軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

レオナルド視点 軍神ヘルケイレスの祭祀

当初の予定よりも必要な紙とインクが増えてしまったのだが、それらの手配はニルスが引き受けてくれた。

ニルスはメンヒシュミ教会で学者になるべく働いている少年なのだが、ラガレットの商人の息子だ。

とはいえ商品の手配などはお手の物とはいえないはずなのだが、急遽増えた紙とインクの必要量を、ニルスはありえない幸運の連続で確保してきた。

これが精霊の寵児が持つ豪運か、精霊の加護を失っているはずのティナが心配になってくる。

とはいえ、ティナが幸運に次ぐ幸運を引き当てているさまなど見たことがないので、これはニルス個人が持つ運なのかもしれない。

精霊の寵児すべてが強運の持ち主というわけではないのだろう。

……ティナが本当に幸運だったら、十にも満たない年齢で両親と死に別れたりしないだろう。

指南書の印刷については俺に手伝えることなど本当にないので、ニルスとランヴァルドに任せることになる。

任せきりになってしまうのは多少どころではなく心苦しかったのだが、俺が手を出しても邪魔にしかならないだろうことも判っていたので、手間賃だけははずんでおいた。

メンヒシュミ教会の印刷工房で働く者たちには仕事を増やして申し訳ないのだが、増やした手間賃で美味しい物でも食べて精をつけてほしい。

……俺にできることは情報収集と整理、黒騎士の運用ぐらいだな。

ティナはニホン語の読める転生者として、クリストフの庇護下にある。

そのティナが攫われたということで、捜索のために黒騎士を動かすのは軍事力の私的利用にはあたらない。

ティナは俺の妹だが、国王の庇護を受ける転生者でもある。

国王の庇護下にある人間が攫われたのだから、それを取り戻すために黒騎士が動くのは当然ともいえた。

……そんな当たり前なことも、あの日は頭が回らなかったんだよな。

アルフレッドにすべてを押し付けてティナを探しに行こうとしてしまった。

兄としては仕方がない行動であったかもしれないが、砦を四つも預かる騎士としては間違った行動だ。

少し頭が冷えれば、嫌でも判る。

俺が一人で飛び出していっても、ティナを取り戻すことは不可能に近い。

しかし、もどかしくとも地道に情報を集め、黒騎士を使えば、ティナに手が届く可能性が生まれる。

……解ってはいるが、何もできることがないというのも辛いな。

今の俺にできることといえば、通常通りに砦を動かしていくことだけだ。

身軽に砦を飛び出していくことはできないので、地道な捜査は黒騎士任せになっているというのも辛い。

アーロンの纏めた報告書を読み、確認が必要な箇所は口頭での説明を求める。

未だに視力は戻っていないのだが、白銀の騎士として鍛えた頭脳を遠慮なく使わせてもらっていた。

……よく考えたら、白銀の騎士が八人もいるんだな、今の砦は。

俺とアルフレッド、アルフが同年に白銀の騎士となった。

今はクリストフの名代として砦に出向してきているアルフレッドは、王族に付けられる護衛として白銀の騎士を二人つれている。

おまけとしてランヴァルドの見張りに白銀の騎士が二人来ていて、アーロンもいた。

クリストフの居城の次に白銀の騎士が多く詰めている、一種の異常事態だ。

……異常事態といえば、ランヴァルド様が館に住むと言い始めた時にはまいった。

ティナの居所をつかめれば俺が迎えに行くつもりでいるため、その間の身代わりをグルノール砦においておく必要がある。

俺としてしばらく振舞ってもらう予定であるため、俺の癖や立ち居振る舞いを観察したいというのは解るのだが、妙に生暖かい目で見守られている気がして、居心地が悪い。

