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チートなし転生の遺族対応係、戦死者名簿を直しただけで王国軍が沈黙しました

作者: える・あーる

本文

死んだ兵の名前など、式典では誰も聞いていない。

死んだあとの窓口で、神様は目の下にくまを作っていた。

「水野晴人さん、四十三歳。前職は市役所職員。福祉課、住民課、防災危機管理課、また福祉課。最終配属は、災害弔慰金および遺族年金相談窓口……」

星柄のマントを肩からずり落とした青年が、書類をめくる。

机の上には、紙の山。

横には、湯気の消えた茶。

背後の棚には、なぜか「チートスキル在庫一覧」と書かれたファイルが並んでいた。

「あの」

「はい」

「神様ですか」

「転生管理局、凡人枠担当のツクヨです」

青年は胸を張った。

帽子がずれた。

私は少しだけ安心した。神様にも、身だしなみを整える余裕がないことはあるらしい。

「ええと。私は、死んだんですね」

「はい。帰宅途中、横断歩道で信号無視のトラックにはねられました。死因は交通事故。前世側の事故処理は別部署です」

「別部署」

「神界にも管轄があります」

ツクヨは真顔で言った。

嫌な現実味だった。

「それで、水野さんには異世界転生をご案内します」

「異世界」

「はい」

「あ。それ、ライトノベルで読んだことがあります」

「理解が早くて助かります」

「剣と魔法の、比較的分かりやすい世界です。ただし」

ツクヨはそこで、棚のファイルを一冊引き抜いた。

中身を見て、そっと閉じる。

「戦闘系チートは在庫切れです」

「在庫制なんですか」

「勇者案件が続きまして」

神様は疲れた声で言った。

「鑑定、収納、無限魔力、剣聖、聖女適性、全部出払っています。凡人枠でのご案内になります」

「凡人枠」

「言語理解のみ。身体能力は現地標準。魔法適性は、まあ、生活魔法を覚えられたら御の字です」

「なかなか厳しいですね」

「ですが、水野さんには前世の職務経験があります」

ツクヨは私の履歴書を指で叩いた。

「二十年間、窓口で怒られ、謝り、記録を取り、通知を出し、名簿を直し、遺族の話を聞き続けた経験です」

「それ、異世界で役に立ちますか」

「役に立たない世界なら、私が送りますか」

ツクヨは少しだけ笑った。

「剣では、死んだ人の名前を正しく書けません」

その言葉だけが、妙に残った。

次に目を開けた時、私は石造りの広間に立っていた。

床には、薄く光る魔法陣。

正面には、制服姿の役人が三人。

横には、神官らしい老人が一人。

誰も剣を抜いていない。

誰も悲鳴を上げていない。

「神託の通りだ。本当に異世界からの方が来られた」

中央の役人が、手元の書類にさらさらと何かを書き込んだ。

(向こうも慣れているらしい)

「ハルト・ミズノ様ですね。神界からの通達は受けております」

「通達」

「転生管理局からです。凡人枠、言語理解のみ。戦闘系加護なし」

「そこまで書いてあるんですか」

「はい。最近は書式が統一されまして」

嫌なところだけ事務が進んでいる。

「それで、私は何をすればいいんでしょうか。魔王討伐とか」

「いえ。王国には強い軍隊も、勇者様もおりますので」

「では、内政チートで領地改革とか」

「それも、いまのところ予定はございません」

「何も決まっていないんですか」

「神様のお伝えですから、悪いようにはいたしません」

役人は、慣れた手つきで別の紙を出した。

「ただ、チートのない転生者の方は、基本的に王国で雇用することになっています」

「雇用」

「放置すると生活に困りますし、本人も周囲も困りますので」

「現実的ですね」

「前例が多いもので」

神官の老人が、しみじみと頷いた。

「以前、異世界の菓子職人を野に放ったところ、王都の砂糖価格が三倍になりましてな」

「何をしたんですか、その人」

「流行を作りました」

それはたぶん、かなり強いチートだ。

身元保証。

言語理解の確認。

簡単な読み書き。

前世の職歴の聞き取り。

そして、採用面接のようなもの。

そのすべてを終えた三日後、私は王都の文書保管庫で、埃まみれの名簿を抱えていた。

名前はハルト・ミズノ。

王国式に言えば、平民出身の下級書記官。

年齢は三十二歳。

給料は安い。

椅子は硬い。

机は傾いている。

そして、目の前には、前世で何度も見た種類の書類が積まれていた。

死亡者名簿。

遺族連絡先一覧。

未通知者確認表。

見舞金支給台帳。

私は額を押さえた。

(ツクヨさん。分かりやすい世界とは)

