軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

17.優雅なる断罪

side ライラ

「助けてくれ、ライラ」

支払期日の前日、父が私に頭を下げてきた。

結局のところ、邸まで売ろうとしたらしいけれど、そんなものがそう簡単に売れるはずがない。たとえ叩き売り同然の値で手放せたとしても、支払いは五百万だけで終わるわけではなく、これから先もずっと続いていくのに、浅はかだわ。

期日を守れなかったときに課される罰則は、それ相応に重い。商会もあんな状態になった今、父は、早々に諦めて、私に頼る道を選んだ。

なぜ、頭を下げただけで助けてもらえると、考えたのかしら?

ふふ、それすらも予想通りだけど。

「条件をいくつか聞いていただけます? お父様」

「……条件、だと?」

「ええ。助けてほしいのでしょう?」

微笑みを、崩さない。

「でしたら対価の話をしなければ、始まりませんもの」

「……あ、ああ。もちろんだ。条件があるのは当然だ。お前ももう子どもではないしな」

必死に取り繕う声。父はまだ気づいていない。

この部屋で、この席で、もう立場が完全に逆転していることに。

私は、あらかじめ用意しておいた書類を机の上に並べた。

父の視線が、紙の束と、私の顔を行き来する。

「……これは?」

「支援の条件ですわ」

淡々と答えると、父はごくりと喉を鳴らした。

「第一に。今回の債務――五百万リーヴル、ならびに違約金、罰則金を含めた全額を、私の個人資産で肩代わりします」

「……ほ、本当か……!?」

縋るように身を乗り出す父。その顔に、ほんの一瞬だけ、希望の色が灯った。まだですわよ。

「ええ。その代わり」

私は、指先で書類を軽く叩く。

「今後、家の財政、商会の経営、対外的な契約。それら一切に、お父様は関与しないこと」

「……つまり?」

「爵位と商会を、正式に私へ譲渡していただきます」

空気が凍りついた。

「ば、馬鹿な……! それでは私は――」

「第二に」

私は父の言葉を遮る。

「継母とリリス、ダリオを含む皆様と一緒に、邸を退去なさること。居住地については、私が指定いたします」

「な……何を勝手な……!」

「第三に」

まだ、終わらない。

「私の望みを一つ叶えること。これに反しなければ、支援金は“貸付”ではなく“贈与”として扱い、返還請求はいたしません。これからの生活資金も少しであれば支援いたしますわ」

父は、書類に目を落としたまま、言葉を失っている。

「……お父様。よく考えてくださいませ」

私は、柔らかく微笑んだ。

「この条件を飲めば、牢に入ることもなく、命と体裁は守られます。飲まなければ、終わりですわね」

王都商業監査院。

不正会計。

背任。

爵位停止。

声に出さなくても、父には十分すぎるほど伝わったようだった。どの道、私に譲渡しなくても、奪われるものだと。

「……娘、なのに……」

父が、かすれた声で呟く。ふふ、笑わせる。

「娘? 血を分けた者としての情けならこれで十分すぎるほど、そう思いません?」

私は、にこりと微笑む。

長い沈黙。

父の肩が、がくりと落ちた。

「……わかった……第三のおまえの望み、とは何だ」

絞り出すような声。

「しばらくは、継母とリリス、ダリオには言わないでほしいのです。そうですね、全てが揃うまで。準備ができましたら、お知らせしますのでその時には、お父様から三人にお話しくださって構いませんわ」

「私たちは……助かるのだな?」

「ええ。約束は守りますわ」

――少なくとも、命だけは、助かりますわよ。

*****

父が震える手で署名する。

ペン先が掠れ、わずかに紙が擦れる音が室内に響いた。

──爵位と商会を正式にライラ・ナイトレイに譲渡する──

たった一行の宣言文。

「これで、手続きは終わりですわね。さ、日が暮れないうちに出発してくださいませ」

私は背筋を正したまま、努めて淡々とした声で言う。

机の向こう、父の隣には、蒼白な顔の継母とリリス、そして無言で俯くダリオが並んでいた。

「やはり……今日、出発しないといけないのか? その……家族として、もう一度……やり直す時間を――」

震える父の声。だが、私にはもう響かない。

「まあ、お父様。約束したじゃないですか」

にこり、と微笑む。

──“やり直す”ですって? 笑わせてくれる。

「ひ、ひどいわ……お姉様!」

リリスが声を荒げる。

「お姉様が爵位を継ぐからって、私たちには自力で暮らすか、あるいは領地でお姉様の“支援”を受けて生きるかの二択しか与えないなんて、あんまりよ!」

あら、それ以外に何か選択肢があったのかしら?

