軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:レオナルド視点 国境の異変

俺の仕事自体は、グルノール砦でもメール城砦でも変わらない。

体を鍛え、他の騎士と足並みを揃え、国境を見張り、街の治安を守る。

砦の主という仕事柄、どうしても他の黒騎士より書類仕事が多くなってくるのだが、これはグルノール砦でも同じだ。

グルノール砦との違いがあるとすれば、砦の主へと宛がわれる館へ帰ってもクリスティーナが待っていないことだろう。

そのため、故意に時間を作ってまで館へ帰って休みを取ることがなくなった。

グルノール砦であれは見かねたアルフに休みを取れと追い出されるところだったが、メール城砦にはアルフがいないので俺を館へと蹴り出す人間もいない。

おかげでクリスティーナのいない生活を、物足りなく感じる暇もなかった。

……グルノールでは特に異変はないようだな。

大陸全土へと発せられたズーガリー帝国からの宣戦布告は、グルノール砦へも影響がある。

ズーガリー帝国と国境を面しているのはエラース大山脈の山肌で、通常であればグルノール方面から進軍を受ける心配は少ないのだが、可能性がゼロでない限りは手薄にもできない。

こうなってくると別の脅威を排除できたという意味で、数年前のサエナード王国との戦は実に都合が良かった。

内部で潰しあってくれたおかげで、今のところ脅威はほとんどない。

ズーガリー帝国と開戦した背後を狙われる心配も、ないといって良いだろう。

……ティナからの手紙はないか。前は報告書に忍ばせてきたんだが。

王都での別れ際、クリスティーナは手紙を書くと言っていたのだが、やはりというか、仕事で移動を余儀なくされた俺に遠慮をしているらしい。

本人が言うような頻度では手紙は届かなさそうだ。

……というよりも、下手をしたらティナからの手紙が届く前に開戦、返事が届く前に俺が帰還するんじゃないか?

