軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

8話 100アスの重み

パンを見たとたんに固まった親方に俺は動揺する。

どうなんだ?よかったのか?それともダメだったのか!?どっちなんだ!?!?

「お、おい。どうだ?」

俺の問いに、親方はそのままパンをこちらの台に置いてくる。

「……白い。いつもより、明らかに白いぞ!」

通常のパンはハチミツが入るともっと茶色になる。

だが、このパンはどうだ?

麦の蜜を入れたパンはしっかり火が通っているにもかかわらず表面は輝くような白さを保っていた。

親方は熱々のパンを千切り、口に放り込んだ。

「ッ!!? なんだ、この食感は……! しっとりしてやがる。ハチミツを入れた時よりもだ。それにこの……噛むほどに広がる、上品な甘さは何だ!?」

「俺にも一口くれるか?」

「あ、あぁ、ほらよ」

親方から白パンのかけらを受け取り口に含む。

そうだ、さっきフェリクス様に貰ったあの白パンと同じ味だ。

……どうやらフェリクス様はちゃんと俺に『麦の蜜』の白パンを食わせてくれていたらしい。

俺は賭けに勝ったことを確信する。

そして親方の方を向く。

もうこの交渉のテーブルの主導権は俺が握っているに等しい。

中の下のハチミツより安く、焼き上がりは白く、食感も蜂蜜よりもふんわり。

混ぜ物入りのハチミツで利益の 嵩増し(かさまし) をするなんて貧乏くさい事のための麦の蜜じゃねえ。

これはこの店の看板になる商品の必須材料だ。

きっと親方の脳内にはこの白パンが飛ぶように売れる光景が映っているだろう。

「1セクスタリウスあたり9アスでいいんだな?」

若干目の座った表情でこっちを見る親方。

「あ、あぁ。だけどほかの パン屋(取引先) にも聞いてみねぇと……」

「10アスだ」

「へ?」

親方が俺の首根っこをつかみ有無を言わさない表情で詰め寄ってきた。

「デキムス!この蜜あるだけ置いてけ!今すぐだ!1セクスタリウスあたり10アスで買うぞ!」

………………。

…………。

……。

翌日の朝。

パン屋の店先には、「新作: パニス・ドゥルキス(甘いパン) 」という文字が躍った。

価格は通常のパンの倍以上、1個あたり6アスという強気な価格設定だったが試食した客たちが次々と財布の紐を開いた。

「奥さんスプリウスの白パンもうたべました?冷めてもとっても柔らかいのよ!」

「もちろん!子供が喜んで食べてるわ。こんな白いパン、見たことない」

昼過ぎには、俺が卸した麦の蜜を使って焼いたパンは完売した。

それどころか、夕方には「もう一度あのパンを買いたい」という客が店を訪れ、買えずに帰っていく事態になった。

俺はその様子をただ 茫然(ぼうぜん) と現実のものではないかのように眺めていた。

「お父ちゃん!起きてるー??おーいしっかりしろー」

「っは!?」

ルシアに促されて顔を上げた時にはすでに日は南西の空に傾きかけている。

夢を見ていたのか?

そう思い手元の革袋を開けると、確かに昨日パン屋から受領した麦の蜜の代金、銀貨6枚と 真鍮(しんちゅう) 貨1枚(100アス分の代金)がちゃんと入っている。

夢じゃない。

仕入れが55アスで売り上げが100アス。45アスの利益。11セステルティウス超えの利益。

俺が背負ってもまだ余裕のある壺1つ分の『麦の蜜』を右から左に売っただけで薪商人としての数日分利益と同額を稼いだ事実に手が震える。

しかし、それは始まりにすぎなかった。

数日後、別のパン屋に薪の代金を回収に行くとパン屋の親方が血走った眼を向けてきた。

そのパン屋1軒だけではない。

反応はどこも同じ。

「デキムス、お前、スプリウスの店に妙な蜜を売ったらしいな?」

「うちにも回せ!あんな白いパン、うちで焼けなきゃ客が全部持っていかれちまう!」

「悲しいじゃん。なんで俺の所には売らないわけ?」

俺の心臓は、昨日の恐怖とは別の理由でバクバクと 高鳴(たかな) っていた。

たった数日で、ポンペイのパン業界に激震が走っていたのだ。

ローマ人は「白さ」をステータスとする。

そしてこの麦の蜜は甘いパンに白さというステータスも付与する魔法の蜜だったのだ。

都市のうわさネットワークをなめていた。

卸してないパン屋の目線はもとより、最初に納入したスプリウス親方の目も「まさか次から売る量減らすとか言わねぇよな???」という目線だった。

やばい。

「父ちゃん!チャンスじゃん!」

「それどころじゃないぞこりゃぁ……」

無邪気に笑う娘とは対照的に俺は今の俺の立場のやばさを自覚する。

もしこれで俺が売れるのが今回一回こっきりだったりしたら俺はパン屋からの信頼を失い、薪の取引を停止されかねない。

いや、下手したらぶっ殺されかねない。

間違いなく殺される。

パン屋の親方連中の目には「売らなきゃ殺す」って書いてあった。

殺される。やばい。

行く先々で詰め寄られた俺は昼前にはルクレティウス様の邸宅の裏口の門を縋りつくように叩いていた。

「フェリクス様!いるか!?」

「なんだ、デキムスか?どうしたんだ?次の薪の注文は数日後くらいの予定――」

「そっちじゃない!麦の蜜だ!あれはまだある……いや定期的に仕入れさせてもらえるものなのか!?」

「お、おぉ??」

フェリクス様が若干ひいているが今の俺はそれどころではない。

商人どころか家族ごと死ぬかどうかの瀬戸際なのだ。

「あー……麦の蜜か、あれはな……」

もったいぶるつもりなのか言いよどむフェリクス様。

「月産60セクスタリウスが限界かな。この邸宅で作ってるからね、あの『麦の蜜』は」

そんなフェリクス様の後ろから幼さを残す声。

そこには、あの時ルシアにこの『麦の蜜』を渡した少年の姿があった。

「おいおい、ルシ坊……お前の言ったとおりだったんだから俺がこうして交渉をだな」

「大丈夫。今はまだあの値段で卸しちゃっていいと思うよ」

「まあ……お前がそう言うならいいが……」

あの時は気にしていなかったがなんだこの坊主?

まるで麦の蜜を自分の物の様に扱ってるじゃないか。

そしてフェリクス様もそれをとがめる様子もない。

それが俺が初めてその少年――ルシウスを認識したときだった。

この麦の蜜がルシウスがミネルヴァ様から賜ったと聞き、ルシアに探りを入れるように言いつけたのは数日後のことだった。

そしてその数日の間に麦の蜜で作った白パンがポンペイ中でその希少価値からブームを巻き起こし、俺が製造能力の関係で1か月以上針の筵になること、翌月にはルシウスの入れ知恵とフェリクス様の助言(強制)でパン工房の親方たちから借金をして『麦の蜜』工房の主になること、そこから1年で想像すらできない飛躍を『させられること』を俺はまだこの時知らなかった。

もちろん、そのすべてをルシウスが裏で手を引いていることも、だ。

奴は確実に、女神ミネルヴァ様に愛された奴隷だった。