軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5話 主従の初日

ガイスト伯爵の一件の後は、そこまで特筆すべき事件はなかっただろう。

エルメスはあの後、何やら教室全体から腫れ物扱いを受けたせいで話しかける人間もおらず。

初日の授業は終了し、トラーキア家に戻ってきたその日の夜。

「………………話は聞いたわ」

エルメスは彼の自室にて、仁王立ちしたご主人様と真正面から向かい合っていた。

「……まぁ、ね。あなたのことだから多分何かしらやらかすんじゃないかと思ってはいたわ。ええ、それ自体は決して予想外のことではないの」

呆れるような、戸惑うような。怒りたいけれど怒る場面ではないことも分かっている、でもやっぱりもの申したい。

彼女──カティアは、そんな何とも言えない表情で言葉を続ける。

「……でもね! まさか編入初日の! 初っ端の授業でいきなり! 割ととんでもないことをやらかすとは流石に思わなかったわ!!」

「……ええと、その」

そして、遂に爆発した。

怒っているわけでも、反省を促すつもりでもないのだろう。単に自分の従者が予想を超えることをやらかした件に対して、戸惑いとか諸々の感情が行き場を無くしているだけだ。エルメスもそれは分かっているから、何とも返答しづらい。

「やったこと自体を責めるつもりはないわ。どう考えてもあなたの方が正しいし、結果的にクラスの為になったんだもの。……でも! よりにもよってあのガイスト先生を授業中にやり込めて、恥をかかせて追い出したですって!?」

最後に彼女は、心からこう叫ぶのであった。

「──何それ、私も見たかったわよッ!!」

「……落ち着きましたか?」

「……まぁ、それなりに」

エルメスと隣り合ってベッドに腰掛け、息を整えるカティア。

……どうやら彼女もBクラスにいた前期の頃、ガイスト教員にはしょっちゅう酷い扱いを受けていたらしい。

あれが日常茶飯事だったとすればなるほど、流石に高潔な彼女と言えど多少の不幸は望みたくもなるだろう。何ならやり込める時に自分も一枚噛みたかったくらいまでは思っていそうだ。

最後に大きく息を吐いたカティアが、気を取り直してこちらに問いかけてきた。

「とりあえず、よくやったわエル。……それで編入初日、そっちのクラスはどうだった?」

「……正直、問題なく馴染めましたとはとても言い難いですね」

「……でしょうね」

彼女が嘆息する。

「元侯爵家子息とはいえ今は平民、しかもあなたの魔法も『強化汎用魔法だけ』と偽って。あのクラスの彼らがどう扱うかくらいは分かるわ」

彼女自身、前期には同じクラスに在籍していたからか。今のエルメスの扱いを予測はしており、それは間違っていなかったようだと呟く。

そして続けて、こう言ってくる。

「……エル。彼らの言うことに迎合したり受け入れたりする必要は勿論ないわ。でも……理解はして欲しいの」

「ええ。サラ様にも似たようなことを言われました」

彼らがああまで下の人間と決めつけて差別しようとするのは、彼ら自身が差別される対象だから。

学校に来るまでは貴族としての自負と誇りを持っていたはずの彼らが無慈悲に虐げられる。その落差に耐えられず、歪んだ形で自尊心を守るしか道がなくなってしまったから。

「まだ初日ですしね。一面的な印象だけで見限るには早いと、王都に来て学んだことですし」

なので、流石に即学園を辞めるだなんて短慮はしないつもりだ。有り体に言えば様子見である。

そう結論付けて。エルメスは声のトーンを変えて、こう話を切り替えにかかる。

「カティア様のところはどうなのですか? 貴女もAクラス初日でしたが、何か変わったことなどは」

「──」

しかし、予想とは裏腹にカティアは固まった。

「……その、カティア様?」

「……聞いてくれるかしら」

「え、あ、はい」

俯き気味に、どこかただならぬ様子を見せるカティア。身構えるエルメスの前で、彼女は口を開いて。

「……婚約の申し込みをされたわ」

厳かに、冗談ではない口調でそう告げた。

「…………はい?」

「婚約の、申し込みを、されたわ。編入初日でいきなり。しかも複数人から。段取りも何もなく」

「……それは、また」

比較的貴族の常識に疎いエルメスでさえ、明らかにおかしいとわかる行為だ。

「多分、普通にトラーキア家へ送ったらお父様に握り潰されると考えてのことでしょうけど。……そもそも握り潰されてる時点で察しなさいよ……っ。私はそういうのを考える気は無いって! まず私の立場を考えればしばらく時期を置くのが基本でしょう!」

