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「私、虐げられる趣味はないの」

作者: イチイ アキラ

本文

「私、虐げられる趣味はないの」

イリスには前世の記憶があった。

正しくはつい先日、思い出した。

自分が……――であったことを。

「まあ、まあ! まああ! ありがとうエミリー! 私に譲ってくれるだなんて! あなたはなんて優しいのかしら! なんて姉想いなの!?」

「……は?」

エミリーは母にすがり泣いていた顔を「?」にして上げた。案の定、涙のあとも気配もない。いつもの泣き真似である。

そして父も母も同じく「?」とポカーンとしている。

イリスはスーズィー伯爵家の長女であった。

亡き祖母に似た優しくも陽に煌めく亜麻色の髪に若草色の瞳で、明るい色彩に可愛らしい顔立ちをしているのだが。

髪もふんわりと甘く柔らかく癖があり。風に揺れる様に、その煌めきに、誰もが見惚れてしまう。

そんなイリスを黒髪に青い瞳の母は嫌っていた。

癖のない真っ直ぐな黒髪に深い青い瞳は美しいのだが。父などは政略だがしっかり母に惚れているというのに。

何せ祖母は社交界で「春の妖精姫」と謳われるほどに美しかった。その色あいがまさに春の訪れを祝ぐ妖精のようであったからだろう。

それは結婚して、老いても。

何かの折には家族として隣に立たねばならなかった嫁の母にとっては、ずいぶんと長いこと引き立て役にされて嫌な思いをしてきたらしい。祖母は決して引き立て役だなんて思っていなかったのに。

「お嫁さんは暗いわねぇ」

そんな陰口を言われるたび、祖母はきちんと怒って嫁を護ってきたのだけど――結局、その気遣いは嫁には伝わらなかったらしい。

ひとはどうして思いやりある真心より周りの悪口を信じてしまうのか。

暗いのは本人の性格こそを言っているんじゃあないかと、そろそろイリスも悟って肩をすくめるしかない。母の歳になればもう直しようがないだろう。

そうして産まれたのがそんな祖母そっくりならばどうなるか。

そして次に産まれたのが自分にそっくりならばどうなるか。

案の定。

祖父母が亡くなり父が爵位を引き継ぎ、母が家の中心となれば。

祖母に似ていたイリスはあっと言う間に使用人のような扱いをされるようになった。

経費削減。嫁入り準備。

言い方はそんなふうに理由はつけられたが、結局は祖母に似て妖精姫の再来と呼ばれ始めた娘が気に入らないわけだ。

使用人のようなみすぼらしい服にエプロンをつけて家の中をパタパタ走り回る娘に、父親は何か言いたそうだが、やはり何も言えずに目をそらして手を引っ込めている。

彼は妻に強く言えない性格だった。

惚れた弱みというのもあるが、気弱な性格もあるだろう。それでも伯爵としてきちんと統治しているのだから偉いことは偉いだろう。スーズィー伯爵領の皆さまにとっては幸いだ。

ちなみに父は髪こそ同じ亜麻色だが祖父似で穏やかな顔立ちに焦げ茶の平凡な瞳をしている。父は祖母に似ていないことで今現在母からは何もされないのを幸運と思われよう。

ちなみに父と母は政略で。母の実家の侯爵家が貧窮しているのを裕福なスーズィー伯爵家が支援するような王命だった。

ちなみに母も、穏やかな性分の父のことはちゃんと好きで結婚したそうだから。

そのあたりは政略でも幸運だったところで。

だから。

貴族だから王命で結婚するのは受けいれるし、実家を支援してもらっているのだからと――母は、祖父母が事故で亡くなるまではしっかりと我慢していた。

ちなみに事故はたまたまお二人が街でデート中に、暴走馬車にひかれそうになった子供を祖母がかばい、そんな祖母をまた祖父がかばってと……何と哀しくも妖精姫はやはりお優しかったと。

