軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

断章5

結果的にアレスは何とか助かった。

魔人がすぐに絶命したおかげで、首の傷も思ったより重傷ではなく、回復呪文で傷は塞がった。

だが、傷は塞がっただけで完治したわけではない。アレスの左の首回り一帯は紫色に変色し、酷い有様だった。しかも首の傷を癒すのに、アレスはすべての魔力を使い切ってしまい、魔力切れと傷の痛みでひとりで立つことすらできない。

それに腹部に受けた傷は浅かったが、傷口が塞がる様子はない。布を巻きつけて応急処置をしているが、布の表面に血がにじんでいる。初歩の回復魔法で容易に治る程度の傷だが、今のアレスにはそれを使うことすらできない。

(このままではアレスが危ない)

首のダメージもそうだが、腹の傷がもとで命すら危うい可能性がある。僕は荷物を最小限にして、アレスに肩を貸して歩き始めた。

放り捨てられたアレスの剣は探し出して、今は僕が持っている。剣だけは一緒に持って行きたいとアレスが懇願したからだ。

「すまないな」

青白い顔をしているアレスが謝ってきた。

「気にするな。僕は今世界を救う勇者を救おうとしてるんだ。なかなかの英雄だろう?」

冗談を言って誤魔化そうとしたが、足取りの重さはどうにもならない。普通の歩く速度の半分以下の速さだ。これではいつ人里に着けるかわかったものではない。

────

アレスの状態は時間が経つごとに悪化していった。

腹の傷が悪化しているのか、アレスは高熱を発し、とうとう歩けなくなった。

僕は荷物をほとんど捨てて、アレスを背負って歩くことにした。

自分とほとんど同じ背格好の人間を背負うのは辛い。すぐに体力が尽きてしまう。

背負って歩いては、すぐに休むことを繰り返した。この調子では一月経っても、人里につくどころか、森すら抜けることもできないだろう。

休憩しているときに、村の神父に習った回復魔法をアレスに向かって唱えた。一度も成功したことがなかったので、やはりというべきか神の奇跡は起きない。

(一生のお願いです! アレスの傷を癒して下さい!)

必死に神に祈り、願っても、その祈りが神に届くことはなかった。

この程度の傷で、アレスが死んでしまうのかと思うと、もっと努力して回復魔法を習うべきだったと後悔した。あまりの自分の無力さに涙が流れた。

アレスはもう目も開けてられない状態だったので、僕の泣いている姿を見られることはなかった。

────

アレスを背負って歩く。でも、まったく進まない。昨日よりも酷い。僕の身体の調子も悪いのだ。疲労と空腹もあるが、何より、もう水がなかったのだ。飲む水も無ければ、アレスの腹の傷を洗うこともできない。

近くに川や水場がある気配が無いし、森が険しすぎて、中まで入っていけない。水の大切さは知っているはずだった。でも持っていた水は、昨日、アレスの傷を洗うのにほとんど使ってしまったから、もう無いのだ。

「水よ!」

昔、アレスと一緒に練習した水の魔法の詠唱を試みるが、一度も成功したことがないので、まったく反応がない。アレスなら水くらい簡単に出すことができたはずだ。

何で傷を負ったのが僕じゃなかったんだろう。

何で僕は簡単な魔法ひとつ唱えることができないんだろう。

「井戸から水を汲んだ方が早いよ」

一緒に魔法を勉強した仲間たちは、アレスが初めて唱えた水魔法を見て、そう評した。

それはその通りだろう。しかし、常に近くに井戸や川があるとは限らないのだ。ましてや、魔物と戦う旅の最中に、そんな恵まれた環境が整っているとは思えない。今僕はそれを骨身に染みる程実感していた。

