作品タイトル不明
番外SS『猫になった夢を見ました』
ちょっとしたうたた寝から目覚めると、猫になっていた。
太陽の光が頬に当たる感触に「はっ! 日焼けしたらばあやに怒られる!」と慌ててとび起きた私の目に入ってきたのは、先ほどまでそこに顔を乗せて眠っていたはずの自分の腕。
それが、どう見ても小さな黒猫のものだったのだ。
『は?』
驚きの声は、微妙に猫っぽい鳴き声として自分の口から発せられる。
困惑しきり。そんな私に、声がかけられた。
「……どうした?」
すぐ近くから聞こえた聞き慣れた声に、ほとんど反射的に安堵を覚えてしまった。
とにかくどういう状況であっても、ヴォルフがいるなら大丈夫。私の頭は勝手にそう決めつけているらしい。
『あのね、今ね』
勢い込んで話し出そうとした自分の口から漏れたのは、「フニャ」とか「イニャー」とか。
だめだ……ぜんぜん大丈夫じゃない。
何これ何これ、と混乱する私の頭を、ヴォルフの手が優しく撫で……って! 大きい! 頭部が軽く鷲掴みされそうなくらい大きい手! 怖っ!
慌てて私が巨大な手から距離を取ると、その向こうに見えたのはたしかにヴォルフの姿だった。
ヴォルフというか、ヴォルフ(大)というか……。
私はひとまずヴォルフ(大)から距離をとって、状況把握に努めようとした。
じっと、手を見る。
猫の手である。
黒猫だ。肉球も、いちおうピンクっぽいがほんのり黒みがかっている。
この手では、自分の頬をつねることさえままならない。
私はきょろきょろと辺りを見回した。
それなりに見慣れた部屋だった。ラナンクラ公爵邸の、ヴォルフの私室である。
私が昼寝を始めたのは我が家――リーリア公爵邸の自分の部屋であって、ヴォルフの私室どころかお宅におじゃました覚えもまったくない。
もう何がなんだか全然わからない。とりあえず現状を言葉にするならば、私、リコリス・ラジアータは何故か猫の姿で、婚約者であるヴォルフガング・アイゼンフートの部屋。立派な机の上にいる。
(どういうことなのどういう……あ、もしかして目が覚めたと思ったのは気のせい? まだ夢の中?)
思いついた可能性に、脳内からザッと危機感が一掃されるのを感じた。
(……え? なにこの単純思考)
私は普段、もう少しいろいろ考えたがる人間だと思うのだ。なのに、今はどうにも思考することが億劫に感じられる。猫だから?
たぶん私の理性は状況把握に努めたがっている。けれど猫っぽさに侵食された本能は『あ~も~い~じゃん夢ってことで~~』と、適当な結論に身を委ねたがっていた。……これって、そのうち理性よりも本能が勝るようになってしまう=思考まで猫になってしまうことへ段階を踏んでいるとかではないだろうな。
私が焦りに焦っている時、頼りになるわが婚約者ことヴォルフはどうしていたかというと――。
すでに私から視線を外し、机の上の書類にペンを走らせていた。
いや、理不尽だとは思うまい。
目の前にいる猫の中身がいつのまにやら婚約者になっていただなんて、いったい誰が想像するだろうか。
むしろそんなファンシーな想像をふくらませてしまうヴォルフはい……別に嫌じゃないか。ヴォルフが真面目な顔の下でそんなことを考えていたらそれはそれでかわいい。
ともかく、私はヴォルフを責めるつもりはなかった。理性においては。
しかし私の体は正直だった。
気づけば私こと黒猫は、ヴォルフが執心する書類の上に、どんと鎮座ましましていたのである。
なんということか。今の私はヴォルフが私を無視して書類にかかずらっているということが許しがたかった。
この書類大切なものだったりしないでしょうね。ごめんねヴォルフ怒らないでね。そう考える間にも、私の黒いしっぽは図々しくもヴォルフの腕を打つ。毛があるので、『ビタン』というより『もふっ』という感じだが。
上の方から笑い声が聞こえた。幸いヴォルフはご立腹ではな――――。
「……悪い子だな」
なんですって?
……悪い子だな?
わるいこ?
ワルイコ?
WA・RU・I・KO?
その優しくも甘いお声で今、そうおっしゃったのヴォルフガング・アイゼンフート!
なにこれときめく!
ちょっと呆れたみたいにでも優しい苦笑とともに『悪い子』のお叱りすごいときめく!
耳が、耳が溶ける……。
え? もしかしてヴォルフは自分の子がオイタをしたら、こんな風に叱っちゃうの? 羨ましい! ヴォルフの子供すごい羨ましい!
『もう一回! もう一回!』
私はなんとか後ろ足に力を入れちょっとだけ立ち上がると、前足の肉球同士を必死で押し付け、自分の『もう一回』コールに合わせて拍手をしようとした。……のだが、当然それらしい音は鳴らなかった。
通じないのですけど。しかもヴォルフの指があごの下を撫でてくるのですけど。気持ちよいのですけど。猫になるのも、それはそれで幸せなことのような気がしてきた……。
こうして私は、わりと容易く理性を手放したのだ――。
太陽の光が頬に当たる感触に、「はっ! 日焼けしたらばあやに怒られる!」と慌ててとび起きた私の目に入ってきたのは、見慣れた自分の腕。自室の窓際で、私はまどろんでいたようだ。
なにか楽しい夢を見た気がするのだが、内容はあまり覚えていない。
なんだかとても、「ヴォルフに会いたいなぁ」と思った。そんな穏やかな昼下がりのこと。