軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1.令嬢たちは“悪役”に微笑む

「フェリ、本当にすごいわ。王太子妃教育が卒業の三ヶ月も前に終わるなんて」

午後のやわらかな陽差しが、高窓から差し込み、窓辺のレースのカーテンを淡く透かしていた。白い布越しの光は、サロン全体を包み込み、磨き上げられた床やティーカップの縁に、ほのかな輝きを落としている。

「ふふ、ヴィアありがとう。これでようやく残りの学園生活、あなたたちとゆっくり過ごせそうよ」

口にした途端、不思議と胸の奥に実感が満ちてくる。

長く続いた王太子妃教育――規律と緊張に満ちた日々が終わり、ようやく、静かで穏やかな時間が戻ってきたのだと、そう思えた。

「ライラも私も、あなたがいないと退屈なのよ」

「まあ、嬉しい。でも、学園には退屈なんて無縁でしょう? 話題には事欠かないもの」

冗談めかして応じると、ヴィアの微笑みが、ほんの一瞬だけ翳った。いつもなら見逃してしまいそうな、けれど確かに揺れたその表情に、私は小さく首を傾げる。

「私がいないときに、何か楽しい噂でもあったのかしら?」

問いかけると、ヴィアはカップに視線を落とし、わずかに間を置いてから、静かに口を開いた。

「……ひとつ、あるわ。だけど楽しいというより、腹立たしい話よ」

「腹立たしい話なんて、ふふ、楽しそうね」

思わずそう言うと、ヴィアは呆れたように肩をすくめ、苦笑を浮かべた。

「もう、フェリったら。驚かないで聞いてちょうだい。実はね、私たち――“悪役令嬢”と呼ばれているらしいの」

……悪役令嬢?

「劇の配役か何かかしら?」

「いいえ。現実の話。最近流行っている小説に出てくる、ヒロインをいじめる高慢で意地悪な令嬢……どうやら、私たちはその“役どころ”らしいわ」

「まあ!」

私はティーカップをソーサーにそっと戻しながら、思わず笑みを浮かべていた。

「詳しい話は……ちょうど来たわ。ライラが知っているはず」

その言葉に応えるかのように、サロンの扉が音もなく開く。端正な所作で一礼しながら、ライラが足を踏み入れた。

「フェリシア様、オリヴィア様。……遅れてしまい、申し訳ありませんわ。でも代わりに、面白い話を持って参りましたの」

ほらね、という表情を向けてくるヴィアに、私は思わず微笑み返す。

「その面白い話って、私たちが“悪役令嬢”と呼ばれてる件かしら?」

「あら? あらら? ……残念ですわ。お二人ともご存じでしたの?」

紅茶を一口含むと、温かな香りが広がり、自然と気持ちも穏やかになる。

「私だけ、知らなかったみたい。ライラは“悪役令嬢”に詳しいのね?」

ライラの口元には、どこか愉しげな微笑が浮かんでいた。

「ええ。最近流行っている小説に必ず登場するのです。“ヒロインをいじめる高位貴族の意地悪な令嬢”が。読者から見た典型的な“悪役”として、読者の怒りを引き出すのです」

「それが、私たち?」

問いかけると、ライラは迷いなく頷いた。その動きには、確かな確信がこもっている。

「ええ、どうやらそういう風に語られているらしいですわ」

噂はいつだって真実よりも早く広まり、人の印象に根を張るもの。少し……厄介ね。

ヴィアは、ふと視線を遠くへ向け、思い出したように言った。

「私は……心当たりがあるの。あの男爵令嬢。私の婚約者にやたらと距離が近い、あの子が“ヒロイン”だとしたら、私が彼女の“悪役令嬢”だわ」

その言葉に、ライラが小さく笑みをこぼす。

「オリヴィア様、まったくもって仰るとおりだと思います。貴族の庶子と明かされ、突如“貴族の生活”を手に入れた市井育ちの令嬢――。健気にも学園で懸命に努力を重ね、そのひたむきな姿に、気づけば令息たちが心を奪われる。けれど、運命は残酷。彼女を疎むのは、そう……婚約者の高位令嬢。嫉妬と矜持が交錯し、いじめという名の“試練”が始まるのです。しかしやがて、婚約者の令息は気づくのですわ。誰が本当に愛すべき相手だったのかを。そして、婚約は破棄され、彼と“真実の恋”に落ちた彼女が、ようやく幸福を掴む……――まぁ、そんな筋書きの小説、いくつも読んだことがありますもの」