そんな早すぎる二人の死に、誰もが哀しんだ。

けれども母の――始まりでもあった。

母は誰も止めることがなくなったから、ますます姉妹に差をつけ始めた。

祖父母が最期の街歩きで孫たちに注文していた髪飾りも――それぞれの目に合わせた青と緑の宝石がついた髪飾りも、妹のエミリーがほしいといったから彼女のものになった。

二人の形見になるはずだったのに。

けっきょく、緑の方は妹の宝飾品入れに放り込まれたまま陽の目をみていない。

形見。

せめて祖母のドレスや装飾品を処分しないで保存してくれ、夜会に呼ばれるときに出してくれるだけでも良しとする。

しかし考えてもみてほしい。

祖母のドレス、である。

流行遅れ満載である。

だから母は父から祖母の形見を処分させないでイリスに着せているのだなぁ。イリスの体型が若い頃の祖母と同じでお直しも必要なかったのもイリスには幸いした。多少の虫食いはちょいちょいと自分でお直しできるレベルだったし。

さすがにあまりにも酷いシミや穴開きは、それは親の責任となるから。親がヒソヒソ言われることになるから。母も修繕業者に出してくれた。それでも新しく一着仕立てるよりお安い。お値打ち。

「この子が祖母のドレスが良いと言いはって……」

そんな涙ながらに良い話にすらもっていく。

祖母に似たイリスに――祖母にできなかった嫌がらせ、である。

ところがどっこい。

母の誤算はそんなドレスが。

「クラシックでイイんじゃない?」

「アンティークも素敵よね……」

「やだぁ、レトロかわいいぃ」

「私も欲しいわ。この型って注文は今でもできるかしら?」

「おばあさまの衣装タンス、今度見せて!」

と、何故かかえって人気に。

流行とは廻るものなのだと、記憶を思い出したイリスはちょっと悟った顔をしたが。チベスナとあったような気がする。そんな顔。チベスナがこの世界にいるかわからないが。

それはイリスが祖母似でもともと祖母に似合うように作られたドレスたちというのもあろうが。

祖母の生前のご友人のおばさま方にたいそう気にかけて頂けることになり。

「懐かしいわぁ、これって初めてのお茶会の頃に流行って……」

「このドレスの型、私もお気に入りだったのよねぇ」

「孫に作ってあげたら嫌がられるかしら」

「春の妖精姫が着ているなら、孫たちも気に入ってくれるんじゃない? この間、レトロかわいいって言っていたわ」

「孫が急に来て、昔の話や流行を教えてって。いつもは寄り付きもしないのに嬉しかったわぁ」

「そうそれ。久しぶりにタンスから衣装出したわ。孫も喜んで。スーズィー家のお嬢様のおかげよね」

などなど。

母は「うぐぐ」と思惑外れて唸っていたが、ご自分もそんなレトロかわいいドレスを新調なさっていた。流行だから。廻ってきた流行だから。

けれどイリスのドレスは祖母のばかりで。

つまりは浮くイリスのドレス代で自分たちのドレスを新調するわけだ。上手い。

そう――上手い。

そう思えるようになったのは、イリスが記憶を取り戻したからだ。

これは確か妹に勧められた小説のお話の世界だ。

ちなみに前世の妹のこと。今世の妹と違って本当に可愛らしかった。

早くに両親を亡くしたから自分が働きに出て育ててきた可愛い妹よ……自分も祖父母と同じで信号無視をした車から、横断歩道を歩いていたベビーカーの母子をかばって亡くなったが、妹よどうか私の貯金と保険金で幸せに暮らしててくれ。母子も無事だと良いが。信号無視、テメーは許さん。

