軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

閑話:レオナルド視点 俺の妹 16

ラガレット行きを決めたからには、早々にティナの作った絵画を引き取りたい。

館の警備を手薄にするわけにはいかないし、それでなくとも砦の主が自分の守る砦から離れることは好ましいことではない。

ティナが俺のためにと作ってくれた絵画なので売却する気はないのだが、念のための最終確認にはやはりティナの意思確認が必要になる、とティナも同行させる。

ティナを同行させるとなると世話係に 子守女中(ナースメイド) が必要になり、結果として馬車を用意することになって身軽な小旅行とは行かなくなった。

……そういえば、十歳になったら乗馬を教えると言って、まだ教えていなかったな。

ティナが一人で馬に乗れるようになれば、馬での旅行も可能になるのだが。

それでもまだ小さなティナを一人で馬に乗せることには不安があるので、二人乗りは必須だろう。

多少移動にかかる日数が減るだけで、馬車での快適で安全な旅程とは比べるまでもない。

ティナをつれての移動なら、ティナが一人で馬に乗れるようになったとしても馬車は必須だろう。

夏も近づいてきたので、川の水も少し冷たい程度になった。

春から秋にかけては、港のあるティオールの街から川伝いに荷物の輸送が盛んに行われる。

今回も、その輸送船の世話になることにした。

グルノールの街からラガレットへは川を下ることになるので、なにもしなくとも半日で着くが、アバックに船を引かせればその半分もかからない。

前回川を使ってラガレットからグルノールへと帰ってきた時のように、今回は小型の船へと馬車を載せて川を下ることにしたのだが、船の上でティナは大はしゃぎしていた。

うっかり船から転落などさせないように、と常にティナの後をついて歩くサリーサが少しだけ大変そうだ。

「 河馬(アバック) はやっぱり早いですね! 『モーター』を積んだ船みたい!」

早いはやいと喜びながら、ティナの口から耳慣れない単語が飛び出てくる。

ニホン人の転生者であると打ち明けてくれて以来気が緩んだのか、ティナの口からは時折知らない言葉が出てくるようになった。

今にして思えば、何度聞いても理解できなかったティナの寝言も、ニホン語だったのかもしれない。

「ティナ、モーターとはなんだ?」

「ほ?」

無意識に前の知識の話をしているだろう、と指摘してやると、ティナは素っ頓狂な声をあげた。

それから少し考える素振りを見せて、乱れていた口調と姿勢を正す。

「えっと、モーターというのは……船の動力? でしょうか。あ、あれ? でもモーターは『ラジコン』にも付いてたし、それを考えたら『飛行機』にも付いているはずだし……? そもそも動力は『エンジン』の方……?」

うーん? と難しい顔をして考える素振りを見せる少女は滑稽で可愛らしいのだが、口から出てくる単語は不穏の塊だ。

さっぱり意味が解らない。

つまりは、前の記憶から出てくる単語なのだろう。

「わかりました。モーターは間違いで、船に付いているのは『スクリュー』です」

「うん。俺も判った。それは前の知識だろう」

少し声を潜めような、指摘をすると、ティナもようやく己の無用心さに気が付いたようだ。

パッと両手で口を塞いだあと、ばつが悪そうに目を泳がせはじめた。

……ティナは自分のことをニホン語が読める程度の知識しかないと言っていたが。

この分では、さまざまな知識を持っていてそうだ。

ティナは考える力があるというのか、筋道をつけて考えることが得意だ。

砂糖と角砂糖で薬の材料が粒状であるか、粉状であるかの違いを説いたように、聞きかじった程度の知識であっても、一つの知識として整理して纏め上げることもできるかもしれない。

……欲しがる奴が多そうだな。

ティナがニホン人の転生者であると知られれば、目の前へと大金を積んでティナを売ってくれと言ってくる者は多いだろう。

就職や嫁入りで手放すことはあるかもしれないが、ティナを他所へ売るつもりはない。

家族を売るような人間に、 家族(いもうと) を持つ権利などないと思うのだ。

……頼りない兄だけどな。

昨年の夏の喧嘩から、そろそろ一年が経とうとしているのだが、ティナからの呼びかけは『レオナルドさん』と昔に戻ったままだ。

まだ『お兄様』と呼んでもらえていなかった。

船から降りると、早速馬車へと乗り込む。

前回の失敗を踏まえてジェミヤンの自宅である郊外の本宅へは寄らず、ラガレットの街中にある画廊へと直接向った。

さすがに誘拐事件の直後ぐらい 娘(バシリア) の傍にいてやるかと思ったのだが、ジェミヤンは普段となにも変わらず画廊へと寝泊りをしている。

普段から本宅へは帰っておらず、今回も画廊にいると考えた方がいいだろう。

……なんだ?

