軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ようやく話し合いとなりました、が

離婚申立書。

今となっては破られて跡形もなくなったそれは、予想外のタイミングで彼の目に触れることになってしまった。

馬車の中。

アレンディオ様と私、そして騎士服を着たユンさんが同乗している。

ユンさんはもともと騎士で、私の護衛を兼ねて侍女をしていたと聞かされた。どうりで身のこなしが軽いと思っていたら、武門の家系のエリート騎士だった。そんな人に侍女をさせていたなんて、と思うけれども今はそれどころじゃない。

「説明、してもらってもいいだろうか……?」

私が離婚申立書を用意していたと知ったアレンディオ様は、長い間放心状態に陥っていた。

そこにユンさんが現れて、私たちを馬車まで連れて行ってくれたのだ。

『アレン様が壊れて奥様に襲いかかったら大変ですから、私も同席させていただきます』

ユンさんは気まずい空気の中、私たちの仲裁役としてここに居てくれている。

アレンディオ様はようやく意識が回復したみたいで、正面に座る私をまっすぐに見て説明を求めた。

私は本心を包み隠さず、彼に伝えようとする。

「離婚申立書は、アレンが戻ってくると聞いたときに私が自分の意志で用意しました。あのとき私は、10年間ずっとあなたに嫌われていると思っていましたから」

「そういえば、そうだったな」

10年前のそっけないアレンディオ様。まだ子どもだった私は彼の態度に傷つき、心の距離を置こうとした。

「私たちは、お金と家柄を引き換えにすることで成り立っていた契約婚です。家同士の取引だった結婚は、10年の間にすっかり形を変えました。ヒースラン伯爵家は再興し、リンドル子爵家は没落。英雄と称えられる将軍になって戻ってきたあなたには、もう私と結婚している理由なんてないと思いました。命を賭して戦ったあなたには、私との離婚がご褒美だと思ったんです」

遅かれ早かれ、彼から離婚を切り出されるとも思っていた。それなのに……。

「まさかあなたが私との再会をあれほど喜ぶなんて、考えてもみませんでした。私は驚いて、混乱して、何が起こっているのかわからずに……離婚申立書を渡す機会を失いました」

アレンディオ様は何も言わなかった。ただじっと、私の話に耳を傾けていた。

「あなたが私を好きだと言ってくれて、改めて求婚されてうれしかったのは本当です。けれどやっぱり、私に将軍の妻は務まらないという恐怖心が強くなって……。私は何の役にも立たなくて、しかもこれからもリンドル家がらみで迷惑をかけるんじゃないかって、そう不安になったんです」

