軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

邪神の誘惑と息絶え絶えな俺

「ああっ、くそっ! はあはあはあはあはあ、はあはあっ」

夜道を全力疾走している。

こんなに本気で走ったのは何年ぶりだ。

携帯がないからと父に渡された腕時計で時間を確認する。時計の短針は1の文字をとっくに過ぎていた。

一時半か……。もう《邪神の誘惑》は始まっている。日を跨いだ瞬間にモンスターが暴れだすのかどうかすら定かではないが油断はできない。

もし、既にモンスターが大暴れしていて村人たちが全滅していたら、と考えると足が自然と走り出していた。

今日の仕事が予定通りに終わっていたら何も問題はなかった。だけど、現場の主任らしき男性のチェックが細かく、依頼には含まれていなかった場所の清掃も要求してきた。

社長は一度断ったのだが相手がしつこく、これ以上揉めると俺の帰りが遅くなるのを心配して渋々追加清掃を引き受けたのだ。

「良夫君は帰っていいから、用事あるんだろ?」

と言ってくれたが三人でやれば一時間程度で終わりそうだったので、さっさと終わらせて帰る途中の一本道で事故があり通行止め。

他に回り込める道はあるにはあるがあまりに遠く、俺はそこで降りて自力で帰宅している最中だ。

息も絶え絶えでドアノブを握って玄関に転がり込む。

「今の音何⁉ えっ、あんたどうしたの⁉」

慌てて駆け込んできた寝間着姿の母が、玄関で倒れ込んでいる息の荒い俺を見て本気で驚いている。

「はあ、はあ、はあ、だ、大丈夫。ちょっと急いで帰ってきた、だけ、だ、から」

「汗だくじゃないの。早くお風呂入りなさい」

「ごめん、外せない用事があるんだ。後で入るから」

深夜に起こしてしまった母には申し訳ないが、今はそれどころじゃない。

作業服のまま二階に上がると、飛び込むようにしてPC前の椅子に座り込む。

画面には……洞窟内の村人と外で一人武器を抱えて座り込んでいるガムズがいる。

「モンスターに荒らされた形跡は……ないな。ガムズ以外はベッドに寝転んではいるけど、目は開いてる」

きっとガムズは寝ていいと伝えたんだろうな。それでも心配でキャロル以外は眠れないのか。

これなら風呂に入る時間ぐらいは……でも、風呂に入っている間に敵の襲撃があったら悔やんでも悔やみきれない。

汗と汚れを落としたいけど、一日ぐらい我慢だ。村人たちだって体を拭くぐらいで風呂になんて入ってないのだから。

「夜中にドタドタうるさいなー」

急に聞こえてきた声にはっとして振り返ると、開けっ放しの扉の横に妹の沙雪がいた。

しまった、慌てすぎて扉を閉めるのを忘れていたのか。

妹から画面が見えないように椅子の位置を調整してから向き直る。

「起きたのか、ごめん。ちょっと急いでやりたいことがあってな。もう騒がないから、寝てくれ」

「ならいいんだけど」

納得してない顔をしていたが、そのまま部屋を出ようと一歩踏み出して……止まった。

どうした、まだ何かあるのか。俺はこれからずっと村を見守らないといけないのに。

「あのさ、汗臭いよ。そのままじゃ、臭いし風邪ひくんじゃないの。風呂入ったら?」

「あ、ああ。後で入るから」

「嘘でしょ。昔から嘘吐くとき目が左を見る癖あるよね」

ぐっ。昔から何故か妹に嘘がバレることが多かったが、そんなところを見抜かれていたのか。これからは気を付けよう。

「最近、ずっとPCつけっぱなしでそのゲームしてるよね。なに、ゲームのイベントでもあんの?」

そこまで知ってるのか。でもなんで妹が知っているんだ? 勝手に俺の部屋にでも入って調べたのか?