……結構楽しそうにはしているんだよな。ミルシェとも相性がいいみたいだし。

生暖かい目で見守られるのは居心地が悪いのだが、ランヴァルド自体は毎日楽しそうに過ごしていた。

病死したことにして王城を出て以来、市井に紛れて生きてきたそうで、平民に対する傲慢さというものが欠片もない。

使用人として俺に買われたミルシェに対しても、成人するまで行儀見習いに来ている子ども程度の扱いで、時折物を教えてくれていた。

……仕事の覚えも早いんだよな。

俺の代わりとして砦にいてくれるだけでよかったのだが、ランヴァルドは仕事も代わってやろう、と言いはじめた。

ならばものは試しに、と少し俺の書類仕事を回してみたのだが、そつなくこなされて困惑している。

王子時代のランヴァルドはとにかく病弱で、読み書きといったメンヒシュミ教会で平民が教わる程度の教養は身につけているが、王爵を得るために必要になるより高度な教育は受けていないはずだった。

メンヒシュミ教会で教わること以上の学が求められる黒騎士の仕事を、書類上とはいえランヴァルドが一度説明を聞いただけで問題なくこなせるということが不思議でならない。

「……それほど不思議がることはない。学ぶということは、本人にやる気さえあれば、いつでも、どこででも学ぶことができるのだから」

完璧に整えられた書類に、思わず本音を零したところ、ランヴァルドからは苦笑混じりにこんな答えが返ってきた。

王城を出たとしても、より高度な学を修める機会はある、と。

「たしかに、メンヒシュミ教会には基礎教養以上の学が修められる場もあるが……」

メンヒシュミ教会から無料で授けられる学は読み書きと少しの計算、常識の範囲に収まる歴史と神話といった一般教養までだ。

ニルスのようにその先も学びたいと思えば、授業料を払って学ぶしかない。

裕福な家庭であれば親が授業料を払い、親が学ぶことに反対であれば本人が家を出てメンヒシュミ教会で働きながら授業料を支払うという方法がある。

ニルスの場合は後者だ。

他所の家庭の話なので俺がどうこう探るのもおかしなことだが、ニルスがティナと出会った頃すでにメンヒシュミ教会で働いていたのは、そういうことだろう。

「王子時代は王爵教育を受けていないが、同等の学を外で修めてきたつもりだぞ。安心して書類仕事は任せてくれていい」

筆記は得意だ、とランヴァルドが言うので、筆記以外は駄目なのか、と返しておく。

なにぶん知っている王爵を持たない王族が仕事をしている姿を知らないため、仕事のできる王族というものが想像できなかった。

「領地経営はさすがにやったことがないからな。 領地(あれ) は生き物だ。机上で知識だけ詰め込んでもどうにもならん」

だからこそ、王爵教育の中には実際の領地を経営するというものが含まれている。

こちらの合格条件は領地を大きく発展させることではなく、領民の生活を守り、安定させることだ。

天候や自然災害によって、領民の生活には絶対的な安定というものがない。

そこを領主の裁量で飢饉の年は税を抑えたり、伝染病が発生すれば税を使ってセドヴァラ教会の薬師を町や村へと派遣したりとして、領民の生活を守る。

とにかく机の上で本を読んでいるだけでは、本当の意味では身につかないものだ。

「領地経営の面ではアルフへ任せるから安心していいぞ。アルフはもう何年も前から領地を預かっている経験者だからな」

「王爵教育の一環、でしたね。領地の経営は」

「王爵教育といえば……おまえはすぐにでも王爵を得られる状態だな。白銀の騎士として教育が終わっているし、安定した領地の経営も砦を預かることで経験済みだ。四つの砦を同時に預かることで、より広大な領地を治められる技量がある、と認めさせることもできる」

