軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第120話.迷いなき選択

「わたし、好きな人が居るんです」

――それは、今から十二年も前のこと。

七歳のシャロンはそう宣言した。

目の前の人に向かって、高らかに。

人払いをしているので、王宮の一室――応接間として使われるそこには、他に人の姿はない。

そのおかげでシャロンは、自分の本音をありのまま伝えることができる。テーブルを挟んで向かい合う人に、はきはきと言う。

「その子は女の子で、わたしのいちばん大切な人です。……そういうわけでわたし、誰とも結婚したくないんです。それを本日、ルキウス殿下に伝えたいと思っていました。わたしと 内(・) 密(・) な(・) 婚(・) 約(・) 話(・) が持ち上がっている殿下に」

しばらく、ルキウスは何も言わなかった。

無論、その整った顔に動揺があるわけもない。社交界では氷のようだと言われる彼は、ただその眉を不可解そうに顰めていた。

「好いてもいない相手に、振られる理由がよく分からない」

シャロンはくすりと笑う。ルキウスの言う通りだと思ったからだ。

それは、初めてルキウスに目通りしたときのこと。

国王であるフィリップが、ルキウスとシャロンがお似合いだというようなことをほのめかした。

暗君ではないにせよ、考えなしの発言が多い国王である。フィリップの隣に居た王妃オーレリアがすぐに窘めたのだが、そのときの遣り取りだけが広がってしまって、貴族の間では二人が恋仲ではないかとひっそりと噂になっているのだ。

その噂の信憑性が増したのは、トゥーロ・カリラン公爵のせいでもある。

シャロンの父であるトゥーロは、自他共に認める魔道具好きだ。

多くの魔道具を蒐集しており、屋敷の裏手にある別宅の中は彼の集めた古今東西の魔道具で溢れかえっている。

母はその趣味に呆れているが、口出しはしない。他に女遊びも賭博もやらない旦那なので、むしろ安心しているのだろう。

言うなれば、トゥーロはルキウスのファン。純粋に彼の能力を高く評価し、憧れている。

そんなトゥーロのことだから、可愛がっている娘をルキウスに差し出してもおかしくはないかもしれない――なんて、好き勝手に噂されているのだ。

しかしそれを信じているのは、何も身勝手な貴族たちだけではない。

例えばシャロンの侍女であるノーラまで、お嬢様は第一王子に見初められたのだとすっかり有頂天になっている。シャロンとしては堪ったものではない。

シャロンは、ルキウスに対してまったく興味がなかった。

優秀な人だろうとは思う。ただ、それだけだ。

そしてルキウスの反応を見る限り、彼もまったくシャロンに興味を引かれていない様子だ。

安堵すると同時に、シャロンは切りだしていた。

「ですがわたしは、存在してもいない婚約を断るためにここに来たわけではありません」

「……?」

真意を測るように、碧眼がシャロンを見つめる。

睨まれていると誤解するほどに鋭い目つきだが、シャロンはどうにか怯まずに言い切った。

「ルキウス殿下とわたしは、お互いにけっこう都合のいい存在なのではありませんか?」

――存在しない婚約。

しかし、それをあからさまに否定しないことは、シャロンにとっての利益に繋がる。

筆頭公爵家の令嬢であるシャロンには、ここ一年ほどで、うんざりするほどの釣書が届いている。

だが、ルキウスがシャロンに目をかけていることになれば、その数はゼロにはならずとも激減するはず。

シャロンにちょっかいをかける男も減ることだろう。なんせ恋敵は、ルキウス・アルヴェインなのだから。

(わたし、誰とも婚約したくない。顔も知らない婚約者なんかより、エリちゃんと一緒に居たいもの)

つまり、王族――しかも第一王子を虫除けに使おうという魂胆である。

怒鳴られてもおかしくはない場面なのだが、ルキウスは冷静だった。

彼は静かに考えていたのだろう。シャロンの申し出によって得られる利益と不利益について。

元々、ルキウスは人嫌いで有名だ。

舞踏会や夜会には渋々、顔を出すことはあっても、誰と踊ることもしなければ、すぐに引っ込んでしまう。

そういった振る舞いが許されるのは、彼が第一王子であるからというより、アルヴェイン王国の誇る魔道具の開発者として知られているからだ。

だが、今日こそはと手を挙げる令嬢が後を絶たない現状に、よほどルキウスはうんざりしていたのだろう。

「俺は構わないが」

そうして、シャロンの望む答えに行き着いてくれたらしい。

(やった)

シャロンは机の下で緩く拳を握り締めた。無論、表情に出すような失態は犯さないが。

分かっている。

いつかはシャロンだって、親の望む誰かと結婚しなければならない。

貴族に生まれついた以上、それは当然の義務だ。でも、それはもっと先の話だ。

今は自由に、大切な人とたくさんの時間を過ごしていたいと思う。

――そうして。

密やかな噂だけが取り巻く婚約関係には、たった二年後に終わりが訪れた。

「いよいよ本日、出立されるのですね」

魔法大学の入学試験に合格したルキウスは、イスクァイ帝国へと向かうことになった。

数日前に手紙を出し、シャロンはルキウスを見送る許可を特別に得た。そのため、船の出るユニリアの町へとやって来たのだ。

それは形ばかりの婚約関係に、少しばかりの箔をつけるため。

もちろん、それもあったが――実際は、鉄面皮の共犯者の旅立ちを見送りたいという気持ちが、シャロンにも少しはあったのかもしれない。

あの頃より、さらにルキウスは成長していた。

精悍な顔立ちに、背は見上げるほど高く、身体つきは逞しい。令嬢たちがこぞって騒ぐのもよく分かるというものだ。

シャロンを見下ろす瞳の冷たさは、一向に変わらなかったが。

結局、この二年間、ほとんど二人は会っていなかった。

そもそも多忙なルキウスに、シャロンと会うような暇はないのである。

無論、余暇時間があったとして、ルキウスは婚約関係を裏づけるためにシャロンに会いに来たりはしなかっただろう。

ルキウスが一緒に居たいと思う相手は、シャロンではなく――彼にはまだ、そんな相手は居ないようだったから。

しかしそんな冷めきった二人のことも、一部では勝手に噂してくれて、ルキウスは忍耐力の強い男性とされて、シャロンは控えめで貞淑な女性ということになっている。ありがたいような、馬鹿らしいような気持ちである。

