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【10/6書籍発売】「好きです」と伝え続けた私の365日

作者: 沢野いずみ

本文

「おはようございます、カイル様。本日も大変麗しい寝ぼけ眼で私は胸がキュンキュンです。好きです」

「おはようオフィーリア。残念ながら俺の女性嫌いはそうそう直るものではなさそうなので応えられない」

記念すべき通算333回目の告白は、あえなく失敗に終わった。

◇◇◇

「また告白したわけ!? あんたも懲りないわね、オフィーリア」

銀食器を拭きながら、メイド仲間のアンはあきれたような視線を向けてくる。

「もうフラれて何回目?」

「ここに来てから毎日告白してるから、333回目」

「呆れた。数えてるわけ?」

「大事なことだもの」

日々は簡単に過ぎていくが、私にとってこの日々はかけがえのないものだ。

「たとえ333回毎日フラれていようと、私は愛を伝え続けるわよ」

「メンタル鋼すぎるわね……羨ましいような、羨ましくないような……」

褒められているのか貶されているのかわからないが、おそらくその両方だろう。

いいのだ、他の人には理解されなくても。

カイル様に告白するのは私にとっては重要で、そのために生きていると言っても過言ではない。

なにせもう333日続けているのだ。もはや私のルーティンでやめられない止まらない。

「アンも恋煩いしたらきっとわかるわよ。そう、この焦がれるような――」

「どうでもいいから手を動かしなさいね、この恋愛脳」

「もう終わったけど」

「はっや! なんだろう……あんたに仕事の早さで負けるのすごく屈辱……」

大変失礼である。

「それにしても、旦那様なんて、告白しても絶対に受け入れられないことがわかっているじゃない」

そう、アンの言う通りだ。

「だって旦那様、極度の女嫌いだもの」

◇◇◇

カイル・フリンドン。

突然両親を亡くし、若くして公爵家を継いだ22歳。艶やかな黒髪に、紫の瞳が神秘的で、彼の魅力のひとつである。

若き公爵家当主で未婚というだけではなく、彼は母親である亡き公爵夫人の美貌を受け継いでいるため、非常にモテた。そう、それこそ王太子殿下よりモテているかもしれない。

王太子妃は重責すぎるが、その次に地位がある公爵の妻というのはとてつもなく魅力的らしい。

来る日も求婚、来る日も求婚。パーティーに参加すれば取り囲まれ、どこかに出かければ待ち伏せされる。公爵家に届くラブレターの量といったら。断りの返事を書くのも一苦労だと、返信を押し付けられている執事長が嘆いていたのを知っている。

好意というのは行き過ぎればおそろしいもので、待ち伏せ程度ならまだ可愛いが、怪しい薬を使おうとする者、裏社会の人間に頼んでカイル様を誘拐しようとする者、一夜を共にしたと狂言を吹聴する者などが現れた。

そんなことが続けば、どうなるか。

そう、カイル様は女性不信に陥った。

女性恐怖症と言ってもおかしくないというか、もう女性恐怖症と言い切っていいだろう。女性が近くに寄るのを嫌がり、触れてこようとしようものなら、社交の場であろうと気にせずそれを振り払うほどで、カイル様の女嫌いは一気に噂になった。