────

夜が来て、周囲がまったく見えなくなった。獣なのか魔物なのかわからないモノの咆哮があちこちから聞こえる。怖い。火が欲しかった。

「火よ!」

文言だけ知っている火の魔法を詠唱するが、当然何も起きない。

アレスの身体から異臭がし始めた。恐らく傷が腐り始めたのだろう。僕は怖くて、傷を覆った布を剥がして、それを確認する勇気が出なかった。火の魔法が使えれば、アレスの腹の傷を焼くことで、傷口を塞ぐことだってできたはずだ。

もともと、荷物の中に火打石は入れてなかった。アレスが火の呪文を使えるから、必要ないと思っていたのだ。しかし、こうなってくると、火の重要性というものに嫌でも気づかされる。星の光すら届かない森の中の闇というものは深淵で、根源的な恐怖を感じる。

そして何より寒い。アレスは高熱を発しているが、それは頭や傷回りといった身体の一部だけで、指先は生気を感じさせないくらい冷たかった。身を寄せ合っても、まったく暖かくならない。

ささやかな火でいいから、魔法が使えるようになりたい。

(もう一度機会があるのなら、必ず魔法を習得しよう)

暗闇の中で恐怖に震えながら、そう心に誓った。

────

朝が来た。ロクに寝ることが出来なかった。アレスが一晩中うなされていたのだ。顔から血の気が引いていて、もはや死人同然だ。僕自身、まったく疲れが癒えてなくて、アレスを背負って歩く体力も気力も無かった。

「どうしたら良いんだ、一体、どうしたら……」

絶望感から、つい声が漏れてしまった。

「殺してくれ……」

アレスが呻くように声をあげた。

「もう俺はダメだ。このままだとザックも巻き込んでしまう。それにずっと苦しいんだ。自分の身体が腐っていくのも恐ろしい。頼む、俺の剣でとどめをさしてくれ」

吐息を吐くような小さな声でアレスが喋った。

「できるわけないだろう! おまえは僕の兄弟で、親友で、ずっと一緒にいた仲じゃないか! そんなことできるわけがない!」

僕とアレスは兄弟同然に育った。殺すことなんて、想像することすらできない。

「だからだよ。俺の今の気持ちがわかるはずだ。ザックは俺を置いて先に進むしかない。でも、このまま俺を放置したら、生きたまま虫や獣に食われるだけだ。だから頼むよ、俺を死なせてくれ。それでおまえひとりで先に行ってくれ」

アレスの目は開いていない。痛みに耐えるように、顔を何度も顰めるだけだ。

「僕ひとりで王都に行ってどうするんだよ? おまえは勇者だろう? 勇者が死んでしまったら世界は終わりじゃないか!」

「……結局のところ、俺は勇者じゃなかったんだよ。預言者も『この村から世界を救う勇者が現れる』としか言ってない。俺とは一言も言ってないんだ。それに俺は、預言者の話を聞いたとき、自分のことじゃなくて、何故だかザックのことを想像したんだよ」

「僕のわけないだろう! 魔法も使えないんだぞ! 魔法が使えたら、アレスの傷だって治せたのに! 剣だって大して使えないのに……」

僕はもはや堪え切れずに泣き崩れた。

「……何でだろうな、よくわからないけど、俺はそう思ったんだ」

アレスが大きく顔を歪めた。

「……ああ、全身が刺すように痛い。苦しいんだ。頼むよ、ザック、頼む。俺を楽にしてくれ」

アレスが本当に苦しんでいるのは、見てわかった。そうしないといけないことを本当は理解していた。

僕は泣きながら剣を抜いた。

地面に倒れているアレスの胸に剣先を当てる。

アレスは目を閉じたまま、笑った表情を作った。苦しいはずなのに無理矢理笑顔になろうとしていた。

僕のためにそうしてくれているのだ。

手が震えた。少しだけ、ほんの少しだけ時間が経ち、再びアレスの顔が苦痛に歪んだとき、僕は彼の胸に剣を突き立てた。

グッという感触がした後、吸い込まれるように剣はアレスの胸を貫いた。

アレスの口が微かに動いた。音にすらならないような最後の声。

「母さん」

と聞こえたような気がした。