「なんで、知ってんだ?」

「イベントのこと? それともゲームのことなら母さんが言ってたよ。PCの電源だけは消すなって言われてるってさ」

母さんは無断で部屋に入りそうだったから、事前に釘を刺しておいた。それが妹にも伝わったのか。

どうする。このゲームをネットでバラしたらプレイする権利が失われるとか注意があったよな。詳しい内容を妹に知られて、ネットに情報を流されたら他言無用という規約に反してしまう。

適当に誤魔化すか。

「まあ、そんなところだよ。ただ、このゲーム開発中のゲームで俺はテストプレイヤーなんだよ。一応これで収入もらっているからな。でも開発中だから情報を流すとクビどころか賠償金が発生するんだ。だから誰にも言わないでくれよ」

さっき妹に言われた目の動きに注意して、妹を真っすぐ見つめながら嘘を並べる。

じっと俺の目を見つめていた妹だったが、不意に目を逸らして何かブツブツ言っている。

「ずるいな……」

「ん? なんか言ったか」

「何も言ってない。ゲームが気になるなら見ておいてあげるから、さっさと風呂入ってきなよ」

なんで、沙雪は怒ってんだ。

このまま無駄に言い合いしている時間がもったいない。ささっと済ませて戻れば大丈夫か。

「わかった。すぐに風呂から上がるから、それまでゲーム見ておいてくれ。突発イベントがあるらしいんだが、時間が知らされてないから目が離せないんだ。キャラがモンスターに襲われたら直ぐに教えてくれ、いいな?」

「はいはい、ほんとゲーム好きだよね。早く行ってきなよ」

俺に対して態度も口も悪いが、妹は律義な性格をしていて約束を破ったことがない。

妹を信用して下着と寝間着代わりのトレーナーを持って階段を下りると、さっと入浴を済ませた。

母親が用意してくれていたラップが掛かった夜食と、ペットボトルのお茶を持って二階へと戻る。

妹は俺の席に座ってぼーっと画面を眺めていた。

「ちゃんと体洗った? 早すぎない?」

「汗は流したから大丈夫だ。ゲームは何もなかったか」

「なーんにも。キャラもほとんど動かないし。でもさ、このゲーム映像凄くない? まるで実写みたい」

汗を流したばかりなのに冷や汗が背中に浮かぶ。

返事はしないで妹に背を向けて床に座り、夜食のラップを外す。こうしておけば目の動きで嘘がバレることはない。

「……最新鋭のゲームだからな。製作費すっごいらしいぞ」

「ねえ、なんか隠しているよね。そうやって背中向けて話す時って何かやましい事がある時だし」

よくご存じで!

昔から何もかも見抜かれていたような気がしていたが、気のせいではなかったようだ。

うちの妹ってこんなに観察眼があったのか。初めて知ったよ。

「隠していることはある。でも別に悪いことを隠している訳じゃない、それは本当だ」

開き直って振り返り、嘘偽りのない真実だけを口にした。

「それは私にも……家族にも話せないようなこと?」

「今は、な」

「わかった。じゃあ寝るね……お兄ちゃん」

えっ、今普通に俺のことをお兄ちゃんと呼んだのか?