返事はなかった。

そのかわり、窓の外から鐘が鳴った。

魔王軍との北方戦役が終わったことを告げる鐘だ。

王都では三日後、凱旋式が開かれる。

勇者、将軍、騎士団、魔術師団。

生きて帰ってきた英雄たちを迎える、王国最大の式典。

私の所属する式典準備室は、その準備で地獄になっていた。

「ミズノ、戦死者名簿は第三版でいいな」

上司のバルド課長が、山羊皮紙の束を投げてよこした。

「第三版ですか」

「最終版だ。もう直すな。席順が崩れる」

「確認中の欄が残っています」

「確認している時間がない」

課長は羽根ペンを噛んだ。

「英雄の入場順、王子殿下の演説、竜騎兵の飛行経路、花火の打ち上げ、そっちが優先だ。死んだ兵の名前など、式典では誰も聞いていない」

室内の空気が、少しだけ止まった。

だが、誰も反論しなかった。

忙しすぎる時の職場は、ひどい言葉を聞き流す力だけが上達する。

私は名簿を受け取り、自分の机に戻った。

第三版。

総数、二千四百十二名。

そのうち、遺族確認済み、一千八百二十一名。

未通知、四百九名。

不明、百八十二名。

私は最初の頁を開いた。

すぐに、指が止まった。

同じ名前が二つあった。

所属部隊が違う。

出身村も違う。

年齢も違う。

だが、名前の綴りが同じため、一人として扱われていた。

「……ああ」

私は小さく息を吐いた。

こういう間違いは、よくある。

前世でもあった。

住民票の旧字体。

戸籍の異体字。

災害現場で聞き取った名前の揺れ。

兄弟を取り違えた通知。

その一文字の違いで、遺族は二度傷つく。

死んだこと。

その死を、雑に扱われたこと。

「ミズノさん」

隣の机から、若い書記官のミラが顔を出した。

「また、直すんですか」

「直す」

「課長、怒りますよ」

「怒るだろうな」

「凱旋式、三日後ですよ」

「三日ある」

ミラは、信じられないものを見る目をした。

私も同じ気持ちだった。

三日しかない。

だが、三日ある。

その差だけで、できることは変わる。

「ミラ。北方第二歩兵隊の戦闘日誌はどこだ」

「地下書庫です。鍵は軍務局が」

「借りてくる」

「借りられるんですか」

「断られる」

「えっ」

「だから、断られる理由を聞いてくる」

前世の窓口で学んだことがある。

担当者が「できません」と言う時、そこには必ず種類がある。

規則でできない。

権限がない。

面倒だからしたくない。

前例を知らない。

そして、誰に聞けばいいか知らない。

最後の二つは、潰せる。

軍務局の地下書庫で二度断られ、三度目で負傷兵名簿の写しを借りた。

治療院で三時間待ち、包帯だらけの兵士から部隊名を聞いた。

神殿の鐘楼裏で、戦死者の祈祷名簿を見せてもらった。

夕方、式典準備室に戻ると、ミラが私の机に小さな山を作っていた。

「これ、届いてました」

「何だ」

「遺族からの問い合わせです。名前が載っていない、と」

封筒が十二通。

そのうち三通は、同じ筆跡だった。

私は一番上の封筒を開いた。

中には、震えた字で書かれた手紙が入っていた。

『息子の名は、リオル・ダンです。リオールではありません。小さい頃から、本人がそこだけは直してくれと言っていました』

手紙の隅に、乾いた染みがあった。

雨か。

涙か。

どちらでもいい。

どちらでも、同じだ。

「ミラ」

「はい」

「この人の席を探す」

「遺族席、もう埋まってます」

「増やす」

「広場の図面が」

「負傷兵の動線を塞がない位置で、十六席は増やせる。さっき見た」

ミラはしばらく黙っていた。

「……ミズノさん、前世で何してたんですか」

「窓口」

「強すぎませんか、窓口」

「強くはない」

私は羽根ペンを取った。

「ただ、しつこい」

そこからの二日は、記憶が薄い。

