作品タイトル不明
レオナルド視点 いつかの約束
ようやくティナの顔を確認できた、とホッと胸を撫で下ろす。
ずっと見ていたいティナの顔だったが、体が冷えてもいけないので毛布で包み直した。
攫われた時よりも軽くなっている体を毛布ごと抱き上げてから立ち上がると、近くで落雷に似た音がする。
「……っ!?」
強い衝撃を右肩に受け、危うくティナを落とすところだった。
足を前に出して踏みとどまり、咄嗟にティナの体を抱き直す。
突然の衝撃ではあったが、毛布の中のティナが目覚める気配はない。
……なんだ? なんの音だ?
いったい何事か、と衝撃を感じた肩へと視線を落とす。
肩には黒狼の毛皮とその下に簡易とはいえ鎧の肩当てがあったはずなのだが、肩当てを突き抜けて肩に何か入り込んでいた。
見る間に血が溢れ出し、傷の具合を確かめようと二の腕に力を込めると、異物のゴロゴロとした感触がある。
かすかに肉の焼ける臭いもした。
……二百年前の遺物、ではなかったのだな。
雷のような音をたて、火を噴く筒の話を聞いたことがある。
二百年前の転生者カミロについて学ぶ際に、必ず名が挙がる武器だ。
転生者カミロはこの武器を当時のズーガリー帝国皇帝へともたらし、小さな一国家でしかなかった王国を、帝国と名乗るまでに巨大化させた。
……あれか。
音の聞こえた方角へ顔を向けると、つり橋の向こうの男たちの中からエドガーが姿を現す。
その手に握られた筒の先から、細く煙が出ていた。
「何者かは知らんが、その毛布の中身は置いていけ」
遠眼鏡で姿を確認したことはあったが、声が届くほどの距離でエドガーを見るのは初めてだな、と場違いな思考が頭を過ぎる。
手にした火を噴く筒よりも、エドガーが言葉を発するたびに上下する喉仏が気になった。
……喉を噛み切ってやろうか。
筒から放たれた雷は俺を撃ったが、俺の腕の中にはティナがいる。
エドガーは、ティナに雷が当たるかもしれない危険があると承知で、筒を使ったのだ。
俺の妹を攫い、髪を切り、傷つけ、心を失わせた上での、この仕打ちである。
とてもではないが、許せるものではない。
「山賊の類か? それをここまで持ってくれば、金をやろう」
それ、とティナを物のように称することに苛立つ。
それ以上に、俺の妹に対して我が物顔で発言をすること自体が癇に触った。
……どうする? つり橋を戻って配下たちと合流するか、つり橋をこのまま進んでエドガーの喉笛を噛み切るか。
個人的には、後者を選択したい。
ティナを俺から奪い、傷つけ、殺しかけた男だ。
このまま黙って見逃したくはない。
……しかし、今はティナを少しでも早く暖かい場所へと連れて行く方が先か。
エドガーにはそれなりの報復を行いたいのだが、そのためにティナの手当てが遅くなることは避けたい。
体力が極限まで落ちていると判るティナの髪は濡れていた。
ジャン=ジャックの報告によれば、服もまだ濡れているはずである。
夏とはいえ雪の残る寒空に、生乾きの服を着たティナなど連れまわすことはできない。
俺がするべきことはエドガーの喉笛を噛み切って溜飲を下げることなどではなく、追っ手を振り切ってカルロッタ邸へと駆け込むことだ。
カルロッタ邸であれば、ティナは手厚く看護されるはずである。
……あの程度の人数、俺一人でもなんとかなるが。
今はティナを抱いているし、ティナをたとえ一時でも手放したくはない。
そして、片手は火を噴く筒によって自由には動かし辛い怪我を負っていた。
俺の鬱憤を晴らすよりも、確実にティナを連れて逃げるべきだ。
――来る。
背後から静かな息遣いを感じ、身を低く構える。
聞こえるはずのない音を耳が拾い取っていた。
力強く地を蹴る足音は、獣のものだ。
「なんだ? それをそこへ置いて帰るのか? それならばそれでいい」
見逃してやるからさっさと去れ、と言いながらエドガーがつり橋へと進んでくる。
