軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

結婚しても夫婦事情はそれぞれです

夕方、定時で仕事を終えた私はすぐに寮へ行くことにした。

ユンさんが迎えに来てくれていて、メルージェと話すので遅くなるということは城内の伝令係にアレン宛の手紙を預けて伝えてある。

「久しぶりだわ、寮に戻るこの道も」

王女宮から歩いて10分程度。

5年半住んでいた寮は、大きな樫の木の裏側に入り口がある。

たった数か月、アレンと一緒に王都の邸に住んでいただけなのに、もうこの寮が懐かしく感じてしまった。

私とメルージェの部屋は、それぞれの小さな個室と寝室が一つ。寝室は、ベッドが2つ並べてあるだけの狭い空間だ。

キッチンもあるけれど、基本的にはお湯を沸かすかパンなどを保管するだけにしか使わない。食事は1階の食堂があり、月額を支払えばあとはメニューの札を受付に出せばその都度の会計はいらない。

売店は、小さな箱にお金を入れる仕組みになっていて、私たちはよくそこで安いゆでたまごや煮豆を買って、貧乏暮らしの貴重な栄養源にしていた。

通りかかると、メルージェが好きなドライフルーツの木苺が目に入る。

木苺とレモンピールを買うと、古い石の階段を上って3階へと上がっていった。

――コンコン。

ノックすると、すぐにメルージェが返事をした。

来訪を告げると、扉が開いて蒼い髪を一つに結んだ私服のメルージェが顔を出す。

「いらっしゃい。どうしたの?もしかして心配してきてくれた?」

「そうね、顔が見たいくらいには心配しているわ」

「もう、心配性ね。明日職場で会えるのに。どうぞ、入って」

「ありがとう」

メルージェに促され、私とユンさんは部屋に足を踏み入れる。

リビングには小さなテーブルがあり、椅子が2脚だけ。ユンさんは「護衛ですから」と言い、扉付近で立ったまま空気に徹する。

私たちは向かい合って座り、木苺とレモンピールのドライフルーツを広げた。メルージェはちょうどお茶を淹れるタイミングだったと笑い、温かい紅茶を出してくれた。

「懐かしい。この味」

「ふふっ、二級品の茶葉をブレンドしたお茶なんて、将軍のお邸では出ないわよね~。でもこの安い味がいいっていうか、ないとそれはそれで淋しいのよね」

「うん、それはそう」

家令のヘルトさんやユンさんが淹れてくれるお茶は、もちろんおいしい。

でも私とメルージェは、試行錯誤してどうにかおいしくしようとしたこの二級品のブレンド茶葉が気に入っていた。

「口の中に残る独特の苦みがいいのよね」

「うん。これに辿り着いたメルージェはすごいわ」

「お褒めいただき光栄ですわ、将軍夫人」

「ええ、とてもおいしくってよ~」

「ソアリスったら、その奥様口調は誰がモデルなのよ」

どうやら、白々しかったらしい。優雅なマダムを気取ってみたのに、ちょっと違うのかもしれない。

二人でクスクス笑い合うと、以前みたいにここで暮らしているみたいに錯覚する。

ドライフルーツの旬の種類だとか、食器の茶渋を取らないといけないとか、貧乏が抜けきらない私たちはそんな取り留めもない話ばかりを続けた。

そんな話をしに来たわけじゃないけれど、こういう雰囲気の方が私たちにはいい。解決の道がないことに頭を悩ませるよりも、どうでもいい話をして笑っていたかった。

ひとしきり話した後、メルージェは視線を落として静かに言った。

「また、この部屋に住もうと思うの」

離婚はできなくても、別居は選択できる。メルージェは気持ちが落ち着くまで、また寮暮らしをすると決めたようだ。

「それなら、またこのお茶が飲めるわね」

私はポットからおかわりを注ぎ、味わうようにそれをいただく。

メルージェは呆れたように笑って、顔をちょっとだけ顰めた。

「こんなものを飲みに来る気?将軍の妻がバカ舌だって噂になったらどうするのよ?」

「バカ舌って」

そんなことまで噂になるんだろうか。

ちょっと嫌かも知れないが、これが一番おいしく感じるんだからもう噂じゃなくて真実そうなのかも……。

「心配しなくてもいいのよ、私は一人でも淋しくないわ。ほとんど毎日職場で会えるんだし」

「そうだけれど」

顔を見に来るくらいいいじゃないの、と拗ねる私を見てメルージェは微笑む。

「でも、そうね。たまに来てくれるとうれしいわ」

「うん。来ます」

「じゃ、3日に1度ね」

「多いわ!」

「今度の差し入れは、王都のスイーツパーラーで人気のアップルシュガーパイにしてちょうだい。ブルーベリーと木苺のジャムを追加トッピングで、リンゴバターも添えてね」

「要望も多い!」