「なかなかやるわね、お母様……」

ふっふっふっ。床を拭きながら思い出した記憶にイリスは笑みを浮かべる。美少女が浮かべるにはちょっと凄みあり怖い笑みを。

ちょうど良いタイミングで記憶を思い出したと、自分を褒める笑みだ。

実は王命が再び来た。

そんなタイミングであった。

この国の北。

北方の一族を新たにこの国の民として組み込む話が挙がっているところだ。

北方の一族としてみれば、無理やり貴族とされて――辺境伯という地位を与えられて飼われることになる。

それは互いに利もあるのだが。

北方は雪深いことで天然の要塞であり、怖れるものは少ないが。

けれど年々作物の収穫量は減るし狩れ、食べられる獣も減ってきた。

だから取り引きとして農作物を頂けるなら、と……。

国としては、彼らが国民となり北方の他の隣国に組しないで護りになってくれたらありがたいし、貴重な鉱物資源も国に回してくれたらさらにありがたい。

鉱物資源――キラキラ光る石ころ。それがかなりの純度の魔石であると明らかになったときの驚きよ。

北方の人々にとっては「その辺に落ちてる石」だったのだから。

魔石は様々なことに使えて北の方々は気楽に使っていたから恐ろしいもので。

「子供の玩具に……」

「花火代わりにぶつけて火花だしてたりしてた」

「川で水切りに、よく飛ぶと投げてた……」

なにそれこわい。

もちろんちゃんと魔石として生活にも組み込まれていたが。

時に明かりに。時に燃料に。時に魔術の媒介に。

こぶし大の魔石一つで平民家族が半年は遊んで暮らせる、国ではそんなお値段である。

北の方々にとっては豊富にありすぎて価値に差がありすぎて。

なので。

国はその一族たちに平身低頭、こちらに組みして――貴族になってとお願いしているところ。

ちなみに北の方々は個々の戦力も高い。だから辺境伯として国を護ってほしいと願いも。

魔石があるということは、実は魔獣もいるというわけで。

彼らは魔獣すら狩れる方々なのだ。

なので、一部貴族からは「蛮族」などと恐れられて。

国交が薄い時期ならば仕方がないが、今はこちらから頭を下げているところである。

だから。

「蛮族へ嫁ぐなんて嫌よぉ!」

妹のようにそんな呼び方で泣き叫ぶのはいけない。いや、泣くのはかまわないが。

王命が来た。

スーズィー家は何でこんなにも厄介なことばかり押しつけられ……と、祖父母が生きていたら嘆いただろう。怒っただろう。

しかし、スーズィー家にその話が回ってきたのも仕方がないかもしれない。

母だ。

侯爵家生まれ育ちの母の、そのまた母の母――自分たちの母方は先々代の王妹だった。侯爵家に降嫁されていたわけだ。

そして産み分けとはままならないもので。

現在王家には、そして公爵家や侯爵家の高位貴族には。息子ばかり。

年頃の娘がいなかった。

つまり嫁に出せる――人質に出せる要員が足りなかった。

王家には王子様が三人。一人は跡継ぎ、一人はスペア。三人目は北より先に他の国へ婿入りが幼き頃より決まっている。

公爵家にはようやく産まれたばかりの1歳の姫がいるが、さすがにそんな子を送られても相手も困るだろう。他にもう一つある公爵家は跡取りが中々できなくてそろそろ養子をという話し合いの真っ最中。スペアの第二王子が入るのではとの噂。

侯爵家たちには何ということか。母の実家も男しかいない。従兄弟たちは皆男児。

現在高位貴族たちは、仕方なく王家から下位な貴族たちから嫁取りを許可されているほどだ。

下位貴族の少女たちには嬉しいこと――ばかりではなく。選ばれたら高位貴族の作法やしきたりを学ばなくてはならなくなる。それはそれは厳しく、煌びやかな世界に立つには夢見るばかりではいられない。

