軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

黒犬の飼い主

「レオ、お客さまですよ」

誕生日だというのに、レオナルドはいつものように執務机とにらめっこをしていた。

仕事の書類なので私が見ることはできないが、いつもなにかしらの書類に目を通したり、判を押したりとしている。

書類仕事ばかりでは体が 鈍(なま) ると言って、たまに庭へと出て素振りや走り込みをしているが、もしかしなくとも体を鍛えるというよりはストレスの発散が目的だろう。

「客? 誰だ?」

「知らない人でした」

バルトは知っている顔だったようなのだが、私は知らない男性だ。

誰だと聞かれても困ってしまったので、男性の特徴だけを挙げてみる。

「レオと同じか少し大きいぐらいで、顔の怖い黒髪のおじさまです」

私の年齢からすれば『おじさま』ではなく『おじいさま』かもしれないのだが、堂々とした風格と 厳(いかめ) しい顔つきから、なんとなく『おじいさま』と表現するのは憚られた。

自分の思う老人のカテゴリーに嵌り難い雰囲気だったのだ。

「その特徴には思い当たる人物が何人かいるが……」

「目の色は紫でした!」

思いだした特徴として、最初に見た瞳の色を追加してみる。

これでレオナルドには誰が来たのかが判ったようだ。

難しい顔をして「まさか本人が直接来たのか?」などと考え始めた。

「お客さま、待ってますよ?」

行かないんですか? 手を引っ張ると、思考の海に沈みかけていたレオナルドが戻ってくる。

そうだったな、と言って笑うと、レオナルドは私の頭に手を載せた。

「……ティナはその人になにか言われたか?」

「なにも言われてませんよ?」

ただ失敗はしちゃいました、と追加する。

てっきり玄関扉の向こうにいるのはアルフだろう、といつもの調子で元気よく扉を開けたら、相手を驚かせてしまったようだ、と。

……顔の怖いおじさまだけど、あの時だけは驚いた顔してたもんね。

あれはきっと、あの男性を知る者からしてみればレアな表情だったに違いない。

そんなことを考えてこっそり笑うと、レオナルドが机の上を片付けて立ち上がった。

「ティナは挨拶だけしたら、三階の部屋にいてくれるか?」

「それは構いませんけど……なんでですか?」

理由もわからず閉じ込められるのは嫌です、と私が三階に閉じ籠らなければならない理由を聞くと、来客の顔を見なければ断言できないが、おそらくはあの黒い犬の飼い主である、と教えられる。

飼い犬がグルノールの街で保護されている、と連絡を入れたそうだ。

「……あの黒い犬の飼い主さんですか。だったらおとなしくお部屋にいます」

秋の間ずっと私の周辺に出没していた黒犬は、捕まえてみたら貴族の飼い犬だと判明したと聞いている。

王族も貴族も別世界の人間すぎて、出来るだけ近づきたくはないのだ。

……気に入られても、嫌われても面倒そう。近づかないのが正解だね。

ばっちり対面してしまったため、今さら居留守は使えない。

ならば一応の挨拶だけして、部屋に閉じ籠るのが一番いいだろう。

幸いなことに、男性は一人で館を訪れた。

これならば部屋に閉じ籠っていても、我儘で面倒な孫に押しかけられるということもないはずだ。

すでにお転婆はバレているはずだが、特大の猫を被り直して部屋を出るレオナルドの後に続いた。

応接室に入ると、すでに先ほどの男性は寛いでいる様子だった。

レオナルドの部屋に長くいたつもりはないのだが、お茶もお茶請けもしっかりと用意されている。

頭上で交わされ始めたレオナルドと男性の挨拶に、ふと引っかかるものを感じて首を僅かに傾げた。

……どこかで聞いたことがある名前だね?

どこで聞いた名前だろう、と記憶を探っていると、挨拶がひと段落したのか、レオナルドと男性の視線が私へと下りてくる。

私が挨拶をするタイミングだと悟り、ヘルミーネ仕込みの淑女の微笑みで一礼をした。

「はじめまして、先ほどは失礼いたしました。わたくしはティナと申します」

妹だという説明はレオナルドがしてくれたので、省略する。

そろそろ妹 分(・) です、と訂正するのもおかしい気がしてきたのだ。

……ホントに、レオがお兄ちゃんってことに慣れてきたなぁ。

以前は妹と紹介されるたびに「妹分です」と訂正してきたが、今はもうレオナルドを兄と呼ぶことに照れも抵抗もない。

下手をしたら「私のお兄ちゃんすごいでしょう」と兄馬鹿を発症しそうなほどだ。

よし、ちゃんと挨拶をしたぞ。

あとは速やかに応接室から退室し、部屋に逃げ込むだけだ。

内心で思っていることはおくびにも出さず、微笑を向けると男性も丁寧に挨拶を返してくれた。

「これは躾けの行き届いたお嬢さんだ。私はベルトラン・オーギュスト・カンタール。お嬢さんのお兄さんの……先輩かな?」

以前は黒騎士をしていた、と言いながらベルトランは不器用な笑みを浮かべる。

もしかしたら女児を前にして無理に笑おうとしてくれているのかもしれないが、元の顔が厳しいので中途半端に微笑まれると逆に怖い。

……うん? ベルトラン?