ここで私が泣くのは違うと思ったから、必死で涙を堪える。

アレンディオ様は悲しげに目を伏せ、やはり何も言わなかった。

馬車はどんどん邸へ近づいて行き、窓から見える空は茜色に染まっていた。

「少し、時間をくれないか」

もうお邸に到着するという頃になり、ずっと黙っていたアレンディオ様がそんな風に許しを乞う。

胸がずきりと痛み、でもそれに気づきたくなくて、私は無理やり笑みを作って「はい」とだけ答えた。

しばしの沈黙の後、アレンディオ様は躊躇いがちに尋ねる。

「離婚申立書を渡せば、俺がおとなしくサインすると思ったのか?」

意外な言葉に、私は少しだけ首を傾げる。

「アレンは、優しいですから……」

サインしてくれると思っていた。目を瞬かせる私を見て気持ちを察した彼は、苦しげに目を細めた。

「俺がサインしたくないと言って譲らなければ、どうするつもりだったんだ」

「それは……」

「まさか他に好きな男がいるのか?そいつと結婚の約束をして……」

「そんな人はいません!私は、決してそんなつもりで離婚申立書を用意したわけでは」

アレンディオ様は、「そうか」と呟く。安堵した様子で息をつくその様子に、私は胸がぎゅっと締め付けられるような気がした。

最後の方に「危うく相手を斬りに行くところだった」と聞こえたのは気のせいだと思いたい。

ハラハラしていると、アレンディオ様が姿勢を正してこう尋ねた。

「最後に一つだけ。ソアリスは、俺と離婚したい?」

まっすぐに向けられた蒼い瞳。

責められているわけではない。ただ、率直な気持ちを求めるアレンディオ様。

けれど私はいろんな事が頭の中をぐるぐると巡り、言葉に詰まってしまった。

アレンディオ様のことは大事だ。きっと私はこの人のことを……。

でも、迷惑をかけたくない。彼の足枷になりたくない。

どうしたらいいのか、わからない。

それに「将軍の妻」なんてやっぱり私には荷が重い……。

私は下を向いたまま答えた。

「わかりません」

「…………」

その後、私たちが目を合わせることはなかった。こんなに重苦しい雰囲気は初めてだ。

邸に着くと、彼は黙って馬車を降りて行く。

私は俯き、膝の上でぎゅっと握った手をただ見つめていた。

「奥様、どうぞ」

ユンさんが先に下り、私に向かって手を差し伸べてくれる。

立ち上がるのも億劫だったけれど、下りないわけにいかず。私は「ありがとう」と言ってその手を取り、ゆっくりと馬車を降りた。

「…………どうして気づかなかったのかしら。ユンさんの手は、こんなにも騎士の手なのに」

「光栄です」

柔らかく細い手ではあるけれど、指先の皮や柄に触れる部分はとても硬かった。私とは全然違う、騎士の手だ。

「奥様、身体が冷えています。湯の準備をいたしますね」

騎士姿のユンさんが湯の準備だなんて。

その気遣いに感謝して、必死で笑顔を作る。

「まったく、アレン様にも困ったものですね」

もうアレンディオ様の姿は見えない。

今までに一度だって、こんな風に一人で行ってしまうことはなかった。これを淋しいと思う資格は、私にはないのに。

「……嫌われちゃったかしら」

呆れられても仕方のないことをした。

私は、自分の気持ちを口に出すのが怖くて逃げたんだから。

ただ一言、「そばにいたい」と言えばよかったのに。

一方的に守られる関係が怖くて、物分かりがいいふりをして、アレンディオ様に決断を任せてしまった。

「この10年で大人になったつもりだったのに、私ったら成長していなかったみたい」

でもユンさんはにっこり笑って励ましてくれた。

「大丈夫ですよ。アレン様が奥様を嫌うだなんて、ありえません」

彼を傷つけてしまった。

これほどまでによくしてもらって誠実に愛情を注いでくれたのに、その優しさを裏切ってしまった。

本当はわかっている。

自信がないとか不安だとか、そういうのは全部言い訳で。「それでも君がいい」って、言って欲しいだけ。

自覚すると猛烈に恥ずかしくなってきた。

「私ったら、とんだワガママ女!もう生きていけない!この世から消え去ってしまわないと!!」

「奥様!?落ち着いてください!」

発狂ともとれる叫び声を上げ、その場にしゃがみ込んだ私を見て、ユンさんが慌てて背中を撫でてくれる。

「ワガママでいいのです。奥様は十分に我慢なさってきたのですから。ニーナさんもエリオットさんも、しっかり者のお姉様のおかげで路頭に迷わずに済んだとおっしゃっていました。自分たちがこうして仲良く暮らしていられるのは、全部お姉様のおかげだと」

「2人がそんなことを?」

ユンさんは静かに頷く。

「それに奥様のワガママなんて、かわいいものです。私なんて、婚約者を追いかけて戦場まで行ったんですよ?」

戦場まで!?

