよ」

「全く、いい加減にしてほしいよねえ。あの夫婦が村に来てから、空気が悪いったらありゃしないよ」

ぽそぽそと、そちらはもう少し近くから声が聞こえてちらりとそちらに視線を向ける。

どうやら近所の人らしく、音を聞きつけて外に出たものの、呆れたように言い合って、すぐに家に戻っていった。

まだ罵声は続いているけれど、そんなことには慣れているという様子だ。

「姫様、参りましょう」

「でも……」

テレサに手を引かれて、歩き出す。テレサは私とつないだ反対の手でフローリカとも手を繋いで、さきほどより少し早足になっていた。

「あそこ、パン屋さん?」

「ああ、不味いパン屋。しょっちゅう喧嘩してるんだ」

カスパールが不愉快そうにそう告げる。どうやらカスパールもああした声を聞くのは初めてではない様子だった。

「パン屋さんの子たち、どうしたのかなあ。最近全然みないよね」

「さあな。あんな調子だし、奉公に出したんじゃないか」

「でも、まだお兄様とおなじくらいだし」

「早いけど、庶民ならあり得ない年じゃないだろ」

カスパールは不機嫌そうにそう言うと、黙り込んでしまう。

「パン屋さん、こどもがいたの?」

「うん、双子の男の子と女の子」

カスパールと同じ年くらいの男の子と女の子というと、ここに来たばかりの頃屋敷の庭にいた二人だろうか?

王族三人が滞在していて警備も厳しかったはずなのに、ふっと現れて掻き消えるように消えた子供二人のことはずっと気になっていた。

「それって、おれんじ色の髪の子?」

「そうそう! アディちゃん、二人に会ったの?」

「あったというか、見ただけ」

「そっかあ。じゃあ、見かけないだけでちゃんと村にいるんだ。よかったあ」

フローリカは心底安堵している様子だった。

この国では、子捨てや姥捨てはかなり重い罪になる。

人道的な理由というより、人間を捨てると衛生面に問題が出やすくなるし、森に捨てると集落の近くに野生生物を引き寄せるきっかけになりかねないからだ。

子供はある程度の年頃なら奉公に出すか、どうしても育てられない小さな子供は教会や共同体が経営している孤児院に連れていくよう定められている。

それは私が魔女の頃からそうで、なんで知っているかというと、ラプンツェルを引き取ったあと、噂を聞いて時々この子を買ってほしいって子供を連れた親が訪ねてくるようになったからだ。

奉公に出したり孤児院に預けると、少額だけど預け金を要求されるらしいので、人買いに売ったりする親もいるみたいなので、その延長だったんだろう。

魔素が十分に操れれば、もっといろんな話を聞けるのに。

これほど魔素が薄い中では、周囲を探るのは難しい。つくづく私は前前世が魔女でその記憶とある程度引き継ぐことのできた能力がなければ、ただの幼児なのだ。

そんなもどかしさを持て余していると、不意に、首のうしろにザワリ……と寒気に似たものが走る。

「んっ?」

テレサと手を繋いだまま足を止め、きょろきょろと周囲を見回すと、テレサは不思議そうに見下ろしてきた。

「姫様? どうかしましたか?」

「アディちゃん、どうしたの」

「んーん、なんでもない……」

その感覚はすぐに消えて、気のせいだったのだろうかと思うくらいだった。

首を横に振って、再び何事もなかったように歩き出す。

――マルグリット?

あの出不精で夜行性の王妃がこんなところをフラフラとしているわけもないのに、何故かマルグリットが近くにいたような、そんな感覚に何度も首を傾げることになった。

※ ※ ※

「美しいですわ、妃殿下」

「本当に、夜に咲く真っ白な花みたいですう」

育児室の世話係たちに着替えの手伝いをしてもらい、白いドレスに身を包んだラプンツェルは、今日も今日とて世界一の美女だった。

「まま、きれい!」

「ふふ、ありがとう。アディも可愛いわ」

ただの室内着を着ているだけの私を優しく褒めて、ダイヤモンドがたくさんついた首飾りを選ぶ。大抵の人間は宝石に負けそうな豪華な首飾りだけれど、ラプンツェルが身に着けるとそのかんばせを引き立てる脇役になってしまうから、我が母の美しさは本物である。