俺が身を低くしたことが、毛布ごと橋板へとティナを置こうとしているように見えたようだ。
もちろん俺にはティナを手放す気などないので、ティナを包んだ毛布を抱え直す。
話を聞く様子のない俺にエドガーは怪訝そうな顔をしたが、俺だけへと注意を向けていられたのはここまでだ。
「うわっ!?」
「なんだ!?」
背後からあがる男たちの悲鳴に、エドガーの注意がそちらへと向く。
誰を連れて来たのかと思えば、エドガー邸でティナの周囲を固めていた男たちだ。
動きを見るに、騎士どころか兵士としての訓練すら受けていないような、どこにでもいる街のならず者といったところか。
そのならず者たちを背後から襲ったのは、コヨルナハルの社へと残してきたジャン=ジャックたちだった。
ジャン=ジャックは俺の狙い通り、 黒犬(オスカー) の異変に気付いて追いかけてきたようだ。
なぜ二手に別れているのかは判らないが、黒犬が獣道を通ったと思えば、ジャン=ジャックが違う道を探したとしても不思議はない。
結果として二手に分かれたのだろう。
「何だっ? 誰の差し金だっ!?」
反射的に、襲撃者から距離をとろうとしたのだと思う。
エドガーはつり橋を進み、背後を振り返った。
つり橋を渡りきった先で行われているのはジャン=ジャックによる襲撃なのだが、山賊に見えるよう粗末だが丈夫な服と簡易の鎧を纏っているため、自分たちが山賊の襲撃を受けたと考えたのだろう。
その考えは間違いではないが、 敵(おれ) に背を向けたのは間違いだ。
俺の手はティナで埋まっているが、攻撃手段がないわけでも、切り札がないわけでもない。
――来た。
背後から近づいてくる足音に、ティナを踏まれないよう覆いかぶさるように頭を下げる。
自分以外の動きで揺れるつり橋に、エドガーの注意がこちらへと戻った。
火を噴く筒を持ったエドガーの腕はジャン=ジャックへと向けられていたのだが、顔は背後へと振り返る。
その喉元へと、俺の背を足場に黒犬が飛び掛った。
「うおっ!? な、な……んだ……っ!?」
……本当に火を噴くんだな。
カッと落雷に似た音が響き、エドガーの手にした筒が火を噴く。
俺に向けた時は何かが飛び出してきたようなのだが、黒犬に飛びかかられたせいで狙いが逸れたようだ。
筒を向けられていたはずのジャン=ジャックにはこれといった変化はなく、次々とエドガーの連れていた男たちを伸している。
そしてエドガーは喉元へと喰らいついてきた黒犬に、手にしていた火を噴く筒を振り落としてしまった。
筒は凍った橋板の上を回転して滑ると、そのまま谷底へと落ちてく。
とても聞こえるとは思えない高さがあるのだが、カツンっと筒が底に落ちる音がした。
「このっ! ……馬鹿犬がっ!!」
火を噴く筒を失ったエドガーは、上着からナイフを取り出す。
黒犬を引き離すのが目的なのだろうが、喉元に喰らいついて離れない黒犬にこれを避けるすべはないだろう。
一度獲物へと噛み付いた黒犬が離れるとも思わなかったので、これに加勢する。
黒犬に気を取られてこちらへの意識がまるでないエドガーへと、足払いを一閃。
「なっ!?」
かくんっと姿勢を崩すエドガーに、黒犬は一度離れて狙いを定める。
次こそは、と再びエドガーの喉元へと襲い掛かるのだが、今度はしっかりとエドガーの喉を黒犬の牙が捕らえていた。
「うぁ……ああ……ぁああっ!」
……しまったっ!?
黒犬に喉へと喰らいつかれたエドガーは、ナイフをデタラメに振り回す。
そのうちの一太刀がつり橋の橋板を支えていた縄を斬り、ぐらりと足元が傾く。
「くっ!」
咄嗟に無事な反対側の縄へと右手を伸ばすのだが、雷に打たれた右肩がズキリと痛む。
左手はティナを抱えているために使えない。
痛みで反応が遅れてしまったが、なんとか右腕を動かすと、縄にはギリギリ手が届かなかった。
……落ちるっ!?
