軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

89話 非常に魅力的な取引[2/2]

まず、私が彼女に渡す対価は、彼女の後見人となること。

ルクレティウス・フロント家を私の確固たる庇護下に置くことで、ピソ家をはじめとする他の元老院議員たちの手出しを完全に封じる。

そして、ルクレティア嬢はルシウスに命じる。帝位奪取に全面的に協力し、黄金の指輪を得て、自らを娶れと。

ルシウスはすでに、私が父や兄を正面から納得させ、あるいは実力で圧倒できるだけの『圧倒的な功績』の下準備を終えているという。

――曰く、パピルスの1割の価格で流通できる『ルクレティウス紙』

――曰く、その紙を使い膨大な文字をローマに氾濫させる『活版印刷』

――曰く、雷鳴を轟かせ敵をなぎ倒す『銃火器』『 爆弾(ダイナマイト) 』と呼ばれる武器

……前2つでもすさまじいが、3つ目は雷神でありローマの最高神ユピテルの私室から盗み出してきたのか?

そんな疑問が浮かぶ、ルシウスが準備しているという前提がなければ 法螺話(ほらばなし) として一蹴するようなものを、すでにルシウスは私の帝位獲得のために、作り上げたという。

「こんなもの――そのうちの一つだけでも元老院が黄金の指輪の権利をルシウスに付与するように皇帝に対し要請する決議を行うだろう。それはまずくないか?」

話の途中で私はルクレティア嬢の言葉を遮り懸念を示す。

紙と活版印刷、その2つの事業を 有限責任組合(法人) を活用しローマに普及させるだけで莫大な税収が見込めることは明らかだ。

後者についても、本当にそんなものが量産出来た暁には、今は亡きウィテッリウスの如き無能な指揮官が軍を指揮したとしても、容易に周辺の蛮族すべてを平らげることができるであろう。

元老院が彼を取り込みにかかるのは火を見るより明らかだ。

「彼は断りますよ、殿下。これらの英知は、 私(・) の(・) 命(・) 令(・) で殿下を皇帝に押し上げるために作り上げたものです。そして彼の目的は『殿下の皇帝即位に貢献した功績』で黄金の指輪を得ること。道半ばでの提案は『筋』が通らないので彼は受け入れることはありません」

「本当か?元老院からの提案だぞ?早く解放されたほうが君を早く守れるのに?」

「殿下の兄、ティトゥス様への仕官話を断ったのと同じことですわ」

私の疑問に、さも当たり前とでもいうかのように返すルクレティア嬢。

その言葉に、私は息を呑んだ。

ルクレティア嬢がルシウスに命じる『皇帝擁立の功により、黄金の指輪を得て、自らを娶ることによりルクレティウスの名を守れ』という内容。

ルシウスはそれを今回の『筋』とし、それを曲げぬ。

彼が筋を曲げないのは、彼女が言うように、私への恩義から兄ティトゥスへの仕官話を一蹴したことからも明白だ。

「元老院であろうと、皇帝陛下であろうと、彼は筋を決して曲げません」

そう、本来であればただ元老院からの提案を断るということは、元老院からの反発を招く。

しかし、ルシウスは道理が合わねば皇帝からの提案すら一蹴するということは、すでに一部の元老院議員には知るところとなっている。

元老院を軽んじているわけではなく、あくまで筋だけにおいて動く。

それは先んじた提案をした元老院議員たちに不満を持たせぬのにはうってつけの名声。

むしろストア派の流れをくむ一派などは手放しで称賛すらするだろう。

「そして、殿下が皇帝になられた暁には……満を持して、ルシウスに黄金の指輪の権利を、改めて元老院決議にもとづいて、皇帝となる殿下から授けていただくのです。そうすれば、ルシウスはルクレティウス家を自ら救い、家名を存続させるために、私を娶ることになります」

「どうせ確実に先走るであろう元老院議員どもは、私が皇帝に即位した暁にようやく決議をルシウスに受け入れられ、それを受けてルシウスに黄金の指輪を私が授けるということは、父ウェスパシアヌスの元老院との融和路線を踏襲するというメッセージにもなる、ということか」

「ご推察の通りですわ」

「で、忠誠の話はどうなる?これでどうやって私に忠誠が向くのだ?」

「嫌ですわ殿下。私を娶るのですよ?彼はルシウス・ルクレティウス・フロントとなるのです。そして妻に向けられる感情は忠義ではない。……ほら、これで忠義を向ける先はなくなりました。彼はすべてを守り切れました。その感謝は?」