「妃殿下、馬車が到着しました」

入室してきた乳母のマーゴも、今日は落ち着いた室内着ではなく綺麗なドレスに身を包んでいる。

育児室のメンバーの中で最も身分の高い貴族の夫人であるマーゴは、今日は私の乳母ではなく王妃の侍女として随伴することになっていた。

「マーゴも、きれいー」

「恐れ入ります、姫様。姫様も、今夜もとてもお可愛らしいです」

「えへへー」

今夜も母と乳母の親の欲目に照れているうちに、ラプンツェルが白い手袋を装着する。

「それでは、行ってくるわね。みんな、アディをよろしくね」

「はい、お任せください」

「行ってらっしゃいませ、妃殿下、マーゴ様」

世話係四人組が綺麗に礼をして、私はいってらっしゃい! と手を振る。

今夜はこの辺りの有力者がローベルト伯爵家に集まるので、ラプンツェルは社交に赴くことになっている。

本来ならこの屋敷に集まるのが順当な流れなのだろうけれど、マルグリットが来客を拒んでいることと、貴族の屋敷に王族を招くのは大変な栄誉ということもあり、会場は伯爵家にスムーズに決まった。

王族を招いての夜会はお酒も食事も手を抜くわけにはいかないし、一晩中高価な魔石のランプを煌々とつけることになるだろう。ローベルト伯爵家はかなり困窮している様子だから、そんな集まりをしてもいいのか、正直すごく心配だ。

かといって、貴族の懐具合を王族が気遣うなんて、貴族にとっては恥辱そのものなのは、王族三年目の私にもなんとなく、理解できる。

三歳児では気を揉んでも何もできないし、ラプンツェルがなんとかしてくれることを祈ることにする。

てててっと窓際まで走り寄って、近くにあった椅子によじ登ると、馬車が走り出したところだった。ローベルト伯爵家までは目と鼻の先なので、すぐに到着するだろう。

「姫様、窓に寄りかかっては危ないです」

「うん……」

「さ、こちらに。手遊びでもしましょ……うか」

背中に掛けられていた声が乱れて、とさ、とさっと軽い音が響く。

振り返ると、室内にいた全員が床に倒れていた。

椅子から飛び降りて一番近くにいたエレナを覗き込むと、すうすうと健康的な寝息を立てている。

それを確認して居間から抜け出し、私に割り当てられた部屋のコート掛けから毛皮のコートを外して羽織り、幸い薄く開いていたドアから廊下に抜け出す。

中央の階段に続くドアも、あろうことか表玄関も、全部薄く開いていた。頼んだのはラプンツェルが敷地を出たら屋敷の全員を眠らせることだったので、これはマルグリットのサービスだろう。

「マルグリット、ありがと!」

聞こえているかは分からないけれど、感謝の声をかけて、外に出る。

これだけ魔素が薄いのに、屋敷を包むほどの魔法を使えるのは大したものだ。

大きな魔法は使えないと言っていたけど、この程度ならなんとかなるらしい。

私はもう少し大きくならないと、さすがに難しい。

「んっ!」

でも、他人に作用する魔法は難しくても、体内の魔素を利用して自分に効果を出すのはなんとかなる。

気配を消して、魔素を瞳に集中させれば月明かりでも周囲は昼間のようによく見えた。

寝こけている門番を避けて屋敷を抜け出して、てくてくと歩く。

夜の森は静かなように思えて、案外色々な音で満ちている。

かさかさと風で葉が揺れる音。

乾いた落ち葉が擦れる音。

夜行性の鳥の鳴き声に、小さな生き物が木立ちの中で身じろぎをする音。

耳を澄ませば、木の葉の雫がぽたり、と落ちる音で、色々である。

その中を、私はずんずんと歩いていく。

夜を怖いと思わないのは、魔女だった頃の感覚があるからだろう。

ローベルト伯爵家の建物を横目に、村の方へと進む。

なんで昼間、マルグリットがいると思ったのか。考えた結果、ひとつの結論にたどり着いた。

――あの村には、多分、魔女がいる。

マルグリットとの初対面がそうだったように、魔女には魔女の気配が分かる。

今の私でも、多少は分かる。

マルグリットは王宮に戻るまで屋敷から動かないと言っていた。ならば昼間に感じ取ったあの気配は、別の魔女のものだ。

地脈を糧とする魔女が、こんな土地に長居するとは思えない。ならばその魔女は何か事情があってここに留まっているか、動けないほど弱っているか、どちらかのはずだった。

おそらく、その魔女と地脈が枯れかけていること、ローベルト伯爵領の不作も、全部繋がっている。

それを探るべく、三歳児の小さな足をせっせと動かして、私は村へと進んでいった。