作品タイトル不明
誘拐犯と車中泊
「んぁ?」
自分の寝言で目が覚めた。
夢の中で誰かに何かを教えられていて、その返事をしたつもりだったのだが、目覚めてしまえばその誰かの姿はない。
目覚めと同時にうつ伏せていたクッションから反射的に頭を上げたのだが、ツキリと痛んだ肩に再びクッションへと突っ伏す。
クッションから押し出された匂いが鼻腔いっぱいに広がり、突っ伏したまま違和感に眉を寄せた。
……知らない匂い。誰の香水?
何か変だ、違和感がある。
そうすぐに気がついて、クッションに顔を埋めたまま周囲の様子を窺う。
寝起きのぼんやりした気分など、違和感のお陰で吹き飛んだ。
「気がついたのか?」
……どなたですか?
知らない声で話しかけられて、反応に困る。
どうやら近くに最低一人、知らない男がいるようだ。
まずどう行動するべきかが判断できず、とりあえずこのまま寝たふりをして周囲の様子を探ることにする。
幸いなことに、私はまだ年齢一桁の子どもだ。
一度寝てしまえば、なかなか目が覚めなくとも不思議はない。
寝言を言ったり、一瞬だけ奇声を発して目覚めたかと思ったらまたすぐに寝息を立てても、それほど不自然ではないはずだ。
……たぶんね。
呼びかけられた言葉を、寝たふりをして無視する。
軽く肩を揺すられたり、髪を引っ張られたりとしたが、これも無視した。
だんだん男の手に力が込められてきたので、寝たふりから寝ぼけたふりに変える。
「うるさいっ!」
「痛っ!?」
ガブリッと近くにあった手へと力いっぱい噛み付く。
反射的に男の手が引っ込められたので、ひと睨みしたあと、またクッションへと突っ伏して寝たふりを再開した。
「……寝ぼけている、のか?」
恐るおそると判る力加減で、肩を突かれる。
また起こして突然噛まれないよう、男なりに警戒しているのだろう。
……それにしても?
一瞬しか見られなかったが、男の顔に見覚えはなかった。
顔に覚えがないというよりも、存在自体に覚えがない。
お金持ちの平民や騎士、貴族が平服で歩いていてもなんとなく身分を察することが出来るのだが、誘拐犯と思われる男にはピンと来るものがなかった。
平民と考えるには身奇麗すぎて、騎士と考えるには動きが鈍くさい。
ならば貴族かとも思うのだが、寝ぼけた子どもに噛み付かれても怒り出さないのだから、高貴な身分と考えるには無理がある気がした。
「……寝ている、な? さすがはレオナルドの妹というか、なんというのか……豪胆な子どもだ」
どうやら本当に寝ぼけて噛み付いたと思ってくれたらしい。
肩を突いていた指の感触がなくなった。
……とりあえず、レオの関係者?
レオナルドの妹と知っているのだから、そうなのだろう。
噛み付いてもこちらへと危害を加えてくる様子はないので、とりあえずは安心――というのもおかしな話だが、焦って逃げ出す必要はなさそうだ。
もう少し寝たふりを続けて、情報を収集したい。
……どこに向かっているんだろう?
目覚める前から聞こえていた車輪の音と、絶え間のない振動に、ここが馬車の中であることが判る。
今さらだが噛み付いたり、体を起こしたりは自由にできるので、縛られているということもなさそうだ。
身じろぐふりをして足を動かしてみたが、足も自由である。
……いくら子どもだからって、舐めすぎじゃない?
