軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

レオナルド視点 老人と馬車に積まれた箱

「……うん?」

気がつくと、見覚えのない川岸に立っていた。

つい一瞬前までは神王と共に闇と月明かりに照らされた空間にいたはずなのだが、今はどことも知らない場所に立っている。

太陽の位置を見るに、午後を少し回ったところだ。

突然放り出された場所の情報を少しでも多く仕入れるべく、周囲を見渡しながらティナの包まれた毛布を抱き直す。

「……っ!?」

神王のいるあの空間では痛みを感じなかったのだが、雷に撃たれた腕がズキリと痛んだ。

反射的にティナを落としそうになってしまったが、なんとかこれは持ちこたえる。

ようやく取り戻せたティナを、俺が放り出すわけがない。

……どこだ? というか、いつだ?

夏だというのに雪の残る極寒のエラース大山脈中腹にいたはずなのだが、周囲の景色は一転している。

木々は青々と葉を茂らせ、頬を撫でる風は温かい。

むしろ、少し暑いぐらいだ。

真冬から一足跳びに夏が来たら、こんな気分になるだろうか。

グルノールの真冬よりも寒い帝都トラルバッハの夏から、グルノールの夏にでも放り出された気分だ。

……川に流されて別の場所に出た、と考えるべきだろうな。

この暖かさが夏の気温だとすれば、エラース大山脈から離れた場所にいるということになる。

川があの崖下の川から繋がっているものであれば、場所はある程度絞れそうな気もした。

……とはいえ、まずは場所が判らないことには、進むべき方角も判らんぞ。

目指すとしたらカルロッタの治めるアウグーン領だが、現在地が判らないことにはどうにもならない。

となると、最初にすべきことは現在地の確認なのだが、それよりも先にやるべきことがある。

「……ティナ」

慌てても仕方がない、と手ごろな石へと腰を下ろし、毛布の中のティナへと呼びかける。

毛布を捲って中身を確認したが、ティナはまだ気持ちよさそうに眠っていた。

確かに濡れていたはずの髪や服が乾いているのは、神王の気遣いかもしれない。

これなら体が芯まで冷え、そのまま死んでしまうということもないだろう。

体が温まって疲れが取れれば、自然に目を覚ましてくれるはずだ。

……やはり何か入っているが、すぐに取り出すことは不可能だな。

火を噴く筒から出たものが、俺の肩に入っている。

肩を動かすと、ゴリゴリとした鈍い痛みと不快感があった。

すぐに取り出した方がいいのは判るが、場所が悪い。

利き腕をやられているために、自分で治療を行うには逆の左手を使う必要があった。

これが腕であれば左手でも応急処置は可能だったが、肩ともなると自分での治療は難しい。

そもそも、怪我をしている肩の様子を見ること自体が難しいのだ。

……仕方がない。血止めの薬を塗って、あとはどこか町を探してセドヴァラ教会を頼るか。

ティナの誘拐に対する報復として、ズーガリー帝国からは薬師の数が減らされているが、そこは運に任せるしかない。

すべての町や村から薬師が撤退したわけではないのだ。

アウグーン領のように、領主の性格によってはセドヴァラ教会が手心を加えている場合もある。

俺の運がよければ、セドヴァラ教会で治療が受けられるだろう。

……お? 街道に出たな。