(この方が、たったひとりへの恋に燃え上がるところも見てみたかったけど)

そんな恋の相手は、いったいどこに居るのだろうか。

彼が今から向かう先のイスクァイ帝国に、居るかもしれない。

あるいは――意外ともっと近くに、その人は居るのかもしれなくて。

シャロンはおかしい思いで微笑んで、ルキウスに伝えた。

「ルキウス殿下。あなたにもいつか、心から大切に想う方ができますわ」

「俺は一生、恋なんてしない。するつもりもない」

それが最後に遣り取りした言葉だった。

ルキウスの見送りを唯一許された少女だと、しばらくシャロンの名は話題に上るようになる。

だが、一年が経ち、二年が経てば、次第にそんな出来事は人々の頭の中から忘れられていった。

それでもシャロンの周囲は、意外にもそのことを引き摺っていたのかもしれない。

侍女のノーラがルイゼに危害を加えようとしたのも、そのせいだ。

本当にシャロンがルキウスにずっと恋していたのだと誤解したノーラを、しかしシャロンは責められなかった。

結局、いろんなことを間違えてしまったのは自分なのだろう。

エリオットが魔法学院に入学し、彼女に会えない寂しさを紛らわすためにマシューと気まぐれで会った。

お互いに魔力がないからこそ、良い友人関係を築けると思っていたのに、マシューはシャロンに恋慕の感情を抱いていた。

彼の策略の結果、シャロンは何人もの人を傷つけてしまった。

その中には、シャロンの最も大切な人の名前も含まれている。

「……シャロン。シャロン!」

ぼんやりと、シャロンは目を開けた。

本当は頭が重くて仕方なかった。

それでも、いちばん泣かせたくない人が、大粒の涙をこぼしてシャロンを抱きしめているから、無視できるはずはなかったのだ。

(……ああ、泣かせちゃった)

これが最初ではない。

マシューの使う魔法に操られたシャロンは、何度もエリオットを傷つけた。

その頬をぶって、彼女を泣かせた。思いだすだけで、過去の自分を怒鳴りつけたくなる。

それでも、必死に震える唇を開いた。

「……大丈夫、よ。エリちゃん。わたしは、大丈夫」

抱きかかえてくれる腕を、シャロンは掴む。

エリオットがはっと顔を上げる。こんな風に見つめ合うのも、いつぶりだろうか。

気がつけばシャロンの瞳からも、涙が溢れだしていた。

頬に流れ落ちていくそれを、止めることはできなかった。

「あのね。たくさん、お話し、しましょうね。……言えてないこと、あるの。いっぱい」

「うん。……うんっ……!」

嗚咽を漏らしながら、エリオットが何度も頷く。

シャロンの冷たい身体を、毛布ごと抱きしめてくれる。それだけで、心が安らぎを覚えた。

『早く、船を下りて……エニマ様と、話してください。それで、全て分かります、から』

ルイゼがそう言ってくれた。ルイゼが、やり直す機会を与えてくれたのだ。

でもそれよりも先に、シャロンには果たすべきことがある。

見れば周りは、大勢の神官や騎士たちによって取り囲まれている。

どうやら場所は神殿らしい。自力で戻ってこられたとは思えないので、この中の誰かが見つけて運んでくれたのだろう。

そしてシャロンの傍らに佇むルキウスの瞳を、シャロンは見た。

冷たさの中に、激情が燃えていた。本当ならばこの場でシャロンの息の根を止めたいほどだろう。

しかしその前に、シャロンには彼に伝えるべきことがあった。

「ルキウス殿下。……ルイゼさんは」

シャロンは痛む喉を押さえながら、船上であったことを伝えた。

マシューがシャロンに暗黒魔法を使い、意のままに操っていたこと。

ルイゼが身を賭して守ってくれたが、頭に怪我を負ったこと。

彼女の機転でマシューは追い払ったが、船を下りて姿を消してしまったこと。

「これ、ルイゼさんの……託してくれた、【録音機】です。マシューの証言したことが、入っているって」

落とさないように首から提げていたそれを、エリオットが外してルキウスに渡してくれる。

その間にも、イザックが素早く騎士たちに指示を出す。逃げたマシューを捜すのだろう。

ルキウスは険しい顔つきのまま、シャロンの横に膝をついた。

「シャロン。ルイゼは」

「ルイゼさんは、エ・ラグナ公国行きの船に……ひとりで」

あれから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。

シャロンには分からなかった。それがもどかしくて、やるせない。

(もっと早く、わたしが船を下りていたら)

悔やむシャロンに首を振ると、ルキウスは立ち上がった。

「イザック」

そのあと。

彼は、きっとそう言うだろうとシャロンは思った。

汗をかきながら唇を引き結んだ秘書官は、シャロン以上に、そのあとの言葉を予測していたのだろうが。

ひややかな碧眼の中に、荒れ狂うほどの熱を渦巻かせて。

ルキウスは迷いなく言い放った。

「俺は公国に発つ」