長い名前だ、さすがは貴族と考えていたのだが、先ほどから引っかかっていた聞き覚えのある名前の正体にようやくたどり着いた。

「……ベルトラン様って、メンヒシュミ教会で習った歴史の授業に出てきたベルトラン様ですか?」

「今は授業で教わる内容になっているのか?」

少し恥ずかしいな、と言ってベルトランは笑う。

今度の笑みは、ぎこちなさのない自然な微笑みだった。

「歴史の授業で習いました。あ、ポツダール森林大殲滅作戦の逸話、馬車よりも大きな岩を素手で叩き割った、ってホントのことで――」

「ティナ」

そっとレオナルドに肩を押さえられ、冷静になる。

特大の猫を被ったつもりだったのだが、簡単に脱ぎ捨ててしまっていた。

……そうでした。挨拶だけしたら部屋にいなさい、って言われてたんだった。

逸話の真相を聞けるいい機会だとつい興奮してしまったが、これでは淑女というよりも男児の反応である。

生きた英雄を目の前にして、ヘルミーネの教えがスコーンっと頭から抜けてしまった。

「……失礼しました。子どものわたくしがいたら、お話の邪魔になりますね。今日はご挨拶だけで、わたくしは失礼いたします」

どうぞごゆっくりしていってください、と淑女の仮面を付け直して退室の挨拶をする。

逸話の真実は知りたかったが、ベルトランはグルノールの街へ犬を引き取りにきたはずだ。

私の相手をしている暇などないだろう。

「いやいや、よく躾けられた行儀のよいお嬢さんだ」

話の邪魔になどならないだろう、と形だけ引き止められたので、玄関での話を持ち出してこれ以上失敗しないように、と引き下がる。

最初の印象ほど怖そうな人物ではないが、それでも貴族だ。

あまり近づかない方がいいだろう。

部屋へ戻ることを、台所にいるカリーサへと伝える。

ベルトランがいる間は部屋にいるように言われているので、竜田揚げの続きは全部カリーサに任せることになるだろう。

ならば部屋まで送ります、というカリーサをつれて玄関ホールまで戻ると、この時間は正門にいるはずのパールが立っていた。

その手には太い鎖が握られており、鎖の先にはあの黒犬が繋がれている。

「な、なんでその犬がうちにいるんですか……?」

変な緊張から無意識に両手を握り締めた。

手のひらに嫌な汗をかく。

できるだけ近寄らないように三階へ移動しよう、と壁伝いに玄関ホールを横切ると、目の合った瞬間に黒犬が「ワン!」と元気よく吠えた。

「ひゃああああっ!?」

リアルに飛び上がって驚き、地に足がついた瞬間にカリーサへと抱きつく。

無我夢中で腕を振り回していると、カリーサが私を抱き上げてくれた。

「何事だ!?」

私の悲鳴を聞きつけて、レオナルドが応接室から飛び出してくる。

お客様であるはずのベルトランも一緒に飛び出してきて、黒犬とカリーサに抱き上げられた私とを見比べた。

「レオぉ」

より高さのある止まり木を求め、カリーサの腕の中からレオナルドへと手を伸ばす。

レオナルドは少しだけ困ったような顔をしたが、すぐに私の方へとやってきて抱き上げてくれた。

「……お嬢さんは犬が嫌いか?」

「犬は好きですよ。その子は苦手ですけど」

「オスカーは賢い犬だぞ。この通り愛嬌もある」

ベルトランが手をかざすと、それがなにかの合図だったのかオスカーという名前だったらしい黒犬はワンとひとつ吠えたあと、お腹を見せて寝転がった。

これが主人に見せる顔か、とこれまで見たことのない黒犬の飼い犬らしい甘えた仕草に、少しどころではなく面白くない。

「その子はコクまろを苛めたし、テオのことも噛んだから、嫌ですよ」

「コク……? テオ、というのは?」

いつもは腕に抱き上げられているだけなのだが、今日はレオナルドの肩へとよじ登る。

とにかく黒犬から距離を取りたかった。

レオナルドが私の代わりに黒犬がグルノールの街で引き起こした騒ぎについて説明すると、ベルトランは少しだけ考え込むように顎へ手をあてる。

犬は犬同士でなんらかの事情があったのだろうが、 人間(テオ) の方には一度挨拶をした方がよさそうだ、と。

……テオだけじゃなくて、コクまろにも謝ってください。しばらく落ち込んでたんですから。

ベルトランの横へピシッとした姿勢で座る黒犬に、レオナルドにはこのまま階段まで運んでもらうことにした。