もちろん、俺が戦死するという可能性もあるのだが、これは考えない。

両親を喪い、祖父母のように慕った近所の夫婦を喪い、懐いたオレリアを喪い、一番近くにいた 子守女中(ナースメイド) を喪ったクリスティーナだ。

これ以上は誰一人としてクリスティーナの大切な人間が喪われることは避けたい。

俺が考えるのは、必ずクリスティーナの元へ帰る、という決意だけである。

「団長、定時報告です」

執務室へと入ってきた黒騎士から報告書を受け取り、簡単に目を通す。

国境から見える範囲と人を遣って国境の向こうまで警戒させているのだが、これといった変化はないようだ。

見える範囲にはいつもより多くの門番がいるぐらいで、変化はない。

ズーガリー帝国へと入り込んでいる偵察によると、国境近くの町に余所者が増えているそうだ。

おそらくは国境付近へと集められた兵士の一部が生き抜きとして町へ出ているのだろう。

……本当に、ティナのところへ帰れるのは早そうだな。

すでにズーガリー帝国からは宣戦布告がなされている。

前回のサエナード王国との戦のように、一年以上睨み合うことにはならないだろう。

「……なんだっ!?」

遠くからゴゴゴと地鳴りが響く。

何の音かと眉間に皺を寄せると、不意にガクッと膝が沈んだ。

グラリと眩暈にも似た衝撃に襲われ、しかし足に力を込めてその場へと踏みとどまる。

突然の衝撃に床へと転がるような無様な真似は、砦の主としてできなかった。

「何ごとだ!?」

「わ、わかりませんっ! すぐに様子を……っ」

外の様子を確認してくる、と片膝をついて衝撃に耐えた黒騎士が立ち上がる。が、この衝撃で眩暈を起こしていたらしく、すぐにふらふらと尻餅をついた。

「投石器の攻撃でも受けたのか? そのぐらいの衝撃はあっただろう」

投石器で城砦が攻撃されたというのなら、犯人はズーガリー帝国だとしか思えない。

報告書には普段と変わりがないと書かれていたのだが、報告書が届く前に何か現場で変化があったのだろう。

何か見ることはできないか、と国境側の湖に面した 露台(バルコニー) へと出る。

元が城というだけあって、メール城砦の展望は良い。

露台からはヴィエンヌ湖を挟んでズーガリー帝国領が見えるのだが、湖の向こうへと視線を向けるより先に、湖の中を蠢く巨大な影に気が付いた。

……なんだ? なにが……。

湖の中で何が蠢いているのだろう。

そう思考するより先に、水柱をあげて湖の中から何かが飛び出してきた。

「本当に、何が……っ」

水柱はどこまで高く上がったのか、それなりの距離があるというのににわか雨のように露台へと湖の水が降り注ぐ。

バラバラとした水音がおさまると、湖の中を横断するように蠢いていたものが姿を現した。

遠目に見た限りでは、形はミミズか植物の根のようだ。

細くいくつもに枝分かれした何かが湖の中を蠢き、湖を二つに分ける線のようにヴィエンヌ湖を横断していた。

分けられているのが丁度国境のあたりだと気づくと、蠢いていたものは再び湖へと沈み始める。

完全にそれが沈んでしまうと、湖の水が多少減った以外は、いつもと変わらない風景がそこにあった。

今見た水柱がまるで幻かなにかであったかのように、恐ろしいまでの静けさが戻ってくる。

「なんだったんだ? 幻、なはずはないが……」

国境の線をなぞるように現れた謎の物体に、アレはどこを目指していたのか、と視線を動かす。

湖を横断して地面にあがると、その先にあるのは国境だ。

イヴィジア王国側には国境を越える商人や旅人を待たせるための建物や城門があり、ズーガリー帝国側にも似たような施設がある。

二つの国境を守る門の間には、国家間で引かれた国境線が存在していた。

そして、その国境線を隠すように、なにやら砂煙が上がっているのが確認できる。

「あっちもか。本当に、何が起こっているんだ?」

露台から身を乗り出しても、見えるものには限界がある。

それでも何か見えないかと目を凝らすと、湖から出てきたのと同じような謎の細長いものが砂煙の中に影として浮かび上がっていた。

「団長! ヴィエンヌ湖に黒いうねうねとした謎の何かが出現しました!」

「それはもう見た。それより、国境線に何かいるぞ!」

何が起こったのかは判らない。

ただ一つ判ることと言えば、投石器でどうにかなるような範囲の異常ではない、ということぐらいだ。

「……何が起こったんだ?」

こんな途方もない異常自体に遭遇すれば、誰だって言葉が出てこなくなるだろう。

つい何度目かの呟きが漏れたのだが、これに反応する声が予期せぬ位置から聞こえた。

――わからない。なにが おこった?

俺の腰より低い位置から、子どものような高い声が聞こえる。

メール城砦には黒騎士や黒騎士たちの生活を支える使用人が何人もいるが、俺の腰より背の低い子どもはいないはずだ。

ここは城砦であって、子どもの遊び場ではないのだ。

では誰が、と視線を下げると全身から水を滴らせた小鬼がいた。

手には杖を持っているのだが、いつかカミールの洞窟で見た小鬼に似ている。

……また、精霊が見えるようになったのか?

カミールの洞窟では常に見えていたのだが、洞窟を離れてからは精霊の姿が見えなくなった。

クリスティーナの肩にはつねに 子守妖精(カリーサ) が乗っていたようなのだが、それも見えていない。

それなのに、突然また精霊の姿が見えている。

「うわっ!? なんだ、その変な生き物はっ!?」

……うん?

精霊の姿に俺が驚くのなら判るのだが、この声は俺の声ではない。

では誰が他に小鬼の姿を見ているのかと視線を向ければ、先ほど報告書を運んできた黒騎士が驚愕の表情を浮かべて俺の足元を見ていた。

小鬼の姿をみて奇声を発したのは、この黒騎士だろう。

……俺の他にも精霊が見えている?

とにかく本当に黒騎士にも小鬼の姿が見えているのかと確認しようと近づくと、黒騎士は飛び上がって驚いた。

その勢いで二、三歩後ろへと下がり、下がった先にいたランタンに手足が生えたような精霊の姿に驚いて転ぶ。

助け起こす必要があるだろうか、と考えている間に、どこから集まったのか今度は蝋燭に目のついた精霊が露台へと集まってきた。

……精霊の数、多すぎないか?