噂になろうがカイル様の人気は衰えることはなかったが、求婚の数は少しだけ減った。

適齢期に自分を選んでくれる可能性の低い女性恐怖症のカイル様に熱を上げて時間を無駄にするより、確実に結婚できる相手を選ぶのは致し方ないだろう。

「まあ私は選ばれなくてもカイル様一択ですけど」

「そんなことは聞いていない。茶」

「はい、ただいま」

私はカイル様に要求されるまま、茶を淹れる。

「どうぞ」

「うん」

お茶を一口飲んで、カイル様がほう、と息を吐いた。

「いつ飲んでも茶の味だけはいいな」

「光栄でございます」

「お前が来て一年近くになるのか。その間にこの味に近付けた者はいなかったな」

「それはもう、だって生き抜くために極めた技ですからね」

にこりと笑う。

苦労はしたが、それのおかげでこうしてカイル様のお茶係兼お世話係ができているのだから、人生どうなるかわからないものである。

「女嫌いなのにこうして近くに寄れる女性は私だけだと思うと優越感がすごいです、好きです」

「そうか、断る。お前ぐらいただただ好意を告げてくるだけなら逆に安心できるからな。世話係は必要だし、それなら下手なメイドよりお前が安全だ」

「身の程はわきまえておりますので」

カイル様は公爵家当主、私はメイド。そこには越えられない壁があるし、私の過去だって誇れるものではない。むしろ今のメイドという職業が一番誇れるものかもしれない。

仕事の合間のティータイムを楽しんでいたカイル様が、「あっ」と声を出した。

そして頭を抱えている。

「どうされました?」

「…………忘れていた」

カイル様が嫌そうな表情を浮かべながら、机の引き出しから手紙を出した。

「招待状ですか?」

「ああ……王太子主催のパーティー……すっかり忘れていたな……」

「それの何が問題なんです?」

首を傾げると、カイル様が深くため息を吐いた。

「パートナー同伴なんだ……」

「なんですって?」

女嫌いのカイル様を、同伴者必須のパーティーに呼ぶ?

「嫌がらせだよ。王太子は俺が嫌いなようだ」

カイル様が頭を抱えた。

カイル様は女嫌い。当然できれば女性をパートナーとして連れて行きたくないが、王太子殿下主催のパーティーでルールを破るわけにはいかない。

しかしへたな女性をパートナーにすると、それで結婚相手に選ばれたと勘違いされたら面倒だ。

私は行きたくないオーラを出し続けているカイル様に言った。

「なら私はどうです?」

「何?」

「私、一応ダンス踊れますし、パーティーの知識もあります。私を連れて行っても誰もメイドとは思わないぐらいには猫を被れる自信があります」

私はさらに自分を売り出すために言葉を続けた。

「なにより、私はわきまえておりますので」

カイル様が突然の提案にしばしポカンとしたあと、口を開いた。

「何でそんな知識があ」

「女には秘密の一つや二つあるものですよ。あ、パーティーは31日後……私がメイドとして働いてちょうど一年の日ですね。お祝いとして連れて行ってください。その記憶を胸に墓に入りますので」

カイル様の言葉を遮って捲し立てる私に、カイル様は逡巡した後、深いため息を吐いた。

「わかった。確かに現状お前を連れて行く方が安心だ。なんといってもお前は立場をわきまえているからな」

「はい、もちろん!」

「俺に告白して、返事はいらないと言ってきた相手は初めてだよ」

私は微笑んだ。

「想いを伝えられるだけで満足ですので」

◇◇◇

パーティーの日があっという間にやって来た。

「カイル様とパーティーカイル様とパーティーカイル様とパーティー」

「落ち着いてくれ」

「この上なく落ち着いております。鼻血を出していないでしょう?」

「お前の落ち着いているの基準がわからないな」

そう言いながらも、カイル様が私を上から下まで確認する。

「似合っているな」

「社交辞令だとわかっていても興奮いたします。ありがとうございます。急いで作ったドレスなのにとてもそうは思えない最高の出来ですね」

カイル様がパーティーのことをすっかり忘れていたので、急いでドレスを作らなければならなくなった。カイル様のお母さまのドレスはすでに流行が遅れていたので、公爵家には着られるドレスがなかったのだ。

もうあと数日だけどどうなるのかな、と思いながら採寸されたが、さすが公爵家。金に物を言わせて納期をパーティーに間に合うようにし、こうして私が身に着けることができた。

