作品タイトル不明
3話 才能
(……ふんだ)
王宮の庭。
既に遥か遠くなった自室のベランダを見ながら、リリアーナは心中で鼻を鳴らす。
あの銀髪の新しい家庭教師に、今の自分はどう見えているだろうか。
……聞くまでもない。人の言うことを聞かない小生意気な王女様。反抗的極まりない、この上なく手を焼く生徒。その辺りだ。
……別に構わない。
元より家庭教師なんて頼んではいない。自分は少しだけ『特別』だから見限られずに多くの人が来たけれど、その末路はどれも同じだ。
──絶望の視線。
──失望の視線。
──『どうしようもないもの』を見る視線。
もううんざりだった。
(期待されて、何かがあるはずだと思わされて──結局その全てが叶わず、彼らのプライドを守るためにわたくしが蔑まれる。
こんなのを……あと何度繰り返せばいいんですの!!)
だったらもう、いい。
こっちだって最初っから期待なんてしてやるものか。
今までと同じことを、最初からやってやろう。
自分の才能を見せつけて、散々逃げ回って影すら踏ませず、どころか派手におちょくってこねくり回して。
そうして這いつくばった相手を全力で見下して、最後に『自分の魔法』を囁いてやるのだ。
きっと、それで彼も自分を貶める。自分のプライドを守るために。
見下すかもしれない。いやむしろそうして欲しい。だったらこう返せる。
──あなたはそんな存在に負ける程度の相手なのですわ、と。
それで、少しは溜飲が下がるだろう。
……そんなことをしても何にもならないとは分かっている。
でも、だからと言って……じゃあ他にどうしろと言うのだ。
ともあれ、彼女はそうすると決めた。
あの銀髪の家庭教師がどんな存在かは知らない。ユルゲンからその功績だけは聞かされていたが到底信じられるわけがない。誰が聞いても、期待させるために話を盛ったとしか思えないものだった。
故に、この鬼ごっこに負ける気は微塵もしない。
そもそもそんなものがなくても、彼女はこれに絶対の自信を持っている。なぜなら。
──彼女はこの条件なら…… アスターにすら(・・・・・・・) 負けたことがないのだから。
さぁ、始めよう。
まずはお手並み拝見と言わんばかりに、ベランダの方から向かってくるだろうあの家庭教師の姿が見えるのを待って、
「いや、素晴らしい逃げ足ですね」
「きゃあああああああああああああああ!!?」
『背後から』聞こえてきた声に、全力の悲鳴を上げた。
「……そんな幽霊を見たような声を上げられると、流石に傷つくのですが」
「な……え、あ……!?」
ありえないものを見た。
自分は全力で逃げたはずだ。これまで見た誰も追いつけない速度を高い魔力操作能力で得て、一切の油断なくここまで一直線で来たはずだ。
なのに。その一瞬目を離した隙に。自分に気取られることなく。
──自分以上の速度で自分の後ろまで移動するなんて、ありえない。
だが、そんな彼女を他所に銀髪の家庭教師は続ける。
「しかし、納得しました」
「な、何を……」
「試験をする意図、です。確かに教わる側にも先生を選ぶ権利はありますものね。生徒側も教師を試す機会があるのは実に理に適っている。なので」
そこで彼は、にっこりと微笑んで。
「貴女様に認めていただけるよう、精一杯努めさせていただきます。さぁ──『試験』を、続けますか?」
そうして。ひょっとすると彼女の生涯で最初の。
本当の『鬼ごっこ』が、始まったのであった。
◆
リリアーナを追いかける前に、ユルゲンから軽く言われたことがある。曰く、
『君たちに、お互いの詳しいことは意図的に教えていない。直接会う上で知り合った方がいいと思ったからね。だから──存分にぶつかってきなさい』
とのこと。
