作品タイトル不明
ジゼル視点 白き役立たず 12
カルロッタと名乗った老淑女の訪問以来、クリスティーナに運動をさせることが少しだけ楽になった。
カルロッタの持って来た仔犬のぬいぐるみをクリスティーナが気に入ったらしく、仔犬の散歩をしてあげましょう、と誘うだけでサンルームの中を歩くようになったのだ。
これでわずかずつでも筋力を取り戻せるだろう。
……エドガーは今日も苛立っていますね。
カルロッタが現実を思いださせて追い払い、数日はクリスティーナ目当ての来客も減っていたのだが、それもまた元に戻った。
カルロッタのようにクリスティーナを手懐け、鳥籠の中へと招待されるものは一人もいないのだが、この騒ぎが続く限りエドガーの苛立ちも続くのだろう。
来客の前に出ることもある私や他の見目のよい 女中(メイド) はそれほどでもないが、人前に出ることのない使用人は顔が腫れ上がるほどに殴られたり、指の骨を折られたりとしていた。
「システィーナを帝都へ連れて来たのは失敗か」
連日のように来客があり、その来客の目当てはクリスティーナである。
誘拐されて行方不明だった姪を救い出し、自分は保護をしているのだ、とエドガーは説明しているが、真実は逆だ。
クリスティーナは、エドガー自身が誘拐してきた被害者である。
本来なら誘拐してきた被害者など隠しておきたいはずだが、クリスティーナの可愛らしい顔立ちがそれを許さなかった。
クリスティーナを閉じ込めるのではなく着飾らせ、悪趣味にも鳥籠へと飾ったのはエドガーだ。
少しでも快適に過ごせるよう日当たりのよい部屋を用意したのか、明るい場所でクリスティーナの顔を眺めたかったのかはこの際どうでもいいが、敷地外からも見える窓辺へと鳥籠を設置したのもエドガーである。
クリスティーナの顔に好奇心を刺激された貴族たちが群がってこようとも、すべてはエドガーの責任だ。
「塔の賢者からの迎えはまだ来ないのか? 皇帝の許可か塔からの招待がない限り、あの塔へ近づけばそれだけで反逆罪だ」
「賢者殿は少しのん気なところがありますので。たしか最後に会った時は……失われた精霊術を引き出す方法に目途がついたとかで、しばらくは忙しいので顔を出すな、と言っていましたね」
あれから五年は経っているはずだが、まだ精霊術とやらを研究しているのだろうか、とジャスパーが首を傾げる。
私はというと、別のことで首を傾げたいのだが、これを我慢した。
……エドガーが誘拐の黒幕じゃ、なかったの?
二人の話に聞き耳を立てていると、こんな疑問が湧いてくる。
てっきりエドガーがニホン語を読ませるためにクリスティーナを攫って来たのだとばかり思っていたのだが、クリスティーナをどこかへと連れて行く予定らしい。
塔といえば、エラース大山脈の山頂に建造中だという『黎明の塔』がすぐに思い浮かぶのだが、あの塔のことだろうか。
エラース大山脈の中腹にある帝都からならば見えるかと、時折窓の外を眺めているのだが、山頂は吹雪いているのか、いつ見ても塔の影すら見えたことはなかった。
……クリスティーナお嬢様が移動させられるとして、私も一緒に行けるのだろうか?
近頃はエドガーもクリスティーナの扱い方について理解してきた気がする。
ヘルミーネと同じ香水でクリスティーナの関心を引けることに続き、仔犬のぬいぐるみである程度の誘導が容易にできるようになってきた。
そして、この仔犬のぬいぐるみを使った誘導は、私以外でも効果がある。
さすがにエドガーとジャスパーの言葉は無視するのだが、他の女中が「仔犬の散歩に行きましょう」と呼びかけてもクリスティーナは歩いた。
クリスティーナの誘導は、必ずしも私でなければできないということではない。
となれば、そろそろ私は処分される頃だろう。
本来はクリスティーナに対する人質として連れて来られたはずなのだが、今のクリスティーナに人質など意味がない。
下手をしたら仔犬のぬいぐるみを取り上げる方が、私を人質にするよりも効果が期待できるぐらいだ。
……おとなしくしていろ、と指示はあったけど。
本当にただ助けを待っていればいいのだろうか。
クリスティーナの迎えはすぐ近くまで来ているようなのだが、 黒犬(オスカー) が手紙を運んできてからの接触はない。
手紙を信じてクリスティーナの健康と安全を第一に考えていればいいと思っていたのだが、何か自分でも行動を起すべきなのではないかと、焦る気持ちが私の中にもある。
……いっそ、クリスティーナお嬢様を連れて館の敷地外へと出てみようか。
敷地内への侵入が難しく、館を誰かが見張ってくれているというのなら、敷地外へと連れだせれば誰かがクリスティーナを迎えに来てくれるかもしれない。
たとえ敷地外へとクリスティーナを連れ出すことが失敗に終わったとしても、クリスティーナ自身の心配はいらない。
私はエドガーに処分されるかもしれないが、クリスティーナはエドガーでも傷つけることができないはずだ。
クリスティーナを利用するために誘拐したのだから、その命を脅かすことはありえない。
いずれ処分されるのなら、一度ぐらい無茶をしてもいいかもしれない。
そんなことを考えて数日が過ぎると、館へと少々毛色の違う来客が現れた。
連日の来客たちはみな身なりのよい紳士たちだったのだが、今日の来客は違う。
白騎士の纏う見栄えばかりを気にしたものに近い、実用性に欠ける装飾的な白銀の鎧と深紅のマントを纏った騎士と、あとは見るからに雑用をさせるために連れてきたとしか思えない兵士が十人やって来た。
兵士が雑用のためと思ったのは、人間一人がやっと入れそうな小さめの檻を運んできたからだ。