最高品質のドレスとアクセサリー、そして化粧を施された私は、控えめに言ってなかなかの出来なのではないかと自画自賛していた。

女は磨けば光る。それを実感している。

「社交辞令じゃない。俺は似合っていると思った者にしかそうは言わない。お前は美人だ」

カイル様は表情を変えずにきっぱり言い切った。

「……さようですか」

私は赤くなった頬を隠すように俯いた。

彼は無自覚なのだろう。天然たらしである。

これだから、迫ってくる女性が後を絶たないのに。

そして私はカイル様のそういうところを含めて、全部が好きだ。

「好きです」

「ああ」

いつも通りの返事。これでいい。

これが私の望んだものだ。

「――お前は、どうして返事を求めないんだ?」

しかし、まさかのカイル様が私に訊ねてきた。こんなことは初めてだ。初めて私が告白をして、そのときに返事はいらないと伝えてから、一度も訊ねてくることはなかったのに。

「私は関係が壊れることを望んでいません」

馬車の前で、私をエスコートするために手を差し伸べるカイル様の手に、自分の手を重ねながら言った。

「今のままがいいのです。ただ想いを伝えられたらそれで私は幸せです」

私の言葉に、カイル様は「そうか」とだけ返した。

◇◇◇

カイル様とともに会場に入ると、視線が一気に集まり、みんながざわざわと動揺するのがわかった。

今まで誰も同伴しなかったカイル様が、女を連れてきた。これだけでみんな衝撃だろう。

きっと今日のパーティーはカイル様の隣の女は誰だという話題で持ちきりになるのだろうな、と思いながら私は歩みを進める。

今日の主催に挨拶をしなければいけない。

みんなが気を利かせて道を開けてくれるので、主催者のもとへはすぐに辿り着けた。

王太子殿下である。

「やあ、カイル! 待ってたよ」

王太子殿下がカイル様に明るい笑みを浮かべる。二人は幼馴染で、気さくな関係だと聞いたことがある。

カイル様は招待状を見て王太子殿下が自分を嫌いだと言っていたけれど、きっとそんなことはない。おそらくカイル様をからかったのだ。もしくは彼なりの気遣いか。

王太子殿下は、私を見て笑みを浮かべた。そしてすぐに逸らし、カイル様の肩に腕を乗せた。

「おいカイル。お前彼女ができたなら俺に初めに言えよ」

「彼女じゃない」

「じゃあ誰だよ」

「メイド」

「はあ!? お前メイドと付き合ってるの!? 身分差とか燃えるね!」

「お前何言ってるんだ?」

カイル様が心底呆れた様子で王太子殿下を見るが、王太子殿下は気にしない様子で私に挨拶をする。

「はじめまして、レディ。俺はクライヴ。王太子だ」

私はカーテシーを披露する。

「お目にかかることができて、光栄です。オフィーリアと申します。姓は今はございません」

「そうか」

王太子殿下は、私に優しい笑みを向ける。

「フリンドン公爵家での暮らしはどうだい? こき使われていない?」

「みんなとても優しい、理想の職場です」

「それはよかった」

安堵したように息を吐いて、王太子殿下は、「どうか、楽しんで」と言い、人の輪の中に入ってしまう。私はほっと息を吐いた。

「私でなんとか納得してくださったようですね」

「ああ」

もっといいパートナーを連れてこいと言われたらどうしようかと思った。

「少し待っていろ」

カイル様はそう言うと、料理のところに行き、飲み物と軽く摘めるものを持ってきてくれた。

「せっかくのパーティーだ。王室のおいしいものでも頂こう」

「公爵家の食事も負けず劣らずおいしいですよ」

使用人のご飯ですらおいしい、最高の職場である。

しばらく料理に舌鼓を打っていると、音楽が変わった。さきほどまでののんびりした曲ではない。

ダンスの時間だ。

カイル様は手にしていたワインをテーブルに置くと、私に手を伸ばした。

「ダンスは踊れると言っていたな」

「はい」

「せっかく来たのだから踊ろう」

私の手を引いてカイル様がダンスの輪の中に混じると、人々がざわつくのがわかった。

今までカイル様はダンスを踊ったことがない。

今回は王太子殿下からのご命令でこうして私というパートナーを連れてきたが、普段は絶対そんなことはしないし、パーティー自体ほとんど出ない。ダンスなど以ての外だ。

そのカイル様がダンスを踊るというのだ。みんながステップを踏みながら、こちらを意識しているのがはっきりとわかった。

私は久しぶりのダンスで、間違って足を踏まないようにと緊張していた。

「うまいな」

「お褒めにあずかり光栄です」

褒められるということはそれなりに踊れているのだろう。私はほっと息を吐いたが、すぐに今度は息を呑むことになる。

「何者だ?」

ひゅっ、と喉が鳴る。

私は動揺を隠して訊ねた。

「――どういう意味でしょう」

「パーティーの作法が身について、ダンスも踊れる。さきほど殿下に見せたカーテシーも完璧だった。きちんと教育を受けた、それも所作から、伯爵家以上の人間としか思えない。なぜ我が家でメイドなどしている」

