軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

30.大事な場所とハッピーライフ

赤ちゃんは一度感情に火が付くと自分でも制御ができなくなる。それが分かっているから普段は出来るだけ冷静でいようと思っているけれど、時々やっぱり、上手くいかない。

こんなに泣きわめいて、再契約をしたロビンからまた苦情が来るなと思えるようになった時には、ラプンツェルの胸に抱かれてしっかりと抱きしめられていた。

「アデル? 落ち着いたかしら」

「んっ、んむ」

「よかった。急に泣き出して泣き止まないって報せがきて、驚いたのよ」

なんとなく、テレサが宥めサラサが抱き上げてパパとラプンツェルのところに連れて行こうとしたのは覚えているけれど、白樫と離れるのが嫌で暴れて拒絶した、ような気がする。

赤ちゃんは案外力があるし、体力もあるものだ。おまけに自分で自分の力を制御できないから全力で暴れるし、その割に体はまだまだ頑丈とは程遠いので簡単に痛めてしまう。

結局メイド二人のうち片方が傍についていて、片方がパパとラプンツェルに報せに走ってくれたらしい。

ぱんぱんに腫れた目で周りを見ると、テレサとサラサが肩を落とし、しょんぼりとした様子で傍に控えていた。アーデルハイドちゃんが突然火が付いたように泣き出して、対処のしようがなかったことで叱責を受けて欲しくない。

「んぁ、めっ」

二人に向かって手を伸ばすと、テレサとサラサはお互いを見あって、戸惑うような様子を見せた。でもパパがこちらに、と言ってくれたのでようやく二人はおずおずと近づいてくれた。

ごめんね。二人は何にも悪くない。傍にいてくれてありがとう。パパとラプンツェルを呼んできてくれてありがとう。

「姫様、落ち着かれて良かったですぅ」

「本当に、ご心配申し上げました」

二人とも安心したように延ばした手を交互に握ってくれて、へにゃっと笑う。二人は育児室の大事なメイドだから、つつがなく一緒にいてほしい。

「アデル、どうして泣いてしまったのかしら。なにか怖いものがあったの?」

「んーん」

ラプンツェルも無理にこの庭から連れ出そうとはせずにいてくれたようで、まだ白樫の木は目に見える位置にあった。

よくよく見れば、白樫は細くはあっても地脈の上に植えられている。おそらく植えた場所が偶然、マルグリットが利用している王宮の地脈の支流の上だったのだろう。

そして、間違いなく、白樫は私に応えてくれた。それはとても淡く、自我と呼ぶには儚いものではあったけれど、それでも確かに包み込むような愛情を感じることができた。

「んっ、んっ」

「あそこに行きたいの?」

「うん」

ラプンツェルは抱っこしたままゆっくりと歩き、白樫の傍まで連れて行ってくれる。そっと触れると、僅かだけれど地脈の力を蓄えているのが伝わってきた。

「優しく触ってあげてね。これは、私の思い出の木だから」

「んー?」

「昔育った家に生えていた木の枝を、殿下が接ぎ木してくれたのよ。とても弱っていたけれど、なんとか根を張ってくれて、ようやくこれくらいまで育ってくれたの」

ラプンツェルは優しい手でそっと頭を撫でてくれる。

「あの家もそうなの。ママが子供の頃に、ママのママと一緒に暮らしていた家なのよ。私の大切な場所だから、アデルも大切にしてくれると嬉しいわ」

「……んっ!」

駄目だ、気を抜くとまた、泣いてしまいそうだ。

ラプンツェルは私のことなんて、大嫌いになったと思っていた。

人間の視点になれば、とてもひどいことをしたのだと自覚してしまったから。ラプンツェルを荒野に放り出し、パパはラプンツェルが死んだと思って絶望して塔から身投げをして、残った魔女はもう何もかもどうでもよくなって、塔と心を閉ざして白樫の木とともに枯れ落ちて。

ラプンツェルはそこからきっとたくさん苦労して、今だってなんだか肩身が狭そうで、そんな日々の中で私のことなんて憎くて大嫌いな継母になってしまったんだろうって。

今でも、あの家をこんな風に残してくれているなんて、本当に、ほんの少しも思っていなかった。

白樫だって、もう二度と、会うことなんてできないと思っていたのに。

気持ちをぐっと抑えて傍にいるラプンツェルに気づかれないよう、歯で口の中に傷をつけて、指をしゃぶるふりをして手に付ける。

これも随分、慣れてきた。あんまりスマートなやり方ではないと自分でも思っているんだけど、赤ちゃんは制約が多いから仕方がないのだ。

指に付いた血を白樫に擦り付ける。この体はパパとラプンツェルによってこの世界に産み落とされたものだから、もしかしたらもう白樫と繋がることは出来ないかもしれないと思ったけれど、それは杞憂に終わることになった。