呆気にとられて返事ができなかった。その隙に妹はもう自室に戻ってしまっている。

「二人きりでこんなに話したのは何年ぶりだ。昔に戻ったみたいで、嬉しいもんだな。……っと、今は村だ村」

喜んでいる場合じゃない。今日一日は村のことだけを考えて過ごさないと。

妹が言った通り画面に変化はない。

マップを縮小して解放された範囲すべてを偵察するがモンスターの姿は皆無だ。

ようやく落ち着けそうだ。床に置いた夜食とペットボトルを机の上に移動させて、ゆっくりと観察する。

「なんだかんだで、もう二時か。あと二十二時間、気合入れていくぞ」

長丁場を覚悟して夜食のおにぎりを一口頬張った。

暗かった画面が全体的に明るくなってきた。

こっちの窓の外には朝日が昇っている。

時計を確認すると朝の六時半を過ぎていた。

「ふああああっ。ニート時代はこれぐらいの徹夜全然平気だったんだけどな。肉体労働後は結構きつい」

目元をこすって頬を軽く叩いてみたが、眠気はあまり取れない。

「コーヒーでも飲むか」

村の周囲にモンスターの影がないのを確認してから、俺は一階へと降りた。

すると台所には既に母がいて、洗面所には父もいる。

二人ともこの時間帯にはもう起きているのか。家族を含めた働いている人は、こういった規則正しい生活を何十年も続けている。それだけでも凄いことだよな。

「あら、早起きね。昨日遅かったのに」

「ほら、月末に用事があるって言ったろ。ネットで村の人とやり取りしないといけないから。ちょっと準備もあるから」

「そうか、頑張っているのだな」

整髪料できっちり固めた父は既に髭も剃り終えていて、さっぱりした顔をしている。

「まあ、ね」

これ以上ここにいるとぼろが出そうなので、冷蔵庫の缶コーヒーだけ手にして立ち去る。

「朝ごはんはー?」

「いらない。夜食でお腹空いてない」

背後から聞こえる母の声に返事をして、自室へと舞い戻った。

即座に画面を確認するが拠点に問題はない。ガムズが仮眠を取るために部屋に戻り、代わりにロディスが見張りに立っている。

『午前中はモンスターの動きが活発じゃない。だから、私でもやれる。そう、何も……へあああっ⁉』

へっぴり腰で槍を構えたロディスだったが、風が吹いて枯れ葉が舞っただけだったようだ。……見張りは俺も頑張ろう。

他の村人は今日一日は洞窟内から出ないと決めているので、キャロルは積み木のようなもので一人遊び。

ライラは洗濯や洞窟内の掃除。

チェムは木彫りの像に祈りを捧げていた。

静かにしているが、全員どこか落ち着きがない。

そんな村人を見守っている俺もそわそわしていて、人のことは言えないのだが。

「何もないならそれでいいけど、でもそれだとゲームとしてはどうかと思うよな。そもそも、一日中警戒しろってのは無理ないか?」

ゲームの製作者に対して愚痴をこぼしたところで声は届かないのだが、それでも言わずにはいられなかった。

期待と不安が入り混じるとはこのことだ。

モンスターが来て欲しいような、このまま平穏な一日で終わって欲しいような。そんな複雑な心境のまま時だけが経過していく。

昼過ぎになったが、まだこれといった変化がない。

あれから今までトイレで席を立ったぐらいで、ずっと椅子に座りっぱなしだ。

変化がない画面を見つめていると、眠気がピークを迎えて何度か気が遠くなったがギリギリで持ち直している。

「俺も仮眠した方がいいのか?」

寝起きは良い方なので敵の襲撃でアラームの一つでも鳴ってくれるなら、飛び起きる自信はある。

一回目というのはわからないこと尽くしなので、迂闊な行動が取れないのが問題だ。

「あー、またコーヒーでも……。今、何か……」

洞窟前の柵の外側。森の切れ目に誰かいなかったか?

PCの音量を上げると環境音の中にガサガサと何かが蠢くような音が……する。

今、見張りを担当しているのはガムズ。

彼も異変に気付いたようで鞘から剣を抜き放ち、柵の先を見通すように睨む。

そのタイミングで画面が赤い文字で埋まり、サイレンのような音がスピーカーから流れる。

《邪神の誘惑開始!》

おっと、イベント開始のお知らせをしてくれるのか。次からはもう少し余裕をもって見守れそうだ。

机に身を乗り出して画面に顔を近づけ、息を呑んで音と映像に注目していると、森の木々の間から黒犬が五匹現れた。

――《邪神の誘惑》が今、始まろうとしている。