ああ、やはり。

昔から変わらず、カイル様は鋭い。

「今はただのメイドです」

「そんなことは聞いていない」

「そうですね……答えは」

私は後ろから聞こえてくる足音を耳にしながら、にこりと微笑んだ。

綺麗に笑えているだろうか。そうだといい。

「すぐにわかりますよ」

だって最後かもしれないから。

「オフィーリア・イズマール!」

その声が聞こえると、私は兵士たちに囲まれた。

私の名を呼んだのは、王太子殿下だ。

「そなたをたった今より罪人として拘束する!」

王太子殿下はさきほどと違い笑っておらず、少し泣きそうな顔をしている。

「イズマール……?」

近くにいた貴族が声に出す。みんな驚愕の表情を浮かべる。

そう、みんな知っているはずだ。その名を。

私は王太子殿下に見せたときのように、今度はその場の全員に見えるようにカーテシーをする。

「オフィーリア・イズマールと申します」

みんなが息を呑む。

「一年前にこの国と闘い滅んだ、イズマール王国王家の唯一の生き残りです」

カイル様も驚いた表情をしていて、いつも仏頂面なのでなかなか見ないその顔に笑いそうになる。

「なぜ王族が……」

カイル様が思わず漏らした声に、私は答えた。

「私はこの戦争に我が国の勝ち目がないと、必要最低限の被害になるように、こちらに情報を流しておりました。そのことを考慮されて、一年死刑執行を待っていただいたのです」

敵国の王族に対してなかなかの温情だ。願いを聞いてくれた王太子殿下には感謝してもし切れない。

「……なんで一年の間、うちにいたんだ」

「毎日伝えていたでしょう」

そう、毎日欠かさず伝えていた。

「好きだからです。死ぬそのときまで、あなたのそばにいたかったから」

そばにいられるだけで幸せだった。

想いを伝えるだけで充分だった。

両思いになることなど望んでいなかった。

だって私は死ぬから。

「あなたが私の光でした。愛しています。どうか幸せに」

最後に私は、カイル様に頭を下げた。

◇◇◇

罪人を乗せるとは思えない豪奢な馬車に乗りながら、外の景色を眺める。もうこの景色も見納めだ。

「最後のパーティーは私への 餞(はなむけ) ですか」

なぜか私と一緒に乗っている王太子殿下に訊ねる。

「まあそうだね。君に思い出作りをと思って」

「ありがとうございます。おかげで悔いなく死ねます」

私の言葉に、王太子殿下が口を開く。

「君は俺たちに情報をくれ、勝利に導いてくれた。祖国を裏切るのは並大抵のことではなかっただろう。それこそ、たとえ敵国の王女だったとしても、もっと恩赦を受けるべきだ。なのに、死刑を一年後にしてくれとだけ望んだ。今もその気持ちは変わらないのか?」

私は頷いた。

「あのまま戦争が長期化すれば、多くの民が亡くなります。そもそも国力からして、わが国に勝ち目はなかった。父が欲をかいたばかりに起こったことで、民を犠牲にしたくなかった。しかし、国を裏切ったことに変わりはなく、私を恨む人もいるでしょう。何より、私は最後の王族となってしまった。血を絶やさねば、新たな火種になりかねません」

私は殿下に笑いかける。

「私が死ぬのが一番いい結果になるのです」

殿下は寂しそうに微笑んだ。

「そうか。わかった」

馬車が止まる。目的地に到着したようだ。

馬車から降りると、小さな塔の前だった。

「しばらくここで過ごしてくれ。処刑日が決まったら教える」

「かしこまりました」

「なんだったら逃げても――」

「逃げません」

殿下は苦笑して、その場をあとにした。

私は塔の中に入る。王城の敷地内ではありそうだが、本宮とはだいぶ離れているようだ。

「牢屋でいいのに」

優しい人だ。

あの人が王太子で、この国の民は幸せだろう。

「私の国とは全然違うわね」

◇◇◇

私はイズマールの末の王女として生を受けた。

しかし母は父に町で見初められて無理やり手籠めにされた平民で、私の地位はないに等しかった。

憂さ晴らしに殴られるのは当たり前。冷たい水を浴びせられ一晩外に立たされることもあった。イズマールは昔から地位が一番低い王族をイジメて憂さを晴らすのが慣習となっていた。

