軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

68.狂乱の中で①

エリオットの手にしている聖剣が、白く煙を上げたかと思えば、赤茶色に変色しぼろぼろと崩れていくのが見える。

目の前の光景に、エミリーは言葉を失い絶望していた。

──うそ……。嘘、嘘だ、嘘、そんな、聖剣が……? なんで、どうして!?

声にならない悲鳴を上げて、頭の中をぐるぐると巡るのは、答えなど出ない疑問の奔流だ。

「何故だ……どういう事だ……聖剣が……?」

「聖剣が、負けたのか……? 溶けた? 何故?」

周囲から聞こえる言葉も、エミリーの脳内を巡る疑問の声と同じだ。

国王が、宰相が、貴族たちが、あるいは民衆が、皆錯乱したように疑問の声を上げる。聖騎士エリオットが得体の知れない液状化した波に飲まれ姿が見えなくなると、その視線はエミリーへと向けられた。

「聖女エミリー様……、これは一体、どういう事でしょうか……?」

狼狽えるように問う声が、誰のものかはわからない。

「あ、あた、しに、聞かれ、ても……」

辛うじて出せた声は掠れている。理由など、わかるわけがない。それを聞きたいのは自分の方だ。誰に、何を問えばいいのかもわからない。エリオットは遠く、既に姿もよく見えない。

何か、とても恐ろしい事が起きているのだと、それだけが理解できて、恐怖で震えが止まらない。

「……っはは、ははははは!!! 女神の力も結局はこの程度という事ですね」

突然すぐ傍から狂ったような笑い声が聞こえて、エミリーは茫然としたまま振り返った。ディラン・アグレアス・ジエメルドが、心底愉快だと言わんばかりに笑みを浮かべて、不似合いな程声を上げ笑っている。

「どうして……笑って、いるんですか?」

エミリーはたどたどしく尋ねた。アグレアスの笑い声は酷く耳障りで、恐怖の底から怒りに似た感情さえ芽生えて来る。

「これが笑わずにいられますか? 聖(・) 女(・) エミリー様」

それからゆったりといつもの表情に戻ると、仰々しくアグレアスは振り返り、床に蹲る国王と宰相に笑みを向けた。

「そもそも、貴方がたはどうして彼女を『聖女』と呼んでいたのでしょうね?」

「な、何を急に言っておる……? 気を違えたか、ディラン・アグレアス……」

国王は困惑したような声を上げた。

「はは、まぁ、私達も、彼女には途中まで騙されていましたからね。無理も無いでしょうか」

呆れたような顔をしてどこか蔑みのような色を含めた声で語るアグレアスに、エミリーは顔を赤く染めた。

「な、騙すって、何ですか! あたしは何もしてない!」

「そうですね。その通りです。貴女は、 何(・) も(・) し(・) て(・) い(・) な(・) い(・) 」

アグレアスは、まるで同情するような表情を浮かべた。ころころと変わる表情はどこか道化じみている。

「彼女は、ただの見習い僧侶。『戦場での活躍』でしたか? それも聖職者がやり終える直前に仕事を奪って、他人の功績を横取りしていただけだそうですね?」

「ちが、違います! あたしはただ、頑張ってただけ……」

「何と、自覚が無かったのですね。お陰で騎士達は愚かにもすっかり騙されて、その評判ときたら、伝承にある聖女そのものでした。お陰でこちらも途中までそれを信じてしまった。全く以て情けない話です」

大袈裟に頭を抱えて見せるアグレアスに、エミリーは今になって初めて、自分が無自覚にやっていた事を言い当てられたような気がした。反論が、出来なかった。

顔に上る熱は、怒りと、それから途方もない羞恥だ。たった今、言葉にされて初めて自覚する、過去の自分の行動を自覚して、足元がぐらついた。

「ああ、けれども漸く理解できました。どうしてこうも御しやすいのか、不思議でならなかった。貴女がもう少し強かで、狡猾であれば、違和感に気付いたでしょうから。なるほど、自覚が、無かったのですね……」

わざとらしい憐れむような声は、エミリーの神経を逆撫でする。戸惑い、怒り、羞恥、そして置かれた状況に、声が出ない。

「その上、祈りというものは目に見えないのだから、余計に厄介でしたね」

次いで独り言のように言葉を紡ぎ、息を吐く。

「どういう事だ。先ほどから何を言っておるのだ」

「貴方がたの信じた『聖女』など、どこにも居なかったと。それを暴いているだけですよ、陛下」

アグレアスの落ち着いた声音はやけに響いた。

「……で、でも、祈るのは無駄じゃないって……だって……」

エミリーはその場に座り込んだ。息が上手く出来なくて、震えは止まらない。

「あ、あたしは、あたしは自分が聖女だなんて、言ってない。一度も言った事無い! 皆が勝手に、そう言うから、だから、頑張って祈ってみたのに。それなのに……こんな、こんな……」

震える声で言い訳のように言葉を並べて、顔を覆い伏せた。

「ええ、そうでしたね。聖女と呼ばれ持ち上げられて、それを否定しなかっただけだ。言われるがままにしておいただけだ。貴女は何も悪くありませんよ」

慰めるような声すらも、まるで嘲り笑っているように聞こえた。

「アグレアス閣下、何が、目的ですか。今この時に、そんな……」

宰相が声を上げる。

「良い質問ですね。皆様に、女神の力というものの曖昧さと脆さを、その目でご覧いただいて、それから真に価値ある力の存在を知っていただこうと思ったまでですよ」

そう言うと、アグレアスは腰にある剣を抜いた。騎士団長とはいえ儀礼的なもので、手にあるのは装飾の施された細身の剣だ。その切っ先を、国王に向ける。

国王の後ろで待機していた近衛兵が、それを見て即座に剣を抜いた。間髪入れずにアグレアスに斬りかかり、その手首を斬り落とす。アグレアスは敢えて斬られたかのごとく微動だにしなかった。

「……アグレアス……、なんだ、それは……」

国王が息を飲む。貴賓席に居た貴族達には、まるで凍りついたかのような沈黙が降りた。

斬られた手首は、転がり落ちた地から不気味な糸を引いて、まるで時間を戻すかのようにアグレアスの腕へと戻って行く。

「素晴らしいでしょう。これこそが、最も平等で、最も揺るがない、奇跡の力です」

満足げに笑うその顔は穏やかで、しかし狂気に満ちて見えた。