軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

意識していない幼馴染みと意識している俺

シャワーを浴びて洗面台の前に立つ。

何年も筋トレだけはやってきたので筋肉はあったけど、清掃業を始めてから全体的にまんべんなく筋肉が付いてきたような。

清掃業って思いも寄らない筋肉を使うらしく、太ももや背中辺りが目立ってきている。

「一応、あれだ、マナーとして歯磨きしておくか」

念入りに口内を磨き、ついでに舌も磨いておく。

髪の毛を整えて……そこで手が止まった。

「前までは身だしなみなんて気にしたこともなかったのにな」

無精髭だらけだった顔は今、スッキリしている。

バイトがなくても二日に一回は剃るように心掛けているからだ。

人に会いたくない、そう思っていた十年。今は積極的に自ら会いに行こうとしている。

「普通のことなんだけど……ちょっとは成長しているよな」

引きこもり時代は精華が毎日電話やメールをくれて、それがうっとうしく感じた俺は携帯電話を捨てた。

それから連絡を取る手段がなくなった精華は何度か家にも訪ねてくれたが、俺が会おうともせずに時が過ぎ……。

「あれだけのことをやらかして、何浮ついてんだ」

手にしていた整髪料の缶を棚に戻して、軽く手で撫でつけるだけにしておく。

あの《命運の村》に滞在中、精華と電話をしてお互いの気持ちを確認した。

当時はうれしさだけが先走っていたが、冷静に考えると、今の俺に彼女を幸せにする力も権利もない現実に……気づいてしまった。

週に二回か三回のバイト。一緒に暮らして家計を支えるにはほど遠い収入。

ニートからバイト出来るようになった、とはいえ今は自分の生活を維持するので精一杯。いや、親と一緒に住んで家賃も光熱費も払っていない状況だ。自分一人の生活すら支えられていない。

少しは家にお金を入れているが、安めのアパートの家賃にすら届かない額だ。

たぶん、精華は俺の収入なんて気にもしないだろう。むしろ、彼女の収入があれば二人でも余裕で暮らせるはずだ。俺でも知っているぐらいの有名企業だから。

一度ネットで調べた時に、初任給の高さに圧倒された過去がある。

「でも、ここは譲ったらダメだ。同じぐらいの収入……は無理だとしても、二人暮らしの生活を維持できるぐらいの給料は欲しいよな、やっぱ」

方法としてはバイトではなく正社員になる道がある。

以前社長と話していた時に、

「良夫、もし社員になりたいなら歓迎するぞ。忙しい時期を除けば週休二日は保証できるが」

と切り出されたことがある。

「各種保険も完備しているから、正社員になった方が安定はするぞ。ただ、お前さんが他に何かやりたいことがあるなら、バイトでもいいんじゃねえか。うちにはな、今までバンドマンを目指した連中や小説家、漫画家をやりながらってのもいたからな」

取りあえず、このままバイトが出来ればいい程度にしか思っていなかった俺は、社長の提案にうまく言葉を返せなかった。

「焦る必要はねえが、将来どうしたいかぐらいは決めた方がいいかもしんねえぞ。もちろん、何も思いつかないからバイト続けたいってのもありだ。誰もが夢や目的があるわけじゃねえ。日々生きていけるだけの金さえあればいい、って考えるのも個人の自由だからな」