その日は隣の国の、リネンバーク国の偉い人たちが来ると言われ、私も手伝いに駆り出された。召使よりみすぼらしい恰好で、私はなんとか給仕に回っていた。

栄養失調気味の身体でする労働は過酷だ。私が目を回して倒れそうになったとき、誰かが抱き留めてくれた。

おそるおそる目を開けると、そこには黒髪の少年が、紫の瞳でこちらをじっと見ていた。

美しい少年に一瞬見惚れるが、すぐに我に返った。

「あ、ご、ごめんなさい!」

粗相をすれば殴られる。私は思わず謝って頭を抱えた。

少年は私の行動に驚いた様子だったが、私をそっと座らせてくれた。

「謝ることはないだろう。なぜ君が給仕をしている? そのルビーの瞳、君はイズマールの王族だろう?」

イズマール王家の人間は、特徴的なルビーのような瞳を持っている。だから私も平民を母に持ちながらも、王族として一応認められているのだ。

「あ、あの……」

「ちょっと! 何休んでるの!?」

二番目の姉が私に気付き、目を吊り上げて睨んでくる。

「ちゃんと働きなさいよ! このクズ!」

姉が私に手を振り上げ、思わずギュッと目を瞑るが、衝撃が来ない。おそるおそる目を開けると、少年が姉の手を掴んでいる。

「何するの!?」

「賓客がいる前で子供……それも自分の妹に手を上げるとは……。イズマールが古い風習の国だとは聞いたが、これはひどい」

よく意味はわかっていなそうだったが、馬鹿にされたのはわかったのだろう。姉が顔をカッと赤くする。

「何よ! あんたなんか……!」

姉が今度は少年に手を振りかざす。少年は表情を崩さない。

「何をやっている!」

そこに談笑していた父がやってきた。

「お父様、こいつが……!」

「公爵、娘はまだ躾がなっていなくてね。許してほしい」

父がもちろん許すだろうと強気の態度で少年に言った。姉は少年を見て、途端にオロオロする。

「こ、公爵……? こんな子供が……?」

「ああ。子供だが、公爵なのは間違いない」

まだ十代半ばだろう少年は、確かに子供ではあるだろうが、その凛とした姿は、まさに公爵に相応しい。

「どうしたんだ?」

そこにリネンバークの王様と思われる人物と、その王様によく似ている若い男性が現れる。若い男性はおそらく王太子殿下だろう。

「これはリネンバーク国王とクライヴ殿。いや、何、ささいなことだ」

誤魔化そうとする父に、黒髪の少年が言った。

「この国では自分の子供をイジメ抜くものらしい」

「何?」

彼の言葉に、王太子殿下が眉を顰める。

「そういえば昔そんな習慣がこの国にはあると聞いたが……まさかまだやっているのか? この子を? なんて可哀想に……」

王太子殿下が私に憐みの視線を向ける。

「悪しき風習をいつまで引きずっているんだ。王族なら子供で憂さ晴らししないで、自分の感情ぐらい自分で律せよ」

リネンバーク国王に言われ、父が歯噛みする。

イズマールとリネンバークでは国力に差がある。彼らには父も強気に出られない。

父は何とか表情を取り繕うと言った。

「そうですな。そろそろこうしたものは断ち切らないと」

「ああ。人として軽蔑するぞ。あの子に食事もきちんと与えてあげろ」

「オフィーリア。もう下がっていいぞ。今日からお前のご飯もきちんと与えよう」

父は不満そうにしながらも、リネンバーク国王の手前、私に笑みを向ける。

「今だけでなくちゃんとせよ。たまに確認させてもらう」

父が舌打ちした。しかしリネンバーク国王に悪い態度は見せられないし、これ以上機嫌を損ねさせるのもまずいと思ったのだろう。

「わかった。今日から寝床も変えてやる。お前は王族だからな」

その日から、私の大々的なイジメはなくなった。

姉から意地悪などはされるけど、殴られることもなければ、温かい食事と寝床も与えられるようになった。さらに王族としての勉強もさせられるようになり、私は他の王族と同じように過ごせるようになった。