ふわっと一瞬だけ体が浮遊感に包まれる。
次の瞬間には谷底へ向って体が落下を始めたのだが、妙に思考が冴えていた。
……ああ、いい気味だ。
サッと絶望に染まる瞬間の、エドガーの顔が見られた。
できれば自分の手で報復をしたかったのだが、こんな顔が見られたのだから、もう充分だろう。
この先に待っているのは、避けようのない死だ。
この高さから落ちれば、まず助からない。
……ティナを助けに来たはずだったんだけどな。
姿勢のためか、黒犬がくっついているためか、俺よりも先にエドガーが谷底へと落ちていく。
その足を見つめながらティナの体を抱きしめる。
……焦りすぎたか。
ジャスパーがつり橋を渡りきってから追いつけば、ティナごと谷底へと落ちることはなかったかもしれない。
俺が襲撃の頃合を見誤った。
俺がティナを殺すのだ。
……せっかく取り戻せたのに、ティナを巻き込むなんて……っ!
先に落ちるエドガーの体から、黒いものが離れる。
エドガーの体が大きく揺れ、落下の速度が落ちたかと思ったらエドガーを追い越した。
エドガーを縫いとめたものは、つり橋の下にできていた 氷柱(つらら) だ。
顔面から氷柱が突き刺さり、腰のあたりから抜けていた。
……ティナを串刺しになんてするものか。
たとえ向う先に死が確定していたといても、俺にティナを守らないという選択肢はない。
谷底に叩きつけられるのなら、下になるのは俺だ。
氷柱が俺たちを串刺しにしようと待ち構えているのなら、串刺しになるのは俺だけだ。
俺は死ぬまでティナを守り続ける。
……底だ。
衝撃が来る。
俺が潰れる。
ティナは俺をクッションに、生き延びられるだろうか。
覚悟を決めてその時を待ったのだが、衝撃の代わりに俺とティナを襲ったのは暗闇だった。
……なんだ?
谷底へと叩きつけられる。
そう覚悟をしていたのだが、どぷんっと大きな音を立てて世界は一瞬で闇に染まった。
いったい何が起こったのか、と周囲を見渡すと無数の泡が見える。
……見える、ということは光がある?
闇に包まれたと思ったのだが、周囲が見えるからには光はあるはずだ。
泡が上って行くということは、上下も存在している。
……月明かり。ここは……谷川の中か?
泡の行方を追って視線を『上』へと向ける。
周囲は闇だとばかり思っていたのだが、目が闇に慣れてきたのか、青白い光が頭上から差していた。
どうやら、つり橋の下には川が流れていたようだ。
ただし、エドガーが氷柱に貫かれたように、本来の谷川は厚い氷に覆われているのだろう。
今のように氷を抜けて谷川の中へと落ちることは、ありえないはずだ。
「いつかの約束を果たしに来た」
ぬっと俺の胸から男の手が現れ、ティナを包んでいる毛布を撫でる。
たったそれだけの動作で毛布は開き、中から眠るティナの顔が出てきた。
「誰だっ!?」
胸から腕の生えた違和感を無視して、ティナごと背後を振り返る。
どうやら胸から生えた腕は幻覚か何かだったようで、背後には黒髪の男が立っていた。
……蒼い。
蒼い目をしている。
そう思った瞬間に、背筋を駆け上る確信があった。
見たことはなかったが、話には聞いたことがある。
人間も獣も、この世界に生まれた誰もが知っていて、愛し、慕わずにはいられない絶対の存在だ。
……神の選んだ人々の王。
気がついた時には、ティナを抱えたまま膝をついて頭を下げていた。
理由などない。
王に対し、頭を垂れるのは当然のことだ。
「そうだったな。それが普通の反応だ。おまえの妹のように、俺を前にして跪かずにいられるものは少ない」
顔をあげよ、と許されて改めて神王を見上げる。
こう考えることすら不敬かもしれないが、少し俺と似ていた。
アルフレッドとアルフのように似ているわけではないが、ランヴァルドと俺ぐらいは似ている。
ザックリとした造りが同じとでも言うのか、親子や兄弟と言って通じそうな雰囲気だ。
……うん? いつかの約束?