と笑いながら言ってくれたのに俺は曖昧に頷くだけで……。

「将来何がしたいか……」

何もしていなかった十年から脱却してバイトをするようになった。

それだけで満足していた自分がいる。あの頃に比べたら頑張っている、生きた心地を実感している。

でも、それじゃダメなんだ。ここで満足したらダメなんだ。

精華と付き合うにしてもデート代すら危うい。バイトで稼いだ金の半分ぐらいは《命運の村》の課金用に貯金している。

金や現状を顧みるたびに、あの村からこっちに戻ってきたことを後悔しそうになるが、自分で選んだ道だ。今更、情けないことを言いたくはない。

「なりたかった職業か。それこそ今更だよな」

十年前、本気で目指していたものがあった。

でも挫折をして努力もやめて、この状態でその業種に受かるのはまず不可能だ。

清掃業は嫌いじゃない。むしろ、自分に合っているとさえ思っている。

だったら社長に頭を下げて正社員にしてもらえばいい。だけど……。

またうじうじ考えそうになったので、水で顔を洗って小洒落た服……ではなく、いつもの外出着に袖を通すと精華の家に向かった。

精華の家の前に立ち、敷地をぐるっと囲む塀を見て感心する。

昔から変わらない佇まいなのだが、いつ見ても立派だよな。白い漆喰の壁の上部には黒い瓦屋根が乗っている。

まるで時代劇に出てくる屋敷のようだ。

「村も最終的にはこんな塀か石壁にしたいよな」

今はまだ丸太の塀だが強度を考えるなら、もう少し立派な物に作り替えたい。

最近は建造物を見る度に、村に取り入れられないかどうかをまず考えてしまう。

漆喰の塀には木製の門があるのだけど、かなり古風で内側に巨大なかんぬきがありそうな造りだが、実は鍵穴があって見た目に反してスムーズに開く。

昔は重くて固かったけど、前にリフォームしたんだよな。

鍵が掛かってなかったので開いて中へと入る。

庭や玄関前には白い砂利が引いてあって、和風の演出はバッチリだ。

扉脇のドアフォンを押すと、直ぐさま精華の声がした。

「いらっしゃい。中に入って」

「お邪魔します」

引き戸を開けて中に入ると土間があり、左手にはかまどが設置された台所がある。

外観を裏切らない古き良き古民家らしさがあるが、実は昔はこうじゃなかった。ごく一般的な台所があったのだが、リフォームでわざわざこうした。

右手には大きな靴箱があって何十足もの靴を収納できる。だけど精華とお菊お婆ちゃんしか住んでいないので、五分の四以上が空っぽのままだ。

正面に巨大な大黒柱、奥に囲炉裏があってそれを囲むように座布団が配置されている。

これだけ見ると何十、もしかしたら何百年も変わらない趣を感じるかもしれないが、これも全部リフォーム後だ。以前は普通のリビングだった。

実はこの古民家風の内装は精華の両親の趣味と実益を兼ねていた。前々から古民家風カフェをやりたかったようで、ただ古いだけの自宅を思い切って大改造したのだ。

その結果、趣のある古民家風になったのだが、残念なことに完成直後、両親は交通事故で帰らぬ人となった。

俺はこの内装よりも昔の状態に慣れていたので、未だに違和感がある。

「よっしい、囲炉裏の方でくつろいでいてね」

団体客を迎え入れる個室予定だった部屋から、ひょこっと顔を出す精華。

今は精華の自室になっている。ちなみに隣の部屋はお菊お婆ちゃんのだ。

「あいよ」

囲炉裏の前に腰を下ろす。

確かに風情はある。囲炉裏の向こうは障子が一面にあって、それを開けると大きなガラス窓が連なっている。

その先には鯉の泳いでいる池があって、この景観も精華の両親のこだわりだったそうだ。

確かに悪くないな。ぼーっと眺めているだけでも贅沢をしているような気分になる。

「ほんと、無駄に立派だよね。トイレも無駄にオシャレだよ」

苦笑しながら俺の正面に腰を下ろした精華。

俺と違って精華は家でもちゃんとした服を着ているな。ノースリーブの黒い服の上から薄手のカーディガンを羽織っている。

下は短パンか。ファッションには疎いけど、似合っていることぐらいは理解できる。何か気の利いたことを言おうとしたが、何も思い浮かばなかった。

少しはコミュニケーション能力を磨かないとな。

「お婆ちゃんと二人だけだと広すぎるんだよね、この家。もう一人か、二人ぐらい増えても全然平気なんだけどなー」

意味深っぽい言い回しをして俺をじっと見つめる。

こいつ、からかってやがるな。口元が笑ってるぞ。

「家を追い出されたら部屋貸してくれ」

「もう。そうやって誤魔化すんだから」

たわいのないやり取りが心地良い。

このままずっと雑談でもしていたいが、そろそろ切り出すか。

「それで相談したいことってなんなんだ?」

「ええとね、実は……転職しようか悩んでいるの」

何の相談なのかと身構えていたが、そうきたか。

この無職歴が長く正社員経験のない俺にそんな相談をするとは。かなり悩んでいるってことだよな。

「う、うーん。働いていなかった俺にアドバイスできるとは思えないんだけど」

「半分以上は愚痴を聞いてもらいたいだけかも?」

「そうか、なら話してくれ。人に話している内に考えがまとまることだってあるかもしれないしな。聞くぐらいならいくらでも聞くぞ」

その程度で心の負担が少しでも軽くなるなら、喜んで聞かせてもらうよ。

「ありがとうね。今の会社に不満はまったくないんだけど、昔からやってみたいことがあって、その勉強も兼ねて転職しようかなって悩んでいるの」

「大企業で業績も安定していて、収入も悪くないんだよな。普通はもったいない、と思うところだけど」

「そうだよね。私もそこで迷っているの」

夢を追う精華を後押ししてやりたい気持ちはある。

俺にそれなりの額で安定した収入があれば「金は心配するな。俺が支えてやるよ」とでも言えたのに、現状で金銭面のサポートは不可能だ。

「貯金があるから数年は収入がなくても全然平気だけど」

「おう」

いらぬ心配だったようだ。しっかり者めっ。

「やってみたいことを聞いてもいいか?」

話の流れで訊いてみたら、急に視線を逸らして手をもじもじしている。

えっ、そんなに言いにくいことなのか?