馬車が画廊の前に止まり、ステップから降りる。

ティナのエスコートをしようとステップの側に立っていたら、周囲からざわりとどよめきが起こった。

不審に思い周囲を見渡してみると、少し離れた道端にご婦人方が密集している場所がある。

どよめきはあの辺りから聞こえた。

いったい何事かと眉を顰めたのだが、ティナの小さな手が俺の手へと重ねられて意識が引き戻される。

まずは安全にティナを馬車から降ろさねば、とティナへと視線を戻せば、また周囲からどよめきが上がった。

……なんなんだ?

チクチクとした視線を感じはじめ、 理由(わけ) もわからず視線の元を追う。

この辺りか? とあたりをつけた場所へと視線を投げかければ、一人の淑女が悲鳴をあげて倒れた。

「なんだ?」

「熱中症でしょうか? それほど日差しは強くないと思いますが……」

はて? とこちらも不思議そうに首を傾げながら、人山ができつつある倒れた淑女の方へとティナが顔を向けている。

ティナをエスコートしてそのまま画廊へ入るべきか、道端で倒れたらしい淑女の介抱へ向かうべきかと少しだけ考えて、淑女の元へと向かった。

幸いなことに、ここはジェミヤンの画廊の目の前だ。

誰かを報せにやれば、画廊の使用人が淑女の世話を見てくれるだろう。

「いかがされましたか、お嬢さん。私の助けは必要で――」

「きゃあああああああっ!? 視線で犯されるっ!! 孕んでしまいますーっ!!」

「……は?」

こちらとしては眩暈で倒れたらしい淑女に、騎士として手を差し伸べるべきかと声をかけたつもりなのだが、淑女はとんでもないことを喚きながら差し出した俺の手から逃れるように後ずさる。

その形相は「犯される」と叫びながらも、夢見るようにうっとりと頬を薔薇色に染めていた。

……本当に、なんなんだ?

わけが解らず、しかし出した手を引っ込めることもできずに呆然と淑女を見下ろしていると、差し出したままの形で固まってしまっていた俺の手をティナが引っ張る。

「レオ、レオ」

可愛らしい声で名を呼ばれ、謎のショック状態から現実へと意識が引き戻されたのだが、視線を向けた先にあったティナからの冷たい眼差しに背筋を伸ばす。

淑女の発言にはなんの根拠も事実も含まれていないのだが、耳から入ってくる情報としては不穏以外の何物でもない。

「……レオはこのお姉さんを妊娠させるんですか?」

妹からの疑いの眼差しが痛い。

チクチクと突き刺さってくる周囲の視線など、可愛いものだ。

妹(ティナ) からの疑惑の眼差しが一番痛く、胸に突き刺さる。

「ティナ、とりあえず……赤ちゃんは結婚した男女の元へ、程よい頃に神様が」

「そういう子ども騙しとか、宗教を絡めた話はいりません」

スパッと切り捨てられたことを思えば、ティナの前の知識にはあるのかもしれない。

子作りに関する正しい知識が。

……これは確定か。娼館帰りにいつもティナがなんとも言いがたい侮蔑を含んだ目で俺を見上げてきたのは、ドコでナニをしてきたか理解していたからか!?

王都でいろいろあったあと、ジークヴァルトに連れられていった娼館で初めて男女のアレソレについて知った自分とは違うのだろう。

自分は兵士になれる年齢になったら即兵士募集へと名乗りをあげ、そのまま騎士への道が開かれて勉強漬けの毎日になった。

そのため勉学や剣術、戦術等の知識は身に付けたが、性の知識は勉学としては習わなかった。

それでも普通は先輩の騎士が後輩を騎士になった祝いにと花街へ連れ出してくれるらしいのだが、俺の場合は騎士としてヴィループ砦を出る年齢が若すぎた。

さすがに少年を花街へ連れて行くのは、と当時の先輩騎士たちが自重して、その結果として性についてを知ったのは自称婚約者殿が妊娠してからだ。

性についてなにも知らなかった俺が、指一つ触れていない自称婚約者を妊娠させることなど不可能だと、自称婚約者殿の訴えをすべて退けて話を付けて来てくれたのはアルフだった。

