作品タイトル不明
第133話.焼けつくような
空いた部屋にルイゼを引き込んだのはルキウスだった。
ただ後ろから、ルイゼを抱きしめる。彼の香水の匂いと、息遣いだけをルイゼは肩に感じていた。
「ルキウス様。怒って、らっしゃいますか?」
本当は、先に謝罪するべきことがあった。
事故で公国に到着したこと。マシューを逃がしてしまったこと。ルキウスに迎えに来させてしまったこと……。
しかしそれよりも、張り詰めたルキウスの雰囲気に感化されて。
振り返れないまま問うと、小さく返事があった。
「……自分に」
答える声には、怒りと苛立ちがにじんでいる。
「ルイゼが目の前で他の男に触られていたのに、何も言えなかった」
「でも、それは」
「俺が君にシャロンの振りをさせたせいだと、そう分かってはいるが」
背後から覆い被さるように、ルキウスはルイゼをきつく抱きしめる。
顔が見たいのに、ルキウスは振り返ることを許してくれない。
「ルイゼ……」
うなじを、吐息が掠めた。
「……っ」
びくっ、とルイゼは大きく身体を震わせる。
ゆったりとしたカフタンドレスは、王国のドレスと異なり布地が薄い。
あまりの密着度の高さに、裸の自分が抱きしめられているような、そんな心許ない気持ちになってしまう。
普段よりも鋭敏な反応や、心臓の鼓動の速さに気がついたのだろう。
紗のヴェールごと、右肩の頼りない布地を煩わしげにルキウスがずらしてしまう。
現れた白い肌を、手袋を外した手が確認するように撫で上げる。そのたびに肌が粟立ってしまった。
「肩を、抱かれていたな」
冷気と同時に、抑えきれない熱を感じる。
露わになった肩を震わせながらも、ルイゼはどうにか口を開いた。
「だ、だめです。ルキウス様……っ」
「なんで?」
逃げようとしても、後ろから羽交い締めにしてくる腕の力は強い。
いやいやをするルイゼの動きを、ルキウスは軽々と封じ込めてしまう。
ルイゼにも分かっていた。普段、ルキウスの手つきはもっと穏やかだ。でもそれは、彼が努めて優しく振る舞ってくれているから。
こんなにも荒々しいルキウスを、ルイゼは知らない。
「あっ…………!」
ちゅうう、と。
音を立てて強く、強く肌を吸われた。
肩に吸いついていた唇が、次は咎めるように肌に歯を立てる。
甘く噛まれ、じんと身体の芯が痺れるような感覚がした。
「ふ、ぅ……っ」
声を抑えるために両手で口元を覆っても、吐息が漏れてしまう。
目尻に涙がにじみ、くらくらと目まいがする。
唇の温かさが離れていっても、まともに呼吸を整えることもできない。
「こうして痕をつければ、誰にでも俺のものだと分かる」
荒く息を吐くばかりのルイゼの髪を、ルキウスが梳く。
「この髪も」
その呟きを聞いたとたん、即座にルイゼは答えていた。
「き、切ります」
フィアンマが触れた髪をルキウスがいやだと思うなら、切ってしまえばいい。
鋏があるなら即座に手に取っていただろう。だがその瞬間、背後で息を呑む気配がして。
「――すまない、ルイゼ」
宝物を呼ぶような、柔らかな声。
まとっていた空気が変貌したのを感じ、身体ごと向き直ると、ルキウスは辛そうに眉を寄せていた。
乱れていた衣服を素早く直してくれると。
もう一度、確かめるようにルイゼの身体に両腕が回される。
「俺が大人げなかった。すまない。しかも、君を所有物のように扱って」
「……ルキウス様……」
いつものルキウスの声だった。労りに満ちた、優しい声音。
安心して、ルイゼは全身を彼に委ねる。ただ、今はそうしていたかった。
「怖かった?」
その問いに、躊躇いがちにルイゼはこくりと頷く。
今まで見たことがないルキウスの一面に触れたような、そんな気がして。
(怖かったのと、それと……)
強引な腕や声にドキドキしたことは、内緒にしたほうがいいかもしれない。
しかしルキウスはしゅんと項垂れてしまった。
少し痩せたように見えるのは、気のせいではないだろう。ルイゼの無事が確認できるまで、彼はずっと心配してくれていたのだ。
夢にまで見た 灰簾石(タンザナイト) の瞳の輝きはあまりにも特別で、薄闇の中でさえ光を放つように見える。
彼の顔を覗き込みながら、おずおずとルイゼは口にしていた。
「したいです、ルキウス様」
「え?」
「キ、キスがしたいです。……だめでしょうか?」
言い淀みながらもそう伝える。
ようやく再会できたのだ。どうしてももっと彼に触れたいと思ってしまう。
そうなると、ルイゼに思いつくのはキスしかない。
しかしルキウスの返答は、想像していたどれとも違っていた。
彼はどことなく不安げに、こう言ったのだ。
「ルイゼから、してくれないか?」
「……えっ?」
(私から、キスを?)
自分からキスをねだるのみならず、自分からルキウスの唇に触れる?