「あのーね。そのー、お父さんたちの夢を叶えてあげたくて」

「それってつまり、この家で古民家カフェしたいってこと?」

「う、うん」

そういや、両親からカフェやりたいって相談されて一番喜んでいたのは精華だったな。

俺にも散々自慢していた。「私もウェイトレスとして働く予定なんだ」って。

この家の間取りは今すぐにでもカフェとしてやれる造りになっている。食材と備品を揃えたら一ヶ月以内に始めることも可能だろう。

「しばらくはどこかのカフェで働きながら、調理師免許が取れる学校に通おうかなって。仕入れ先は今のつてが使えるから、なんとかなると思うの」

「……そうか」

なんて返せばいいんだ。

俺に相談しなくても、準備は万端じゃないか。

精華は料理上手で、人付き合いも気づかいもそつなくこなせる。おまけに美人だから、オープンしたら話題になってもおかしくない。

和服を着てお盆を持って接客する精華を想像してみると……ありだな。

「お婆ちゃんも料理上手だし、手伝ってくれるって言ってくれてるの」

「それなら、やってみるのもありじゃないか。いい加減なことを言うと怒られそうだけど、繁盛しそうな気がする」

「本当に?」

「ああ、できたら通わせてもらうよ」

問題点としては立地だが少し離れた場所には国道もあって、車で来るなら交通の便は悪くない。近くにバス停もあるから駅から来るのも可能だろう。

最近は評判が良ければネットで話題になるから、その点もなんとかなる気がする。

「あのね、あともう一つ相談があるんだけど」

「おう、ドンとこい」

「早くて一年、遅くて二年後ぐらいにはカフェオープンしたいんだけど、ええとね、もし迷惑じゃなかったら、よっしいここで正社員として働かない?」

「……ん?」

不意打ちに間抜けな声が漏れる。

えっと、つまり数年後にオープンしたら店員として就職しないかと。

「人手が足りないと思うし、それに一緒にカフェできたら、きっと毎日が幸せだと思うの」

潤んだ瞳で懇願されたら……体が勝手に頭を縦に振ろうとする。

ぐっと堪えて「考えさせてもらっていいか?」と声を振り絞って伝えると、恥ずかしそうに笑って「うん、答えは急いでないからね」と答えてくれた。

そのまま帰ろうとしたが、どうしても聞いておきたいことがあったので悩んだ挙げ句……口にする。

「精華。正直に答えて欲しいんだが、俺に同情して雇うために会社を辞めてカフェを始めるなんてことはないよな?」

うれしい申し出ではあったけど、真っ先に頭に浮かんだのがその疑問だった。

精華は優しく、俺のことを心配してくれていた。そして、奇特なことに今も俺に惚れていてくれているらしい。

だからこそ、この可能性を捨てきれなかった。

じっと見つめる精華の顔は……困ったように笑っている。

「んとね。正直に言うと、ちょっとは考えたよ? でもそれはよっしいに安定した仕事を提供したいとかじゃなくて、今の状態なら一緒にカフェしてくれるかも! っていう作戦だね。こう見えて私って結構計算高いんだから」

そこで胸を張って冗談めかして言っているが、たぶん本音だろう。

昔から恥ずかしさを誤魔化したりする時に、あえてあんな態度を取るところがあったから。

「あとね、会社を辞めるのに丁度よかったの。今なら迷惑を掛けずに辞められるから」

トーンダウンしてお茶をすする精華。

その顔はどこか寂しそうだ。

「会社で何かあったのか?」

「……よっしいに心配させたくなかったから言わなかったんだけど、実はしつこい勧誘というかヘッドハンティングがあってね。会社に迷惑が掛かりそうなの。だから、前々から夢だったカフェ業に踏み切るのはいいタイミングかなって」

精華の告白を聞いて、俺の動悸が激しくなる。

最近似たような話を聞いたばかりだ。

嫌な予感がするが、あり得ないよな。でも、一応、念のために訊いておくか。

「どういうヤツに、どんな会社から誘われてんだ?」

「えっとね、最近台頭してきた若社長さん? なんか高そうなスーツ着ていてキザっぽかったよ。好条件で優遇するとか熱心に何度も口説いてくれたんだけど、ちょっと苦手なタイプかな。それで、その会社の名前はね、ユートピーって言うらしいよ」

……まさか、ここで妹の話と繋がるだと?

偶然にしては出来過ぎている。いや、でも、それぐらいユートピーの会社が手広くやっているという可能性だって残されていないか。

最近はあまりにあり得ないことばかりが身の回りで起こったので、なんでも偶然では無く裏で誰かが糸を引いているのではないか? と疑ってしまう自分がいる。

これを偶然で片付けていいのか?

……就職先の選択肢が増えたことよりも、頭を悩ませてくれる事案が発生したようだ。