軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

奉公

1564年冬

甲賀との会談から数日後。再び飯盛山城に、黒装束の一団が現れた。今度は甲賀の者ではない。伊賀の里を束ねる三忍の一人、百地三太夫である。

「甲賀の山中俊定よりお話を伺いまして、参上いたしました。百地三太夫にございます」

三太夫は、山中俊定とはまた違う、鋭利な刃物のような雰囲気を纏っていた。だが、その態度は極めて恭しい。甲賀の者たちが持ち帰った大量の食料と、今川は違う。という熱っぽい報告が、彼を動かしたのだ。

「今川左近衛中将氏真である。わざわざ来てくれ、すまないな」

「滅相もございませぬ」

氏真は彼に対しても、同じ目線の高さで語りかけた。

「すでに山中から聞いているかもしれないが、単刀直入に言おう。伊賀を一族まとめて召し抱えたい」

「…我ら伊賀者は、甲賀の者ほど土木には明るくありませぬが」

「わかっている。そなたらには、別の仕事を二種類頼みたいのだ」

氏真は指を二本立てた。

「まず一つ目は、領内の治安維持と、道や橋の点検だ」

三太夫が怪訝な顔をする。

「点検、でございますか?」

「そうだ。今川の領土は急速に広がった。直轄軍を各地に配備しているが、正直言って手が足りぬ。街道が崩れていないか、橋が腐っていないか、あるいは不審な者が入り込んでいないか。それらを巡回し、報告を上げてほしい」

氏真は言葉を継いだ。

「もし、簡単な補修で済むなら、事後報告で構わぬ。そちらの判断で直してくれ。いちいち許可を待っていては、民が困るからな。そなたらの機動力と判断力を信頼する」

「…はあ」

三太夫は戸惑っていた。大名というものは、細部まで己の支配下に置きたがるものだ。「現場の判断で動け」などという権限委譲は、よほどの信頼がなければできない。

「そして二つ目だ。こっちはそなたらの本領発揮だろう」

氏真の声が少し低くなった。

「領外の情報収集と、地図の作成だ」

「地図…」

「そうだ。そなたらの収集能力と、山野を駆ける健脚、そして正確な測量技術。これらを用いて、日ノ本の正確な地図を作ってもらいたい。どこにどんな道があり、どの城がどこにあり、水場はどこか。戦だけでなく、物流のためにも、正確な地図は千の兵に勝る価値がある」

日向の仕事としての治安維持・保全。陰の仕事としての諜報・地図作成。そのどちらもが、伊賀の特性を熟知した上での提案だった。

「いかがかな? 闇に潜むだけが忍びの道ではないと、私は思うのだが」

三太夫は深く息を吐き、そして畳に額を擦り付けた。その肩が、微かに震えている。

「…我らのような、闇に生きてきた者を、そのように信頼していただけること…真に、ありがたきことにございます」

忍びは道具だ。金で雇われ、裏切り、裏切られ、用が済めば捨てられる。それが戦国の常識だった。だが、この若き主君は違う。

「甲賀の者、あの山中が、殿のことをあれほど嬉しそうに話している姿…ようやく納得がいきました」

三太夫は顔を上げ、氏真を見た。その目には、もはや疑いの色はなかった。

「忍びなるものは道具。そのような眼を常に向けられてきた者にとって、対等に、人として生きる道を示してくださる方など、今までおりませんでした」

彼は再び深く頭を下げた。

「伊賀に戻り、皆に話をいたします。…されど、拙者の中ではすでに答えは決まっております。我ら伊賀衆、命に代えても今川様のために働きましょう。何卒、よろしくお願いいたします」

氏真は満足げに頷き、立ち上がって三太夫の手を取った。その手はごつごつとしており、多くの修羅場を潜り抜けてきた証が刻まれていた。

「伊賀も甲賀も、忍びも武士も関係ない。私は、この日ノ本中の民を豊かにすることが使命だと思っている」

氏真の目は、遥か先の未来を見据えていた。

「戦のない、誰もが明日を恐れずに眠れる国。その礎を築くために、そなたらの力を貸してほしい。よろしく頼むぞ」

握り返された手の力強さに、三太夫は生涯の忠誠を誓った。かつて恐れられた闇の住人たちは、今、最強の守護者として今川の翼となったのである。

1565年冬

山中俊定と百地三太夫が、揃って一族の総意を持参した。

「我ら一族、末代まで今川様に御奉公いたします」

その言葉を聞いた瞬間、氏真の中でパチリと何かが嵌まる音がした。これで決まりだ。 東海道から畿内へ至る大動脈、今川街道の開通は、彼らの土木技術によって劇的に早まるだろう。山を削り、谷を埋め、頑丈な橋を架ける。甲賀と伊賀の技術は、移動時間を半分にする魔法だ。

これにて、日ノ本の闇は今川の監視下に置かれたと言ってよい。伊勢の北畠具教も彼らに接触を図っていたようだが、提示された条件が違いすぎた。銭の力もさることながら、一族を日向で使い、未来を保証するという今川の構想力に、北畠は及ばなかったのだ。

北畠は剣の達人だが、時代を切る刀は持っていなかったということか。この事実は、松平元信が伊勢を攻略する際、大きな後押しとなるだろう。影を失った北畠は、目と耳を塞がれたも同然なのだから。

一方、近江からは六角承禎がやってきた。 彼は今、堺の今川学問所にて顧問という職に就いている。

「弓馬の故実、礼法、佐々木源氏の誇り…教えることは山ほどある」

腐っても名門当主。その教養は本物だ。政治からは切り離したが、文化の保存者として、彼は水を得た魚のように生き生きとしている。寿桂尼も高齢だ。彼女が担ってきた精神的支柱や文化的な教育係の後任は、案外彼になるのかもしれない。かつての敵が、教育者として余生を過ごす。それもまた、今川らしい決着だ。

だが、息子の義治は違った。「今川になど、中将ごときに降れるか!」そう吐き捨て、父と袂を分かったという。西へ向かったという報告がある。毛利か、四国の長宗我部か、あるいはさらに奥の大友か。プライドだけで飯が食えると思っているうちは、どこへ行っても同じだろう。

「まあ、達者でな」

氏真は西の空を見上げ、短く呟いた。去る者は追わず。来る者は拒まず。それが今の今川の強さである。