「――忠義となり私に向くということか」

完璧だ。

私とルシウスの間にあったルクレティウス家という障壁を、彼自身に飲み込ませることで消滅させ、同時にそれを成させた私に忠義を向けさせる。

だが、一つだけ疑問が残る。

「ルクレティア嬢」

私は目を細め、渇望を隠すそぶりもなく笑みを浮かべ続ける彼女を見据え、問う。

「ルシウスが君を娶り、君に向ける感情が忠義ではなくなった時、君は一体彼から何を得るつもりなのだ?」

私の問いに、彼女は狂気すら孕んだ情熱的な瞳で私を見つめ返し、答えた。

「――――愛ですよ、殿下」

「愛?愛だと?……ルシウスにはすでに想い人がいるだろう?先ほど私をこの部屋に案内した、デキムスの娘、ルシアが」

「……ええ、彼女もまた、ルシウスの愛を受けるもの」

私の問いに、ルクレティア嬢の顔は一転してが苦々しいものに変わる。

「しかし彼女は、彼の忠義のために身を引く決断をしました。しかしそれでは彼の心が壊れてしまう。故に……私は泣く泣くあの女……ルシアを引き止め、彼が黄金の指輪を得た暁には、彼女を妾としてそばに置くことを許しましたわ」

「ほう、君はそれでよいのか?」

「……私は寛容なローマ淑女ですわ。彼の全てを手に入れてからであれば、必要であれば彼の一部を寛容の元、私以外にも分け与えることに躊躇などしません。それに、ルシウスの妻となれば……私にも愛は向けられる」

言葉とは裏腹に、彼女の顔は何かに耐えるかのような能面顔になっている。

「なるほどな……」

その様子を見て、私は深くため息をつき、

「くくく……ははははは!!!」

そして、笑いがこみあげてきた。

私の野心も、帝国の行く末も、ルシウスの忠義さえも、このルクレティア嬢にとっては些事なのだ。

何故なら彼女が欲しいのはそれではないから。

この何も持たないご令嬢は、その何も持たない立場さえ利用して、自らが い(・) ら(・) な(・) い(・) ルシウスの忠義を、最も高く買ってもらえるであろう私に売りつけ、なんとか最も欲しいモノである愛に替えた。

今、部屋に漂っている香りの意味を私はようやく理解した。

彼女の目指すものは、ルシウスと自らが――オウィディウスの変身物語のバウキスとピレーモーンのような永遠の夫婦となることなのだ。

「……はははは!少女にしてはなかなかの策略を組むと感心したが……所詮は女か。彼が本来愛する女から愛を盗み取る。たかがそのためだけに、未来の皇帝をも手玉に取って取引を持ち掛けるとはな」

「……いけませんか?」

私の侮蔑の言葉に、ルクレティア嬢は少しも恥じることなく、小首をかしげながら先ほどと同じ微笑を返してくる。

「いや……動機が分かりやすい分、むしろ好ましい。私はルシウスの『忠義』が欲しい。お前はルシウスの『愛』が欲しい。しかし、お互いに一人ではそれを得ることはできない。故に、取引がしたいというわけだ。いいじゃないか、実に分かりやすい」

それに何より、痛快ではないか。

この小賢しい小娘は、あらゆる策を弄しても、ルシウスからの愛を『一部』しか得られないだろう。

彼の心の中には、永遠にあのルシアという娘が存在し続けるのだから。

この小娘はバウキスには成れぬのだ。

だが、私は違う。

私は、ルシウスという男が持つ、その底知れぬ頭脳と 皇帝(私) への絶対的な『忠義』を、すべて手に入れることができるのだ。

小娘が恋のままごとに熱を上げた末にわずかな愛を得ている間に、私は帝国を手に入れ、ルシウスの忠義を独占する。

これほど愉快な取引はない。

「では……」

「いいだろう」

私は立ち上がり、宣言した。

「私、ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌスは、ルクレティウス・フロント家の 庇護者(パトロヌス) となり、その正当なる相続権者たるルクレティア・フロンティーナが成人する時まで後見を行い、邪な者どもから守る強固な盾となることを、ここに誓おう。そして私が皇帝に即位した暁には、ルクレティア・フロンティーナの奴隷であるルシウスに黄金の指輪を授け、彼が君を娶り、ルシウス・ルクレティウス・フロントとなることを許そう」

証人などいらぬ、利害が絶対に動かぬ以上、これは決して破られることのない誓約。

「殿下の英断に、心からの敬意を」

私の宣言を聞いたその顔に浮かんでいたのは、肉親を失った哀れな孤児の顔ではなく、自らの欲望のために皇帝すらも利用し尽くそうとする、愛に狂った少女の微笑。

部屋に立ち込める月桂樹とオーク、そして ティリア(菩提樹) の花の香りが、私たちの結んだ契約を祝福するように包み込んでいた。