唖然とする私を見て、ユンさんは笑みを深めた。

「婚約者から、結婚はやめようっていう手紙を受け取ったんです。『いつ帰れるかわからないから』って。私は腹が立って腹が立って、顔を見て文句を言わなきゃ気が済まないって思いました。それで騎士に志願し、戦場へ乗り込んで大喧嘩してやりましたよ」

「えええ!?」

武門の家のお嬢さんとはいえ、女性騎士はかなりめずらしい。王宮勤めではなく戦場へ行くなんて、凄まじい気概に驚いてしまう。

「それで、どうなったんですか?」

「ふふふ、今もまだ冷戦中です。彼ったら『一度決めたことを覆せない』とか『君にはほかにいい人がいるはずだ』とか言って、逃げてばかりいるんですよ。本当の戦争は終わったのに、私たちの勝負はまだついていません」

こんな美人に追っかけられて、ものすごく幸せな人だと思うんだけれど……。

「ね?私の方がワガママでしょう?自分のことを思いやって婚約解消を申し出てくれた彼の気持ちを全部無視して、戦場で隣に立ったのですから。『守られているだけの女と思うな!あなたが我を通すなら、私も好きにさせてもらう!』って宣言したときの、彼の引き攣った顔は本当に 見物(みもの) でした」

すごい情熱だわ……!

唖然とする私の前で、ユンさんは面白くて堪らないという風に明るく笑い飛ばした。

「ワガママを言わないと、鬱憤が溜まります。奥様は奥様のお気持ちを、アレン様に伝えていいのです。それが間違っていたら謝って、2人で新しい道を探せばいいのです。アレン様はきっと、今は反省しておいでですよ」

「反省?」

それは私がするべきものなのでは。

目を瞬く私。どう考えても反省するべきは私だ。

「奥様がそれほどまでに悩んでおられるのに、自分は奥様と一緒にいられる喜びで浮かれていたのですから。仕事なんてルード様に押しつけておけばよかったのですよ!まだ戻ってきてひと月なのに、ご自分の気持ちを奥様に押し付けるからこんなことになったのです。狙った獲物は、じわじわと時間をかけて追い詰めなくては逃げられるのは当然でしょう」

「あの、獲物っていうのはこの場合私のこと?」

「女はワガママな方がいいのです。あまりに易々と手にはいっては、今後の力関係に影響が出ますよ?アレン様なんてどうせすぐ復活してきますから、せいぜい振り回して、これからしっかり幸せにしてもらいましょうね!」

「ユンさんったら」

思わずクスリと笑ってしまった。

「でも私、アレンを傷つけてしまった。あの人が帰って来てから全然だめで、冷静じゃいられなくて……。アレンを大事に想っているのに、近づいてみたくなったり逃げたくなったり、自分が自分じゃないみたいでおかしいの」

泣き言を繰り返す私に、ユンさんは何でもないことのように明るく笑った。

「恋をすると人は皆おかしくなるのですよ!アレン様なんて規則も常識も何もかもすっ飛ばして、王女宮へ乗り込んで奥様を攫ったではありませんか。恋はそういうものなのです」

「こ、恋……?」

そう定義づけられると急に羞恥心がこみ上げてくる。

私は多分アレンを好きなんだろうけれど、これが恋!?恋ってもっと楽しくてふわふわしたものじゃないの?こんなに苦しいなんて、聞いていないわ。

「離婚申立書くらい、何でもありませんよ。私、アレン様にはずっと並々ならぬシンパシーを感じていたんです。あの方も私に匹敵するくらい、しつこくて粘着質な愛情を持っている人に違いありません」

すごい言われようだ。

優しいと、しつこくて粘着質は違うと思うんだけれど……なぜかユンさんの言葉には説得力がある。

「だから、絶対に奥様を嫌いになんてなりませんよ。大丈夫、すぐにまた追いかけてきます!」

そう言うと、彼女は満面の笑みで私の手を引いた。

「さぁ、お部屋に参りましょう。ニーナ様とエリオット様も心配しておいでですよ?無事な姿を見せて、安心させてあげてください」

すっかり日が暮れた空。ランプの灯りが、張り詰めた気持ちを和らげてくれる。

ヘルトさんや使用人たちに迎えられた私は、ようやく長い一日を終えることができたのだった。