「……それで、結局なにが起こったんだ?」

ひと目見て判る異常事態に、周囲を観察しながら精霊たちから話を聞く。

カミールの洞窟に居た時のように、精霊たちは概ね好意的で、こちらの質問には判る範囲で正直に答えてくれた。

ただ、残念ながらその正直な返答からも、事態の全容を掴むことは難しい。

精霊たちは嘘を挟まず、見たまま、感じたままを聞かせてくれるのだが、そもそもの着眼点や価値観が人間と違うのだ。

――わからない。

――きもちよく ねてた。ねてたら おちた。

――どかんと おちた。

身振りを交えて説明してくれるのだが、さっぱり意味が判らない。

ここにアルフかクリスティーナがいれば通訳をしてくれる気がするのだが、そのどちらもメール城砦にはいなかった。

いない者を頼るわけにはいかないので、いる者たちで対処するしかない。

……幸いというか、今回は見える人間が多いみたいだしな。

周囲を観察していてわかったのだが、この精霊たちが見えているのは俺だけではなかった。

最初に事態を報告に来た黒騎士も見えていたが、他にも何人が見えている者がいる。

ためしに人を使って確認させてみたのだが、半数近くの黒騎士が精霊を見えるようになっていた。

城砦の外からの報告によると、街の子どもの七割近くが見える側にいるらしい。

この結果を見るに、精霊の見える、見えないの差は頭の柔軟性にあるようだ。

純粋な子どもほどこの状況を受け入れやすく、頭の固い職人気質の大人や老人には受け入れがたい状況なのだろう。

こう考えると、俺が精霊を見えるのは、クリスティーナが頻繁に精霊と関わっていたからだと思う。

俺にとって精霊は、姿が見えなくとも確かに存在している者たちだ。

「団長! 国境から伝令が届きました!」

ビシッと礼をして固まる黒騎士は、精霊が見えていないのだろう。

頭と肩に小さな精霊がびっしりと掴まっており、精霊たちは俺の顔を見ると黒騎士から手を離して思いおもいに執務室の中へと広がった。

「帝国との境に樹木、あるいは植物の根のような物が現れ、道が寸断されました! それから、国境周辺にて裸の男が多数出没しているとの報告があります」

「……後半のそれはなんだ?」

「それは、その……? そうとしか、言いようがありませんっ!」

詳しく話を聞けば聞くほど首を捻りたくなる報告だ。

国境を寸断しているなんらかの植物は、植物だと思われるのにうねうねと良く動くらしい。

そして、その動きでこちらからの侵入を防ぎ、あちらからは裸の男を吐き出しているとのことだ。

裸の男など放置はできない、と国境を守る黒騎士たちが残らず拘束しているそうなのだが、話を聞いてみたところ男たちはズーガリー帝国の騎士や兵士だった。

国境付近に潜伏してイヴィジア王国の様子を探っていたところ、揺れと共に現れた植物に絡め取られ、装備を奪われ、気がつけばイヴィジア王国側へと押し出されていたらしい。

「よくは判らんが、一つだけわかった。相手が丸腰なら、とにかく拘束しろ。近くの町や村で略奪されてはかなわん」

一人も残さず捕まえろ、と指示を出すと、黒騎士は敬礼をしてすぐに走り去る。

わけが判らないながらも、とにかく動く必要があるようだ。

裸の男たちを捕まえろ、と指示を出しつつ、自分でも外へ出る仕度を整える。

執務室に篭っていても情報は集まってくるのだが、現場の様子があまりにも荒唐無稽すぎて理解が追いつかないのだ。

だったら自分から出向いて現場の様子を見た方が早い。

「団長、国境沿いの村で、裸の男が暴れているという報告が来ました」

「こちらも裸の男の報告です。六人の裸の男が現れ、村で略奪行為を始めたそうです。ただ、元々丸腰ということもあって、村の男たちが農具で取り押さえました」

今は縄で縛って納屋に押し込めてあるので、黒騎士に引き取り来てほしい、との報告だ。

男たちの出現は脅威だったが、この地域の民たちは昔からズーガリー帝国の脅威と隣り合わせに暮らしている。

いざという時には黒騎士の到着を待たずとも、自分たちで動くだけの勇気と行動力を持っていた。

「……とりあえず、国境付近に不審人物がいないか探しながら移動するぞ」

まずは謎の植物によって寸断されたという国境を確認し、門番たちにこれまでの経緯を直接聞く。

その後の指示は、それからだ。

裸の男とやらが何人ぐらいいるのか見当も付かないが、放置もできないので一人ひとり捕まえていくしかない。

――はだか つかまえる?