考えるだけでとんでもなくふしだらで、ルイゼは顔を赤くしてしまう。
でも……。
(私はいつもルキウス様に、していただいてばかりだわ)
たまにはルイゼからも、ルキウスに愛情を返したい。
応えるだけではなくて、彼のことが好きなのだと伝えたい。
ルイゼは決意を固めた。
「わ、分かりました」
「え?」
ダメ元で口にしただけのルキウスはその時点で驚愕していたのだが、いっぱいいっぱいのルイゼは気がつかなかった。
「目……、その、えっと、目を閉じていただけますか?」
「…………うん」
ぎこちなく要求を伝えれば、大人しくルキウスが目蓋を閉じる。
それだけでルイゼの心臓はどくどくと騒いでしまう。
閉じた柔らかそうな目蓋。
頬に影を作る、長い睫毛。整った鼻筋。そして、何度も触れ合った薄い唇。
(大丈夫。普段ルキウス様が触れてくださるようにやれば)
そう自分に言い聞かせる。
ルイゼはルキウスの首に、そっと腕を回した。ぴくり、とルキウスの目蓋が反応する。
そのまま、ゆっくりと顔を近づけていく。呼吸を押さえながら、そのまま……。
ちょん、とわずかに触れた瞬間。
弾かれたようにルイゼは顔を離す。
(で、できた!)
――残念ながら、感覚に浸るどころではなかった。
一秒にも満たない数瞬の、子どもじみた稚拙なキスである。
それでもルイゼは確かにやり遂げたという達成感を得ていた。
「!」
そこでばっちりと目と目が合った。
が、そんなはずはない。ルイゼは目を閉じてほしいと伝えていたのに……。
(あっ)
首を傾げたルイゼはとんでもないことに気がついた。
ルキウスの口元はにやにやと、こみ上げてくる喜びによって緩んでいる。彼は約束を破ったのだった。
気がついたとたん、ルイゼの顔は逆上せたように赤くなってしまう。
「閉じるって言ったのにっ」
「でも、見逃したくなくて」
「もうっ」
ぽすりと胸板を叩いた手を、そのまま絡め取られる。
感触もほとんど残っていなかった唇を、包み込むように奪われる。
「ルイゼ」
離された唇から、甘い声が放たれる。
頬にかかる吐息に、ルイゼは震えるしかなかったが、そんな彼女の身体を力強い腕が抱き上げた。
「ルッ、ルキウス様?」
焦るルイゼにお構いなしに、膝の上に乗せられてしまう。
とんでもない密着度に慌てる間もなく、再びキスが落とされる。
大切そうに頬を包む手は、熱い。
その上には蕩けるような眼差しが待ち受けていて、目を逸らすこともできない。
(溶かされちゃう気がする……)
見つめ返すルイゼのまなじりにも、唇が触れる。
「この可愛さは、本当にルイゼだ」
「他の誰かに見えますか?」
「見えない。俺はルイゼしか見えない」
「……っ!」
そういうつもりで訊いたわけではないのに、ルキウスは恥ずかしいことを真顔で口にしてしまう。
「会いたかった。無事で、良かった」
不安そうなルキウスに、ルイゼは必死に笑顔を作った。
「シャロンから怪我をしたと聞いた。もう大丈夫なのか?」
「自分で船上で治しましたから、もうなんとも……」
それでも答える最中に、瞳がにじんでしまう。
「ルイゼ? どこか痛むのか?」
俯くルイゼに、ルキウスの声が揺れる。
心配させてしまっている。そう分かるのに、なかなか顔が上げられない。
(だってルキウス様は一言も、私を叱らないけれど)
一国の王子であるルキウスが自らルイゼを迎えに来るのは、困難だったはずだ。
しかしルキウスは平然とその道を選んでくれた。ルイゼの身を案じてこうして駆けつけてくれた。
それが泣きたいほど嬉しいと同時に、申し訳なくて胸が苦しい。
「ルキウス様……、ご迷惑をおかけしてしまって、すみません」
「謝らなくていい。こうして元気な君に会えたんだ」
ルイゼを抱き寄せて、ルキウスが穏やかに笑う。
額を撫でて、頬に唇を落とす。今だってこんなに全身で触れ合っているのに、どこかに触っていないと気が済まないというように。
あやすような手つきを感じながら、ルイゼは小さく呟いた。
「ひとつだけ、訂正してもいいですか?」
「なんだ?」
「私を所有物のように扱ったと、先ほど仰いましたよね」
「……ああ。すまなかった」
項垂れるルキウスに、ルイゼは首を横に振る。
それこそ謝る必要のないことだと、彼に伝えたかった。
「私はぜんぶ、ルキウス様のものです」
硬直するルキウスの頬に触れて、続けて言い放つ。
「それで――ルキウス様だって、私のものですから」
ちゅっ、と音を立ててそこに唇を落とす。
ルキウスは何やらぽかんとした顔で、ルイゼが触れたばかりの頬に触れている。
そんな彼の顔を見ながら、ルイゼは密かにはしゃいでいた。
(で、できたわ! 二回も!)
頬、それに唇。
自分からとっても恋人らしい触れ合いを仕掛けることができた。……ような気がする。
ルイゼとしては、これで一生分の勇気を使い果たしたというくらいの頑張りだ。
「……ルイゼは俺のもので、俺はルイゼのもの」
長い指先で頬に触れたまま。
繰り返すルキウスは、どことなくぼんやりしている。次第にルイゼは心配になってきた。
再会の高揚を感じながらも、本心から伝えたつもりだったが――。
「……だめ、でしょうか?」
「だめなものか」
言葉を被せるように言い切ったルキウスが、上機嫌そうにくすりと笑う。
戯れのように、しかし確かな熱を持って、唇がまた触れる。
「可愛いことばかり言う、俺のルイゼ」
「……っ」
「俺だけのルイゼ」
ルキウスの双眸には、隠しようもない熱が宿っている。
火傷してしまいそうだ、とルイゼは思う。このままでは彼の熱に呑まれてしまう。
だけど今、そうなりたい、と心から思ってしまっている。
「……私だけの、ルキウス様」
ルイゼは真っ赤になりつつも、その瞳に応えるように目を閉じるのだった。