何年か昔は女しかいなくて逆に下位から婿入りとなった世代もあったそうなので、産まれる性別ばかりは選んで選べるものでなく。神の差配である。

そうした訳で、伯爵位のスーズィー家に「王家の血が流れている娘がいる」となったわけで。

探したら他にも何代か昔に降嫁や婿入した王家の血筋はいるにはいるが、裕福なスーズィー家は国で中々有名で。わざわざ探すまでもなく、なのだ。

何故高位貴族の子息の婿入りでは駄目なのか。

貴族の軟弱な息子たちでは北方では生き残れない――そんな情けない理由である。

娘であれば血をつなぐ存在として大事大事と、暖かいお家の中で護るのは、それはこの国も北方も同じということも。

そうして。

スーズィー家に嫁入りな王命が。

「娘のうちのどちらかを」

それは本来なら長女で跡取りであるイリスではなく、もともと嫁出し要員であるエミリーを――な、お話であるのだが。

それが普通で。貴族ならばそうあるべきと、王家や他の貴族たちはそう考えて。

ところがそうではないのがスーズィー家だ。

母と妹だ。

「かわいいエミリーを、そんな蛮族の寒くて冷たい国に行かせるわけにはいかない」

母はギュッと、自分に良く似た妹を抱きしめて、イリスに「あなたが行きなさい」そう言ったところだ。

「あなたは姉なのだから妹を助けてくれるわよね?」

そう来たか。

イリスはこれが物語の始まりだと思い出していた。

確かに姉は妹を助ける存在である。

以前の生の自分は、まさにそのために生きていた。

かわいい妹のために。

かわいいかわいい、何より大切だった妹のために。

だが、エミリー。

お前は――正直に言う。

かわいくない。

そして何より彼女は 虐げられる趣味はない(・・・・・・・・・・) 。

だから、イリスは悩むことなく物語をぶっちぎることとした。

「まあ、まあ! まああ! ありがとうエミリー! 私に譲ってくれるだなんて!」

「……は?」

ポカーンとする面々。

「ありがとうございます! 北方の方々ってとっても美しくて強くたくましくって、妻にしたひとに一途で片時も離したくないくらい愛情深くて――」

ちなみに父親はいたがいつものように影が薄い。

彼らは嬉しそうに頬を染めるイリスに目を丸くしている。

「北方の方々って、美しい銀の髪に宝石のような青い瞳をなさっていて、しかも男性はうちの国の騎士様たちなんか相手にならないくらい強いらしいの。美しいのに強いって、なんて素敵なんでしょう!」

「え」

妹が騎士たちに黄色い悲鳴をあげているのを知っている。騎士の公開修練に良く通っていることも。

「しかも北方の方々は一途で、これと決めた相手を溺愛なさることで有名よね。うちの王家みたいに側室とか愛人なんてと、交渉のときにびっくりされちゃったとか」

「まあ」

また妹が。彼女が恋愛に憧れているのも知っている。

「美しい戦士が妻となった存在にだけ愛を捧げ、宝を護るように大事にする……なんて、ス・テ・キ」

胸の前で手を組んで喜んでいるイリスに、エミリーの目から涙はとっくに、いやはじめから嘘泣きだったけど別な意味できらきらし始めた。

「北方って、魔石のことでこれからとても裕福になるでしょうし、もともと他の宝石も取れるそうだから、きっと大事にってことは……」

それは飾られて、大事にされる。

きっとそう。

嬉しそうに小躍りすらしているイリスに、家族の、そしてエミリーは……。

「お姉様ずるい! 私が行く! お姉様だけ幸せになるなんてずるい!」

そうして数分前の泣き叫びは何だったのか。

あっさりとエミリーは当初のまま自分が嫁入りすると王家に返事をした。実は部屋の隅に使者が控えていたりした。

物語でも。

迎えにきた夫となる北方の一族の次期族長に。

その白銀の美しい男に、エミリーが嫉妬するシーンがある。

「こんなに美しいひとなら、私が! お姉様が私に来た話を奪ったんだから! 返して!」

そうわがままを言い始めてイリスの出立に一悶着あるのだ。騒ぎ始めてその次期長や周りにドン引きされるシーンだ。

物語ではイリスは北方に嫁ぐ。その一悶着あとに。

夫となるひとはそれでイリスが実家にて虐げられていて、まるで罰のように自分に嫁がされると理解する、優しく聡い方であった。美しく強いのに、しかも優しい完ぺきな旦那様である。