いつのまに近くへ来ていたのか、馬の頭へと弓を背負った小鬼が飛び乗る。

わくわくと使命感に溢れる顔つきで見上げられると、任せてみるのも一興か、と好奇心が頭をもたげた。

「……そうしてくれると助かるが、任せていいのか?」

――いいよー。

――まかせてー。

一人に声をかけると、周囲から返事が聞こえる。

馬の頭に乗っている小鬼に任せてみたつもりなのだが、精霊たちは自分たちへと向けられた言葉と受け取ったようだ。

――あっち ひとりー。

――こっち ひとりー。

俺にはなんの気配も感じ取れないのだが、精霊には男たちのいる場所がわかるらしい。

こっちだ、あっちだと指差し、わらわらと顔を見せてはまた消えていく。

「……追いきれん」

「精霊が見える者と組ませてみますか?」

「そうだな」

精霊の案内で進むと、報告どおり裸の男が泡を吹いて倒れていた。

精霊がどのようにして男の意識を奪ったかは、この際考えないでおく。

せっかく精霊の方から手伝ってくれるというのだから、これ幸いと好意に甘えて男たちを捕らえてしまいたい。

精霊が見える黒騎士と見えない黒騎士とを組ませ、精霊の案内で国境付近をうろつく裸の男を捕らえさせる。

不審な男がうろついている、という報せも、多くて二、三十人かと思っていたのだが、予想以上に多い。

供につけた黒騎士以上の人数になった頃には、護送が難しくなって近くの村の納屋を逆に借りることになってしまった。

この微妙に萎える作業は、結局夕方近くまで続いた。

精霊が裸の男を発見と同時に気絶させてくれたため、黒騎士や民への被害は増えなかったが、それにしても数が多い。

数が多すぎて、とてもではないがメール城砦の牢には治まらないだろう。

「……とりあえず、捕虜の選別は必要だな」

隊長、中隊長といったある程度の指揮権をもった男を選別していたのだが、これでもまだ数が多すぎる。

もっと少なく選別できないだろうか、と探したところ、驚くべきことに『イヴィジア王国制圧部隊総指揮官』という 厳(いかめ) しい肩書きを持つひょろひょろの男が名乗り出た。