簡単に止血を済ませ、ティナを抱きかかえて川沿いに移動する。

そうやってしばらく歩いていると橋に行き当たり、両端からはそれなりに整備されていると判る街道が伸びていた。

……車輪の音だ。

馬車が近づいてくる音が聞こえ、逡巡する。

呼び止めて助けを求めるべきか、追っ手を警戒してやり過ごすべきか。

追っ手であれば見つかるわけにはいかないが、無関係の人間であれば町まで乗せていってほしい。

それが無理でも、この場所がどこかぐらいは聞いておきたかった。

……一応、ティナは隠しておくか。

橋の袂にティナを隠し、黒狼の毛皮を被せる。

これで街道を走る馬車からはティナが見えないし、俺の位置からはティナの異変がすぐにわかる場所とりだ。

……さて、どうでるかな。

車輪の音が近づいてくるのに耳を澄まし、街道の向こうから姿を見せた馬車に背筋を伸ばす。

いかにもいわくありげな黒い馬車の姿に、判断を誤ったかと内心で冷や汗を流した。

追っ手が乗るような運搬・護送を目的とした馬車には見えないが、貴族や富豪が乗る馬車にも見えない。

しかし、馬車の姿が見えた途端に逃げ出せば、こちらにやましいものがあると相手に伝えるようなものだ。

願わくは、路傍の石と素通りしてくれることを祈るしかない。

馬車の中身はそんな相手のようだ。

「今日はおかしな日だ」

黒い馬車は、一度は俺の目の前を通り過ぎたのだが、少し先でなぜか停まった。

馬車の中からは白髪の老人が降りてきたのだが、馬車と老人には違和感がある。

馬車は富豪どころか貴族が乗っていても不思議はないしっかりとした作りをしているのだが、老人はどこにでもいる普通の老人だ。

貴族には見えないし、富豪の隠居といった雰囲気でもなかった。

「待ち合わせ場所で待ちぼうけをしたり、かと思えば待ち合わせをした知人の亡骸を見つけたり、帰り道で山賊を見つけたり……」

奥に隠してあるのは皇城から盗みだされた人形かな、と続いた老人の言葉に、拳を握り締める。

ティナについて知っているとなれば、味方あるいは無関係な通りすがりである可能性は低い。

追っ手にはとても見えない出で立ちだったが、ティナを皇城へ戻そうとする人間ならば俺の敵だ。

老人にはここで少し眠ってもらって、馬車を借りて行くことにしよう。

こんな物騒なことを考えている俺をよそに、老人は少し背伸びをして背後に隠したティナを覗きみる。

俺に警戒されていることが判ったのか、老人はそれ以上近づいてくることはなかった。

「とりあえず、そのお嬢さんを馬車へ乗せなさい。君のその腕で、お嬢さんを抱えて町まで行くには、三日はかかる。僕の手を借りた方が、お嬢さんは早く、安全な場所へ隠れることができるだろう」

ティナのため、と誘われると弱い。

確かに土地勘があるかもしれない老人の馬車に乗った方が、より早くティナが休める場所へと運ぶことができるだろう。

川沿いを歩けば水には困らないが、食料の手持ちは少ない。

ティナの体力を回復させるためには、今の俺には不足がありすぎた。

……老人が一人と、御者が一人か。

この人数であれば、ティナを抱えていてもどうとでもできる。

そんな物騒なことを考えながら、老人の誘いに乗ることにした。

カミールと名乗る老人の馬車へ近づくと、荷台に大きな箱が載せられていることに気がつく。

人間が入るほどの大きな箱は、微かな冷気を纏っていた。

……死臭?