加えて一つだけ注意事項というかお願いも聞かされたが、それは後で振り返ることにして。
とにかくエルメスは今、ユルゲンの言うことをある程度理解しつつあった。
「……はは」
魔力を全身に巡らせ、王宮の庭を走り回りつつ。
エルメスは思わず、高揚の笑みを溢す。
何故なら、確信したからだ。
間違いない。この王女様──天才だ。
「なんなん……ですのっ!?」
驚愕と……あと恐怖も入った声色で叫び、眼前で逃げ回るリリアーナ。
その動きは、凄まじく俊敏。エルメスとてそう簡単に捉えることはできないほど。
そして何より特筆すべきは──彼が今、『ほぼ全力を出している』という点だ。
エルメスはこれまでの人生において、一分野において自分を上回る能力を有した人間を何人か見てきた。
例えば師匠ローズの知識や魔力出力であったり、学園の友人ニィナの魔力感知であったり。
この王女様は、恐らくその一人。
年齢を考慮すれば──魔力操作の分野においては、エルメス以上の才能を持っているかもしれない。
ほぼ全力で挑んで尚、簡単には捕まえきれないことがその証拠だ。
……まぁ、とは言え。
彼の武器は才能だけではない。年季も違うし鍛えも違う、なんならこの『鬼ごっこ』は師匠ローズと魔力操作を鍛える訓練として修行時代何度もやった。
駆け引きや体の使い方といった技術的な分野に差がありすぎる。身体能力だけで誤魔化せるほどエルメスは甘くない、ので。
「…………」
「五回目、ですね。……少しは認めていただけたでしょうか……?」
数度、リリアーナを袋小路に追い詰め切ってからエルメスは問いかける。
一方の彼女は、三回捕まったあたりからすっかり物を言わなくなってしまった。
……あれ。
これはひょっとすると、いくら向こうがふっかけてきたとは言え小さい子相手にやりすぎたというやつか……と若干冷や汗をかくエルメスに対して。
リリアーナは、ぽつりと口を開いた。
「……一つだけ、聞かせてくださいまし」
「は、はい」
「あなたはここまでの間……何か血統魔法を使いましたか?」
なるほど、妥当な疑問だ。彼は素直に答える。
「いいえ。リリィ様に合わせて、こちらも基礎魔法能力だけで挑ませていただきました」
これが虚偽ではないことは、彼女ほどの魔法能力の持ち主なら分かるだろう。
そんなエルメスの信頼通り、リリアーナは納得の表情で頷くと。
「……噂通りと。では──いくつもの血統魔法を扱える、というのは」
「それも本当です。それでは試しに──」
今なら話を聞いてもらえる。そう思ったエルメスは『 原初の碑文(エメラルド・タブレット) 』を展開し、いくつかの簡単な血統魔法を示す。
それを目の当たりにしたリリアーナは……笑って。
「……あはは。ユルゲンの言った通りの、とんでもないお方だったと。……それは、とても……羨ましいですわね」
「──」
自らの魔法の力を過信した、傲慢なお姫様。
そんな当初の印象からは、想定できない反応を訝しむ。
「羨ましがることはないでしょう。リリィ様も素晴らしい才能をお持ちなのはこの試験でよく分かりました。だから貴女様もきっと──」
「ッ!!」
続けての言葉に返ってきたのは、激情を押し殺し歯を噛み締める音。
そこで明確に違和感を抱いた彼は、慎重な表情で問いかけた。
「……リリィ様」
「……なんですの」
「これは僕の勝手な印象かもしれませんが──貴女様は、教わることはないと言いつつ家庭教師の件を……どこか本気で拒否しきっているようには思いませんでした」
「!」
「僕に……或いは僕以外の教える側に、何を期待しているのでしょうか。差し支えなければ教えていただけたらと……」
「教えて……何になるんですの……!」
彼女の内側から、何かが湧き上がって来るのをエルメスは感じ取った。