名簿を照合した。

同姓同名を分けた。

綴りを直した。

未通知者を探した。

死亡扱いになっていた負傷兵を一人見つけた。

生存扱いになっていた戦死者を三人見つけた。

遺族席を二十八席増やした。

車椅子の動線を変えた。

花火の予算を少し削った。

削ったことがばれて、課長に怒鳴られた。

「なぜ花火を減らした!」

「遺族席の椅子代に回しました」

「凱旋式だぞ! 華やかさが必要だ!」

「帰らなかった兵の親を立たせたままにするよりは、椅子が必要です」

「お前は式典の意味が分かっていない!」

私は名簿を閉じた。

「分かっています」

課長の眉が跳ねた。

「凱旋式は、帰ってきた人を迎える式です」

「ならば」

「同時に、帰ってこなかった人を国に帰す式です」

室内が静かになった。

言いすぎたかもしれない。

だが、取り消す気はなかった。

課長は私をにらみつけた。

「お前の席は、式のあと考える」

「はい」

クビだろうか。

異世界に転生しても、結局は窓口職員らしい。

机に戻ると、ミラが小声で言った。

「ミズノさん」

「何だ」

「私の兄も、北方へ行きました」

初耳だった。

ミラは両手で書類を握っていた。

「まだ、帰ってきません。名簿にもありません。未通知者の中にも」

「名前は」

「カイル・エンデ」

私は名簿をめくった。

カイル。

エンデ。

北方第七補給隊。

補給隊は、戦場の後ろにいる。

後ろにいるから安全、というわけではない。

むしろ、記録から漏れやすい。

前線の英雄の名前は残る。

補給の荷馬車を守って死んだ者は、紙の端に追いやられる。

「探す」

「でも、もう」

「探す」

私は立ち上がった。

だが、式典前夜の王都で、開いている窓口はほとんどなかった。

軍務局は閉まっていた。

神殿の記録庫も閉まっていた。

治療院の担当者は仮眠中だった。

残っているのは、負傷兵の臨時宿舎だけだった。

私はそこで、カイルの名を聞いて回った。

十人。

二十人。

三十人。

四十一人目で、片腕を吊った兵士が顔を上げた。

「エンデ?」

「知っているんですか」

「荷馬車のやつか」

「はい」

「死んだよ」

ミラの息が、隣で止まった。

兵士は続けた。

「でも、最後まで荷を守った。俺たちの水袋だ。あれがなきゃ、撤退できなかった」

「記録は」

「補給隊の隊長が持ってる。隊長も負傷して、東棟だ」

東棟。

私たちは走った。

夜明け前、補給隊長から血のついた小さな手帳を受け取った。

そこに、カイル・エンデの名があった。

戦死。

荷を守り、撤退路を確保。

私はその一行を、名簿に書き写した。

ミラは泣かなかった。

ただ、机の角を握ったまま、何度も頷いた。

「ありがとうございます」

「礼は、式が終わってからでいい」

「はい」

「それと」

「はい」

「お兄さんの席を、一つ用意する」

ミラの目が揺れた。

「戦死者に、席ですか」

「遺族席の隣だ」

前世では、空席を用意する式があった。

誰も座らない椅子。

けれど、そこにいると分かる椅子。

異世界の作法に合うかは知らない。

だが、必要だと思った。

「帰る場所が、要る」

凱旋式当日。

王都中央広場は、人で埋まっていた。

旗。

花。

楽隊。

竜騎兵。

王子殿下の演説台。

華やかさだけなら、申し分なかった。

私は広場の端で、名簿を抱えていた。

席順は、昨夜のうちに差し替えた。

遺族席は増えた。

負傷兵の動線も確保した。

戦死者の空席は、遺族席の横に一列だけ置いた。

花火は、少し減った。

課長は朝から私を見ていない。

見たら怒るからだろう。

鐘が鳴った。

門が開く。

王国軍が帰ってきた。

先頭は、勇者アルベルト。

白銀の鎧は傷だらけだった。

その後ろに、騎士団。

