軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

無気力な兄と不器用な妹と

「大きくなったら、お兄ちゃんと結婚するっ!」

幼い私の戯言を聞いて、年の離れた兄は困ったように微笑み頭を撫でてくれる。

兄は優しく正義感にあふれ、ちょっぴりプライドが高いけど私のことを心底大切にしてくれていた。それがわかっていたから、安心できる側にいつもいて兄を困らせることもあった。

この幸せはずっと続くものだと信じていた。あの日までは――

「お兄ちゃん!? そ、そんなっ……いやあああああっ!」

足下で兄が血を流して倒れた。

兄はナイフで刺された腹を押さえ、怯えた目で相手を見つめている。

視線の先にいるのは私の同級生でもあり、ストーカー行為をしていた犯人。そいつが兄を刺した。

次は自分の番かもしれないという恐怖よりも絶望と後悔が津波のように押し寄せ、私の心を支配する。

私のせいだ。

私が兄に相談なんかしたから、こんなことになったんだ!

私が、私が黙って耐えていれば兄が傷つくことはなかった。

私が、全部私が悪いんだ!

あれから、兄が凄く落ち込んでいる。私にすすんで話し掛けることもなくなった。それどころか、目を合わすことすらなくなっている。

私のせいで死にそうな目に遭ったんだから当然だよね。

大事な時期に入院していたせいで、周りと比べて就活がかなり遅れているらしい。幼馴染みの精華さんが前にぽつりとこぼしていた。

……私のせいだ。

……あの怪我のせいで。

ダメ。私まで落ち込んでも何にもならない。もっと、しっかりしないと!

これ以上、兄に迷惑を掛けないように私も自立しよう。

兄に甘え頼りきっていた自分とは今日でお別れ。一人でなんでもできる、妹になろう。そのためにも今は受験に向けて集中する!

そして、合格した暁には胸を張って「私、一人でも大丈夫だよ」と兄に言えるようになるんだ。

それまでは我慢しよう。兄の邪魔にならないように全力で勉強に集中しないと。……少し寂しいけど、受験が終わったらきっとまた元の関係に戻れるよね。

兄が就活に失敗した。

精華さんは私でも知っている企業に就職を決め、兄はすべて…………落ちた。

落ち込む兄はこれまで以上に話さなくなり、部屋からも出なくなっている。

そんな姿を見ていられなくて、何度慰めようと思ったか。

でも、こんな私が何を言えばいいの。

ストーカーの一件で兄は就活に失敗したようなもの。いっそのこと、兄も「私のせいだ」と罵倒してくれたら楽なのに、恨み言の一つも口にしない。

一度、私がそのことに触れたら、

「それは関係ないよ。自分の実力が足りてないだけだ。まだ数社残っているから大丈夫だって」

と力なく笑い、私の頭に手を添えた。

その顔を見て私はまた……何も言えなくなった。

兄が引きこもって数年が経過した。

私は志望校に受かり、高校生活が始まっている。

兄の顔を見るのは夕飯時だけだったけど、最近は食卓にすら顔を出さなくなってきて接点がなくなっていた。

同じ家の隣の部屋にいるというのに、こんなにも近くにいるのに、兄の存在が遠く感じてしまう。

父さんが叱咤激励をしてもダメだった。

母さんが毎日小言を口にしても通じなかった。

精華さんが寄り添い、励まし、なだめても効果はなかった。

どうしたら、兄を立ち直らせることができるのだろう。

私にできることなら何だってやる。

自分なりに色々調べてみたけど、これといって打開策が浮かばない。

父さん、母さん、精華さんに無理だったのに、私が同じようなことをしても効果はないと思う。

だとしたら残された手段は……これしか思い浮かばない。

兄のプライドを刺激して奮起させる。

――憎まれ役を買って出よう。

私は嫌われることになるだろうけど、それで兄が昔の大好きだった頃に戻ってくれるなら、かまわない!

兄の姿を視界に捉えると悪態をつき、うんざりした顔を作る。

思ってもいないことを口にするたびに、胸の奥がズキリと痛む。

嫌われるのを覚悟していたのに、未だに慣れない。たぶん、ずっと慣れないと思う。

兄も当初は私の変化に驚き、憤慨して怒鳴ることもあった。その勢いで履歴書を買いに行ったこともある。

でも、効果があったのは初めだけだった。今では目も合わさずに、ぼそっと呟いて部屋に戻る。それの繰り返し。

兄の後ろ姿を見て、私は足早に自分の部屋へと戻り、へたり込む。

ベッドの枕に顔を埋めて、泣きそうになるのを我慢する。

今更だけど私は選択を間違えた……と思う。

だけど、何が正しかったのかはわからない。

そして、今もどうすればいいのかわからない。

誰か答えを教えて欲しい。兄を救う方法を誰か、誰かっ!