「お父様が支払うべき多額の賠償金、私がすべて個人資産から全て払いましたのよ。牢に入らずに済んだだけでも、感謝するべき立場ではありませんの?」

私は声を荒げない。冷たく、事実だけを告げる。

「家族のためにお金を出すなんて、当然よ! なのに爵位を奪って、さらに私とダリオ様を自主退学させてまで、すぐに追い出すなんて……!」

リリスは涙ながらに訴える。けれど私はただ、静かに瞬きした。

「そうなのね。これまで“家族”らしいことをしてもらった記憶がないから、“当然”というその考えが、私にはなかったわ」

父のお金で生きてきたという感覚もないわ。私のお金を懐に入れていたのですもの。身につけているドレスもアクセサリーも結局自分で買ったのと同じよ。

一瞬の静寂。

そのとき、俯いていたダリオが顔を上げた。

「ライラ、私が間違っていた。これからは、君を大事にする。だから、君と一緒に……」

本気で私が、あなたを奪われたくないと思っていた、そうまだ信じているのかしら? 私は薄く笑った。

「困りましたわね、ダリオ。あなたのご実家との商会取引継続は、“リリスとの婚姻”を条件にしてあげましたのよ。あなたたちが、あんなに望むから。ふふ、既にあなたのご実家とも話はついておりますわ」

爵位を持たない貴族の末弟と、爵位を持たぬ令嬢──これから、平民として生きるふたり。お似合いよ。

「そ、そんな……!」

「ダリオ様、ひどい! 裏切るのですか!」

「うるさい! 私は、貴族でいたいんだ」

ああ、なんて醜い。これが“愛”の本性なのね。

私が黙って視線を落とすと、使用人がそっとドアを開いた。

「あの……まだ出発なさらないのですか? ローダラン村は、遠うございますが」

そうね、日が暮れる前に──この家から、“家族”には出ていってもらわなくては。

「「「ローダラン村?」」」

──あら?

父以外の誰もが口をそろえて聞き返すとは、なんて滑稽。

「あ、あなた。ローダラン村って……どういうことですの?」

継母が、頬を引きつらせて父を睨みつける。

「お父様。私たちが向かうのは領地の中心街、ヴァレルヌではないのですか?」

父は、まるで処刑台の上にいる罪人のように、首を垂れたまま顔を上げない。

「ローダラン村ですわよ? 領地の外れにある、自然に囲まれた静かな村。空気は清らかで、人も少ない。きっと癒やされると思いますわ」

父は、リリスたちに、言っていなかったのね。どうせばれるのに。

「いやよ、そんな田舎!」

でしょうね。

「心を洗うのに、ぴったりの場所ですわ。あなた方には必要でしょう?」

父が、継母とリリスから矢のような非難を浴びている。ダリオは、もう魂の抜け殻のよう。視線は虚空をさまよい、もはや一言も発しない。

ああ、騒がしい。うんざり。

もう飽き飽きしているのに、まだ続くのかしら?

「ねえ、そろそろ終わらせていただけますか?」

立ち上がり、わざとらしく手を打つ。

「あっ、そうだわ。あなた方が“思わず黙り込む”ようなお話を一つ差し上げましょうか?」

空気がピンと張り詰めた。皆が私に注目する。期待の眼差しで。

──でも、そんな甘い話じゃないのよ。

「実は私、卒業後、爵位も婚約者も、リリスに譲りますって書き置きを残して、駆け落ちする予定でしたの」

「か、駆け落ち……?」

リリスが泣き濡れた顔を上げる。驚愕と混乱の色をにじませながら。

「ええ。家族に縛られる未来よりも、愛する人と自由に生きる方が幸せですもの。リリス、あなたに全部譲って……私はただ、消えるつもりだったわ」

そう、黙っていたら――“すべて”リリスのものだったのよ。あなたが背負いきれない義務も責任もだけど。

「つ、つまり……何もせずにいたら……私の……?」

「ええ。あなたが、下手な小細工をせず黙って、待っていたらそうなっていたのよ。だって、リリスに寄り添い、愛をささやく夫など必要ありませんし、爵位を継いで一生あなたたちのために働くのは、まっぴらでしたもの」

リリスは、崩れ落ちた。その場に膝をつき、嗚咽を上げる。

父は唖然としたまま、継母は愕然、ダリオは口を手で押さえ、何も言えない。

私の勝利──というより、彼らの敗北。

「ふふ……“心優しい妹は、愛する人と結ばれ、家族に囲まれながら幸せに暮らしました。一方、意地悪な姉は、寂しくひとりぼっち。妹は、そんな姉を憐れに思い、子爵家の次男との縁談を取り持ってあげました” そんな結末で、どうかしら?」

「……子爵家次男? 駆け落ちって、まさか……!!」

父たちが驚きの表情で、部屋の隅に控えるオスカーに視線を向ける。

オスカーは、静かに微笑んで一礼した。

「さ、お父様たちを皆でお見送りして」

私がそう言うと、使用人たちが粛々と彼らの荷を運び、扉を開けた。

父も、継母も、リリスも、ダリオも、もはや抵抗しない。導かれるように、ただ無言で立ち上がった。