じんわりとした冷気を箱から感じるのだが、それ以上に気になる臭いがある。

腐敗臭に混ざって、わずかな血の臭いが箱から漏れていた。

「箱の中身を聞いても?」

「言っただろう。待ち合わせをしていた知人だよ。二時間待っても姿を現さないから、妙だと思って散歩をしていたら、川辺で見つけた」

身内はいないと聞いているので、自分が代わりに弔ってやるのだ、とカミールは言う。

夏場に遺体を運ぶなんて、とは思うが、エラース大山脈の雪を箱へと詰めてあるらしい。

箱に詰められた雪が冷気の正体だったようだ。

「そんなことより、お嬢さんを早く座席に寝かせてあげなさい。少し診てあげよう」

「……貴方は薬師なのか?」

「薬師ではないけれど、そこそこ当てになると思うよ」

どう当てになるのだろうか、とは思ったが、カミールにティナの様子を見せてみる。

年の功という言葉もあるので、俺だけが見るよりは何か別の意見も聞けるだろう。

「どこも怪我などはしていないようだね。体温が低いのが気になるが……この陽気だ。じきに温まるだろう」

体を温かくして栄養を摂るように、と言いながらカミールは車内に備え付けられた小さな棚を探る。

何が出てくるのかと思えば、カミールは飴の詰まった缶を取り出した。

「飲み込まないように注意しながら、飴を口に含ませてあげなさい。エネルギーがないと、体が熱を作れないからね」

それから、と言葉を区切り、御者席側の座席についた背もたれが持ち上げられる。

背もたれの向こうには、外から見た時には気付かなかった空間があった。

……細工された二重底と背もたれ、天井にも人を隠すとは最近知ったが、背もたれのさらに奥の御者席の下にまで隠しがあるとは思わなかった。

つくづくズーガリー帝国という国は、馬車に隠した空間を用意するのが好きな国だと思う。

「僕の馬車が中まで検められることはないと思うけど、この先には検問がある。念のために隠れておいた方がいいだろう」

「検問? ズーガリー帝国の兵にしては仕事が早いな」

「特別早いとは思わないけれど……」

いつも通り初動が遅く、エラース大山脈の麓まで捜索の手が伸びてきたのは、最近のことだとカミールは不思議そうに首を傾げる。

カミールという老人自体は邪気がなく、なんとなく信用してもいいかと思えるのだが、この言葉にはなんとなく違和感があった。

「……最近のこと?」

「最近のことだよ。まずは人形が攫われたってことで皇城中が騒ぎになって、誰が責任を取るのかと三日揉めたらしい」

そのあとは連れ出されたティナを探しに皇城の外へと兵士を送り出し、氷柱に突き刺さったエドガーの死体が発見される頃には十日も過ぎていたようだ。

エドガーの関与が疑われてエドガー邸へと兵が出向き、その時にはエドガー邸はすでに荒らされた後だったらしい。

ジャン=ジャックが知らせたのか、エドガーの死を知った使用人たちが家財道具を盗んで逃走したのだ。

悲しいことに、横暴な雇い主に耐えていた使用人が主の死とともに家財道具を盗んで逃げ出すことは、ズーガリー帝国では珍しいことではない。

主にすぐ跡を継げて使用人を掌握している後継者がいれば防げる事態だが、エドガーに妻子はいなかった。

それに、使用人がやらなければ、兵が接収の名の下に家財道具を盗んでいったことだろう。

使用人が盗めばエドガーの親族が追いかけるかもしれないが、兵に奪われた場合は取り返すことができなくなる。

兵がいくらかはくすねるだろうが、奪われた家財道具は皇帝の物となるのだ。

皇帝の私物となってしまえば、エドガーの親族が所有権を主張することはできない。

……なんだ? やっぱりおかしいな。

俺としては、ティナを取り戻したのは昨夜のことだ。

夜のうちにつり橋が崩壊し、崖下へと転落して神王に拾われた。

その後、いろいろと忠告を受けたり、精霊との付き合い方について細かく注意されたりしたが、皇城から捜索の兵が出されるまでに掛かったという三日なんて時間は過ぎていないはずだ。

「皇城で騒ぎがあったってのは、何日前の話だ?」

どうも時間がずれている。

カミールの話が本当だとしたら、そうとしか考えられない。

ズーガリー帝国の兵士が昨日の今日でエラース大山脈から離れていると思われる場所まで検問を用意できるとは思えなかったし、エドガーの死体が見つかったのはその十日後だとカミールは言う。

ということは、最低でも十三日は経っていることになる。

「皇城に侵入者があったと騒ぎになったのは、ひと月以上前の話かな。僕のところにこの話が届くまでに二日かかっているから、たぶんそのぐらいだ」

今日は丁度追想祭の日だったらしい。

いつもティナが精霊に攫われ、また返される日だ。

もしかしたら、今日に合わせて神王があの場所へと送り出したのかもしれない。

……夏のはじめからひと月以上経った追想祭って……そりゃ気温も高くなっているはずだ。

エラース大山脈ではない、ということもあるが、真夏もいい季節へと放り出されたようだ。

突然の気温の変化に、こちらの意味でティナが体調を崩さないかと新たな心配がでてきた。

「詳しい話は僕の館で聞かせてあげよう。あそこなら兵士は簡単に入ってこれないから、しばらくは安心して隠れていられるはずだ」

まずは隠しの中へ、と促されて素直に従う。

本来なら疑う必要があるとは思うのだが、カミールの物腰が柔らかいせいか、妙に好意的なせいか、さっぱりカミールを疑う必要があるようには思えなかった。

なによりも、早くティナが安心できる場所でゆっくりと休ませたい。

そのためにはカミールの話に乗っておく方がいいと、あの夜と同じ声が聞こえた。

――この馬車は……っ!?

外から聞こえる男の声に、どうやらここが検問らしいと知ることができた。

カミールの乗っているこの馬車は、気のせいか震動が少ない気がする。

そのおかげで狭い隠しに詰められているというのに、それほど苦痛ではない。

俺は平気なのだが、ティナは大丈夫だろうか、と視線を落とすと、ティナは俺の胸に耳を付けてくーくーと寝息を立てていた。

狭い空間が怖いだとか、苦しいだとか感じる様子もなく、ひたすらに眠り続けている。

……ティナが怖がることがなかった、ってことだけはジャスパーに感謝しておくか。

薬で眠らされているらしいティナは、少し体を揺すった程度では目を覚まさない。

このままおとなしく馬車に隠れて移動するためには、かえって都合がよかった。

――まだ人形姫とやらは、みつからないのかい?

――それは、その……守秘義務がありますので、私の口からは……あ、あの! こちらの大きな箱はなんでしょうか?