ここに来てようやく先の言葉が脳に届いた気がする。
神王の最初の言葉は「いつかの約束を果たしに来た」だ。
俺が神王と約束をした覚えなどないので、ティナがした約束だろう。
ティナは何度となく神王と遭遇しているらしいのだ。
……神王と約束をしたなんて、聞いていないぞ。
頼まれごとをした、という話は聞いたことがあるが、約束をしたという話は聞いていない。
いったいどんな約束をしたのだろうか、という俺の疑問へは、神王自身が答えてくれた。
「以前、ティナと約束をした。一度だけ助ける、と」
声には出していなかったのだが、神王へは隠しごとができないらしい。
内心の言葉への答えをもらい、腑に落ちるものがある。
……ああ、それでか。
今夜の不思議な出来事は、すべて神王がティナを助けようとしての采配だったのだろう。
黒狼の毛皮が俺に力を貸してくれたのも、木々が俺の邪魔にならないよう枝を避けてくれたのも、神王の働きかけだったのだ。
神王が来ていたのだとしたら、黒狼や木々が『我が王』と呼んでいたことにも納得がいく。
俺の心の内から聞こえていた声は神王のもので、俺の中にいる神王へと狼たちは従っていたのだ。
……それにしても、ティナは神王に『ティナ』と名前で呼ばれるのか。なんだか不思議な気がするな。
ティナが言うことには、ティナは何度か神王に会っている。
それを証明することはできなかったが、神王自身がこれだけ親しげにティナを名前で呼ぶのだ。
やはり嘘ではなかったのだろう。
目の前の神王が『神王』であることは、この世界に生まれたものならば誰でも 一目(ひとめ) で理解する。
神王については、疑う余地もない。
「おまえが現在妹と呼んでいる者の名は『ティナ』だろう。ティナと呼ぶことに不思議はない」
「ティナは『ティナ』で間違いありませんが、『クリスティーナ』が本名です」
ティナは愛称で、本名はクリスティーナだ。
ティナが子どもから大人への移行途中であるため、ティナの周囲の大人たちはティナを『クリスティーナ』と呼び始めている。
そろそろ子どもの時間は終わりだ。
見た目はともかく、十五歳という年齢だけはすでに大人の仲間入りをしていた。
「おまえの妹の名は『ティナ』だ。親が『クリスティーナ』と名づけようと、最初に本人が聞き取り、自分の名前だと認識した名が『ティナ』だ」
『クリスティーナ』とは人間がそう呼んでいるだけで、人間以外からはティナの名前は『ティナ』と認識されているらしい。
これを訂正して回ったとしても、ティナ自身が自分は『ティナ』だと最初に思っているので、過ちとして正されることはないのだとか。
奇妙な話だな、と思い始めていると、もっと奇妙な話が出てきた。
「おまえの『レオナルド』という名が偽りであるのと同じだ」
親が名づけ、俺が最初に俺の名前だと認識した名前ではない、と神王は言う。
俺の名前が違うことなど、なぜ神王が知っているのか。
そうは思うのだが、相手は神王だ。
そのぐらいの不思議は、不思議に思う方がおかしい。
神王は神が選んだ人々の王だ。
人(おれ) の王でもあるのだから、自分の物の名前ぐらい知っているのかもしれない。
「……『レオナルド』という偽りの名は、精霊に対する目くらましになっている」
「目くらまし……?」
目くらましとは何のことだ、と聞き返したかったのだが、神王はスッと腕を伸ばしたかと思うとティナを包んだ毛布の中へと手を入れる。
そのままティナの首筋あたりを探ったかと思うと、抜き出した手には赤いワンピースを着た小さな少女が捕まっていた。
「精霊……? ティナは精霊に嫌われたと言っていたが……」
「これはおまえが付けた精霊だろう。おまえがこれの宿った花を贈り、ティナは花が枯れるまで慈しんだ。それゆえにティナを慕ってくっついていたのだろう」
しかし、と言葉を区切る神王に、手の中の少女は怯えたような顔をする。
キーキーと何か高い声で叫んでいるのだが、言葉は判らなかった。
