軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第90話.友人とのお茶会

――長い長いお話の、最後の一ページを読み終えて。

抜いた栞を片手に持ったまま、興奮冷めやらぬ口調でジェーンが呟く。

「まさか、この本が五世代に渡るジャラ一族の繁栄と衰退を描いた、これほどまでに壮大な物語だったなんて……!」

彼女の言葉に、ルイゼは大きく頷いた。

(分かります!)

「冒頭の獣狩りの場面が、壮絶な伏線でもあって……最初は何気なく読んでいた文章が、物語が進むにつれてじわじわと染み込んできますよね!」

「ええ、ルイゼ様の仰る通りよ。ああっ、まだラストの兄弟の一騎打ちのシーン、気持ちの整理がつかないんだけど……最後まで読めて良かったわ!」

ジェーン・モルド子爵令嬢。

彼女と初めて会ったのは、数ヶ月前の夜会――ルキウスの帰国記念パーティーの場だった。

そのときはあまり長く話すことも出来なかったのが、その数日後、ルイゼは偶然ジェーンと再会した。

そして、ジャライア語をきっかけに話をするようになり、今ではこうしてお互いの時間が合うときに図書館やカフェで会い、物語を読みふける仲である。

昨日、エリオットに休みを取るように言われたルイゼはすぐにジェーンに連絡を取った。

偶然ジェーンも空いていたので、本日は王都のカフェテラスでお茶をしながら、読書の時間を楽しんでいたのだった。

ひとつずつのめぼしい単語をルイゼが教え、ジェーンは苦戦しながらも、無事ジャライア語で綴られた五冊もの長編を読み終えた。

感慨深いが、ルイゼにはそれが寂しくもある。

リーナによって多くの友人を奪われたルイゼにとって、今やジェーンは数少ない、そして大切な友人のひとりだからだ。

「……もうすぐジェーン様は、エ・ラグナ公国に向かわれるんですよね」

その呟きを聞いたジェーンが、「ええ」と頷く。

「だから最後まで読めて良かったわ。心残りになっていただろうから」

二十歳の誕生日を間近に控えるジェーンは、公国の貴族と結婚するためにアルヴェイン王国を発つこととなった。

相手はジェーンの父であるモルド子爵の友人の、その甥だという。

「お相手の方はどんな方なんですか?」

「そうね……ラグナは暑い国で、【通信鏡】のような精密な魔道具は使えないから、まだ手紙でしかやり取りしたことはないんだけど」

ジェーンがテーブルの上の紅茶のカップを取りかけて、またその手を戻した。

頬がほんのりと赤いのにルイゼは気がついたが、それを指摘するような野暮な真似はしない。

「その、すごく――真面目な方ですの。手紙の文面は堅苦しいし、面白みがないし……でもなんというか、誠実な方で」

「そうなのですね」

「この前の手紙なんて、『モルド子爵令嬢よりジャライア語を知らないのはなんだか格好悪くて、私も勉強を始めてみましたがなかなか読めなくて』なんて書いてあって……当たり前ですよね。私だってルイゼ様に習って、ようやく読めるようになってきたんですから! それに……」

いろいろとケチをつけつつ、ジェーンがその男性に好感を抱いているのが伝わってくる。

ルイゼがにこにこしながら相槌を打っていると、ふとジェーンが声を潜めた。

「――と、いうか。私のことなんかよりルイゼ様でしょう?」

「え?」

「あなたが先に、結婚すると思っていたのよ私」

ルイゼがなんとも言えず口ごもると、ジェーンは呆れた様子で溜め息を吐いた。

「あのね。言っておきますけど、もう私はルキウス殿下のことはなんとも思っていないから」

「ジェーン様……」

「だって、こっちが照れるくらいに相思相愛でしょ。ルキウス殿下とルイゼ様」

他人が入り込める余地なんてないでしょ、と当たり前のように付け加えられて。

……ぶわり、とルイゼの頬に熱が広がる。

そんな初心な、年下の少女の愛らしい様子を……ジェーンは微笑ましく見守って、くすりと笑った。

「そうしたら私、アルヴェイン王国の王太子妃の――果ては王妃のお友達じゃない。箔がつくと思わない?」

「そ、それはさすがに気が早いかと……」

「そうかしら? 国王陛下は王位を優秀すぎる第一王子に譲りたがってるって、昔から有名だけど」

ジェーンの言う通り、十年以上前から有名な話だ。

フィリップは、二十一歳にして即位した当初から王に不向きだと先王の側近たちから言われてきたらしい。

音楽や演劇が好きで、そういった芸術方面に優れた才覚を持つフィリップにとって、一国の王という立場は不自由で息の詰まるものだっただろう。

彼が、魔道具の開発で国内外で名を知られ、政務も完璧にこなしてみせる息子に、玉座を譲りたいと考えることは決しておかしなことではない。

そして国内外の人間の多くは、ルキウスが王位を継ぐだろうと当たり前のように捉えている。

(ルキウス様ご自身は、どんな思いでいらっしゃるのだろう……)

まだそれを、婚約者でもないルイゼが聞く資格はないが。

いつかその日が来たなら、こんな風に穏やかな陽射しの日に、彼の口から聞きたいと思う。

彼が選ぶ道がどんなものであっても。

その道を、共に歩くと決めているから。

「……本当は、魔道具祭に参加してから出立したかったけど」

残念そうにジェーンがぼやいて、それでルイゼは思考の世界から戻ってきた。

ジェーンの出立は一週間後だ。

結婚式の日程を変更することはどうしても叶わなかったと、以前にも嘆いていたのでよく覚えている。

だが彼女の口調に、それ以上に込められているものを感じて――思わずルイゼは訊いていた。

「ジェーン様、寂しくないですか? 故郷を離れて、ひとりで異国に向かうなんて……」

目を丸くしたジェーンが、やがて小さく頷く。

それから、まだ少しぎこちないジャライア語で。

『…………もちろん、寂しいわ』

『……ジェーン様……』

ルイゼも同じ言葉で、その名を呼ぶと。

ジェーンは物憂げな表情のまま、テーブルに頬杖をついて続けた。

『だからね――いっそルイゼ様も、一緒に来ます?』

『え?』

『エ・ラグナ公国』

ぱちり、とジェーンが悪戯っぽくウィンクしてみせる。

それを聞いたルイゼは、思わず吹き出してしまった。

『もう、ジェーン様ったら』

二人は顔を見合わせて、しばらくの間、明るく笑い合ったのだった。