まるで舞台劇の語り部のような口調に、芝居がかった愉快さが滲んでいる。

「不本意だけど、たぶん、そうね。はぁ……婚約者に愛想を尽かしてるのはこちらなのに」

ヴィアの声には、皮肉と、ほんの少しの疲労が混じっていた。

「婚約者のいる令息と仲良くする令嬢がヒロイン? 少し不思議なお話ね」

それは、不貞ではないのかしら。困るのは、そのヒロインと令息たちでしょうに。

「ふふ、物語とはそういうものですの、フェリシア様」

ライラは達観したように微笑んだ。

「ライラ、そういうあなたの“役どころ”は?」

「私ですか? そうですね……典型的な“意地悪な姉”。貧しく不幸なヒロインが、実の父である侯爵に引き取られ侯爵令嬢となる。そこには前妻の娘の姉が。その妹を疎ましく思い、いじめる姉。その所業は、家族や姉の婚約者に知られることとなり、やがて姉は破滅して修道院へ――健気なヒロインは姉の婚約者と幸せに、で、幕が閉じますの」

……また、婚約者と?

「意地悪されているのは、あなたの方じゃない」

「ええ、オリヴィア様、その通りです。もっとも、意地悪というより、ただの“厄介ごと”だと、流しておりますが」

ライラはそう言いながら、ほんのわずかに肩を落とした。

「私のことはご存じ?」

私は、ふと興味を覚えた。

――私という“悪役令嬢”は、どんな役を与えられているのかしら。

「ええ、フェリシア様。最近、“精霊姫”が選ばれましたでしょう?」

「ええ。貴族のことなど何も知らない平民の方ね。精霊姫は、国の繁栄をもたらす存在。国王様の命を受け、王太子であるルキウス様がお世話をしているわ」

養子先の貴族が見つかるまでの保護として、王宮で暮らしている――そう聞いている。

「それですわ。王太子との恋……王道中の王道です」

「平民と王太子なのに?」

素直な疑問を口にすると、ライラはすぐに頷いた。

「だからこそ、なのですわ。純粋な平民が、逆境を乗り越え努力を重ねる。しかし、それを面白く思わない王太子の婚約者に妨害される。そしてやがて、王太子妃になるはずだった婚約者は“悪事”が暴かれ、国外追放。王太子は初めて恋を知り、二人は困難を乗り越え結婚する――まさに、シンデレラストーリー」

「まぁ! 面白い話ですこと。あの厳しい王太子妃教育を平民がどう乗り越えたか興味がありますわ。ライラ、小説を持っていたら、あとで貸してくれる?」

「ええ、喜んで!!」

私ですら、何年もかかったのに――本当に、すごいわ。

「もう、フェリったら、そんな場合じゃないわよ? その悪役令嬢が私たちってことよ。あなた、王太子妃になるのに、皆の心証が悪いままだったらどうするの! 学院の者たちは小説の中の悪役令嬢に私たちを重ね合わせて楽しんでいるのよ」

ふふ。皆さん、ずいぶんとお暇なのね。

それに――ルキウス様が、ご自分の立場を忘れて恋に溺れるなんて、あり得ませんのに。

さて、どういたしましょう?

私はティーカップをそっと置き、三人の視線を受けながら、いたずらっぽく微笑んだ。

「皆がそれを望んでいるのならば――いっそのこと、私たちは、その期待に応えてみるのはどうかしら?」