あの少年のおかげだ。

私はあの幼い公爵の姿を思い浮かべて、胸を温かくさせた。

きっと今は成長してあの美しさを携えたまま、逞しくなっているのだろう。

彼のことを考えるのが、楽しみだった。

もし、また会えたら。

そんなことを考えて日々を過ごしていた。

「お前を婚約させようと思ってな」

父がにこにこと私に寄って来た。イジメられることはなくなったとはいえ、みんなまだ私のことを馬鹿にしているし、普段は近寄ってこない。

だけどこうして来たということは、何か大事な用がある証拠だ。

「婚約……?」

どこの年寄りにもらわれるのか。それとも暴力的な夫か。

嫌がらせにそれぐらいはするだろう父に、私はあきらめがついていた。父が私にしっかりした教育を付けはじめたときから、いつかこうなると。

しかし次に続いたのは予想外の言葉だった。

「リネンバーク国の王太子と婚約したらいい。悪い話ではないだろう」

私は目をパチクリ瞬いた。

リネンバーク。

それはあの幼い頃にあった、彼らの――あの黒髪の少年の住む国だ。

リネンバークに行けば彼に会えるかもしれない。

私が胸をときめかせると、父はにやりと気味の悪い笑みを浮かべた。

「そしてあそこのスパイになれ」

「……え?」

スパイ?

