軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

107

椅子に座った私の真向かいで、クリフォードが片膝をついて跪いている。

私の右足は問題なくて、靴擦れができつつあるのは左足。

クリフォードが丁寧に私の左足から靴を脱がせた。

…………。自分でするときは何ともないのに、どうして人に脱がせてもらうと恥ずかしいんだろ。謎。

「…………」

靴擦れ――かかとと親指の付け根の皮が擦りむけているぐらいなんだけど――を見たクリフォードが眉を顰めた。

「……たいしたことはないでしょう?」

昨日の出来事のせいでクリフォードから逃げ出したいような気分は、ひとまず収まったものの、今度はクリフォードの沈黙に耐え切れず、私は口を開いた。

クリフォードが顔をあげる。

う。ほぼ無表情に近いのに、『空の間』での「ひどく腹が立ちます」を彷彿とさせる雰囲気が漂ってる? でも、あのときは私も故意に、だったけど、今回のは不可抗力だから! 怪我の度合いも違うから!

「――治療の必要があります」

クリフォードがそれだけを言った。

言いたいことは他にもあったけど呑みこんだ、というように。

「……わかったわ。そのようね」

私も反論を呑み込んで、顎を引いた。

じゃあ――城お抱えの医師が待機している部屋へ行って治療してもらう。ついでに靴も履き替えたほうがいいよね。――いや、そうなると目的地までの移動中、クリフォードに抱えてもらうことになりそうじゃない? 自力で歩くのは反対されそうだし。それを無視して歩くこともできるけど、変な意地を張るのはなあ……。でも必然的にお姫様抱っこ……。

あと、忘れてはならない一番の目的は、できるだけはやく父上の執務室に行くこと。

医務室へ行って、執務室へ、だと、結構時間がかかる。

選ぶなら、ここまで医師に来てもらって、治療してもらう、かな。これで!

「入り口の衛兵に頼んで、人を呼んでもらえるかしら」

少し、クリフォードが迷う素振りを見せた。

一度、大回廊内を片膝をついたままで見渡す。シーンとしていて、私たち以外は誰もいないのは変わらないけど……安全確認?

そして、クリフォードだけにわかる何かがあったのか、迷う素振りが、ふ、と消えた。

「――行って参ります。少々お待ちください」

言い、立ち上がろうとする。

それは、完全に私がお願いした通りの行動だった。

――なのに、

「クリフォード」

気が付いたら呼び止めていた。

しかも、未遂だったけど、手でクリフォードの制服を、掴もうとしてなかった? 私。無意識に、中途半端に右手を上げていた。

「…………?」

疑問に思いながら、右手をゆっくりとおろす。

クリフォードが、また私の前で片膝をついた。

「……他に御用がおありですか?」

問いかけられる。

あ……。

カルラム並木で覚えた感覚と、似てる。

――こんな風に、誰かが。

側で片膝をついて、でも、いまみたいに見下ろすんじゃなくて、私に目線を合わせてくれていた。そんな既視感が、どうしてあるんだろ。

誰……。まさか、クリフォード?

でも、そんなこと、あるはずが。

息を吐いて、かぶりを振る。

「いいえ。ただ」

適当に言葉を紡いだけど、事実は、どうもしていないんだよね。

どうもしていないのに、呼び止めたという……! 自分で出した、いわば命令でクリフォードは離れようとしたのに。

……それとも、これも昨日の出来事のせい? 普段は私の王女の部分に隠れて大人しくしている麻紀の、末っ子気質部分が、クリフォード相手に発揮されてる……?

「ただ――まだ、あなたに質問していなかったことを思い出して」

でも、もちろん、そんなことを言えるわけもなかった。かわりに私の口から飛び出したのは、当初、クリフォードに訊こうとしていたこと。

――よし、気持ちを切り替えよう。

私の問いを待つかのように、濃い青い瞳がこちらを見上げた。

「地下牢で警備兵から受け取った手紙に書いてあったわ。――この大回廊で、昨夜、兄上と会ったそうね?」

「はい。お会いしました」

何でもないことのように、クリフォードが答える。

「どんな話をしたのかしら? 個人的なことだったら言う必要はないわ。でも良ければ、差し支えのない範囲で教えて欲しいの」

さすがにそういう会話まで詮索はできない。

でも、自分で言っておいてなんだけど、兄(記憶あり)とクリフォードとの間の個人的な会話ってまったく想像がつかないや……。

「――配下にならないかとおっしゃられていました」

「!」

何・で・す・と!

父上に続き兄まで……! いや、勧誘したのは兄(記憶あり)のほうか……。原作セリウスなら、実力重視でクリフォードを登用しそうっていう私の読み、当たってた!

「どう答えたの?」

クリフォードが変わらず私の護衛の騎士として勤務していることといい、答えは聞かなくてもわかっているんだけれども、念のため!

「お断わりしました」

さらっと一言。

……わかっていても、ちょっと嬉しい。

「あなたはわたくしの護衛の騎士だものね」

「はい」

頷いたクリフォードに真っ直ぐに見上げられて、私は意味もなく脇に閉じて置いておいた『黒扇』を開いた。

コホン、と咳払い。

「ヒューに関して、兄上は何か言っていなかった?」

「いいえ。私には」

「そう……」

じゃあ、ヒュー関連でクリフォードと話したいことがあったんじゃない、のか。偶然会っただけっていうオチ?