「やりすぎだ。個人へほんの少し助力を行なう程度ならばいいが、他者へ報復を行なうようになっている。ここまで 個人(ティナ) へ執着するようになっていては、もはや精霊とは呼べないモノになりつつある」
いずれ大きな災いとなるだろう、と続いた言葉に、ヒヤリと肝が冷える。
精霊の報復については、ジゼルの手紙にも、ジャン=ジャックからの報告にもあった。
ティナの周辺で、ティナを直接傷つけた者が時差はあるものの同じような目にあっている。
ジャスパーは腕を切られた程度だったが、水責めの拷問を行なった拷問官は水瓶に頭をぶつけて死んでいた。
ティナのために報復をするつもりがあるのなら、ティナをそんな目に合わせた誘拐犯にこそ報復をしてもらいたいものなのだが、そこは精霊の仕事だ。
直接手を下した者以外は、報復の対象として見ていない。
人間から見ればそうするよう指示や命令を出した側にこそ責があるのだが、精霊から見れば責があるのは直接手を出したものだけだ。
人間社会にある上下関係など、精霊に理解できるものではないのだろう。
神王が「いずれ災いとなる」と言うのは、冗談でも考えすぎでもない。
報復が行なわれるまでの時間が短く、その結果として死んだ人間がいる。
このままティナに暴走を始めた精霊がついたままであれば、ティナは人の輪の中で生活できなくなるだろう。
ちょっとした口論の末に肩を突きあうような喧嘩をしたとして、その相手は後日精霊によって殺されることになるのだ。
ティナとつき合うと死ぬ。
そんな噂を立てられかねない。
「そのエノメナの精霊をどうするのですか?」
「長く怠けていたが、俺は俺の仕事をする。変質しつつある暴走を始めた精霊は放置できない。無に返す」
「それは……」
形はどうあれ、ティナを守ってくれていた存在が死ぬということだろうか。
確かに暴走を始めてはいたようなのだが、すべてはティナへの好意と、守ろうとして行なってくれていたことだ。
それが理由で神王に罰を受けるというのは、どうにも落ち着かない。
「精霊は人間とはまったく性質の異なるものだ。無に返すとは言っても、それは個としての意識を霧散させるだけ。存在そのものが失われるわけではない」
ティナに対する執着を霧散させ、本来の状態に戻るだけらしい。
ティナを守ったせいで精霊が殺されるのではないかと心配したが、少し意味が違うようだ。
「ティナを守ってくれてありがとう。そのせいで、神王に睨まれることになってしまって、すまない」
また生まれてきたらティナと仲良くしてやってくれ。
そう神王の手の中の少女へ話しかけると、高い声で鳴いていた少女がおとなしくなる。
おとなしくなった少女に神王が手を緩めると、手から抜け出た少女はティナの肩へと移って額へキスをした。
そのあとは、本当に一瞬だ。
少女が神王の胸へ飛び込んだかと思うと、光の粒となって消える。
光の粒がゆっくりと落ちていくのを見守っていると、神王からの『警告』が聞こえた。
「本当の名は決して名乗るな。目くらましが解けたら、何が起こるか判らない」
何に対しての目くらましなのか、と考えれば精霊に対する目くらましだろう。
先ほどティナの名前を精霊は『ティナ』だと認識していると教えられたばかりだ。
……俺の名は、精霊に攻撃を受けるような名ではないはずだが。
何が起こるか判らない、ということは精霊の引き起こす最悪の事態を考えて『攻撃』だろう。
ティナについていたエノメナの花の精霊は、人間を一人殺している。
精霊の攻撃の標的になるのなら、俺も命を狙われるということだ。
「以前とは違う。俺は今さら人間の寿命ぐらい待ってやれるが、精霊には気の短いものもいる」
……なんだ? なんの話だ?
なんの話をしているのだろう。
理解が追いつかない俺を無視して、神王はティナの額へとキスをした。
微かに唇が動いていたが、声は聞こえない。
しかし、唇の動きを読むことはできたので、神王がティナに囁いた言葉は判った。
神王はティナに約束の完了を宣言すると、最後に一言。
もう一つ願いができた、と囁いた。
おまえがそれを叶えてくれ、と。