聞き間違えだろうか。そうであってほしい。でも父が冗談を言ったことは一度もない。

驚き固まる私に、父が続けた。

「お前がスパイになり、内部情報をよこせば、あんな国ぐらい乗っ取れる。俺を馬鹿にしやがって。目にもの見せてやる」

まさか、数年前のあの出来事のことを言っているのだろうか。

父はヘビのように執念深かった。あの私が倒れたパーティーでの事件を、ずっと根に持っていたのだ。

そしてやり返す機会を虎視眈々と狙っていた。

「お前ならやれる。お前をあの男の婚約者にするために、今まで教育してきたのだから。立派な淑女になったお前なら、疑われずに、スパイもできるだろう」

そしてあの国を潰す。

父がそう言った。

「……スパイなどして有利になっても、国力に差がありすぎます。たとえ勝てたとしても、民が大勢犠牲になります」

「知ったことか。最終的に勝てばいいんだ」

父の王と思えぬ発言。

そんなことをすればどれだけの民が死に、どれだけの被害が出るか。

顔を青くする私とは対照的に、父は楽しそうに笑っている。

この人は、国民のことなど考えていない。

だから私は決めた。

父の望むとおりにはさせないと。

◇◇◇

「王太子殿下の婚約者になるということにしてこの国に来た時に、提案したのよね、スパイになると」

父が戦争をしようとしていること、イズマールの情報を提供することを伝えると、王太子殿下は困惑しつつも、受け入れてくれた。

これで安心だと思ったけれど、想定外だったのは、先走った父が戦争を始めてしまったことだった。

結局戦争回避はできず、それでも私の渡した情報をもとに、王太子殿下が正確に戦略を練り、勝利してくれた。

父や母、姉たちは王城に攻め込んできたリネンバークの兵に討ち取られた。

私も本当はそうなる予定だったけど、王太子殿下が望みはないかと聞いてきたから……だから少しだけ、ほんの少しだけ欲が出た。

私は一年間、彼と――カイル様とともに過ごしたいと願い出たのだ。

「あ、忘れてた」

私は目の中に入れていた色付きガラスを取り出す。

王太子殿下から借りたものだ。これでルビーの瞳を隠していた。

「返し忘れちゃったな」

私はそれをテーブルに置いて、そっと窓を見た。

外には満月が浮かんでいる。

「幸せだったなぁ」

この一年が、私の人生で一番幸せだった。

自分でしたいことをできて、友と呼べる者もできて、何より愛する人のそばで過ごせた。

「もう充分」

もう充分満足だ。

◇◇◇

「本当にいいのか?」

王太子殿下の言葉に私は頷く。彼は悲しそうにこちらを見つめたが、すぐに逸らされた。

優しい王太子殿下のことだ。きっと苦しむだろうことを想像して、申し訳なくなった。

「これより、オフィーリア・イズマールの処刑を執行する」

王太子殿下の声に、人々が声を上げる。

私は死刑執行人に促されるまま、絞首台を上った。

首に括り付けられる縄を感じながら、私は大きく息を吸った。

これで本当に終わりだ。

「待て!」

私が覚悟を決めたとき、一際大きな声が響き渡った。

その声を、私が聞き間違えるはずがない。

「カイル様……」

そこには息を切らせたカイル様が立っていた。

「処刑は中止だ!」

「なっ」

ありえない言葉に驚きの声を上げる。

「何をおっしゃっているのですか! 私の処刑はもう決まっていて……」

「国王陛下より処刑の指示の取りやめの勅命書をもらっている。そしてこれはイズマールとリネンバーク両国民の処刑を反対する者の署名だ」

そう言ってカイル様は手にしていた紙束を投げる。ひらひらと舞う紙は何枚なのだろうか。

その大量の紙に、自分の処刑をやめるよう、人々が書いたと言うのか。

「どうして……」

「悪いことをしていないからだ」

呆然とする私に、カイル様が言う。

「イズマールの民とリネンバークの民の被害を最小限にするために、情報を渡した。イズマールの民がうまく逃げられるよう、手配までしていただろう。その結果、戦争があったとは思えないほど、両国の被害は少ない。君が攻撃対象をイズマールの王族だけになるように仕向けてくれたからだ」

そう、私はイズマールの民が戦争に巻き込まれないように、リネンバークに脱出できる道を作り、イズマールの民であっても迫害せず、仕事を不正なく与えてくれるように王太子殿下に頼んでいた。

また、戦でイズマールの民にはひそかに状況を伝え、リネンバークの兵士を攻撃しないようにした。そして攻撃してこない限りイズマールの民を害さないように、リネンバークの側にも伝えていた。

それも情報を渡す条件にしていたのだ。

「姫様ー!」

絞首台の下から声がする。

「死なないでください!」

「我らの救世主に慈悲を!」

「王女様を殺したら許さない!」

あれは――イズマールの民だ。

私が絞首台に上ってから大きな声がしていると思っていたが、あれは歓声の声ではなかったのか。

みんな泣いている。

「オフィーリアー!」

聞き覚えのある声もする。

アンだ。

「あんた、何してるのよ! 勝手に死ぬなんて許さないんだから!」

そう言いながら、アンが泣いているのが、この距離からでもわかった。

たった一年、一緒に過ごしただけだ。

だけど、彼女は私にできた初めての友達だった。

「……だめよ……」

私も泣きそうになりながら言った。

「私が生きていると争いの種になる……。だって私は腐ってもイズマールの王族だもの。被害は少なかったけど、リネンバークに恨みを持つ者がいないとも限らない。そうした人々が私を担ぎ上げようとしたら、いらぬ争いの種になるわ……」

だから私は死ぬ方がいいのだ。

敗戦国の王族などいない方がいい。

「それは違う」

カイル様がはっきりと言い切った。

「このイズマールの民を見ろ。みんなお前を慕っている。それなのに、お前を処刑してみろ。イズマールの民はリネンバークに不信感を抱き、それこそ反乱が起きかねない」

私はカイル様を見つめる。

「両国のことを想うなら、生きろ」

私は唇を噛み締めた。

「できないっ! だって……

だって私は親を殺した……っ!」

あんな親でも、親だった。

親を見殺しにするというのはとても恐ろしく、罪悪感で押し潰されそうだった。

『裏切り者』

最後に私を見てそう言った父を、きっと私は一生忘れられない。

「背負ってやる」

抑えきれない涙をボロボロ流す私を見ながら、カイル様が言う。

「お前の罪も罰も何もかも、一緒に背負ってやる」

カイル様が絞首台に上り、私の首にかかっている縄を取った。

呆然とする私を抱きしめるカイル様に、私は問うた。

「女嫌いはどうなったんです?」

「お前のことは嫌いじゃない」

天邪鬼なカイル様。彼は好きなものを決して好きとは言わない。

嫌いじゃない。

彼は好きなものを必ずそう言うのだ。

私は嗚咽を漏らす。私は。

私は――

「生きたい」

あなたとともに。

◇◇◇

本日もいい朝である。

私は隣に座っている夫に、声をかける。

「おはようございます、カイル様。本日も大変麗しい寝ぼけ眼で私は胸がキュンキュンです。好きです」

「おはようオフィーリア。盛大に寝ぐせを付けたお前のことも、俺は嫌いじゃないらしい」

365回目以降の告白は、すべて大成功である。