自分はズーガリー帝国の皇族の流れを汲む由緒正しい家柄の次期当主の婚約者である。

粗雑な扱いは許さない、まずは絹の服を寄越せ、と裸で大威張りだ。

「これが、『総指揮官』だと? こんなひょろひょろが、か?」

「いや、逆にあるんじゃないか? 帝国は家柄が全てだからな。生まれた家次第じゃ、こんな鎧を着ただけで歩けなくなりそうなひょろひょろでも、指揮官サマになれるだろう」

「うちの団長とは大違いだな」

比べられても嬉しくはないのだが、見張りたちの言うとおりでもある。

ズーガリー帝国とイヴィジア王国は性質がまるで違う国だ。

ズーガリー帝国の指揮官が経験も筋力もなにもない貴族の若者であったとしても、不思議はない。

「……どうだ?」

「へい、親分。あの男は確かにこの部隊の総指揮官でした」

「そうか」

ズーガリー帝国の貴族の顔など俺は知らないのだが、集められた男たちの中に偶然知った顔を見つけて連れ出した。

以前ズーガリー帝国内に潜伏している間に知り合った、義賊の一人だ。

クリスティーナのおおよその居場所は見つけだし、季節的に畑仕事に戻らなければまずいだろう、と解散した一団の中に男はいた。

元義賊の男がこの騒動に紛れ込んでいたおかげで、ズーガリー帝国で何が起こったのかを少しだけ知ることができそうだ。

「……人生、何が役に立つか判らんな」

「そうっスね。俺もまさか、こんな 城砦(ところ) で親分と再会できるだなんて、思いもしやせんでした」

俺と知り合いだったおかげで服が着れる、と言って元義賊は襟を正す。

数が多すぎて全員の服は用意できないのだが、使える人間には服を与えて使った方が良い。

元義賊の説明に寄ると、彼らは今回のズーガリー帝国による大陸全土への宣戦布告によって、兵士として村々から集められてきたようだ。

ならばと他にも知った顔がいるかと探してみたところ、四人ほど元義賊の男を見つけることができた。

元々ズーガリー帝国という国への不信感の強かった彼らは、声をかければあっさりと俺への協力を約束してくれる。

おかげで、その後の作業は捗った。

集められた裸の男たちの中から指揮権をもった階級の人物を探す作業だ。

こうして選別された指揮権を持った男と、ただ徴兵によって無理矢理集められただけの男たちとを分け、牢の中身を入れ替える。

牢の住人になった帝国貴族たちへは『屋根つきの部屋』に入れられただけありがたいと思え、と伝え、牢から溢れた徴兵されてきただけの男たちについては城砦の中庭に用意した天幕や村々の納屋を借りて押し込んでおく。

一見しただけでは牢の中の方が扱いは良さそうだったが、今回徴兵された人間はアンハイム周辺の村人が多いらしい。

アンハイムといえば、つい二十年ほど前まではイヴィジア王国の一部だった街だ。

寄せられた村に知り合いや親戚のいる者もいて、彼らには村人も同情的だった。

古着を用意したり、炊き出しを行ったりとして、城砦の牢で過ごすよりは心が休まることだろう。

ちなみに、当然のことながら村で略奪行為に及んだ男たちは別にした。

「……それで、ズーガリー帝国で何があったかわかるか?」

一通りの選別作業が終わると、ホッと溜息が漏れる。

見たくもない男の逸物が眼前にさらされ続ける苦行から開放されると、今日はなんだかむしょうにクリスティーナの可愛い顔が見たかった。

……まあ、最近は獲物を狙う肉食獣って顔で睨まれることもあるんだけどな。

肉食獣であろうとも、クリスティーナは可愛い俺の妹だ。

近頃は妹ではなく淑女として扱え、と怒られてばかりいたが、こればかりは仕方がない。

俺にとってクリスティーナは名付け親から預かった大切な妹であり、異性としては見難い存在だ。

あと数年の間に意識を切り替えていけばいい、とクリスティーナは言うが、もう三年たったとしても、クリスティーナを女性として見れるかは少し自信がない。

「何があったのかは、わからねェ。すまねぇな、親分」

「突然地面が揺れたかと思ったら、なんかでっかい木みたいなもんが地面から何本も出てきて……」

地面から出てきたものに攫われ、なけなしの武器として持っていた鉈を奪われ、防具がわりに綿を詰めた服を奪われ、気がついたら裸でイヴィジア王国内へと放り出されていたらしい。

そこがどこかは判らなかったが、上から指示はないし、裸で人前に出るわけにもいかないし、と林の中に隠れている間に、精霊に意識を奪われて黒騎士に捕縛されたそうだ。

他の人間の意見も聞きたい、と一応牢に詰めた男たちからも話を聞く。

あまりにも見難い下半身に対してはボロに近いタオルを提供したのだが、やれ絹の服を寄越せだの、新しいタオルを寄越せだのと贅沢を言うので、毛布を差し入れるのは止めた。

幸い今は春であったし、ズーガリー帝国と比べれば気温も温かい。

一晩裸で過ごしたぐらいでは凍死もしないだろう。

……あまり違う話は聞けなかったな。

帝国貴族の尋問は、無駄に疲れた気がする。

そのわりに聞けた話は先に元義賊から聞いていた話と大差のないもので、くたびれただけ損だ。

……とりあえず、いくつか聞いた話を整理すると……木の根に襲われた人間と、襲われなかった人間がいるな。

この差はなんだろうと考えてはみるのだが、答えなどわかるはずはない。

どの証言も咄嗟の感想すぎて、要領を得ないというのが正直なところだった。

……しかし、これはどう報告すればいいんだ?

国境とズーガリー帝国内で異変があった、と言うだけなら簡単なのだが、その異変の全容がまったく掴めていない。

聞けば聞くほどわからなくなる。

上手く簡潔に纏めることが難しく、やっと纏め終わった頃にはまた次の異変が起きていそうな気さえするのだ。

……ティナの手紙もそうだが、報告を送ってもその返信がくるまでに帝国が勝手に滅んでるんじゃないか?

