軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

61話 カモミールティと統計

「 統計(数の俯瞰) ?なんだそれは?」

「聞いたことがないが……」

俺の言葉に、ディオスコリデス様とプッさんはきょとんとした顔を浮かべる。

まあ体感的に経験則としてやっていることだとは思うが、この時代はそれがまだ学問までにはなっていないはず。

これも話し出すと千夜一夜物語並みに長く語る羽目になるので、例によって今回欲しい部分だけをかいつまんで二人に説明することにする。

「ある程度の数を複数のグループに分け、そのグループ間を比較することによって、薬の効能にどのような違いがあるかを検証していく方法ですね」

「あまりピンとこないな、もう少し詳しく説明してくれないか?少年ルシウスよ」

「はい。今回の例では、軍隊内の疫病治療。なので、おそらく同じ疫病と思われる同じ症状で、患者の性別は男性。ただ、体格や年齢にはばらつきがある。そんな環境で、薬の効き方が違うということですよね?」

「そうだな」

「その場合、考えられるのは2つ、治療される側に何らかの差が出ているか、それとも薬に問題があるかです」

「私もそう思ったが、それをどうやって区別するのか?」

「確認ですが使用する薬は、まったく同じ場所、同じ時期、同じ部位、同じ調合の物を処方していますか?」

「……いや、軍隊で見る患者は多いからな、薬に使う柳の皮も色々な時期のものがある」

「と、するとそこに犯人がいる可能性が高いと仮説が立てられます」

実際には、薬の効果を統計的に計測する場合は、発症時期や患者群の行動範囲なども考慮に入れなければいけないが、今回は解熱効果の差異検証なのであえて簡易化するために補足情報にとどめて触れないでおく。

「だとしても、それをどうやって検証する?」

「そこで、数を頼ることになります」

そう言って俺は 蝋版(タブラ) を開いて統計の実施方法について書きはじめる。

今回の場合は発熱から解熱までの効果を、効能の差と思われる原材料の収穫時期別に投与するグループを分けて集計する。

この際、可能であれば『年齢』『体型』『発症してからの日数』などの 攪乱変数(かくらんへんすう) も集計する。

1グループの数は、軍隊で一度に発生する患者が100人と考えると、1グループ20人程度が現実的な数だろう。

このグループごとに、収穫時期以外の条件を完全に同じにした薬を飲ませ、他のグループとの傾向を比較する。

この際、内1グループには柳の樹皮ではなく、特に何の効果もない樹皮に似たものを飲ませる。

これでグループ間に有意な差が出れば、薬効の差の原因は収穫時期となる。

もし、何の効果もないものを飲ませたグループと解熱効果に近いグループがあれば、その時期の樹皮は薬効がないということになる。

「このような方法により、具体的に何のせいで薬効に変化があるのかが分かるかと思います」

一通り実施の方法を説明した俺は 蝋版(タブラ) から顔を上げ、二人の顔を見る。

しかし、その顔はまだ納得していないようだった。

「これは、数を集めるのは何の意味があるのだ?もし時期によって効果が変わるのであれば、検証をする人数は一人でもよいのではないか?その絞った一人を注意深く観察すれば、何も何十人も同じ実験をしなくてもいいのではないか?」

俺の案に対し、ディオスコリデス様は困惑気味に問いを出す。

そこは、問い詰めようとしているのではなく、内容を理解できないという困惑が入っているように思えた。

その様子を見て、俺は言葉を重ねるよりも体感的にわかってもらったほうが良いと思いなおし、説明方法を改めることにする。

そして、すぐ横のサイドテーブルに用意してあった冷たいカモミールティーの入った ティーポット(アンフォラ) に手を伸ばした。

陶器製のコップを1つ用意し、カモミールティーを注ぐ。

そして、片方のコップの底に、たっぷりと 麦の蜜(水あめ) を沈め、あえて混ぜずにディオスコリデス様の前に差し出す。

「ディオスコリデス様。ここに、大麦の蜜を入れたお茶があります。どうぞ、一口飲んでみてください」

「ふむ? 藪から棒に何だ?」

怪訝な顔をしながらも、ディオスコリデス様はコップを受け取り、表面の冷たいお茶を一口啜った。

「甘いですか?」

「……冷たくて良い香りだが、全く甘くない」

「そうですか、ではプリニウス様、残りを一気にグイっといってください」

「ん?では頂こうか……おい友ルシウスよ。 麦の蜜(水あめ) が底に沈んでいるではないか、最後の方は 麦の蜜(水あめ) を飲んでいたぞ?」

「そうですね、混ぜてませんからね。それで、この方法でカモミールのインフュージョンへの甘さの量がちょうどよかったと、お二人は評価できますか?」

「できるわけがないだろう、少年ルシウス。私が飲んだものとプリニウス殿が飲んだものは実質的に別物だ」

「その通りです」

何を当たり前なことを、といった風に答えるディオスコリデス様の回答に、俺はカモミールティを今度は2つのカップに入れなおしながら同意する。

そして、テーブルの中央にそのカップを置いて二人を見据えた。

「病気への治療を比較する時も、『かき混ぜられていないカモミールのインフュージョン』と同じことが起きます」

「どういうことだ少年ルシウス?」

「ある兵士はカップの底の蜜のように若くて体力がある。別の兵士はカップの上のように老いて体力が落ちている。もし、ディオスコリデス様が効果を見たい薬をたった一人の兵士に試して、その兵士が早く熱が下がったとしましょう。でもそれは、薬が効いたからでしょうか? それとも、たまたまその兵士が 元(・) 々(・) 体(・) 力(・) が(・) あ(・) る(・) 若(・) 者(・) だったからでしょうか?」