血を媒介にして白樫に触れた途端、細いながらも地脈から流れて来る力が体の中に入り込んできた。それはかつて、魔女だった時代には当たり前のものだった。

魔女は地脈と繋がることで膨大な魔力を有し、長大な寿命と飲食を必要としない肉体を維持することが出来る。生まれたときからそうだったので、魔女だった時はそれが特別なこととはこれっぽっちも思っていなかった。

「だ、だぁ……」

「アデル?」

細い地脈と若木の白樫という、魔女ならば到底腹いっぱいにはならない程度のエネルギーでも、人間の赤ん坊であるアーデルハイドちゃんの体にはちょっと量が多すぎた。

お腹いっぱい食べ過ぎたら眠くなるのと同じように、一気に体が重くなって、瞼が落ちる。

「――眠ってしまったわ」

「今日はもう帰ろうか。病み上がりだし、疲れてしまったんだろう」

パパとラプンツェルの声がふわふわと遠く、響いていた。

* * *

それからどうしたのかというと、特に暮らしが大きく変わることはなかった。

セルジュとクリスは年明け前には国に戻るらしいけれど、まだしばらくはこっちにいるらしい。日中たまに訪ねてきて、アーデルハイドちゃんと遊んでくれる。

マルグリットも夜中にたまに育児室を訪ねてきて、ロビン越しにお喋りをして、甘いお菓子を幸せそうに食べている。

パパとラプンツェルが訪問してくれる頻度が少し上がって、別々に来るときも二人で寄り添っている時もある。

「んでね、あの白樫、そのままにしてほしいの。マルグリットの地脈には影響が出ないようにするから」

「いいわよぉ別に。なんならもうちょっと太い地脈のところに移植する? そうすれば少しはその痣も早く消えるんじゃないかしら」

扱える魔素の量が飛躍的に増えたため、ロビンは黒い小鳥からやや中型くらいの大きさに変わっていた。喋るのも上手くなって、かなり正確に会話が出来るようになったのはありがたい変化だ。

小さくてころころと丸い姿も可愛かったけれど、今は大分精悍な様子で、ちょっと小型の鷹のようにも見える。ついでに心なしか、小鳥だった頃よりさらに態度が大きくなった気もする。

「今のままでいいよ。そんなに力があっても、扱いきれないし」

「そうねえ、もうちょっと大きくなってからのほうがいいかもね。人間ってどれくらいで大人の形になるのかしら。百年はかからないわよね?」

そんなにかかったら寿命の方が先に来ちゃうよ。まあ、今のアーデルハイドちゃんにまっとうな寿命があるのかは分からないけれど。

魔女を産み落とした白樫と再びつながったことで、扱える魔素と魔力の量は格段に増えた。魔女だった頃と比べたら微々たるものだけれど、そもそも魔女なんて人間に似た形をした災厄のようなものなのだから、人間として生まれた身では、今の状態だって大分人外じみている。ちゃんとした寿命があるかどうかどころか、人間のスピードで成長できるかもちょっと怪しい。

アーデルハイドちゃんは正真正銘人間なのに、こんな小さな体で最初からある程度魔素を感じ取ることが出来ていた理由も、ようやく分かった。

魔女の木と庭園が揃えば、それは魔女の庭だ。あそこは私が育てた庭ではないので厳密にはそうではないかもしれないけれど、最低限の要件は満たしている。

アーデルハイドちゃんが生まれて育った離宮の傍には、魔女の庭があり、そしてそこに魔女の魂が生れ落ちた。最初から魔法使いたる強い力を持つべくして持っていたのだろう。

これって、偶然なのだろうか。

ラプンツェルを母に持ったことも、その傍に白樫が残っていたことも。

白樫が、ラプンツェルのもとに呼び寄せてくれたのかもしれないと思う。それを確認するのは難しいけれど、そうだといいな。

「マルグリット、ありがとね」

「なあに急に、どうしたの。魔力を吸い取ったことなら、ちゃんと対価を貰うわよ」

「そこにいてくれてありがとう、って思っただけ」

魔女のマルグリットには、そうした細かい人間の機微はきっと分からない。

でも赤い唇を細い月のように描いて笑っている様子は、妖しいけれど機嫌がいいだけだと段々分かるようになってきた。

「ま、あなたがそう言うなら、その言葉は受け取っておくわ」

「うん」

アーデルハイドちゃんの赤ちゃん生活は変わらない。

でもパパとラプンツェルが元気で、仲が良くて、育児室のみんなは優しくて、おまけに風変わりな友達が三人もいる今の暮らしは、とってもハッピーなものだった。