そんな彼に愛されるという、そういったシンデレラな話だ。

それはイリスが婚家の北方でもせっせと働き、それが北方の方々には健気に、そして愛らしく映るからだ。

そうして、北方にて次期長の旦那様の姉妹たちや幼馴染たちに始めは「よそ者」と嫌われながらも、その働き者のイリスは受け入れられていく。やがて姉妹たちこそが「かわいい子ウサギちゃん」「やだ、もっと小さくてちまちましてるから子ネズミちゃんよ」「間とって子リスちゃんは?」「それよ!」などと、ちまちまくるくる働くイリスを長と取り合うように可愛がるようになる――が、物語だ。

春の妖精のような小柄で可愛らしいイリス。背の高い北方の方々には本当に愛らしく微笑ましい存在となり。

やがて跡取りを産んだイリスは「春の妖精姫」から「春の女神」として北方で愛され生きていく。国と辺境伯をつなぐ、かけがえのない存在として。

そう、物語は。

それは姉が健気な性格で。実家で虐げられていても明るく希望を見失わない働き者――だったから北方で可愛がられ愛されたわけで。

北の女性たちは皆、働きもので。

妹のように「私ったらだめな娘でぇ」「できなぁい、ひどぉい」と、スンスン泣くような――泣き真似をするような女は嫌われる。

エミリーは案の定、北方の義姉妹たちや幼馴染たち一族の女たちから――嫌われた。

何もしないで働かず、少しは動けと言ったら「虐められた」とスンスン泣いて。

そして旦那さま予定の次期長には「宝石が欲しい」「毛皮ももっと」「お肉じゃなくてお菓子も」と、わがままを。妻一人を愛するならば、自分のわがままは当然聞き入れられるとばかりに。

エミリーの黒髪は確かに珍しいが、青い瞳は北方の方々と同じくだからそれほど目立ち何かに例えられることもなく。

次期長さまも一悶着なく、母から愛情いっぱいに送り出される姿を見ていたために。

エミリーが甘やかされまくった怠け者だと、早々に見抜いていた。本当に聡い方である。

なので……――。

「そう、エミリーは幸せね」

北方にて、エミリーは早々に長の親戚に婚姻を譲られたらしい。式も初夜もまだなのにそんな態度では仕方なく。

だけれども。

スンスン泣く、そうした何もできない女が好きなタイプもいるものね、とイリスは頷いた。

世の中には 癖(へき) はたくさんあるものなのだ。

まあ、そのご親戚も北方でなかなかの地位らしいから、この国との橋渡し――人質な役割には大丈夫だろう。

北方の男として溺愛が深くて嫉妬も深くて、奥方を外に出したくないタイプで今まで結婚できてなかった人らしく。けれど長の親戚だからちゃんと美形だし裕福らしいから、むしろエミリーには良かったのではないだろうか。何もしないのにスンスン泣いて甘えたら愛してもらえるのだから。

一応は妹だから。

北方で放置されて餓死とか凍死とかにされなくて良かったね、とイリスは 実家(・・) からの手紙に返事を書く。

やっぱり自分は「妹」という存在には甘いと苦笑しながら。

案の定「雪ばっかり。旦那様が外に出ないでって言うけど、そもそも寒いから出歩きたくないわ」と不満だらけの手紙が。けれど大事にされていることに不満はなさそうだ。これはこれで、やはり物語をぶっちぎって良かったのだとイリスは微笑む。

「椅子、ちょっと低いわ……」

「はい!」

直ぐに良い高さに調整されて書きやすくなった。

そう―― 実家(・・) 、である。

イリスもエミリーの出立後、直ぐに嫁に出た。

跡取りは親戚から養子でも取るだろう。

母に「どうして!?」と驚かれたが、それこそどうして――イリスがこれからも面倒を、それこそ自分の老後の面倒を見ると思っているのだろうか?