「何故兄上は大回廊にいらっしゃったのかしら」

通れる人間が限られる専用通路で、王族なら移動の際には使うことが多いとはいえ、実は微妙に引っかかる点。兄は別に大回廊が好きとか、思い入れとかないと思う。あと、これは完全に私の思い込みかもしれないんだけど、頻度でいえば、兄は大回廊を使わないほう。大回廊の代用として普段は隠し通路を使っていたんじゃないかな。

まったく通らないわけじゃなくて、私的な移動の場合は極力隠し通路を優先って感じ? 効率重視なのかなって私は考えていた。

その兄が。

でも、すぐに、ううん、と思い直した。

兄(記憶あり)は違うんだった。

思い返してみれば、子どもの頃、昔の兄(記憶あり)は大回廊を普通に通っていたような……?

じゃあ、別におかしいことでもない、のか……。

視線を頭上に向けてみる。溜め息の出るような荘厳な天井画が視界を埋め尽くす。

「――セリウス殿下は考え事をしていらっしゃったようでした」

「考え事の内容を、クリフォードは訊いたの?」

天井画から、私は視線の矛先をクリフォードに戻した。

「すべてではないでしょうが」

「では、その中でクリフォードがわたくしに伝えてもいいと思ったことはあるかしら。あれば教えて欲しいわ」

クリフォードなら、必要なところだけピックアップして教えてくれるはず!

「本当に、それでよろしいのですか」

と思っていたら、返ってきたのは、予想外の問いだった。

この聞き方。私にあえて伝えない話もありますよって確認?

「…………」

――そんなのはわかっていることだし! だから、個人的な会話だったりとかは言わなくてOK!

パチンと『黒扇』を閉じる。

「構わないわ」

私は言い切った。

「――私が何らかの意図をもって話を伏せたとしてもでしょうか」

片膝をついて、私を見上げたクリフォードが問いを重ねた。

「私に、悪意や、殿下を騙す意図があるかもしれません」

ついで、そう付け加えた。

「――まず前提として、わたくしはクリフォードを信じているの。あなたが私を騙したり、裏切ったりはしないと思っているわ」

小さく、クリフォードが苦笑した。

「光栄です。ですが、可能性としてお考えください。もし――」

「そのようなことが起こったら?」

「はい」

クリフォードが静かに頷く。

濃い青い瞳が私を真っ直ぐに見つめていた。

言われてみれば、考えてみたこともなかった。

だって、『従』が『主』に嘘をつくことはないってクリフォードは言っていた。

でも、そっか。嘘をつかないからって、抜け道がないわけじゃない。悪意を持っていても正直であることはできるし、隠すことで騙すこともできるんだ。

その気が、あれば。

……もし、クリフォードが私に悪意を持っていたり、騙していたり、裏切ったりしたとしたら? 私は怒る? 悲しい? 許せない?

もちろん、そういう感情は浮かぶだろうけど、何か違う気がした。

『主』になったせいなのかな。私にとってクリフォードを信じるっていうのは――。

私もクリフォードを見つめ返した。

「――それも含めて信じている、ということになるのかしら。信じるからには、裏切りも許容する、とでも」

こうやって言葉にすると、自分の中でもだんだん考えがまとまってくる。

「たぶん、わたくしにとって誰かを信じるのは、どれだけのことを許容できるかということなの」

だから、試されるのは自分。

「問題となるのは、相手の行為ではなく、自分自身ね。たとえ裏切られても構わないと相手に思えるか。それが私の信じるということ。だから、『そのようなことが起こったら』受け入れるわ。だって、信じると決めたのはわたくしでしょう?」

「信じたことが間違っていたとは思わないのですか」

「思わないわ。信じると決めた時点で、結果は重要ではないのよ」

「……殿下は、裏切りも含めて信じるから、ですか」

「そうね」

私はにっこりと笑った。

「だから、クリフォードが何らかの意図をもって兄上との会話をわたくしに隠しても構わないわ」

お墨付きってことで!

「一つ、お訊きしても?」

「ええ」

「――アレクシス殿下のことはお好きですか」

クリフォードが意外な質問をしてきた。でも、これは考えるまでもない。

「好きに決まっているわ。わたくしの家族で、大切な弟よ」

誰に訊かれても、いつでも私の答えが決まっているから。

一瞬、沈黙が落ちる。

「承知しました」

クリフォードが目を伏せ、一度頭を垂れた。

「もしかすると、兄上がアレクの話でもしたの?」

「――いいえ」

顔をあげたクリフォードがゆっくりとかぶりを振る。

「セリウス殿下が私に話されたのは、別のことです。警戒を怠るな、と注意を受けました。殿下を心配なさっていたようです」

兄(記憶あり)のイメージは、私が子どもの頃の兄なんだよね。……うん。あの頃の兄がそのまま成長したら言いそう。……なんだけど。

「あなたを地下牢に入れた張本人が言うことではないわね?」

私がクリフォードだったら、兄こそが警戒の対象だよ!

まあ、兄(記憶あり)はクリフォードを勧誘したみたいだし、記憶のあるなしの違いか。

「兄上が言っていたのはそれだけ?」

「……明日の自分は、私のことを警戒するだろう、とも」

警戒を怠るな、は、クリフォードへの、兄から自分の身を守れって意味でもある?

だって兄は、クリフォードへの疑心満杯だったもんね。結果として、クリフォードが無実だってことは判明したものの、兄の心の内は不明。

一通り聞いた感じ、兄(記憶あり)が私の護衛の騎士のクリフォードと話しておきたかった、風な印象かなあ……。

収穫は、兄と兄(記憶あり)の違いがわかったこと。

「……ずいぶん引き留めてしまったわね。今度こそ、人を呼んできてもらえる?」

「は」

跪いていたクリフォードが立ち上がった。

私も今度は、呼び止めたりはしなかった。……また無意識に、右手を上げそうにはなったけど。