俺の問いに、ディオスコリデス様とプッさんが、息を呑む音が聞こえた。

「逆に、薬を飲ませた兵士の熱が下がらずに死んでしまったとします。それは薬が効かなかったから?それとも、たまたまその兵士が も(・) う(・) 助(・) か(・) ら(・) な(・) い(・) ほ(・) ど(・) 衰(・) 弱(・) し(・) て(・) い(・) た(・) ?……一つの効果を検証するために、たった一人や二人の偏りを見て薬の効果を判断するのは、このお茶の表面だけを一口啜って『蜜は甘くない!』と断言するのと同じくらい、真実から遠ざかる行為なのです」

そこで一旦区切り、俺は前回使わなかった大麦の 麦の蜜(水あめ) が入った小瓶を開ける。

「では、どうすればこの 麦の蜜(水あめ) 入りのカモミールのインフュージョンの本当の甘さ、つまり薬の本当の効果を正確に測ることができるのか。答えは簡単です。コップ全体を か(・) き(・) 混(・) ぜ(・) て(・) 、味を均一にしてしまえばいい」

そしてカモミールティーに、一つは小麦の、もう一つは大麦の 麦の蜜(水あめ) を入れ、かき混ぜ、二人の前に差し出した。

「20人という人数を無作為に集めることは、このかき混ぜるという行為なんです。100人という感染者集団を混ぜ、無作為に20人を抽出する。そうすれば、その中には体力のある者も、ない者も、若い者も、老いた者も、均等に混ざり合います。このよくかき混ぜられた複数のコップを用意して、初めて条件が対等になるのです。……その上で何も効果がないはずのものを投与した患者との効果差、そして効果があるはずの者同士の解熱効果の差がこれで出れば、それはもう個人の差ではなく、薬の効果の差だという、揺るぎない事実ベースの証明になるのです」

俺が言い終えると、プッさんの 執務室(タブリヌム) は、静寂に包まれた。

大数の法則。

無作為抽出による因果の均一化。

そして偽薬との比較。

ちなみにこの中で意外に重要なのは偽薬との比較だったりする。

人間の プラセボ(思い込み) って結構馬鹿にできないからね。

「「……」」

ディオスコリデス様は、差し出された均一な色のお茶のカップを、まるで何か触れてはいけなかったものに触れてしまったかのように見つめている。

プッさんに至っては、口を半開きにしたまま完全にフリーズしてしまった様子だ。

仕方がないので俺もそのまま黙ること、3分くらい。

「……根底から、間違っていた」

そろそろ二人に声をかけなおそうかなーというところで、ディオスコリデス様が掠れた声で呟いた。

間違っていたというのは今までの検証方法だろうか。

いや、実証主義に基づいた経験則による記述も数値化してないだけで充分先進的なんですがそれは……。

むしろ近世まで通用するんですけど、あなたの書籍。

それをオブラートに包んで突っ込もうと手を伸ばすと、それより先にディオスコリデス様は弾かれたように立ち上がった。

「プリニウス殿。私はこれで帰らせてもらう。この理論が正しいのかを、今すぐ検証しなければいけない……」

そう言うと、ふらふらと何かに憑りつかれたかのように、プッさんの返事も聞かずに 執務室(タブリヌム) を後にしてしまうディオスコリデス様。

一方のプッさんも俯いてぶつぶつと何かをつぶやいている。

「……友ルシウスよ。この理論、薬の比較だけではなく、万物の傾向にも応用ができないか?……例えば……そう、軍の訓練の効率等についてなどだ」

あ、プッさんはそっちに気が付いたか。

「複雑な事柄を統計で分析するためには、よくかき混ぜる……つまり十分な数とグループを作る必要がありますが、おおむね大きい事柄の分析をごく少数で出来ると考えて構いません」

「そう、か。友ルシウス、私はローマの方で急ぎ確認しなければいけないことができた!先にここを引き払う故、あとでローマで会おう!書記!!!支度をせよ!!」

考えがまとまったと思われるプっさんは、いつもの調子を取り戻し、そのまま大声で書記の人たちを呼び出して、同じく 執務室(タブリヌム) を後にしてしまう。

「……」

残されたのは、俺と、飲まれていない2つのカモミールティ。

「……まあ、今日はそれほど時間は取られなかったし。ヨシ!」

どうせ考えても面倒事は減らないので、俺は出て行った二人を気にすることなく、誰も飲んでいないカモミールティに手を付けた。

うん。甘くておいしい。