ほとんど何もしてくれなかった父にも、同じように何もしてあげなくて良いだろう。まさに親をみて育ったとして。

まあ、それでも。

大事にしてくれた祖父母への恩があるからぎりぎりでは助けてあげはしよう。

妹からの手紙も中継してほしいし。

そしてイリスは――春の妖精姫の再来と呼ばれるほどのイリスには。

釣り書き殺到。

エミリーがいたらまた怒りでスンスン器用に泣きながら母にすがっていただろう。

しかもこの国は今現在、高位貴族たちには女性が少ないのもあり。伯爵位にあるスーズィー家の娘ならば年頃さえ合えば王家からも話が来ただろう。

公爵家に養子入りする第二王子などはこっそり狙っていたらしいのだが、養子入りの話がごたついたせいで出遅れたと嘆いたとか。

なのでとある夜会で婚活すると口の軽い御婦人に告げたイリスには、釣り書きが山のように。

その中からイリスが選んだ相手こそ母だけでなく誰もが「どうして!?」となった。

イリスが選んだのは十は年上のジェライト侯爵カイスタンだった。

金髪に青い瞳の美形。そして財力も統治力もある男だが、いわく付きだった。

彼は娶った妻を愛さない。

過去に二度ほど結婚したが、その酷い扱いに妻たちは逃げ出した。

一人は実家から一緒に来た護衛と。一人は庭師とともに、手と手を取って。

ジェライト侯爵は逃げた妻には興味はないと放っている。

けれどもカイスタンがそんな性格なのは。彼の父母が互いに不仲で、父は権力にいわせて愛人を多数抱え。母はそんな父に愛想がつきて――そう、使用人と逃げたとある。

カイスタンは愛を知らなかった。

けれど能力は高く、侯爵領をきちんと治めていることがあるから、王家も当たり障りなく接している相手だ。

そんな酷い男に。

妖精姫が嫁ぐとあって。

やはり妖精姫も地位や権力を選ぶのかと。

だからカイスタンも初夜の場で。

今までの妻たちと同じように。

「私に愛されたいと思うな」

冷たく――そう、冷たく告げた。

……のだが。

「そう? 貴方、逆に尋ねますけれど…… 私に(・・) 愛されたくはないの?」

「な、なんだと……?」

妖精姫は――姫と呼ばれるのもなっとくな愛らしい微笑みをうかべながら。

「私、虐げられる趣味はないの」

初夜の場に相応しい薄衣の扇情的な姿で何故か、その微笑みに――その笑っているのに自分を見下ろす瞳に。

ジェライト侯爵として父親すら蹴落とし、無理やり政略で結ばれた妻たちに非道な事をしてきた男が。

「……あっ」

その瞳に一瞥されただけで思わず鼓動が。ドキリと高鳴り立っていられなくなった。いや、別なところは立ち上がりかけているが。

前かがみにうずくまるカイスタンに、イリスは微笑みのまま指先だけで額に触れ、さらに頭を下げさせた。その指先に撫でて欲しい――褒めていただきたいと、カイスタンは何故か逆らえない。

「私、むしろ…… 虐げてあげる側(・・・・・・・) だから」

――跪いてつま先に口づけなさい。

イリスの前世は。

入江祥子のお仕事は。

「女王様」であった。

世には虐げられることを喜ぶ 癖(へき) の方々がいるのだ。

祥子は天性の――S女王で、あった。

S女王は、ただ鞭を振るい、踏みつけるだけではない。信頼関係があるからこそ――愛があるからこそ、なりたつ関係だ。

その絶妙な加虐。ときに優しく、ときに過激に。そして文字通りに飴と鞭。

祥子は五年は先まで予約の埋まっている程の人気がある女王だった。

その中にはとてもではないが口に出せないほどの地位や権力がある相手もいた。

その立派な彫り物に鞭の跡をつけないように絶妙な力加減で痛みを与えたり。普段は偉ぶって他者を土下座させる相手の頭をピンヒールで踏みつけてあげたり。悪人を捕らえるお仕事の方を縄で複雑に縛り上げたり。