その後、普通より遅れて連れて行かれることとなった花街で知った行為は、たしかに自称婚約者殿には行ったことのない行為で間違いがない。

「……レオナルドさんは、こちらお姉さんとどういったご関係ですか?」

若干の棘を感じるティナの声に、逸れはじめていた思考が引き戻される。

今はどこまで解っているのか判らないティナの前の知識について考えるよりも、目の前で悲鳴をあげている淑女をなんとかするべきだろう。

「誓って、今日この場で初めて会ったお嬢さんだ。少なくとも、妊娠させるような間柄ではない」

「ホントですか? 本当に、ホントですか?」

まだ疑わしそうな目でこちらを見てくるティナに、溜息混じりに『目が合っただけで妊娠などさせられるわけがない』と指摘する。

やはりティナには一応の知識があるのか、この説明で納得したらしい。

それもそうですね、と呟いたかと思ったらサリーサを呼んで、画廊へと人を呼びに行かせた。

「ああいった興奮しすぎて倒れられるお嬢様は、近頃多いのです」

先導の使用人が苦笑いを浮かべながら、画廊前で倒れた淑女について教えてくれた。

近頃は画廊の客に若い女性が増え、中には興奮のしすぎで倒れるご婦人もいるのだと。

……あれが多いのは困るだろう。

人の顔を見るなり悲鳴をあげて、言うにことかき「孕ませられる!」などと叫ぶ淑女だ。

公共の場ということでも、あの淑女を娘にもつ家にしても、あんな奇行に走る者が多くては困る。

……それにしても、前回来た時とは随分雰囲気が変わったな?

サリーサが呼んできた使用人に淑女の世話を任せ、ついでにジェミヤンへの面会を申し込む。

今は商談の途中ということで少し待たされることになったのは当然として、先に 件(くだん) の刺繍絵画を見ておこうと案内を頼んだら、回廊を歩くだけで画廊全体の雰囲気が変わっていることに気が付く。

以前は紳士や画家の卵といった風情の若者の姿ばかりを見かけたのだが、今は若い女性の姿が目に付いた。

……そして、ここでも視線やら悲鳴が聞こえるんだな。

ふと目が合った淑女が怯えたように壁際へと張り付くさまには、さすがに傷つく。

こちらがなにかしたわけでもないというのに怯えた目で、しかしどこか期待の混ざった濡れた瞳で見つめられるのだ。

本気で 理由(わけ) が解らなくて、居心地が悪い。

「こちらに、妹様の作品が飾られております」

案内されたのは、扉の前だった。

てっきり他の多くの作品のように回廊へと飾られているのだろうと思っていたのだが、ティナの作った刺繍絵画は一室を与えられて飾られているらしい。

私的な作品だったはずなのだが、破格の待遇である。

「……なんだ?」

子どもの刺繍に対して、随分と大げさな扱いだな。

そう思って扉を開いたのだが、中の異様な様子を見て、これは扱いが良いのではなく、隔離であると理解した。

絵画を中心にして放射状に人が群がり、絵を拝んでいる。

年代を問わず、集まっているのは女性が多いのだが、中には壮年の男性の姿もあった。

女性はみなうっとりと微笑み、頬を染めて絵画を鑑賞しているのだが、男性は同じ男であるからこそ判るのだが、みな前を膨らませている。

……ティナの絵は、いったいどんな絵なんだ!?