さすがに私も走って逃げきれるとは思わないが、それでも縛りもしないでただ馬車に寝かせているだけ、というのは油断のしすぎな気がした。
……あ、心臓の音。
耳を澄ませているせいか、うつ伏せにクッションに顔を押し付けているせいか、自分の心臓の音が聞こえた。
自分では平静を保っているつもりだったのだが、普段は気づけない心臓の音が聞こえるとは、やはり動揺しているらしい。
むしろ、この状況で平静でいられる方がおかしいだろう。
……とにかく落ち着こう。すぐに殺したりするわけでもないみたいだし。
殺す――という単語が思い浮かんだ途端、心臓の音がうるさくなった。
そういえば、誘拐に失敗している先の実行犯が死体で見つかったことを思いだす。
……大丈夫、落ち着く。落ち着こう。落ち着くぞ。
バクバクとうるさく鳴り始めた心臓を、深呼吸をして無理矢理にでも落ち着かせる。
焦ったって、怯えていたって、状況は変わらないのだ。
今の私にできる、今の私がすべきことは、男に起きていることを悟らせず、出来る限り周囲の情報を得ることだ。
「……どうかしましたか?」
「なんでもない。寝ぼけて噛み付かれただけだ」
少しくぐもった別の男の声が聞こえる。
距離があるというよりは、物に阻まれて声が小さくなっている感じだ。
おそらくは馬車の外にいるのだろう。
……これで少なくとも男の人が二人いるのはわかった。
これは確実に、私が一人で逃げ出すことは不可能だ。
一人を出し抜けても別の一人がいるし、他にも仲間がいるかもしれない。
……少し違和感のある発音だね?
男たちの会話に耳を澄ませていると、発音に少し違和感がある。
メイユ村の村人が使っていた少し訛ったような発音とも、アルフのような綺麗な発音とも違う。
村人とも貴族とも違うのなら、いっそ違う国の人間だろうか。
……でも、この言葉は大陸で共通だ、って習ったしな?
やはり地方独特の訛りのようなものだろうか。
発音の違和感は気になったが、今は気にしても仕方がないので、今度は内容に耳を澄ませることにした。
男たちの会話を繋げると、やはり先日の誘拐未遂は彼等が計画したものらしい。
それも、人違いでもなんでもなく、レオナルドの妹である私を狙ったのだとか。
妹を盾にとっての要求は、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
……私を人質にしたって、レオは言うことなんて聞かないと思うよ。
私に対してとにかく甘いレオナルドだが、公私はきちんと分けている。
仕事を前にすれば、初めての街に連れてこられて不安になっているだろう、と少し考えれば判りそうな幼女を平気で 他者(ひと) 任せにして放置しておけるような人間なのだ。
誘拐犯の要求を飲むぐらいなら、公僕としての責務を優先させるだろう。
……まあ、万が一にもレオが要求を飲んだとして、私が本当にレオのトコに戻されるだなんて思えないけどね。
私が誘拐犯の立場なら、レオナルドに言うことを聞かせる人質として、レオナルドには絶対に返さない。
大切に預かっている、と口では言いながら、管理が面倒で殺すこともあるだろう。
……あ、終わった。私の人生終わった。
短い人生だったなぁ、と少し気が遠くなったところで、馬車がガタンっとこれまでにない揺れ方をした。
大きな石でも車輪で踏んだのだろう。
馬車は激しく上下に揺れて、私の体も上下に揺さぶられる。
「ひゃわわっ!?」
「危ないっ!」
さすがにこれ以上の寝たふりは無理がある、とクッションから顔をあげると同時に体が浮き、次の瞬間には馬車に同乗していた男の体によって座席へと押し付けられた。
「……おじさん、どなたですか?」
大きく揺れた馬車は、車輪が壊れたらしい。
応急修理のために道の端へと寄せて馬車を止め、今は修理の真最中だ。
そのせいか、馬車の中は少し斜めになっている。
「おじさ……」
おじさん、と呼ばれて男は襟元を正す。
コホン、と咳を一つしたかと思ったら、背筋を伸ばした。
「お兄さんの名前はウィリアム。家名は聞かない方が身のためだ」
「興味ないから、いいです」
多少やり返したい気分になって、会話を故意に折ってやる。
子どもの挑発に乗るようなチンピラには見えなかったので、ちょっとした言葉遊びだ。
冗談に乗ってくるような人間であれば、少しは私も気が楽になる。
……や、逃げ出せないのには変わらないけどね?
