軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

72.相憐れむ者の嘆き

エミリーはマリアンヌに腕を引かれて、貴賓席から回廊へと連れ出されていた。

観客席のあちらこちらから逃げ惑う人々は、この場から離れる事に必死でこちらに気付きもしない。阿鼻叫喚の声はどこか遠く、非現実的にさえ思える。

マリアンヌは相変わらず見た事も無いような凍てついた表情で、回廊にある窪みに身を隠すようにエミリーを連れ込んだ。

「……マリアンヌ様……?」

「逃げなさい、今すぐに」

喧騒の中で辛うじて聞き取れた小さな囁き声に、エミリーは目を見開いた。

「……なんで、今さら……あなただって、あたしを利用しようとしていたんでしょう……」

「そうね。その通りです。ディランに命じられるがまま、貴女を飼殺すのがわたくしの役目でした。わたくしも知っていましたよ。貴女が本当は何も出来ない事を」

感情の篭らない平坦な声は冷ややかで、挑発するようで、マリアンヌが先ほど口にした逃げろという言葉と噛み合わない。怒りと猜疑心が湧いて、だけどこの場でどうしようもない身で、エミリーはそれに従うべきか迷い、困惑する。

「貴女、この先でもう一つの罪が暴かれたら、どうなるか理解なさっていて?」

「もう一つの罪……? なんですか、それ……」

マリアンヌの表情は変わらない。

「ディラン・アグレアス・ジエメルドの理想に追従する人間など一握りでしょう。民の多くは、恐れと怒りに染まるのは目に見えています。不死に囚われた先で永遠に憎み続ける事でしょうね。偽物だった貴女を。 本(・) 物(・) を陥れてしまった貴方を」

「ほん、もの……?」

マリアンヌの語る内容の、半分は理解できた。それはついさっき自分が想像した恐怖と同じだ。

──本物って……?

疑問を言葉にして問いかけようとした矢先、遠くで誰かの叫ぶ声がした。

「おい! 見ろ! ライオネル様だ……!」

振り返れば、逃げ惑っていた民衆が立ち止まって同じ方向を向いている。回廊に設けられた大きな窓の先に闘技場の観客席が見えて、その向こう、 不死(アンデッド) スライムが襲う中を突き進んで来る武装した集団が見えた。

真っ黒に塗りつぶされた盾を持ち、その手には淡く光る剣がある。それも一人ではない、複数人が光を宿す剣を手にしている。

「あら、もう来たのね……。それも、あんなにたくさん。ディランは、本物を見くびっていたのかもしれませんね」

「……さっきから言ってる、その、本物って、何ですか……?」

そちらに釘付けになりながら、尋ねた。聞かなくても、答えなんてわかっているようなものだ。

胸がざわついて、また全身に悪寒が上ってくる。

──あれが、あたしの力じゃない事は、わかるもの。だって、もしそうなら、エリオット達は……。

エミリーが苦悩に唇を噛めば、マリアンヌは漸く表情を変えた。憐れむようなその表情は、けれども酷くエミリーの神経を逆撫でる。

「…… 標(しるべ) の魔法使い。それこそが、古くから、伝承の中で、あるいは多くの国や教会で、聖人や聖女と呼ばれてきた者の正体よ」

「本物っていうのが、そうだとして。あたしが、陥れてしまったって……」

問い掛けは最後まで続かず、突如床が大きく揺れた。

立っていられない程に揺れは大きくなり、あちこちで嫌な音がして、遠くからたくさんの悲鳴が聞こえる。それからすぐ傍で、何かが崩れるような音がした。座り込んで頭を抱えているうちに、身体を押されて床に倒れ込む。

しばらくして周りが静かになって、漸く目を開けると、目の前にあった回廊の壁が崩れていた。近くに居たはずのマリアンヌの姿が見えない。慌てて土煙が上がる中を見回せば、崩れた瓦礫に半身が埋まった状態でマリアンヌが倒れていた。

「マリアンヌ様……!」

思わず駆け寄れば、マリアンヌは閉じていた目を薄く開けた。額から血が出ている。半身を覆う瓦礫はエミリーではどかせそうもない。

床を這うように血だまりが広がっていくのを目にして、エミリーは顔を歪めた。

「わたくしは、放置して、逃げなさい。このまま、ここで あ(・) れ(・) に飲まれるか。ここで終わるか。もうどちらでも」

マリアンヌはか細い声でそう言う。どこか投げやりな言葉に、酷く腹が立った。困惑は消えない。

「なんでですか!? なんで今になって、そんな事言うの!?」

「……貴女を見ていたら、腹が立ってしまって。だって、まるで、わたくし自身を見ているみたいで。いいえ、違うわ。嫉妬さえしていたの。だって、わたくしは、あの人の舞台を彩る、小道具でさえ無いのだもの」

まるで自嘲するような言葉の意味がわからなくて、エミリーは余計に混乱した。

「有用な手駒として、道具として、一番傍に居られたら充分だと、そう思っていたのよ。馬鹿な女。結局わたくしは、あの人の視界にすら、入って居なかったわ。最後まで、ずっと……」

あの人というのはアグレアスの事だろうと、それだけは理解できた。

「自分の価値を見誤って、与えられた虚像に舞い上がって、愚かで、底の浅い。貴女、わたくしにそっくり。それなのに、わたくしより利用価値があって。そんな女が、あの人の傍に居る事が、もう耐えられなかった。だから、これは、つまらない同情と、妬みと、自己嫌悪の果ての、些細な気まぐれなの。さぁ、今すぐ、逃げなさい……」

言われるままに立ち上がって、今すぐ逃げるべきなのだと、一瞬だけそう思った。だけどエミリーは立ち上がる事が出来なかった。自分に怪我はない。揺れていた時に身体を押されたのは、マリアンヌに庇われたのだろう。思考は追い付かなくて、だけどこのまま立ち去ってはいけない気がして動けなかった。

マリアンヌの半身を覆う瓦礫に手を伸ばす。重くて、上手く動かせないが、それでも聞かなければならない事もある。

「本当に、どこまでも、愚かで、馬鹿な子ね」

マリアンヌは、呆れたようにそう呟いた。

「ねぇ……さっき言ってた、あたしが陥れたって……」

震える声で尋ねたが、怖くて言葉が続かない。マリアンヌはもう意識を保っているので精一杯なのだろう。曖昧な問い掛けには、力の無い微かな笑みが返ってくるばかりだ。