軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

54話 調香師ルクレティア

さて急遽始まりましたルクレティアお嬢様のトレンドセッター化計画!

実は今の俺にとっては考えてみるとベストタイミングだったりする。

と、言うのも、タイミング的には 麦の蜜(水あめ) フランチャイズがようやく初期加盟者をさばき終わったことで、次は化粧品事業への本格着手となっているのだが、その中で課題となっているのが新作展開であった。

現状、水蒸気蒸留法という、香油とは全く別な香料抽出アプローチにより、素材単体でも十分商品力は持っている。

グリセリン化粧水の圧倒的な保湿力と、石鹸による洗浄力も相まって、現状はバラ、シトロンなどの『単体の香り』の香りでも注文が殺到している状態だ。

pH指示薬の安定供給の問題さえ解決してしまえば こっち(化粧品工房) のフランチャイズも可能。

そうすると市場への供給がひと段落すると、今度は新商品開発が必要になってくる。

もちろん今の『単体の香り』の製品も定番品として長期にわたって売り上げのベースラインを作ってはくれるだろう。

だが高級化粧品ブランドはそれだけではダメだ。

いずれはフランチャイジー提案の新商品も出てくるだろうが、基本的にはブランド、フランチャイズを高付加価値化し続けるためには本部が常に最前線に立たなければいけない。

そのためには、季節限定品などの特別な製品ラインナップが必要。

つまりは トレンド品(挑戦商品) 、複数の香りを組み合わせた高度な感性を元にした複雑な香りの開発が必要なのだ。

そして残念なことに、スイーツ同様、俺にそのあたりの知識はほぼない。

「と、言う訳でポンペイ屈指の名門であるお嬢様の感性は、実は今、新商品開発にかなり重要かなと思った次第でして」

つらつらと俺の考えをルクレティアお嬢様に説明する。

「っ……! まかせてちょうだい! 私の完璧なセンスで、ローマ中の淑女を釘付けにしてあげるわ!」

お嬢様の目が、ギラギラと野心に輝いた。

「はいはいはい!!ルシウス君!私、私もやる!!私はルシウス君の婚約者で恋物語のヒロインだよ!?香りの一つや二つ、愛の力で完璧に作ってみせるよ!」

そして対抗意識を燃やしたルシアも、鼻息を荒くして参戦を表明する。

そんなわけで邸宅の一室に設けた調香室に二人を案内し、二人の前に何十種類もの 精油(エッセンシャルオイル) と 芳香蒸留水(フローラルウォーター) を並べ、俺は調香の作業を任せることにした。

そうして 執務室(タブリヌム) に戻る。

正面の 広間(アトリウム) を見ると、ちょうどデキムスさんが 麦の蜜(水あめ) フランチャイズの加盟者との会合を終え、帰ってきてた所だった。

「……フランチャイジーの皆さんから、ハチミツの 組合(コレギウム) の動きは何か聞けた?」

俺が尋ねると、デキムスさんは渋い顔で 蝋版(タブラ) を叩いた。

「露骨に警戒してるみたいだね。 麦の蜜(水あめ) はミネルヴァ様の英知って触れ込みで広まってるから大っぴらなネガティブキャンペーンは張られてないけど、ちらほらと徴税官とハチミツ 組合(コレギウム) が接触してるって噂もあるみたいだよ。その噂とセットで、ハチミツを取り扱う商会から 手を広げない(生産高を増やさない) ように助言されてる人もいるみたい」

「さすが甘味をほぼ一手に牛耳るハチミツ 組合(コレギウム) 、搦手が上手いね」

まあ予想はしていた反応だ。

古代ローマにおいて、甘味といえば蜂蜜が絶対的な王者だった。

そこに突如として、大麦から作られた安価で大量生産可能な『 麦の蜜(水あめ) 』が殴り込んできたのだ。

既存の利権層が黙っているわけがない。

かと言って、こういう場合にまず行われるであろうネガティブキャンペーンは先手を打ったので展開できない。

とすると、次の手は相手の収益性を圧迫するという手になる。

「 麦の蜜(水あめ) の本当の強みは工業生産による安定供給力にあるから、半年もしないうちに廉価品のハチミツ需要とは競合関係になる。今聞いた動きを見る限り、その時までハチミツ 組合(コレギウム) が敵対姿勢のままだと、元老院に働きかけて、法外な税をかけたり、最悪の場合、販売規制を敷かれる可能性があるかな」

「え?でも 麦の蜜(水あめ) は神殿でミネルヴァ様の英知としての儀式を行った布を経由したものだよ?いくら元老院でもそんな、規制なんてできるの?」

「法を作るプロの人たちだよ?例えば俺なら『ミネルヴァ様の英知というなら、そのような高貴な品を受け取るには受け手にも資格が必要』とか屁理屈を取りまわして、買いづらくしたりとかのアプローチで事実上の販売規制をかけるかな」

「えぇ!?そ、そうなのかい!?そんなことになったら大変じゃないか!!」

俺の予想にあたふたとしだすデキムスさん。

「まあそんなことになったら今のフランチャイジーの主勢力であるパン屋 組合(コレギウム) が黙ってないだろうし、面子をつぶされるドミティアヌス殿下だって面白くない。愉快な戦争になるかもだね」

「ル、ルシウス?みんなで仲良くしようよぉ?それ、矢面に立つの俺でしょう?」

「頑張って♪」

役目でしょ?