魔術師団。

歩兵。

補給隊。

負傷兵。

拍手が湧いた。

泣き声も混じった。

王子殿下が演説台へ上がる。

「王国の民よ! 我らは勝利した!」

広場が沸いた。

王子は満足そうに手を広げた。

「この勝利は、勇者アルベルトと、栄光ある王国軍の力によるものである!」

楽隊が鳴る。

予定では、このあと英雄への勲章授与。

その後、花火。

戦死者名簿の読み上げは、王子の判断で削られていた。

私は名簿を握った。

勝手に読むわけにはいかない。

式典には、順序がある。

手続きには、権限がある。

私は下級書記官だ。

できることには、限界がある。

「戦死者名簿は」

低い声がした。

振り向くと、王国軍総司令官グレンが立っていた。

灰色の髭。

片目に古い傷。

式典前に一度だけ、席順確認で会った将軍だ。

私は名簿を差し出した。

「こちらです」

グレン将軍は名簿を開いた。

最初の頁。

次の頁。

その指が、何人もの名前の上で止まる。

「この名簿を作ったのは」

「私です。正確には、準備室全員で」

「嘘をつくな」

「すみません。主に私です」

将軍は鼻を鳴らした。

「読め」

「権限が」

「俺が命じる」

王子の演説が続いている。

広場はまだ、英雄の名に沸いている。

グレン将軍は演説台の横へ進み出た。

「殿下」

王子が眉をひそめる。

「何だ、将軍」

「帰らなかった者たちの名を」

「後日、神殿で祈祷を」

「今です」

将軍の声は大きくなかった。

だが、広場の熱が少しずつ引いていった。

勇者アルベルトが、兜を脱いだ。

負傷兵たちが姿勢を正した。

遺族席の人々が、こちらを見た。

私は名簿を開いた。

手が震えた。

前世でも、死亡者名を読み上げる仕事はなかった。

通知書を出すだけで、胃が痛くなった。

だが、ここで読むために直した。

そう思った。

「北方第一歩兵隊」

自分の声が、広場に落ちた。

「レナード・アッシュ。二十六歳。王都西区」

風が止まったようだった。

「ミゲル・バートン。十九歳。ラナ村」

遺族席で、老女が口元を押さえた。

「サリア・クレイン。三十一歳。東門区」

負傷兵の一人が、敬礼した。

一人。

また一人。

名を読む。

部隊を読む。

出身地を読む。

修正した綴りを、間違えないように読む。

途中で喉が乾いた。

ミラが水筒を差し出した。

私は一口だけ飲んだ。

また読む。

「北方第七補給隊」

ミラの肩が動いた。

「カイル・エンデ。二十四歳。王都南区。撤退戦において補給荷を守り、戦死」

ミラは泣かなかった。

そのかわり、深く頭を下げた。

空席の一つに、朝の光が落ちていた。

全員を読み終えた時、広場は沈黙していた。

勝利の沈黙ではない。

敗北の沈黙でもない。

そこにいない人間の重さを、全員が少しだけ持った沈黙だった。

勇者アルベルトが、最初に動いた。

彼は勲章を受ける前に、遺族席へ向かった。

そして、膝をついた。

「帰せず、申し訳ありませんでした」

遺族席から、泣き声が上がった。

負傷兵たちが敬礼した。

王国軍全体が、それに続いた。

王子だけが、演説台の上で顔を赤くしていた。

「これは凱旋式だぞ」

彼は私をにらんだ。

「民に勝利を見せる式だ。なぜ、こんな湿った空気にした」

返事をしようとしたが、声が出なかった。

代わりに、グレン将軍が言った。

「殿下。戦争は、勝った者だけで終わるものではありません」

「将軍」

「戦争を終わらせるのは剣です」

将軍は私を見た。

「だが、死者を国へ帰すのは、こいつの仕事だった」

私は名簿を抱えたまま、立ち尽くした。

拍手は起きなかった。

それでよかった。

ここで必要なのは、拍手ではない。

名前だった。

式典のあと、私は課長に呼び出された。