その直感通りに、リリアーナは絞り出すように言葉を吐く。
「ええそうですわ……! わたくしだって本当は、あなたのような力が欲しかった! こんなただ速く走れるだけじゃない、分かりやすい本物の力が!」
「え──」
「それなら……もっとなんとかできた! アスターお兄様がおかしくなっていくのを、優しかったお兄様とお姉様が争うのを止められず、何もできずただ見ているだけのひどい自分に絶望することもありませんでしたわ! でも!!」
そこで彼女は言葉を区切ると、エルメスに様々な感情を宿した視線をぶつけ。
「無理なんですの。無駄なんですの。期待したってどうしようもないんですの! ええもう教えてあげますわ。だってわたくしは──!!」
そうして、告げる。
「──ないのです」
彼女の原点。『どうしようもない』と彼女が定義したものを。
「わたくしは── 血統魔法を(・・・・・) 持っていない(・・・・・・) のです!!」
「────」
──全て、合点が行った。
「所謂『無適性』ですわ。分かるでしょう、本来わたくしは王族どころか貴族たる資格すら持たない人間なのです!」
エルメスが、リリアーナ王女の存在を知らなかったのは何故か。
──そもそも、王族として扱われていなかったからだ。
「どれほど魔力の扱いが上手くても、これじゃあ何の意味もない! 全部無駄なんですわ!!」
これだけの才を持ちながら、一切注目されなかった理由。誰一人味方がつかなかった理由。
いくら本人が怠惰であろうとも、この国の貴族であれば高い魔法の持ち主にはある程度群がるはずだ。
それすらなかった理由は…… 単(ひとえ) に、彼女が無適性だから。
慣例に則って、15歳で廃嫡を待つだけの身だったからだ。
「それでも、きっと何かがあるはず、あってほしいと期待して! その度に裏切られて、ひどい視線を向けられ続けて……じゃあもういいですわ!」
こちらを見下すのも……そうでなければ自分を守れなかったから。
そして。
ユルゲンが『エルメスこそが彼女を導くに相応しい』といった理由も。
ああ……自惚れかもしれないが、今はこう思いたい。
──確かにそうだ、と。
「……なんですの」
エルメスの奇妙な態度に勘付いたか、リリアーナが涙目で睨んでくる。
「いいですわ、見下せばいいじゃないですの! わたくしより高い魔法の力を持って、おまけに規格外の血統魔法まで持ち得る正真の英雄様! そうして教えてもらえるかしら。こんなわたくしに──何を教えるって言うんですの!?」
血統魔法に裏切られ、王国の風習に蔑まれ、全てを諦めかけた少女。
──それはまさしく、かつての彼が通ってきた道で。
故に、彼は告げる。
「──すごいじゃないですか、リリィ様」
かつての彼がかけてもらった言葉を、何一つ偽らずに。
「え……」
「率直に言います。……僕は今、とても嬉しい。僕と同じ人がいたことが。同じ才能を持つ人が一人じゃなかったことが。そして──その人を、僕が導く機会に恵まれたことが」
そうして、彼は話し始める。
かつて語ってもらった魔法の真実。血統魔法の性質。この王国の、間違った魔法に対する見方を。
全てを聞き終えたリリアーナが……体を震わせて、告げる。
「……し、信じられませんわ」
信じたい……けれど荒唐無稽すぎて、何より信じることが怖い。
そんな感情を宿した瞳で、彼女は続ける。
「そんな、そんなわたくしにだけ都合の良い話が……! やめてください、期待させないでくださいまし。だって……っ!」
同時に、彼は理解する。ユルゲンに先ほど言われたお願い。
曰く──『君の名前を明かすのは、殿下の全てを知ってからにして欲しい』と。
その意味を正確に把握して、彼は告げる。
「エルメス・フォン・フレンブリード、という名前をご存知でしょうか」