騎士の方はもちろん、手ぶらである。
……檻というよりも、鳥籠? クリスティーナお嬢様の鳥籠と比べたら恐ろしく狭いけど。
クリスティーナが日中を過ごす鳥籠と比べれば狭い鳥籠だが、それでも鳥を入れるには十分な広さのある鳥籠だ。
人間が入れそうだ、と思ったのは間違いではない。
……違う。
兵士たちが運んできた鳥籠は、やはり『檻』である。
そう気がついたのは、騎士が口を開いたからだ。
「エデルトルート皇帝陛下からの勅使である。近頃なにかと城下を騒がせている生き人形が、恐れ多くもエデルトルート皇帝陛下へと献上されることとなった。速やかに人形を鳥籠へと移乗せよ」
鳥籠の鍵はどこだ、と叫ぶ騎士に、逆らえる者などこの場にはいなかった。
皇帝の勅使が「献上されることとなった」と言うのだから、つまりはエドガーへと皇帝から命が下ったのだろう。
美しいと評判の少女を見たい、と。
エドガーがこれに粛々と従うはずはないと思うので、勅使を使った接収という形になったのだと思う。
ズーガリー帝国において、皇帝の言葉は絶対だ。
さすがのエドガーもこれには逆らえず、クリスティーナを奪われることになったのだろう。
ことの次第を確認するためか、ジャスパーが部屋から走り出て行く。
兵士がサンルームまで入り込んでいる以上、エドガーが知らないことだとは思えないのだが、たとえエドガーが『知らない』と騎士たちの蛮行に抗議したところで、それらは黙殺されるだろう。
ズーガリー帝国とは、そういう国だ。
上の人間は、下の人間の都合など考えない。
ある意味で、エドガーが使用人たちへと八つ当たりをするのと同じだ。
今回に限っては、エドガーが踏みにじられる側になっただけである。
「エデルトルートにシスティーナを差し出すなど、何を考えて……っ!」
ジャスパーが声を荒げるなんて珍しいな、とクリスティーナのいない空になった鳥籠を見つめながらぼんやりと思う。
クリスティーナの迎えは館を見張っているとのことだったが、クリスティーナが皇城へと連れ出されてしまったことはレオナルドの下へと報せが行っただろうか。
報せが行っていないことを考えて、こちらから知らせる手段を考えた方がいいかもしれない。
でもどうやって、とずっと考えているのだが、いい考えは浮かんできてくれなかった。
……本当に私は、いざという時に役に立たない。
あの時もそうだ、とクリスティーナが誘拐された日を思いだす。
カリーサは女中の身でありながらクリスティーナを守ろうと懸命に戦っていたが、私は物影に隠れて震えていただけだ。
クリスティーナが殴り飛ばされた時も、カリーサが鉈を拾い上げて男たちに振り下ろした時も、私は黙って見ていただけだった。
「エデルトルート皇帝陛下から命が下ってしまったのだから仕方がない。皇帝陛下は、システィーナの出自を存じておられたぞ」
……え?
どうやら皇帝は、クリスティーナが攫われてきた少女だということを知っているらしい。
出自を知っているということは、レオナルドの妹であることや、イヴィジア王国の人間であることも知っているのだろう。
知った上で、エドガーからクリスティーナを取り上げている。
有無を言わせずにクリスティーナを運んでいった騎士の態度を思えば、クリスティーナが皇帝の手を通じてイヴィジア王国へと返されるということは期待できないだろう。
出自を知っているということは、クリスティーナがニホン語の読める転生者であるということを知っている可能性もある。
「システィーナが何者かはエデルトルート皇帝陛下も存じている。無茶はしないだろう」
「エデルトルートは二十年前……そろそろ三十年前か。ニホン語の読める転生者を、転生者と承知で殺した愚か者だぞ」
「口が過ぎるぞ、ガスパー」
エドガーの声音が一段下がる。
それに気がついたのか、部屋の隅に控える女中の背筋がピンと伸びた。
これはまずい兆候だ。
エドガーの機嫌が悪くなると、私や女中へとそれは向けられる。
……エドガーも、皇帝が転生者でも殺す愚か者だと知っていたのね。
知っていたからこそ、ジャスパーに対しては平然とした顔をして見せているのだが、内心では焦っているのだろう。
危険を冒してまで攫ってきたクリスティーナを、その重要性を知りながらも平気で殺してしまうかもしれない愚者に横から奪われたのだ。
クリスティーナに何を読ませたかったのかは判らないが、皇帝の暴走によってはエドガーの計画も共倒れになってしまう。
「システィーナは奪われたが、褒美として黎明の塔へ向う許しは得た。これで塔の賢者に会うことができる」
「システィーナがいなければ、塔へなど行っても意味がない」
ジャスパーの言葉から察するに、クリスティーナに読ませたいニホン語は『黎明の塔』にあるのだろう。
無断で近づけばそれだけで反逆罪となる塔へ行く許可が皇帝から下りたということは喜ばしいものだったが、エドガーだけが『黎明の塔』へ行っても何にもならない。
ニホン語を読めるクリスティーナは、皇城にいるのだ。
らちが明かないと判断したのか、ジャスパーが無言でサンルームから飛び出して行く。
その背中を追って逃げるように部屋から出て行く女中を見送ると、エドガーが指を弄っているのが目に付いた。
指といっても、エドガーのそこに指は無い。
カリーサに噛み切られ、普段は手袋へと綿を詰めて誤魔化している指だ。
ここを弄っているエドガーは、知っている限りで一番機嫌が悪い。
そして、この場にエドガーが苛立ちをぶつけられる人間は、私しか残っていなかった。