短大を卒業したばかりの祥子が年の離れた妹を養えたのは、そうしたことである。

祥子はお水商売のアルバイトから――ふとしたきっかけで入ることになったその道に、まさに天性の才能を開花させた。どこに人生の道が引かれているかわからないものだ。

もはや視線だけで、オーラだけで、存在だけで、人を跪かせる域にすら達した。その道にも達人というものがあったらしい。

それは生まれ変わろうとも。外見が変わろうとも。

経験とは魂こそに刻まれる。

ちなみに妹はそんな姉を尊敬していた。仲の良い姉妹である。

カイスタンなどのお坊ちゃん、祥子には――イリスにはかわいい子豚ちゃんにしか。

北方では「子ウサギちゃん」と呼ばれ可愛がられるはずが、イリスが「子豚ちゃん」と可愛がる側に。

初夜の晩でイリスは前世のすべてを解放したのだ。その達人の域を今世に。

「あらあら、かわいい旦那様? もう疲れてしまったの?」

椅子が低いと、イリスは良し良しと己のその形よい小ぶりの尻を乗せた椅子の――尻を叩いた。

素晴らしいほどキレのある美しい打撃音。

音もまた、嗜みであると知る人ぞ知る。

「あ、あ……申しわけありません」

それはカイスタンである。彼は侯爵としてふさわしい仕立て良い豪奢な服を着ながら妻の椅子として四つん這いになり、けれども歓びに頬を染めていた。何とも豪華な椅子だこと。

さては打たれるためにわざと姿勢を崩したかと、見ていた使用人は察してしまう。

そう、使用人たちも部屋にいた。

執務をする夫婦の部屋に使用人がいるのは当たり前だからだ。

ちなみに使用人たちもとっくに躾直されていた。

カイスタンのただ命令で頭を抑えつけるような躾ではなく。愛ある躾、にて。

使用人たちは夫婦を羨望の目で。けれど使用人としてきちんと控えている。それが躾――調教、いや教育の成果である。

前世はむしろ母やエミリーのような黒髪に顔立ちだったのだが、この妖精のような雰囲気もまた、なかなか。

「ギャップが良いのかしら……」

ふんわりと髪を編み上げ、己の色あいに合う流行りのドレスを着ながら。

けれど振り下ろす鞭。

あがる悲鳴は、不思議と歓喜に満ちて。

「二人も妻を虐めた酷い旦那様。これでまだまだ許されてはいませんことよ?」

「は、はい! ごめんなさい! きちんと、きちんとしましたから!」

「ふふ、そう。えらい子ね?」

「は、はい……ありがとうございますぅ……あっ、あっ……」

イリスは釣り書きをみて、どうせ地位や権力がある相手を見繕うなら――酷い野郎を改心させてあげたら一石二鳥よね、なんてことを考えた。それが世のため人のため。自分の他の女性が三人目になる前に、だ。

もちろんそれだけでなく。

「愛を教えてあげるわね。かわいい旦那様」

愛を。

それが女王の役割でお仕事である。

誇りある――愛だ。

そしてジェライト侯爵カイスタンは。

イリスが嫁いだら人が変わったと話題になった。

今までのような自分勝手ではなく、冷酷でもなく。むしろ妻のエスコートを甲斐甲斐しく。

そして先の妻たちに慰謝料も支払って。

イリスを地位や権力で……などと陰口を叩いた人々は、イリスの愛がジェライト侯爵を変えたのだと、褒め称える口となった。

ジェライト侯爵がひとを愛することを知ったのだと。

――真実を知るものは、イリスの足元にまた跪つく。

そうしてこの国は北方との関係も良く、長く平和にあったという。

それは会ったことはないが義妹が嫁いでいるからと、よく間に立ち緩衝役を務めたジェライト侯爵の功績もあるという。

魔石の流通などにも尽力したとある。ジェライト侯爵領にて活用方法も新たに開発されたりも。

そんなジェライト侯爵は夫人を「春の女王」と称え、大切にしたという。

夫人の功績も高くあったそうだが、何故かそれは記録にない。ただ――跪つくほどと称えられて。