それならそれで良い気もするが、だからといって理由も判らずに放置はできない事態が起こっている可能性がある。

どう考えても、国境を寸断する木の根というのは異常事態であったし、その国境から裸の男たちが押し出されてくるというのもおかしな話だ。

突然精霊が見えるようになった、という異変も気になる。

「……うん?」

不意にここには居ないはずのクリスティーナの声が聞こえた気がして顔をあげる。

反射的に周囲を見渡してみるのだが、当然クリスティーナの姿などない。

やはり気のせいかと書きかけの報告書へと視線を落とすと、今度ははっきりと耳元でクリスティーナの声が聞こえた。

「ティナ!」

クリスティーナの声が聞こえた、と再び顔をあげるのだが、クリスティーナの姿はない。

妹恋しさについに幻聴まで聞こえるようになったのか、と我ながら薄ら寒くなったところで、やはりクリスティーナの声が聞こえる。

それも、少し間の抜けた声が、だ。

――レオナルド様、聞こえますか? レオナルド様の可愛い可愛い婚約者、クリスティーナですよ。

「……幻聴にしては、実にティナらしいティナだな。幻聴でぐらいしおらしい淑女になってもいいだろうに」

緩く首を振りながらそんなことを考えていると、視界にチラチラと半透明の精霊が入ってくる。

精霊は俺の気を引きたいようで、しりきり手を振っていた。

……妙に懐っこい精霊と、ティナの声……?

妙な組み合わせだ。

否。逆にしっくりと来る組み合わせだ。

クリスティーナと精霊は切っても切り離せない関係といって間違いがない。

――えっと、風の精霊に頼んでわたくしの声をレオナルド様へと運んでもらいました。一方通行にしか話せないけど、馬で急使を送るよりは早いはずです。

「確かに急使を送るよりは早いが……本当に王都のティナからの伝言か? 風の精霊が声を運ぶって……?」

思ったままの疑問を口から出すと、おそらくは彼が風の精霊なのだろう。

先ほど気になった半透明の精霊が胸を逸らしている。

雰囲気から察するに、己の仕事を誇っているのだろう。

―― 一方通行なので、勝手に話します。少し聞いていてください。

そう言って話し始めたクリスティーナの話は、思わず耳を疑うものだった。

まず、最初に感じた衝撃は『地震』という現象だったらしい。

しかし、今回の地震は普通の地震ではなく、おそらくはただの錯覚だろう、というのがアルフレッドとクリスティーナが話を聞いたという精霊の見解だった。

王都でもやはり精霊が溢れているようで、こちらと同じように精霊が見える人間と見えない人間がいるらしい。

遠方の地と連絡を取れる方法がある、と精霊の勧めに従って試したのが、今回の風の精霊の助けを借りて自分の声を届けるというものだったようだ。

一方通行で声を届けることができるが、会話は難しいとのことだ。

……いや、一方通行でもこんな短時間で王都から国境のある国の端まで連絡ができることはすごすぎるだろう。

クリスティーナが何と比べてこの素晴らしい状況に不満を感じているのかは判らないが、このわけの判らない局面においては伝令・伝達の神ペルセワシの祝福だとしか思えない。

少なくとも、王都の状況はすぐに知ることができるのだ。

単純に考えて、報告書を送って指示が戻ってくるまでの時間が半分になる。

こちらから同じことができれば、その日のうちにやり取りを完了することだって可能だ。

……問題は、俺がどうやって風の精霊と交渉するかだが……?

これは杞憂に終わった。

クリスティーナの声が最後に一言、返信を届けてくれるように先に交渉済だ、と言ったのだ。

――わたくしからはレオナルド様にしか聞こえないように届けてもらいましたけど、返信はクリストフ様とアルフレッド様にも聞こえるように届けてもらいます。

なので、そのつもりで報告をしてください、という声を最後に、クリスティーナの声は聞こえなくなった。

ただ目の前の半透明な精霊が手を振り始めたので、自分が返事を届けるのだ、という自己主張なのだと思う。

……精霊に攫われるのは困ったことだと思ったが、精霊を遣った連絡手段が取れるなんて、ティナぐらいだろ。

精霊に関わるのも、悪いことばかりではない。

今回ばかりはそう受け入れ、この幸運に感謝した。