それはそうなのだろう。何せ彼女が第二王子アスターから婚約破棄を受けてから、まだ二月も経っていないのである。

「それに、申し込み方もとんでもないわ。本当にいきなり挨拶もなく、自己紹介も待たずろくに会話することもなく要件だけ告げた令息だっていたのよ!? もうその時点で外見と家柄しか見てないって言っているようなものじゃない!」

……どうやら、エルメスと同じように。

カティアも、新しいクラスでは中々ハードな目に遭っているようだ。

きっと、アスターが居なくなったことも関係しているのだろう。

この国で絶大な権力を横暴にふるっていたアスターが、学園でも同じようなことをしていなかったはずがない。

その権力構造の頂点が崩れたことで、Aクラスでは次のクラスの支配者を決めるべく水面下での権力争いが行われているとかなんとか、Bクラスで小耳に挟んだ記憶がある。

カティアに迫った令息もその一環なのだろう。

「……しかし、まあ」

……だとしても、である。

彼女の辟易している様子から察するに、相当強引に迫られた件もあったと見える。

確かに彼女は非常に見目麗しい少女だし、実家も名門公爵家。繋がりを持ちたい気持ちもまぁ、貴族令息であればあるのだろう。

……でも。彼女が決してそれだけの少女では無いことを。

過去を乗り越え、想いを貫き、今なお進み続けんと前を向く、気高い心を持った人だと。

僭越ながら少しは知っている身からすると、そのような出来事があったと言うのは──

「……あまり、良い気分はしませんね」

「!」

彼の小さな、短い呟き。

カティアはしっかりと聞き取り、意図も理解して──微かに頬を染める。

けれど彼はそれに気づかず、カティアの方を向いて。

「何というか……お疲れ様です」

「……ええ、そうね、疲れたわ。だからその……労ってくれてもいいんじゃないかしら」

「え?」

何故か軽くそっぽを向いての呟きに、首を傾げたその時。

カティアが急にこちらへと体を傾け、紫紺の髪が香りと共に鼻先を掠め。

そのまま──ぽてっ、と。彼女は彼の膝の上に頭を乗せてきた。

つまるところ、エルメスが膝枕をする体勢だ。

「! え……っと、カティア様?」

「……聞こえなかったのかしら。労ってって言ったの、ほら」

こちらから顔を背けたまま、どこか甘えるように軽く頭を振るカティア。

これまでの経験から、彼女の望むところを察したエルメスは──手を伸ばし、彼女の頭の上に軽く掌を置く。

どうやら正解だったようで、彼女はそのまま体の力を抜いて身を委ねる。

「…………」

……最近、彼女はたまにこういう動作を要求してくることがある。大抵は無言で。

具体的な時期としては師匠が帰ってからだ。ローズに何かよく分からない影響でも受けたのかもしれない。自分の膝枕ってそんなに良いものなのだろうかと疑問に思うエルメスである。

ともあれ、嫌──とまでは言わないが、せめてもっと事前に何かしら言って欲しかったりする。いきなりの不意打ちで、しかも同い年の少女にこうされるのはその……流石の彼と言えど心臓に悪い。

膝の上にかかる温かく心地良い重みに、そんなことを考えつつ。無言の要請に従って、夜空を溶かしたような美しい紫髪を丁寧に梳く。

そうすることしばし、彼女がぽつりと呟いてきた。

「……エル、学校はどうかしら。楽しめそう?」

「え?」

「律儀なあなたのことだから、ちゃんとお父様の期待に応える行動をしようと思っているのかもしれないけれど。……多分お父様も、そして私も。あなたが自分を殺してまでこちらの望みを叶えることは望んでいないわ」

「!」

少しだけ心当たりのある思考に、彼女は異を唱える。

「あなたは、これまでたくさんひどい目に遭ってきたんだもの。普通に享受できたはずの生活を楽しむくらいは、許されるべきだと思うわ。だから……」

「……お気遣い、ありがとうございます」

穏やかに、彼は告げる。

「ですがご安心を。あのクラスの中でもしばらくは様子を見ようと思うのも、できることなら変えたいと思うのも僕の意思です。……そもそも公爵様曰く、僕は非常にわがままらしいので」

「……それもそうね」

くすりと彼女が笑う気配が伝わってきた。

「何かあったら言ってちょうだい。力になれることはあると思うし、従者だからって遠慮はいらないわ」

「……では、次からこういうことをするときは事前に申請していただけると」

「…………善処するわ」

「師匠みたいなことを言わないでください」

多分これあんまり改善しないやつだなと思いつつ、しばらくは髪を梳く作業を続け。

緩やかに、主従の時間は過ぎていくのだった。