相手もそう思っているからこそ、こういった軽口に乗ってくれているのだろう。
向かいの座席に座ったウィリアムと名乗った男を観察する。
歳は『お兄さん』を自称するように、中年ではない。
多く見積もっても二十代後半といったところだろう。
ただ 幼児(わたし) に対する言葉が柔らかいので、本当はもう少し若いかもしれない。
黙っていれば茶色の短い直毛が精悍な印象を与えるのだが、タレ気味な緑の瞳と柔らかな口調が奇跡の調和を果たした間抜け面をしていた。
ちなみに、おでこに小さなたんこぶがあるが、これは先ほどの大きな揺れで座席から投げ出されそうになった私を庇った時にぶつけたものである。
……庇ってくれたことを思えば、そう悪い人でもない気がするんだけど。
幼女を誘拐している時点で、善人もなにもあったものではない。
すでに肉屋の青年とその婚約者を殺してもいるのだ。
間抜けそうな顔をしていても、安心はできない。
「それで、どうしてわたしは『おじさん』といるんですか?」
「……『お兄さん』はお嬢さんのお兄さんに少し用があってね。なかなか捕まらないから、先に妹さんを招待させてもらったよ」
こうすれば、きみを迎えにお兄さんがやってくるだろう? と親切めかして微笑む顔を殴りたい気がするのは、私の気が短いからだろうか。
気は短いが、そこまで短絡的な行動には出られないので、殴りかかるのはもう少し我慢だ。
「どこに行くんですか?」
「さっきお嬢さんのお兄さんに手紙を出したから、待ち合わせの場所に向かっているところさ」
「馬車、止まっちゃいましたけどね」
よいしょ、と座席から立ち上がっても、特に咎められることはなかった。
ならばと遠慮なく窓から外を見てみたら、街並みなんてものはどこにもない。
いつの間に日が暮れたのか、真っ暗な夜の森が広がっていた。
……どうりで、車輪の音がうるさいと思った。
整えられた石畳のあるラガレットの街など、寝ている間に出てきていたようだ。
むき出しの土の上を走る車輪がガタガタと揺れるのは、ラガレットに入る前に経験していた。
……何人いるか、判らないかな?
頬をぺたりと窓に貼り付けて外を見てみるのだが、男が一人見えるだけだ。
今は車輪の修理中のはずなので、少なくとも修理をしている人間がもう一人は近くにいるはずである。
……えっと、最低でも三人?
逆側の窓からも外を覗いてみようとしたのだが、さすがに外へ続く扉のある側へ近づくのは止められた。
……まあ、そうだよね。普通に考えたら逃走する、って思うよね。
どうせ一人では逃げ切れないと判断できているので、あまり無茶なことをするつもりはないが。
……どうしようかな?
一人で逃げることはできない。
レオナルドが彼等の要求をのむとも思えない。
仮にこの場から逃げられたとしても、街まで逃げ帰るまえに再び捕まってしまうだろう。
そうなれば、一度逃げ出した子どもに二度目もある程度の自由を与えておくとは思えなかった。
……困ったな。
良案が浮かばないながらも、とりあえず暇であると訴えると、セーク盤が用意された。
相手が誘拐犯であるのは不満だったが、じっとしているのも不安になるだけなので、気が紛れるのならなんでもいい。
「……ああ、そうだ。これを返しておこう」
「なんですか?」
丸められた紙を差し出され、開いてみる。
中に描かれていたのは、絵描きと思われる少年が描いたレオナルドの 素描(デッサン) だった。
「あ、レオだ」
「よく描けているな。将来はいい画家になっただろうに……彼には悪いことをした」
……過去形ですけど、あの人に何したんですか。
なんとなくモヤモヤと気になって、私が誘拐された状況を聞いてみる。
私の記憶は、駆け出し絵描きと思われる少年のモデルになっていたところで終わっていた。
そこで記憶が途切れて、気がついたらこの馬車の中にいたのだ。
あの場がどうなったのか、私は知らない。
「配下からの報告になるが……お嬢さんを馬車へ招待しようと機会を窺っていたところ、絵描きの少年、お嬢さん、ラガレットの領主令嬢、その 子守女中(ナースメイド) のみになったので、これは好機とお嬢さんだけを招待した」
……あれ? カリーサは?