その裏にある意図を、正しく読み取って。
「公爵様の話からするに……きっとリリィ様はご存知だと思うのですが」
「……え、ええ。知っていますわ。わたくしと同じ、才を認められながら無適性とされた方ですもの。それで10才の時、アスターお兄様の手で平民に落とされた、銀髪の──」
リリアーナが目を見開く。
「……まさ、か」
「遅ればせながら名乗る無礼をお許しください。僕の名前はエルメス」
そんな彼女に、エルメスは丁寧な礼をして。
「かつての姓は、フレンブリード。貴女様の仰る通り、かつて侯爵家を追放され──その果てにこの創成魔法を受け継いで帰って来た、貴女様と同じ資格を持つ者です」
リリアーナの美しい碧眼が、抑えきれない期待を宿して輝く。
それを見て、エルメスはもう一度笑いかけると。
「リリィ様。貴女様は素晴らしい魔法の才をお持ちです」
かつての自分が欲しかった言葉を、嘘偽りなく告げる。
「生まれながらの魔力に、高い操作能力。そして何より──魔法がお好きでいらっしゃる」
これもエルメスは確信している。
だって……今しがた知った彼女の力は、決して生まれながらのものではない。
彼と同じく、魔法を夢見て研鑽を続けなければ辿り着けない領域だからだ。
「そんなリリィ様は、この創成魔法を誰よりも扱える資格があります。誰よりも自由にあらゆる魔法を扱い、美しい心を形にする資格がちゃんとあるんです」
そうして、彼は告げる。
「貴女様はきっと、素晴らしい魔法使いになる。僕はそれを見たい。そしてできれば、その一助をぜひ僕にさせて欲しい。だから──どうか、僕に貴女を教えさせていただけませんか?」
目線を合わせて、穏やかに問いかけた。
きっと、全て伝わったのだろう。リリアーナはしばし呆然としていたが、徐々に、徐々に言葉が染み込んでいくと同時に、顔を歪ませ、そして。
──わぁん、と。
彼女は泣いた。今までの傲慢さ、年に似合わぬ酷薄さをかなぐり捨てて。
感情を顕に、年相応の少女らしく、けれど決して冷たさは感じない、暖かな涙を流す。
ごめんなさい、という声が聞こえた。苦笑と共にそれを許した。
そうして、泣き止まない彼女の手を取って。いつかのように歩き出す。
部屋に戻る道中で、リリアーナが涙声で小さく、こう言ったのだった。
「……よろしく、お願いしますわ。…… 師匠(せんせい) 」
エルメスは呟く。
「……公爵様も人が悪い」
そういうことなら、最初から言ってくれれば良かったと思う。
……いや、きっと先刻言われた通り言葉だけではリリアーナが納得してくれないと思ってまずは直接ぶつからせたのだろう。流石にその辺りの機微でエルメスは意見できない。
それに、結果的に良い所に収まったのだから良しとしよう。
きっとユルゲンは、最初からこれを狙っていたのだろう。
エルメスを学園に行かせたのもひょっとするとこの布石だったのかもしれない。学園変革と共に、あの時点では若干他者との関わりに難のあった彼を矯正する目的もあったのだろうか。
まあ、その辺りも聞けば良い話だ。
……いや、それにしても。
運命、というものをエルメスは信じていないけれど。
「それでもこれは……なんともすごい因果だ」
隣で未だ泣きじゃくる彼女と手を繋いで歩きつつ、エルメスは思う。
とても愛らしい少女だ。それは元々の目鼻立ちや容姿もあるし……何より、彼のよく知る、最も尊敬している人に似ているから尚更そう思うのだろう。
先代の第三王女に拾われ、創成魔法を受け継いだ彼が。
今代の第三王女と出会い、創成魔法を教え導くことになるとは。
「僕が師匠……かぁ。ちょっとくすぐったいな」
言葉通りこそばゆそうに笑いながらも、決して嫌な気分はせず。
彼女の未来を夢見ながら、新たな師弟は歩みを進めるのだった。