「……ティナに逃げられたくはないので、クリストフ様の養子にはなりませんよ」

なんだか雲行きがおかしくなってきたぞ、と会話を打ち切らせる。

王爵の条件に『数年間の安定した領地経営』という項目があることは知っているが、それと俺が砦を預かることにはなんの関係もない。

俺は砦と騎士団を預かることで領主のような役割も果たしているが、そもそも王族ではないのだ。

俺が王爵を得るためには王族になる必要があるし、そもそもティナが嫌がりそうな面倒な身分になどなりたくはない。

養子や王女への婿入りの話はあったが、すべて断ってきた。

「兄上の養子に、という話は以前からあったのか」

「王女の婿に、という話が流れた時にそのような話をいただきましたが、お断りしました」

あの頃はクリストフをはじめ、さまざまな立場の人間から養子に、という話が来ていて、正直息苦しかったのを覚えている。

家族というものに憧れはあったが、俺が求めるものと彼らが与えてくれるであろう物には齟齬があったのだ。

俺が欲しかったのは家族であって、後見人ではない。

……そして、俺の家族は 妹(ティナ) だけだ。

血の繋がった弟妹もいるはずだが、見つからないのだから仕方がない。

どうやら書類仕事は任せても大丈夫そうだ、とランヴァルドにまわす書類を増やす。

いっそ机に向かう仕事のすべてを任せて俺は体を動かす仕事をしたい気もしたが、ランヴァルドの主な目的は俺の観察ということなので、俺が離れると途端に机から離れてしまう。

