軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

84話[2章番外]帝国軍の保健、能率および疫病管理に関する諸問題についての覚え書[2/2]

翌日の大講堂。

発表会の場には、 高級幕僚(トリブヌス・ミリトゥム) 候補や属州及びローマの 財務官(クァエストル) など、帝国のこれからの実務を担う若手官僚が集まっていた。

私は彼らに詳細なデータが記されたパピルスを回し読み用として配りながら、講堂の前に立った。

そこには、最近少年ルシウスが講堂に導入した黒板と呼ばれる黒塗りの平たい陶器製の板と、チョークと呼ばれる白い石灰の棒が用意されている。

「ほぅ……これは戦地における死者の分析か……何々、4月の戦死者と戦傷由来の死者と疫病の死者が――」

「これほど膨大な資料、読み込みだけで何日かかる?今回の講義は長期戦になりそうだな」

「秋口と春や冬の資料の差を見たい。誰か そろばん(アバカス) 持ってるか?」

案の定、数字を前に悪戦苦闘しだす受講生を横目に、私はチョークを握り、黒板にあらかじめパピルスに記載しておいた図を書き写していく。

「諸君、手元のパピルスの数字を追うのは後にしていただきたい。まずは、これを見てくれ」

そして主な図形を書き終えた後にパンっと手をたたき行動の正面に注目を集める。

四角い枠に記載した、死傷者数の内、疫病に関しての従来の野営地における時間経過と罹患者数の増加を示す、急激に跳ね上がる線。

そのおぞましい線の下で和やかに推移する、衛生管理と浄水炊事馬車を導入した部隊の、地を這うような平坦な線。

「なんだそれは……?」

「これはグラフ、そこにある数字を図にしたものだ」

「数字を……図に?」

受講生の視線が、パピルスから黒板に移りだす。

その様子に確かな手ごたえを感じながら、さらに戦死者数と病死者数を比較するパンを分割したような円形の図形を描く。

難しい顔をしてパピルスの数字の羅列を睨んでいた受講生たちの顔、特に昨日デキムス殿の授業を受けていた財務官たちの目の色が、劇的に変わった。

「あぁっ、これは昨日デキムス殿の会計学でやった円グラフ!」

そしてそれに続くように、会計学を受けたことのない軍人層の目の色も変わっていく。

「この手元にある複雑な数字の塊が、図にするとこんなにスッと頭に入ってくるというのか!」

「一目瞭然だ……!病理による死者が、戦死者を上回ることがあるのは知っていたが……これほどまでに!?」

「しかも季節によって大幅に罹患率が変わるのも、この図では一目瞭然だ。しかも対策をすればこれほどまでに被害を抑えられるのか!」

図形がもたらした視覚的ショックは、彼らの理解度を爆発的に引き上げた。

そこからはもう、白熱する議論の連続だった。

「待て、浄水炊事馬車を導入するとなれば馬の飼葉コストがかかるぞ!」

「だが病理で兵士が死に、補充兵の訓練と移送にかかるコストを考えろ!それに比べれば馬車の運用費など安いものだ!」

「いや、行軍速度の遅延もここでは計算されていない!」

「あー……そっちは確かに再計算が必要だな」

「あとは充足率と勝率は確か3か月前に模擬戦でデータを取っていなかったか?」

「あ、それは私が持っている!」

「せっかくだ、その数値と8人班単位と軍団単位で徐々に馬車を減らしていき、どこからが『損益分岐』を超えるのかを図にしてみるというのは?」

「「「「「それだ!!!」」」」」

軍人たちが持参した そろばん(アバカス) を激しく弾きながら兵站の負荷とすり合わせを行い、財務官たちが黒板の前に立って、浄水炊事馬車に必要な予算、充足率による戦力減衰、そして行軍速度の推測値などを次々と図式化していく。

「よし、わかった!現実的な落とし所として、 百人隊(ケントゥリア) 単位での専用浄水樽の配備と、 大隊(コホルス) 単位ごとに2台の炊事馬車の随伴。これならば軍団の機動力を損なわず、かつ被害を最小に抑えられる!」

喧々諤々の議論の末、講堂は一つの画期的な結論に達した。

だが、熱気が少し収まったところで、財務官の一人が重々しい口調で現実的な問題をつきつけた。

「しかし、ディオスコリデス殿。この結論がいかに正しかろうと、軍の伝統的な編成を変え、新たな馬車を配備するための莫大な特別予算はどうすればよいと思う?」

「うむ……」

私は腕を組んだ。

確かにその通りだ。

軍制改革には常に強烈な抵抗が伴う。

いかにこの図形が美しく優れていようとも、それを説得する手段がなければ絵に描いたパンでしかない。

「幸いここには親族や父が軍団長を経験している者も多い、しかるべきルートで同時並行的に提案をすればいずれこの提案は受け入れられるだろうが……それまでに何年かかることやら」

「年?ねんだと!?この明らかな事実を前に年単位で兵がいたずらに倒れていくのを放置するのか 貴卿(きけい) は!?」

受講生の間で再び議論が紛糾しだす。

そうして講堂に剣呑な空気が流れかけた、その時だった。

「悲しいじゃないか。こんな重要で興味深い議論に、私を呼んでもらえないなんて」

講堂の入り口から、芝居がかった、しかし有無を言わさぬ威厳を伴った声が響いた。

「「「「………!!!」」」」

その場にいた全員が振り向く。

「ドミティアヌス殿下……!」

そこに不敵な笑みを浮かべ立っていたのは、今ここにいる多くの受講生がこの屋敷に出入りする最大の要因となった御方――ドミティアヌス殿下だった。

最近の殿下は、あの『法人税法』を成立させ、元老院と皇帝の更なる蜜月の促進や、新たな国家財源の確保への貢献をしたことで、四皇帝時代の失策以来の冷遇から一転、ウェスパシアヌス帝から法人税制度に関する責任者にも任命され、帝国内中枢での発言力を高めつつあった。

期待と畏怖が入り交じる視線の間を殿下は肩で風を切って歩き、黒板の前に立つ。

「ふむ……」

そして、黒板に描かれたグラフを見上げ……

「で?」

殿下は振り返り、片手で後ろにある黒板のグラフを親指で指さしながら問いかけてきた。

「 今(・) 日(・) 、私と一緒に 父(・) 上(・) にこの図の説明に来てくれるのは、誰だ?」

殿下のその言葉を聞いた時、講堂にいた全員は確信した。

ローマ軍の損耗は即座に低減しだすであろうことを。