作品タイトル不明
第115話.船上での睨み合い
「……ルイゼさん。君が何を言ってるのか、僕にはよく分からないんだけど」
へらへらとマシューが笑う。
表情筋が引き攣ったような、ぎこちない笑みだ。彼自身は、自分がどんな顔をしているのか気づいていないのかもしれないが。
「暗黒魔法ってなんだい? 君はなんの話をしているの?」
ルイゼは素早く目を走らせる。
マシューはとっさに片腕を後ろ手に隠したが、その赤い色彩はルイゼの目に焼きついた。
(血を流しているのは、カリラン様だけじゃない……)
深い傷ではないが、マシューも腕に怪我をしている。
おそらく、シャロンが手巾を持つのとは逆の手に構えた、小型のナイフによるものだろう。
隠し持っていたであろう魔道具でマシューを攻撃しなかったのは、彼女の殺意の強さのためか。
それとも、単純に魔石が切れて、持っていた魔道具が使えなかったのかもしれない。
マシューを前にして顔を歪めるシャロンを後ろに庇ったまま、ルイゼは固い声で問うた。
「マシューさんこそ、どうしてここに? それにエ・ラグナ公国に行こうとしているのは、どうしてですか?」
「そんなことより、彼女は調子が悪そうだ。早く医者に連れて行ったほうがいいんじゃないかな」
二人の視線がぶつかる。
お互いに譲ろうとはしない。睨み合いの中、先に折れたのはマシューだった。
「…………どうして僕がここに居るって分かったんだよ」
腹立たしげに唸るマシューに、ルイゼは首を振る。
「いいえ。ここに来るまで、 犯(・) 人(・) がマシュー様だという確証はありませんでした」
「……?」
「エニマ様もカリラン様も、マシュー様の話はほとんどされませんでしたから。いえ、カリラン様の口からは一度も聞いたことはなかったですね」
目を見開いたマシューが、口端をつり上げる。
「それで僕を挑発しているつもりか? ルイゼ・レコット」
挑発には乗らないと態度で示しながらも、鼻の頭に皺が寄っている。
本当なら怒鳴り散らしたいほど、強い怒りを感じているのだろう。
「シャロンが僕の名前を口にしなかったのは当たり前だ。暗黒魔法で、僕のことを喋らないようにしてたんだから」
「認めるんですね」
マシューは鼻を鳴らすだけだった。今さら関与を否定する意味はないと分かったのだろうか。
ルイゼがひとりでここに居るという事実にも、油断したのかもしれない。
「でも魔道具は、既に壊れてしまったようですね。カリラン様が持っていましたから」
「……フォル公爵からはひとつしか渡されていなかったからね。それをシャロンが持っていくとは思わなかったけど」
「そこまで聞けて良かったです」
「は?」
「【録音機】という魔道具です。今の会話は、全てこれに収めました」
ルイゼが白衣の下から取り出した胸飾りを見せれば、マシューはぽかんとする。
念のためにとルキウスから持たされていたものだ。こんな形で役立つとは思わなかったが。
さすがにマシューの顔色が変わった。
彼が手を伸ばして一歩近づいてくるので、ルイゼは後ろに下がる。
「それを渡せ」
「なら、代わりにカリラン様を船から下ろさせてください。このままでは命に関わります」
(今はまず、カリラン様を安全に地上に帰さなければ)
先ほどからシャロンは一言も喋らない。何度も吐血しているのだから当たり前だ。
マシューの目が、ルイゼの後ろに隠れるシャロンに向く。
「それはできない。彼女は僕の花嫁だからだ」
(花嫁?)
この状況にそぐわない言葉が聞こえ、ルイゼは唖然としてしまう。
しかしマシューの表情は真剣そのものだ。何も間違ったことは言っていない、というように堂々としている。
「……カリラン様が死んでしまうかも、と言っています。意味が分かりますか?」
「そうかもしれない。だけどシャロンは連れて行く。公国に居る婚約者とやらを、僕が殺すのを彼女にも見ていてもらわないと」
会話の通じる相手ではなさそうだ。
暗黒魔法を使ったということは、マシューは魔法が使えないのだろう。
見た限りではあるが、魔道具も特に隠し持っていなさそうだ。
拘束の闇魔法でも使えば、手っ取り早く彼を捕まえられそうだが――。
(まだ、魔法は使えない……)
魔力はまだ回復していない。
後先考えず、シャロンに治癒魔法を使ったのが仇になった。
ルイゼは無表情の下で考えを巡らせた末に、マシューに訊く。
「その腕、痛みますか?」
「…………」
「私なら一瞬で治せます」
警戒するように黙っていたマシューだが、分かりやすく顔色が変わる。
「そういえばルイゼさんは、光魔法と闇魔法が使えるんだったね」
よほど腕が痛むのだろう。
ほとんど血も止まっていて、かすり傷程度にしか見えないが、ルイゼにばれていると知れてからはしきりにそのあたりを労わるように撫でている。
「では、そこから五歩、後ろに下がっていただけますか」
「どうして?」
「念のための保険です。この距離であなたに飛び掛かられたら、私なんてひとたまりもありませんから」
「……分かった」
納得したのか、言われた通りに数歩下がり、柱に背を預けるマシュー。
彼があまり警戒していないのは、疲弊したシャロンを連れてルイゼが逃げられないと分かっているからだ。
どちらが逃げようとしたところですぐに追いつける。そう思っているから、気を抜いている。
彼がそうすると同時に、ルイゼも身体の向きを何気なく変えた。身体の後ろに回した右手を、マシューから見えないようにする。
「では、治療代の代わりに聞かせてください。マシューさんは、どうやってあの魔道具を手に入れたのですか?」
「また録音とやらをするつもりかい」
「いいえ。もう録音できる時間は超過してしまったので」
「どうだかね」
マシューは笑うが、彼も語るのはやぶさかではないようだ。
真剣に、耳を傾ける振りをしながら、ルイゼは右手の指先だけを僅かに動かす。
シャロンはきっと見ていてくれる。そう信じて、逆さ向きに文字を空間に書いていく。
同時に、マシューが語りだした。
「僕がフォル公爵と知り合ったのは、今から十年前だ」