階段の二段目へと下してもらうと、ビシッと指を差して黒犬に宣言をする。

「我が家では犬は二階に上ったらダメですからね! 絶対に二階には上げないでくださいっ!」

うむ、言ってやった、と満足して胸を張ると、自分に対して言われたと理解したのか、黒犬が「わん」と鳴いた。

まさか返事をされるとは思っていなかった私は、びっくりして一目散に階段を駆け上がる。

黒犬は確かに躾けられた犬らしく、子どもが目の前から走り去っても追いかけてくるようなことはなかった。

夕食の時間になり、一階の食堂へと下りる。

ベルトランと黒犬はさすがにもう帰っただろう、と安心していたのだが、食堂の扉を開けたらそこにあの黒犬がいた。

「な……なんでその子がまだいるんですか!?」

反射的に壁際に寄り、壁伝いに黒犬から距離を取る。

黒犬は食堂に入ってくる人間を確認したかっただけなのか、私の顔を見るとベルトランの横へと戻った。

「ベルトラン殿には本来、城主の館へ滞在していただきたいのだが……」

……うん、そんなことになったら私はベルトラン様がいなくなるまで部屋から出ないよ!

そんな私の内心など関係なく、ベルトランがこの館に泊まることは不可能なのだ、と説明された。

今の城主の館は、人が多い。

三階は家族のスペース兼女性しかいないため、客人とはいえ男性はお断りしていて、本来客間として使われる部屋のある二階は写本をしているジャスパーと、その見張りと警備のための白銀の騎士たちが部屋を使っている。

部屋数自体はあるのだが、貴族であるベルトランが滞在するに相応しい格の部屋は一つも空いていなかった。

「……というわけで、副団長のアルフの館へ滞在していただくことになった」

そんな理由からアルフが迎えに来るまでベルトランが館で休み、アルフが迎えに来てからは今夜のメニューが竜田揚げということで一緒に夕食を、という流れになったのだとか。

……アルフさんも竜田揚げ、好きだったんだね。

竜田揚げに釣られて夕食を食べて行くことになるとは、今夜に限っては竜田揚げなど用意するのではなかった、と後悔しか湧いてこない。

アルフが夕食を食べて行くのはいつものことだが、今日はそのせいで黒犬まで一緒なのだ。

「……犬は食堂に入れたらダメなんですよ」

これが我が家の決まりである、とベルトランに訴えてみる。

コクまろも基本的には食堂へ入れなかった。

「オスカーは伏せて待つことのできる犬だから、かまわんだろう」

「ダメです。コクまろもお外で待ってたんですから」

オスカー、と初めて名前を呼ぶと、ベルトランの横で伏せていた黒犬が耳を動かし頭を上げる。

姿勢はまだ伏せたままだったが、私の言葉を聞く気はあるようだ。

じっとこちらを見てくる黒犬に、少しだけ強気に出てみる。

「犬は食堂に入ったらダメです! オスカーは外です!」

ビシッと今まさにカリーサが閉めようとしていた扉を指差すと、カリーサの動きが止まる。

閉めようとしていた扉をカリーサが逆に開くと、オスカーはすくりと身体を起して食堂から出て行った。

「……意地悪な子ですけど、ホントに頭のいい子なんですね」

少しだけ拍子抜けした気分でそう呟くと、ベルトランが微かに首を傾げる。

自分以外の命令を聞くのは珍しい、と。

「他所のお家のルールに従わなかったら、ベルトラン様に恥をかかせるって解ってるからじゃないですか?」

やはり怖くはあるのだが、あの黒犬は命令を聞く賢い犬である、と認識を改めるしかない。

賢い犬ならば、飼い主のために場の空気を読むぐらいはしてくれそうな気がする。

夕食が終わると、ベルトランはアルフの用意した馬車に乗って去っていった。

もちろん、黒犬の引き取りも終わった。

犬を引き取りに来たのなら、明日には街を去るのだろうか、と思っていたら、しばらく滞在する予定なのだ、とレオナルドが教えてくれる。

黒犬に噛まれたテオとその家族へ挨拶をしたい他に、グルノールの街には別の用があるのだとレオナルドが聞いていた。

……英雄の用事って、なんだろうね?

なんとなくメンヒシュミ教会の教壇に立つベルトランの姿を想像し、こっそりと笑う。

英雄本人が歴史の授業をしたら、ニルスやテオが大喜びしそうだ。