クビだろうな、と思った。

部屋には、課長、グレン将軍、神殿の立会司祭、そして王国軍の事務官がいた。

胃が痛い面子だった。

「ミズノ」

課長が渋い顔で言った。

「お前の席だが」

「はい」

「準備室から外す」

「分かりました」

「明日から、王国軍戦没者記録室へ出向だ」

私は顔を上げた。

「戦没者記録室」

「今日できた」

グレン将軍が言った。

「室長代理は、お前だ」

「私がですか」

「ほかに誰がいる」

「もっと偉い方が」

「偉い者は、名簿の重複に気づかなかった」

何も言えなかった。

神殿の司祭が、そっと一枚の紙を差し出した。

「遺族への弔慰金支給手続きも、共同で進めます。あなたの名簿が必要です」

私は紙を受け取った。

手が、少しだけ重かった。

前世でも同じだった。

こういう仕事は、終わらない。

一人分直せば、次の一人が見つかる。

通知を出せば、相談が来る。

相談が来れば、怒りも、涙も、沈黙も来る。

それでも、誰かがやる。

やらなければ、名前が消える。

「ミズノさん」

部屋を出ると、ミラが廊下に立っていた。

目が赤い。

けれど、背筋は伸びていた。

「兄の名前、ありがとうございました」

「私は読んだだけだ」

「見つけてくれました」

ミラは小さな封筒を差し出した。

「母からです。兄の名前が正しく読まれたと伝えたら、これを」

封筒の中には、乾燥させた小さな花が入っていた。

野の花だ。

高価なものではない。

だが、捨てられないものだった。

「受け取っていいのかな」

「兄が帰ってきたような気がした、と」

私は花を見つめた。

前世で、同じような言葉を聞いたことがある。

通知が遅れてすみません。

書類が足りずすみません。

そんなことばかり言っていた私に、ある遺族が言った。

名前を間違えずに呼んでくれて、ありがとうございました。

その時も、何も返せなかった。

今回も、うまく返せない。

「ミラ」

「はい」

「明日から、手伝ってくれるか」

「もちろんです」

即答だった。

「給料は安いぞ」

「知ってます」

「怒られるぞ」

「見てました」

「終わらないぞ」

ミラは少し笑った。

「でも、誰かがやる仕事ですよね」

私は、封筒を胸ポケットにしまった。

「そうだ」

その夜。

神界の転生管理局で、ツクヨは監査室に呼ばれていた。

「凡人枠、第三八七二号案件について」

監査官が書類をめくる。

「戦闘チートなし。魔法適性低。補助スキルは言語理解のみ。にもかかわらず、王国軍式典および戦没者対応制度に影響を与えた、と」

「はい」

ツクヨは眠そうな顔で頷いた。

「事前説明では、前世職能を活用可能とありますが」

「はい」

「遺族対応窓口経験、ですか」

「はい」

「地味ですね」

「凡人枠なので」

監査官は眼鏡を押し上げた。

「剣も魔法もなく、名簿を直しただけで、なぜここまで影響が出たのですか」

ツクヨは少し考えた。

それから、報告書の余白に一行書いた。

『名前は、帰る場所になる場合がある』

監査官は黙った。

ツクヨはあくびを噛み殺した。

「チートは在庫切れでしたが」

彼は小さく笑う。

「凡人の仕事が、在庫切れになることはありませんので」

翌朝。

私は新しい部屋の扉を開けた。

看板には、まだ乾ききっていない文字があった。

王国軍戦没者記録室。

机は二つ。

椅子は三つ。

書類棚は古い。

窓は少し歪んでいる。

そして、机の上には、追加確認が必要な名簿が山になっていた。

ミラが隣で、深呼吸した。

「どこから始めますか」

私は一番上の紙を取った。

名前の綴りが、途中でかすれている。

出身地は空欄。

遺族欄も空欄。

いかにも、面倒な案件だった。

「名前からだ」

私は羽根ペンを取った。

「まずは、名前から始める」