私の傍には常にカリーサがいたはずだが、カリーサらしき女性の情報は出てこない。
ついでに子どもに聞かせられる内容としていろいろ省略されているらしく、一緒にいた人間の安否については一切語られなかった。
……でも、話に出てこないってことは、カリーサは無事なのかな?
だとしたら、また気に病んでいるかもしれない。
自分が一緒にいたのに、私を連れ去られてしまった、と。
「ウィリアム様! 車輪の修理の件ですが……」
声から察するに、ウィリアムに噛み付いた時に話しかけてきた男だろう。
馬車の外から呼びかけられて、ウィリアムが外へ出て行った。
見張りがいなくなるようなので、と遠慮なく外へ続く扉についた窓から覗く。
と、すぐ外にいた男にギロリと睨まれてしまった。
……逃げる気はありませんよー。痛いのも怖いのも嫌ですから。
今のところ、おとなしくしているつもりだ。
ただ外の様子というか、誘拐犯たちの人数が知りたかっただけなのだが、睨まれてしまったからにはすごすごと席につくしかない。
彼の眼光はウィリアムほど間抜けそうには見えなかった。
……これをもらったのは正解だったね。
ピラリとレオナルドが描かれた紙を広げる。
ただの絵ではあるのだが、なんとなく心強い。
しばらく眺めてから皺にならないよう丸め直すと、報告を受けていたらしいウィリアムが戻ってきた。
「馬車、直りそうですか?」
「それが、何故か修理をすればするだけ道具が壊れてね……、早く待ち合わせ場所へ移動したいのだが、もうしばらくかかりそうだ」
足止めですね、と相槌をうつと、ウィリアムは不可解そうに眉を寄せる。
「……冷静だね。さすがはレオナルドの妹というか、なんというか」
「レオとは血が繋がっていませんから、さすがはちょっと違う気がしますね」
「……血は繋がっていない?」
「はいです。レオには昨年の冬の終わりに引き取られました」
だから妹を人質に取ったからって、レオナルドが言うことを聞く可能性は低いよ、と口から出かけた言葉を飲み込む。
今これを正直に教えるのはまずい。
それぐらいは判る。
……あれ? レオが要求を飲まなくて用無しになって死ぬのも、逃げるのに失敗して死ぬのも同じ?
そんな事実に気がついて、ぶるりと震えた。
思わず腕を擦ったら、ウィリアムが荷台から毛布を出してくれる。
ウィリアムという青年は、誘拐犯だというのに人がいい。
「今夜はここでお泊りですか」
「まあ、そうなるだろうね」
車輪が直らないことには、馬車は動かせない。
最終手段としては馬車を捨てて移動することになるが、まだその段階ではないらしい。
……このまま馬車が直らなかったら、レオが迎えに来てくれるかな。
そんなことを考えて、ウィリアムを馬車から追い出した。
私も一応鬼ではないので、受け取ったばかりの毛布も一緒に渡す。
「子どもとはいえ、女の子の寝室になりますから、男の人は出て行ってください」
冬も終わろうとしているとはいえ、まだまだ寒い野外へと押し出され、さすがのウィリアムも抵抗をした。
しかし、その抵抗に対して「誘拐犯と一緒になんて安心して眠れません」と至極真っ当なお断りを入れると、ウィリアムは意外と素直に引き下がる。
……あの人、誘拐犯なんだよね? ちょっと押しに弱すぎない?
そうは思うのだが、素直に出て行ってくれたことはありがたい。
あの目つきの怖い男が来る前に、と早々に内鍵を閉めた。