――途中の川で拾った、知人の亡骸が入っている。

―― 一応、中に逃走者が潜んでいてはいけませんので、中身を確認してもよろしいでしょうか……?

――かまわないよ。お役目ご苦労様。

馬車の中と外とで交わされる会話に、ふと眉を寄せる。

多少疑問ではあったが、カミールを信用して助けられることにすると決めはした。

決めはしたのだが、この兵士の丁寧な対応はなんだろうか。

普通の貴族にするものよりも丁寧な気がする。

――これはっ! 人攫いのガスパー! カミール様、手配中の男の死体が箱の中にあるのですが……っ!

――人攫い? ガスパーはそんな悪いことをしていたのか。古い知人だから、埋葬してやろうと思って運んできたのだけど……。

必要ならば首を持って行くがいい、とカミールは穏やかな口調で告げた。

体ごと運ぶのでは時間も手間も掛かるが、首だけにすれば帝都まで運ぶことも可能だろう、と。

首を持って行け、と言われた兵士はこれに尻込みしているようだ。

言葉を濁している雰囲気がここまで伝わってくる。

――死んでいるのなら、そう報告するので大丈夫です! 念のため、死体を拾ったという場所をお教えいただけますか?

――場所については御者くんの方が詳しく説明できると思うよ。

詳しくは御者に聞け、ということになって、外の会話がよく聞こえるようになった。

ガスパーというのは、記憶違いでなければジゼルからの手紙にあったジャスパーの偽名だ。

どうやらこの馬車には、ジャスパーの死体が載せられていたらしい。

そして、ジャスパーも俺たちと同じく今頃発見されたようだ。

ジャスパーの遺体発見が今頃なことについては、川に流された遺体が氷に閉ざされ、雪解けで発見現場となった川まで流されてきたのだろう、ということに纏まったようだった。

カミールの予想通り、馬車の中まで検められることはなかった。

検問の兵士たちの間を馬車が通り抜けると、しばらくして馬車が街道脇へと止められる。

隠しの扉が開かれたかと思ったら、この先にはもう検問はないのでこれ以上隠れる必要はない、と教えられた。

せっかく馬車が止まっているので、とティナを抱いたまま外へと出て、馬車に載せられた箱を覗き込む。

そこには確かに見覚えのある顔をした男の遺体が、雪と共に収められていた。

「……知人と言っていたが、ジャスパーとはどういった関係だったんだ?」

「大昔に拾ったことがある。その縁で預かりものをしたら、その預かり賃にとよく働いてくれる知人だった」

箱の蓋を閉めながら馬車へ戻ると、カミールは遠い目をしていた。

ジャスパーのことを懐かしんでいるのかもしれない。

古い知人ということは、それなりに思い出もあるのだろう。

「ジャスパーの遺体をどうするつもりだ?」

「預かりものと共に弔ってやるつもりだよ。僕にだって、そのぐらいの情はある」

ジャスパーに対して情があり、皇城での騒ぎをわずか二日で耳に入れ、兵たちが妙に丁寧な態度で接していた。

なんとなく信用して大丈夫だと判断してしまっていたのだが、カミールについて知れば知るだけ判断を誤ったかという気がしてくる。

……というよりも?

カミールという人物に覚える違和感の他に、なんとなく既視感めいたものがあった。

どこかで会ったことがあるような気がして、それがいつだったのかが思いだせない。

妙な気分だ。

「俺たちは、捕まってはいけない相手に捕まったんだろうか?」

「……捕まえてはいないよ。今だって拘束もせずに馬車へ乗せているし、一度降りたいと言えばそのまま降ろしてもいる」

ただ、と言葉を区切り、カミールは俺の抱き上げたティナへと視線を落とす。

ジャスパーの仕出かしたことには自分の責任も少しはあると思うので、ティナをズーガリー帝国から脱出させることについては手を貸すべきだと思ったのだ、と。

「もう一つ確認したいんだが……昔、俺と会ったことがあるか?」

「どのぐらい昔だい?」

「二十年ぐらい前に、国境の近くで」

「二十年前なら……人違いだよ。記憶力には自信があるけど、二十年ぐらい前に国境付近へ行ったことはない。基本的に僕は館に引き籠っているから……うん?」

じっとカミールの視線が俺へと戻り、記憶を探るような顔つきになる。

記憶力には自信がある、というカミールだったが、俺と以前に会っているという記憶はやはりなかったようだ。

気のせいだろう、と緩く首を振る。

よく似ているが別人である、と。