そう思うのと、ティナが俺の手を離すのは同時だった。

ティナは小さな体を人だかりへと無理矢理ねじ込むと、前へ、前へと進んでいく。

やがて人だかりを抜けることができたのか、前方からティナの可愛らしい声が響いた。

「レオナルドさん、見てください!」

その場で飛び上がっているのか、時折ティナの指先が人の頭のむこうに見える。

小さな少女が背後の保護者へと呼びかけている姿に、周囲の紳士淑女は自然に道を開けてくれた。

「じゃーん! レオナルドさんへのお誕生日プレゼントに、わたしがひと針ひと針心を込めて縫った刺繍絵画です!」

愛らしくもおどけた仕草でティナが示したのは、たしかに俺をモデルにしたものだと判る絵だった。

顔つきがそのまま、俺自身なのだ。

ヘルケイレスの午睡とタイトルが付けられたその絵画は、一言でいえば目に毒だ。

こんなものを若いお嬢さんの目に触れさせてはいけないし、本来であれば 妹(ティナ) にも見せたくはない。

「……ティナは、この神話を知っていて、これを作ったのか?」

「知ってますよ。メンヒシュミ教会で習いました!」

そう言ってティナが解説してくれた神話は、子ども向けに噛み砕かれたものだった。

狩りで疲れたヘルケイレスが湖で休憩をしていたところ、たまたま通りかかった人間の娘に恋をする。

それだけの内容だ。

子ども向けに噛み砕かれたものは。

少し詳しく神話を調べると、この神話は神と人の恋の話などではないとすぐに判る。

愛欲の神エーギロスと夢の神ワワラベーラの悪戯によって、兄神としては見てはいけない夢を見せられたヘルケイレスは、自身の猛りを鎮めるために半身を湖へと沈めていた。

そこへ偶然居合わせてしまった水浴び中の裸身の人間の娘を見つけ、ヘルケイレスは無理矢理娘を犯す。

ヘルケイレスはそれですっきりしてその場を去るのだが、あとに残された娘は神の子を孕んでしまった。

未婚で孕んだ人間の娘は、父親の怒りに触れて殺されてしまう。

娘の死を哀れんだ大神が夜空へと娘を上げて、星座のひとつに加えたという少々どころではなく突っ込みたい箇所の多いものが、ティナが作った刺繍絵画の物語だ。

……つまり、この絵の中の俺は。

前を膨らませている。

神話を念頭においてみれば、気だるげな表情ながらも頬に若干の赤みが差している気がしないでもない。

多少の救いがあるとするのなら、絵の中のヘルケイレスはうつ伏せに近い姿勢であることだろうか。

おそらくは淑女には見せられない状態になっているモノは体の下にあって、絵画には描かれていない。

その代わりのように、尻の肉はほとんど見えていた。

鎧のように引き締まった筋肉を纏う男神ヘルケイレスは、足を水辺に浸しながらうつ伏せに寛いでいる。

どうやら水浴びをしたあとで休んでいる、といった風体だ。

肌に張り付いた髪を掻きあげているのだが、その腕の筋を伝って水が一筋垂れている。

衣装は追想祭の儀式で着るものよりもさらに古く、より簡易のものだ。

腰巻をしているのだが、濡れているせいで肌に張り付いていて、少し素肌が透けている。

この濡れた表現まで刺繍糸で表現されているのだから、すごいとは思うのだが素直に褒める気になれないのはなぜだろう。

……描かれているのが美女だったら、俺も毎日のように画廊へ通うぞ。

モデルはともかくとして、尻肉と布の隙間にできた三角の空間に目が行く。

これが美女の絵画で、美女の尻や胸の谷間であれば、飽きることなく見つめ続けることだろう。

……でも、男の尻なんだよな。

それも、顔は俺自身のものだ。

恥じる必要のあるだらしない体つきはしていないつもりだが、だからと言って見世物になる趣味もない。

……だが、画廊についてからというもの、チラチラと視線を貰う理由はわかった。

このある意味で人の目を惹きつけてやまない絵画と自分の顔がそっくり同じだからだろう。

目が合っただけの女性に『孕まされる』と叫ばれた理由もわかった。

ヘルケイレスの神話になぞらえて、目が合っただけで妊娠させられるとあの女性たちは思ったのだろう。

そう理解してみれば、軍神ヘルケイレスをモチーフにしたというこの絵は、光の加減を表現しているためか髪はヘルケイレスの金にも俺の黒にも見える不思議な色合いで縫い取られている。

下絵はジェミヤンの 伝手(つて) で誰かに描いてもらったと聞いていたが、色をつけたのはティナだ。

ティナがなんらかの効果を、この刺繍絵画に与えていることは間違いがない。

……これはなんだ? なにが問題なんだ……?

ティナがジェミヤンから贈られることとなった刺繍絵画は、美しい風景が縫い取られてはいたが、目が離せなくなるような色気はなかった。

いたって普通の絵画だったはずだ。

あの絵に触発されてティナも刺繍で絵画を縫い取りたいと始めたはずなのだが、仕上がりがまるで違う。

なんともいえない絶妙な加減で、これは外に出してはいけない絵だ。

「……ティナ」

「はいです!」

反応に困ってティナの名を呼ぶ。

元気よく返事をしたティナの声は明るい。

それどころか、ドキドキわくわくといった様子で青い目をキラキラと輝かせてこちらを見上げていた。

「これが、俺への誕生日プレゼントか?」

「はい。心と愛情を込めてひと針ひと針縫いました」

先ほどもティナは同じような言い方をしていた。

ということは、これは随分と前から用意してきた言葉なのだろう。

ただし、ひと針ひと針込めたのは、心は心でも、悪戯心だ。

「……本音としては?」

「自分の絵なんて貰っても嬉しくないって、レオナルドさんに理解していただこうと、頑張りました?」

「つまりは、意趣返しか」

刺繍糸だって決して安いものではないはずなのだが、ティナは意趣返しのためだけに大金を投じてこの刺繍絵画を仕上げたらしい。

恐ろしいことに、資金としては1シヴルたりとも俺は出していない。

アルフから貰ったハンカチの刺繍の代金を、この刺繍絵画に当てていたはずだ。

……しかし。

この絵を見て欲しがる人物とは、いったいどんな人物なのだろうか。

唖然とするしかない俺の顔を見て満足したのか、ティナは上機嫌で絵画の前から俺の元へと戻ってきた。