そんな俺の言葉にデキムスさんはいつものように真っ青になっていく。

まあ、これはあくまで最悪の想定の時だ。

「大丈夫。なるべくそうならないようにハチミツ 組合(コレギウム) にも非常に魅力的な提案を準備してるから」

養蜂で得られる副産物はなにもハチミツだけではない。

間接的に果樹生産高にも影響があるのが養蜂業なのだ。

今後のエタノール増産を考えると養蜂業には近代養蜂を導入してもらい、果樹生産高を爆発させてもらわなければいけない。

そのためにはできればハチミツ 組合(コレギウム) とは仲良くしたい。

というわけでデキムスさんを脅してはいるものの、彼らの気を引くための準備は一応進めはいるのだ。

多分避暑中のどこかで避暑地の養蜂家と接触して交渉するのが良いだろう。

「……と、言う訳でデキムスさんはフランチャイジーの皆さんを通じてハチミツ 組合(コレギウム) に 秋波(しゅうは) を送り続けてもらえればと」

「わかった!送る、めっちゃ送っとく!だから頼むよ! 全面対決(戦争) だけは回避してね!?」

「なんとかなるよー。多分」

多分じゃなくて絶対本当に頼むよ!?と縋り付いてきそうになるデキムスさんを無視して、俺は 執務室(タブリヌム) から調香室へと移動する。

デキムスさんと話し込んで30分程くらいだと思うが、どうだろう?

「進捗どうですか?」

「できたわよ!嗅いでみなさい!」「私もできたよ!!」

部屋に戻るなり、二人は同時に小瓶を突き出してきた。

部屋中には、試行錯誤の後であろう、様々な香りが混ざり合った強烈な匂いが充満している。

「……とりあえず、 中庭(ペリステュルム) に行こうか」

むせかえるような香りから逃げるために、俺は二人に提案し、そのまま 中庭(ペリステュルム) に向かうことに。

さーて二人の調香の出来はどうかなーっと。

まずは先攻、ルシア!

「私の愛のように、甘くて情熱的にして見た!!!」

「……うっ」

それは、なんというか、くどいバラの匂いだった。

まずバラの香りが鼻を抜け、そのあとに甘くてスパイシーな香りが抜け、最後にさらに甘い香りが鼻孔をぶん殴ってくる。

バラの香りに、さらに甘い花の香りを親の仇のようにぶち込み、ただひたすらに『私は花です!!』と主張してくる強烈な匂い。

何だろう、セレクトショップとかで高級品面してすぐ退場していく、わざとらしいルームフレグランスの匂いみたいな感じ。

一応上流階級向けに質の良い素材で精油を作っているはずなので、完全に主張が強い香料同士をダメなバランスで盛り込んだ結果、大乱闘になった感じだ。

「ちょっとこれは……採用できないかな……いやゴメンこれは無理」

なんとかフォローの言葉を紡ごうかと思ったが、無理なものは無理。

無駄に商品開発に絡んでこないようにバッサリ行く方が情けだろう。

うん。ルシアに調香の才能はないってわかったのは収穫だな。うん。

「がーん!!」

一刀両断されたルシアは、ショックのあまり膝から崩れ落ちた。

「ふん、貴女なんかが高貴な香りがわかるわけないでしょう。どきなさい」

そんな様子に、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ルクレティアお嬢様が優雅に歩み寄ってきた。

後攻、ルクレティアお嬢様。

「嗅いでみなさい、ルシウス。これが、ローマの淑女を翻弄する香りよ」

自信満々なお嬢様だが、先攻が先攻だっただけに俺に一抹の不安がよぎる。

お嬢様もダメだった場合は、せっかく期待してた最高級クラスのラインナップの前倒しは 雲散霧消(うさんむしょう) してしまうのだ。

マジ頼みますよお嬢様。

そんな思いを胸に、慎重に鼻を近づける。

「――っ!」

瑞々しいシトロンを基調としつつ、それを包み込む爽やかな透明感あふれるジャスミンとローズの香り、そしてその裏でかすかに湧き上がってくるのは……月桂樹??

「お嬢様、これは……」

「私の香り!!ふふん、ルシウスの驚いた顔、久々に見たわ」

誇らしげに言うお嬢様。

それで俺は驚きで目を見開いていたことに気が付く。

「すごい……。これ、どうやって……?」

「最初はジャスミンとローズだけの組み合わせにしようとしたんだけどね、それだとなんかこう……刺激が足りなかったのよ。そこで石鹸を使ったルシアが初めて私の前を通り過ぎた時の衝撃を思い出してシトロンを追加してみたらぴったり!これを纏ってたら、高貴さと瑞々しさで二面性を感じないかしら?」

俺は深く頷いた。

凄いわこりゃ。

これが『教養』の差か。

幼い頃から、美しい庭園、洗練された食事で満たされ、研ぎ澄まされた貴族の令嬢の感性。

彼女の脳内に蓄積された記憶は、ルシアや俺とは比べ物にならないほど豊かだった訳だ。

「お嬢様、完璧です。これ、このまま商品化しましょう……いや、夏の新作にねじ込みますこれ」

「じゃあ私がルシウスの事業に絡むのは決定なのね!?」

「むしろぜひお願い致します!もう、高級化粧品や石鹸の香りは、すべてお嬢様プロデュースでいいと思います。宴にエッセンシャルオイルがご入用の際は俺にお命じなってください。すぐご用意いたします。これを皆様に披露すれば、ギリシア文学の引用なんて頭から吹き飛びますよ」

「そう!?当然ね!!!じゃあ早速この調合で石鹸を作って頂戴!出来次第、昼食会の前によく行ってる 公共浴場(テルマエ) に行って自慢してくるから!」

ルクレティアお嬢様の機嫌はもう有頂天。

顔も久々に見るどや顔のどやである。

その背後で、ルシアが「ぐぬぬ……」といった顔をしているが、今回ばかりは育ちの差が出た結果だ。

どうにもならない。

そんな二人の反応を見ながら、俺はお嬢様の命令に従い、化粧品工房への石鹸と化粧水の製造指示書を 蝋版(タブラ) に書き始めた。