あの虚ろな瞳に生気の感じられない言動。これ以上、兄を見ていられない。

今では兄に対する態度も演技なのか素なのかわからなくなってきた。

あんなに好きだった兄を見下している演技が、自分の本心ではないのかと疑ってしまう。それが、どうしようもなく……怖い。

やめよう。無駄なことはもうやめよう。

兄が変わらないなら、もう嫌われ役はやめてもいいよね。

そうだ。昔のように甘えたら兄としてやる気を出してくれるかもしれない。進展がなかったとしても、今の関係が改善されるなら私は嬉しいし。

立ち上がり、部屋のドアノブに手を掛けたところで動きが止まってしまった。

「ここまでやって、許してくれるわけないよね」

散々、嫌われるような態度で接してきたのに、そう簡単に仲が改善される訳がない。

兄はきっと私を憎悪しているはずだ。

そして、そうなるように仕向けたのは……私。

自分が原因で兄が就活に失敗して、更に引きこもった。

なんとかしようとして迷走した結果、私は嫌われ今に至る。

自業自得とはこのことだ。あまりにバカすぎる結末に苦笑いすら浮かべられない。

このあやまちにもっと早く気づいていたら、若い頃なら素直に謝ることもできた。でも、もう、私は歪んだまま大人になってしまった。

引き返す勇気すら出ない、卑怯者だ。

わからない。どうしていいのか、私にはもう……わからない。

兄に変化があった。

それを感じたのは、帰宅時に食卓で兄と鉢合わせした時のこと。

「帰ってきたのか」

「何よ、悪い」

思わずいつもの悪態をついてしまう。口癖のようになっていて、咄嗟に返せるようになってしまった自分が嫌いだ。

「いや、おつかれさま。お帰り」

「えっ、あっ……ただいま」

兄の口から出たいたわりの言葉に思考が止まりかける。

数日前から兄の様子が少し変わったような気はしていた。

とはいえ、私の仕事が忙しくてほとんど顔も合わせないで会話もしていないから確信はなかった。

それから夕飯時に兄が仕事を探していることを知った。

急激な変化に耳を疑ったけど、冗談や嘘といった感じじゃなかった。照れて誤魔化そうとしていたけど、その顔には今までにない真剣さが垣間見えた……気がする。

私の希望が見せた都合のいい幻かもしれないけど。

前向きになった兄の変化が嬉しすぎて顔に出ないか心配だった。だけど、兄は慌ててご飯を平らげると直ぐに部屋へと戻っていったので、気づきもしなかった。

後で母から兄の心境の変化について情報収集すると、最近、とある村おこしを手伝っていて、そのお礼に肉や農産物をもらっているそうだ。

ネットを通じた村人との交流が切っ掛けで、兄はやる気を取り戻し活動的になった。

思いも寄らなかった展開だけど、そんなのはどうでもいい。兄が前に進もうとしてくれるなら、全力で応援するだけ。

このまま、改善して欲しい。心からそう願わずにはいられない。

……でも、私ではない誰かしらない村人のおかげで立ち直ったことは、ほんのちょっとだけ妬ましい。

まさか、女の人とかじゃないよね?

もしそうだったとしたら、精華さんにチクっちゃうよ。

兄がバイトを始めた。

「あんた、夜中に何してんの」

「あっ、お母さん。ちょっ、ちょっと小腹が空いたから夜食作ってるだけよ」

「へえー、料理もろくにできないあんたが夜食をね」

悪戦苦闘しながら玉子焼きを焼いている私の背後に忍び寄り、ニヤニヤと笑う母さん。

その目から何を言いたいのか伝わってきたけど、あえて無視をする。

「そっかー。ふーん。あ、そうそう。おにぎりは塩を少し利かせた方がいいわよ。汗掻いたら塩分が欲しくなるからね」

「そ、そうなんだ。ま、まあ、私が食べるんだけどね」

「そっか。……料理の腕は真心でカバーよ、頑張りなさい。あと、お風呂も新しく入れておいてあげたら、あの子は喜ぶかもね?」

母が手を振りながら二階へと消えていった。

すべて見抜かれていたのが悔しいけど、アドバイスには従うことにする。

過去は取り戻せないし、これぐらいで自分の行いがちゃらになる、なんて思ってもいない。

だけど、応援ぐらいさせてね……お兄ちゃん。