あはははと陽気に笑ったメルージェは、かわいらしく小首を傾げた。

「お願いね?かわいい後輩のソアリスちゃん。傷ついた私に、甘くておいしいパイを差し入れて?」

「もう、仕方ないなぁ」

こうなったら、本当に差し入れを持って来よう。

多いと突っ込まれるくらい、2人では食べきれないくらいのパイを持って。

しばらく黙ってお茶を飲んでいると、メルージェがテーブルに片肘をつき、手の甲に顎を乗せて大きくため息をついた。

「ほかにも女がいるっぽいのよねぇ、ダグラスのやつ。本当にバカ。ロクでなし。最低」

「許せない。私はダグラス様の何でもないけれど、すごく腹が立つわ」

「変な女に手を出してなきゃいいけれど」

それが一番怖い。

身分あるお嬢さんや上官や同僚に繋がりのある女性に手を出していたら、とんでもない事態に発展することだってあると思う。

メルージェは被害者であり何の罪もないけれど、夫婦である以上、ダグラス様の浮気の代償が彼女の方へ飛んでこないとは言い切れず……。

「あーあ、私もソアリスみたいに離婚申立書をダグラスの目ん玉にねじ込みたかったわ~」

「ねじ込んだことなんてないわよ」

「爪を研いで尖らせて、おもいきり引っ掻いてやりたい」

「痛そう……」

仕返ししてもどうにもならないし、場合によっては妻の方が不利になるのが貴族と平民の結婚だ。これはどうにもつらいところである。

様々な仕返しを口にしては嘆くメルージェ。

それに相槌を打つ私。ときおり、具体的な方法を提案してくれるユンさん。

終わりの見えない話は、小一時間ほど続いた。

茜色だった空は次第に紫になり、そろそろ邸へ戻った方がいい時間になる。

「ねぇ、アルノーどうしてた?」

メルージェが、ふと思い出したように尋ねた。

「頬が腫れてた。もう治りかけていたけれど、最弱なのに自分から掴みかかったって聞いてびっくりしたわ」

喧嘩なんてしたことがない、そんなアルノーが掴みかかるなんて。よほど腹に据えかねたんだろうな。

「アルノーって昔からそうなの。私とダグラスが喧嘩したときも、間に入って二人の話を聞いてくれて……。アルノーは自分の友人を紹介したみたいな感じだから、もしかしたら責任を感じちゃったのかもしれないわ。だからあんなに怒って」

メルージェは、アルノーが自分に恋愛感情を抱いていることにまったく気づいていない。

これはアルノーが感情を隠すのがうますぎるからなんだけれど、ダグラス様があんな人だったんだから、私としてはアルノーに目を向けて欲しい。

でもまだ離婚していないから、時期尚早かとぐっと堪えて話を続ける。

「アルノーは、そんなお金にならないことで責任を感じたりしないわよ」

「それもそうね。ダグラスが『おまえもメルージェを狙っていたんだろう』とか『女の一人や二人、作れない優男が』とか言うから、さすがにアルノーもイラッときたのかも」

「ダグラス様、酷いわね」

「そうなの。まさかあんなに傲慢な部分があったなんて思わなかった。私だけじゃなくて、アルノーのこともほかの騎士のことも見下していて、自分だけががんばっていて偉いって思っているみたいだったわ。自分なりにがんばるのは当たり前なのに、何言ってるのかしらこの人はって途中からしらけちゃった」

しっかり者のメルージェからすると、ダグラス様の言い分は呆れるものばかりだったという。

「いい思い出もあるからタチが悪いのよね。また戻れるんじゃないかって、無意識に思っちゃう。こんなにも、自分が往生際が悪いって知らなかったわ」

「メルージェ……」

「ま、時間が解決してくれることもあると思うの。しばらくは距離を置いて、心が穏やかになるまで寮にいるわ。離婚するとしても、話し合いは気持ちが落ち着いてからね」

私にしてあげられることは、本当に何もない?

思いつかないまま時間だけが過ぎる。

「大丈夫、そんな顔しないで?ソアリスは今幸せなんだから、自分のこれからを考えなさい。将軍と存分にイチャイチャして、『もう仕事なんて辞める!この人との愛に生きるわ』とか言ってよ、おもしろいから」

「おもしろがられても」

顔を顰めると、ユンさんが満面の笑みでメルージェに言った。

「お二人は十分にイチャイチャしておられますよ?アレン様がやや押し気味ですが、ソアリス様にはこれから巻き返してもらいたいと私は思っております」

「巻き返すって何!?」

「やだ、ちょっとその話もっと詳しく聞きたいわ!ソアリスったら全然そういう話してくれないの!」

慰めに来たのに、なぜか私とアレンの新婚生活の話になってしまった。

結局この日は一緒に夕食までをとり、門が閉まるギリギリになってからようやく私は馬車で邸へ戻るのだった。