効率よく仕事をこなしていくためには、ランヴァルドへは仕事を少しずつ回していくしかない。

……書類仕事は任せられるとして、追想祭と神王祭の祭祀はさすがに駄目だな。

祭りの日に行う祭祀は、神々への宣誓という意味合いがある。

砦で一番の強者どころか、代理の二番手でもない人間に祭司を務めさせるわけにはいかない。

ランヴァルドを砦に置くのは人間の目を欺くためだが、神々の目を欺くような真似はできなかった。

……まあ、追想祭はともかくとして、神王祭はもともと四年に一度だったからな。なんとかなるだろう。

俺としては毎年四つある砦のどこかで祭司をしているのだが、それぞれの砦にいる黒騎士たちにとっては俺が祭司を務めるのは四年に一度だ。

ついでに言えば、王都で神王祭の祭司を務めたり、戦をした年はルグミラマ砦を優先したりとで、これまでの順番が少し乱れている。

二・三年であれば、俺がどの砦の祭祀に参加していなかったとしても、外からの目は誤魔化せるだろう。

神王祭の朝までに一度顔を出してほしい、とバルトからの報せを受け、一度館に顔を出す。

祭りの朝までに、と言われれば、そのギリギリの朝に顔を出したものだから、バルトに続いて迎えに出てきたミルシェは少し眠そうな顔をしていた。

「暖炉の火をどうするのかと、ご指示いただきたかったのですが……」

「暖炉の……そうか、神王祭の夜の暖炉か」

神王祭の暖炉といえば、精霊に攫われた子どもが帰ってくるという御伽噺がある。

実際にティナが精霊に攫われる我が家としては、御伽噺なんて可愛らしいものではない。

しかも、ティナが館の暖炉に帰ってきたことは一度もない。

精霊には三度攫われたが、一度目は遠く離れたマンデーズ館の暖炉に現れ、あとの二回は王都にある『精霊の座』へと帰還した。

一度目は俺の滞在中の館、という意味では俺の元へ帰って来たようなものだったが、あとの二回はティナの意思も、俺の意思も介在していない。

完全に精霊側の都合だ。

「今回ティナを攫ったのは精霊ではなく、人間なんだが……」

人間に攫われたのだが、ティナが精霊の力を借りて帰ってくる可能性がわずかにでもあるのなら、暖炉に火は入れない方がいいだろう。

となれば、暖炉へは薄く灰を撒いて手形をつけておきたい。

「……ティナの手形はつけようがないな。ミルシェの手形はどうした?」

「ミルシェは使用人ですので、離れの暖炉に手形をつけさせました」

「では、居間の暖炉へもミルシェに手形を頼もう。ティナが目印にして帰ってくるかもしれない」

頼んだぞ、とミルシェの頭を撫でて砦へと戻る。

神王祭の夜を館で過ごさないのは、ティナが居た時と変わらない。

俺が黒騎士である間は、一緒に過ごすことはないだろう。

新年の始まる夜に行われる軍神ヘルケイレスの祭祀は、砦の中庭に作られた祭壇で行われる。

概要としては、新しい一年も手にした力に驕ることなく己を律し、民を守るためにのみ剣を振るう、と軍神ヘルケイレスへと宣誓する祭祀だ。

追想祭でティナが神々の仮装をするように、この祭祀でもみなそれぞれに仮装をしていた。

祭司を務める俺を含めた十三人が古の戦装束に身を包み、あとの者も古風な衣装を身に纏う。

古代の衣服を真似ているために縫製が荒く、隙間から風が入り込んできて寒いのだが、そこは毛皮を纏うことでやり過ごす。

この祭祀が寒いのは、最初だけだ。

長々とした軍神ヘルケイレスへの宣誓の後に剣舞の奉納で体を温め、鎧を纏った十三人での模擬戦が行われる。

そのあとは誰でも参戦できる腕相撲や格闘といった力比べが始まり、その中には飲み比べも含まれていた。

とにかく、力自慢の男たちがさまざまなことで競い合い、軍神ヘルケイレスの目を楽しませる祭りだ。

……本来は、宣誓の後は馬鹿騒ぎをする祭祀なんだが。

今年はそんな気分になれそうにない。

神王祭の夜をティナと過ごせないという意味では例年通りなのだが、ティナが 館(いえ) に居ないという事実が、心に重く圧し掛かっていた。

今年は例年通りであって、けっして例年通りではない。

波打つ心を静めるため、深呼吸を繰り返す。

軍神ヘルケイレスに新たな一年も己を律してください、と願う祭祀でもあるのだ。

祭司を務める俺が心乱れているわけにはいかない。

なんとか心を落ち着けて宣誓を捧げると、剣舞の奉納を行なう。

模擬戦が終わる頃には、酒宴の準備も整えられていた。

……アルノルトはティナ不在のグルノールで酒宴など不謹慎だ、と自粛してくれようとしたようだが。

例年皆が楽しみにしている祭祀後の酒宴が、今年は自粛の危機に瀕していた。

酒宴も含めて軍神ヘルケイレスの祭祀である、と例年通り酒が振舞われることになったが、やはりティナの不在が気になるのか宣誓と剣舞のみに参加し、仕事へ戻る黒騎士もいる。

……ティナは砦の黒騎士に好かれていたからな。

少しだけ酒宴に付き合ってから、俺も今夜は館へと帰ることにした。

ティナが戻ってくるかもしれない暖炉へ火を入れるわけにもいかないので、薪ストーブを用意して居間の暖炉の前に陣取る。

寒さを凌ごうと思えばティナが王都で作らせた炬燵があったが、炬燵はティナの部屋にある。

今夜のためだけに下ろしてくるのも面倒なので、室内でも外套を着たままで過ごした。

……コクまろも、随分回復したな。

世話をするミルシェが離れに戻ったため、 黒柴(コクまろ) も離れへと連れて行かれたが、先ほどまで暖炉の横に陣取って俺と一緒にティナの帰りを待っていた。

なんとか自力で立ち上がれるまでに回復した黒柴は、現在はヨロヨロとだが歩く練習を始めている。

時間はかかりそうだったが、また元気に庭を走り回れるようになってくれそうで一安心だった。

……ある時には邪魔にも思ったが、なければないで惜しいと思うとは。

気まぐれにティナを連れ去る精霊を恨みもしたが、今の俺はこうしてその精霊の悪戯を待ち構えている。

どこかへと誘拐されたティナを精霊がその場から攫い、館の暖炉へと連れ帰ってはくれないだろうか、と。

我ながら図々しい考えだとは思うのだが、ティナの行方がつかめない以上、今の俺にできるのは暖炉の前で待ち続けることぐらいだった。